銀杖のティスタ

マー

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9 手にした力の使い方

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 あれから更に1ヵ月が経った。

 先生の氷の魔術を直に見て大きな影響を受けた僕は、それからは今まで以上に積極的に魔術の修練を行うようになった。

 便利屋のアルバイトを続けながら、空いた時間にティスタ先生から魔術指南をしてもらう日々をを送るようになって4ヵ月。先生ほどではないけれど、僕も魔術師としての成長を自覚できるくらいに出来る事が多くなっていた。

「……っ……」

 ティスタ先生が見守る中、僕は手に握った植物の為に魔力を込めていく。すると、数秒ほどで種は芽に、芽は蕾に、蕾は花へと成長していく。

 種を握り締めた拳の指の間からは植物の蔦がはみ出して、その蔦からも花弁が生成されていく。1つの植物の種に集中して魔力を込める事で、質量を無視した植物を生み出せるようになっていた。

 今では自分の魔力を込めた植物の動きをコントロール出来るようにもなって、その気になれば植物の蔦で対象を拘束をする事も出来る。

 護身術としては充分な練度となった。自分を守れるだけの魔術を身に着けるという当初の目的は達成したと言ってもいい。

 ここから更に熟練した魔術師は、人間の世界の法則を無視する事さえできる。僕はその段階に片足を踏み入れる事ができたのだ。

「はぁ、はっ……でき、ました……先生、どうですかね……?」

「正直、驚きました。半年でよくここまで……」

 ティスタ先生は僕の魔術の成果を見て、笑顔で拍手を送ってくれた。

 半魔族の僕は魔術のコツを本能的に掴めるので、このスピードで成長する事が出来たのだと先生は言っていた。勿論それはティスタ先生の指導があったからこそ、自分の中の魔族の力を引き出す事が可能になったのだろう。

「そのうちキミは、私を超える魔術師になるでしょうね」

「い、いや、そんな……」

「ふふ、謙遜しないでください」

 今でも魔力のコントロールで精一杯の僕が、ティスタ先生を超える日なんてどれだけ先になるのだろうか。

 先生が行使した氷の魔術を見たあの日から、僕は才能の差を思い知らされた。精密機械のような魔力コントロールが出来なければ、先生のような芸当は出来ない。あの時に見せてもらった氷の魔術も、あれほどの規模では一歩間違えれば自分が氷漬けになってしまうのだから。

 才能の差を自覚したからといって、僕は不貞腐れているわけではない。偉大な目標が身近にいてくれるだけではなく、僕の師匠でいてくれるなんて、これほどありがたい事は無いんだ。

 もっとも、そういった純粋な気持ちだけではないのだけれど――

「トーヤ君、やはりキミは魔術の専門学校に通って、その腕を磨いた方が将来の為になると思います。高校を卒業した後ではなく、今からでも転入した方がいいのではないでしょうか。あそこなら、私よりも良い師に巡り合えるはずですよ」

「僕はやっぱり、ティスタ先生に教えてほしいなぁって……」

 正直、完全な下心だ。あの日、魔術で氷の世界を作り出したティスタ先生の美しい姿を見て以来、僕は完全に彼女に惹かれていた。先生としてではなく、女性として意識し始めていた。

「先生みたいな魔術師になりたいので、引き続きよろしくお願いします」

「……かしこまりました。これは責任重大ですね。キミの魔術師としての未来は私に掛かっているという事ですか」

「そんな、大袈裟ですよ」

 こうして魔術が上達するのが楽しいのは勿論だけれど、それ以上にティスタ先生のそばにいたい。それに、先生以上に教えるのが上手い魔術師なんて想像も出来ない。

 先生と過ごす時間が、先生と魔術を鍛える時間が、僕にとっては全部宝物みたいなものだった。半魔族として生まれてきた自分を呪った事すらあったのに、今では毎日が輝いて見えるくらいに。

