汚水の中を流れてきた花

守 秀斗

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汚水の中を流れてきた花

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 真夏。

 ひどい臭いだ。
 顔を布で巻いて、その臭いから逃れようとするが、ほとんど役に立たない。糞便がそこら辺で垂れ流しにされ、動物の死骸の腐敗臭、そして、アヘンの煙が入り交じり何とも言えない悪臭で充満している。

 アフガニスタンの首都カブール。自動車が行き来する大通りの橋の下。大勢の浮浪者たちが、うごめいている。いや、動いている奴はまだマシだ。全く、動かない奴も多い。生きているのか死んでいるのかわからない。皆、目が死んでいる。そんな連中が千人くらいいる。

 約二十年間、イスラム原理主義勢力タリバンと戦っていたアメリカ軍は、突然、あっさりこの国から逃げ出して行った。そして、タリバンの軍隊によって、カブールは陥落。市民は恐慌状態になった。なかには脱出する飛行機の外側にしがみついて逃げようとした連中もいる。当然、飛行機が離陸した後、皆、落下して死んだ。

 再びタリバンたちによる恐怖政治が始まるのだろうかと戦々恐々としていたのだが、この二十年間でタリバンたちも少しは学んだらしい。二十年以上前にカブールを占拠した時は前政権の大統領を拷問して戦車で市内で引きまわした上で絞首刑にしたり、手当たり次第にサッカー場で市民たちを見せしめの斬首刑などにしていたものだったが、そういう派手な行動はしていない。強盗が横行していた市内の治安が割と良くなった。地方では敵対しているイスラム国(IS)のテロなどが発生したりしているが、首都ではそのようなことは起きていない。

 政権を再び奪取したタリバンは表向きはひどいことをしていないようだ。あくまで表向きだが。しかし、世界の国々からは信頼されていない。援助物資も全く入って来なくなった。多くの市民が飢餓状態に陥っていった。そして、相も変わらず女性に対する人権抑圧。ただ、汚職はだいぶ減ったようだ。農民たちにも、ヘロインの原料となるケシから麦や米を生産するように勧めているらしい。本気かどうか信用できないが。だいたい、タリバンはアメリカ軍と戦闘のための軍資金は麻薬栽培で得ていたらしい。そう簡単に麻薬栽培の利益を捨てることが出来るのだろうか。

 はっきりしているのは、この国には麻薬中毒患者が大量に発生してしまったってこと。この橋の下でたむろしている連中も全員、麻薬中毒者だ。職が無い。将来に絶望して、ヘロイン、覚せい剤、アヘン、その他の麻薬にすがっている奴らばかり。

 自分は花屋で働いていたが、タリバンがカブールに近づくと経営者はさっさと店を閉めて脱出した。そのため自分は失業者になった。職を失って、仕方なく、ゴミさらいをすることにした。川の水は生活排水ですっかり汚れ、川岸には、そこら中に麻薬で使った注射器が落ちている。真夏の太陽にジリジリと照らされながら、それらを拾っては、汚い川の水で洗ってビニール袋に入れる。汚水で洗った注射器を麻薬の闇業者に売る。その他、金属製品の破片とかを拾ったり。こんなものでも、少しは金になる。作業を続けていると、花が流れてきた。拾ってみると、何かのおもちゃ製品と思われる花を模ったとみられる小さいプラスチック製品だった。子供用のおもちゃか何かの付属品だったのだろうか。花屋に勤めていた時を思い出し、なんとなく懐かしくなって、それを拾ってポケットに入れた。

 川岸にも大勢の人がいるが、みんなぐったりとしゃがんでいる。全く、周りの目を気にしないで麻薬を吸っている男たちもいる。冬は寒くて死者が続出した。いや、今も全く動かないで横になっている奴はもう死んでいるかもしれない。最近は、気候変動で大雨が降ることがある。その時は増水して、ここにいる連中は全員おぼれ死んでしまうのではと心配になったりもする。

 橋の上を市民が歩いている。