「さて、そろそろ終業の時間ですね」

「はい。お疲れ様でした。また明日もよろしくお願いします」

 明日も明後日も先生と会える――そう考えるだけで、今までの半魔族としての辛い経験も帳消しに出来ると思えるくらいに日々が楽しい。僕が半魔族として生を受けたは、先生の助けになる為なんじゃないかとすら思っている。

 生きる事に意味を求めた事は無かったけれど、自分の役目のようなものを感じるだけで、こんなにも目の前の景色が変わる。何があるかわからないものだ。



 ……………



 便利屋のアルバイトは毎回午後5時まで。自宅に帰る頃には、辺りがうっすらと暗くなっている時間。今日はティスタ先生に褒められて上機嫌の僕は、帰路の最中の足取りが軽い。

 先生と出会ってから順風満帆な生活を送りながら、魔術師としての成長を自覚できている。この調子で修練を積んで、いつかはティスタ先生の仕事を助けられるような男になりたい。

 目標の中に「ティスタ先生と一緒にいたい」という下心はあるけれど、それでもいい。自分の気持ちには正直でいるというだけで、前向きになれるものだと知ったから。

 明日は何をしよう、何を教えてもらおうかと考えながら歩いているうちに自宅の前まで到着した。家の前まで来ると、良い香りが漂ってくる。いつも通り、祖母が夕飯を作って待ってくれているようだ。

 家の鍵を取り出そうとポケットに手を入れている途中、視界の端に人影を捉えた。家の前の電信柱の影に誰かいる。

 エルフとしての五感の良さ、そして人間には無い魔族特有の第六感も相まって、何か言いようのない不安に苛まれる。もし泥棒だったりしたらなどと考えているうちに、背後からの気配に気付いて僕は後ろを振り返った。

「……あぐっ!?」

 気付いた時には、僕は蹴り飛ばされて地面に倒れていた。倒れ込む僕を見下ろす3人の男達。彼等の顔には見覚えがあった。

「よぉ、この前はよくもやってくれたな……!」

 僕をいじめていた不良達だ。かつてティスタ先生に痛い目を見せられた後、彼等の事はまったく気にしていなかったし、こうして顔を見るまで忘れていたくらいだった。

 僕が1人になるタイミングを見計らって復讐に来たらしい。

「おら、立てよ化け物! ふざけやがって!」

「魔族のくせに、人間に盾突きやがって……!」

 不良の1人が僕の胸倉を掴んで強引に立ち上がらせてくる。

 ティスタ先生に痛めつけられた事を相当根に持っている様子。今までの僕なら恐ろしくて何もできない状況だったけれど、今は違う。僕には抵抗する力がある。魔術を使う事が出来る。

 魔術で作り出した植物で拘束も出来るし、蔦を伸ばして鞭のように振るう事も可能だし、その気になれば怪我をさせるほどの魔術だって行使をすれば彼等を簡単に撃退できる。

 でも、出来なかった。今の僕は、ここで魔術を使えない。使いたくない。

 僕の身に着けた魔術は、ティスタ先生との思い出でもある。それを暴力に使いたくない。たとえ自分が傷付く結果になっても、ティスタ先生の弟子として野蛮な魔術の使い方をしたくない。

 はっきり言って、馬鹿みたいな意地だ。それでも、誰に何と言われようとこんな連中にティスタ先生から教わった魔術を使おうとは思えなかった。

 魔術は、人間や魔族の助けになる事、ティスタ先生のように美しい景色を作り出せるような事の為に使うべきなんだ。

「……っ……このっ……!」

 立ち上がって、拳で殴り返す。今までやられっぱなしだった僕が見せた、人間に対する初めての反抗。その弱々しい拳は、あえなく空を切った。その後の事はよく覚えていないけれど、殴る蹴るの暴行を受けた後に気を失ってしまった。

 沈んでいく意識の中、いつだったかティスタ先生が僕に教えてくれた言葉が脳裏を過ぎる。

『大きな力を手にしても、決して理性や情を無くしてはいけません』

 魔術は決して暴力には使わない。理不尽な暴力への怒りや恐怖を味わう気持ちは、僕自身がよく知っているのだから。
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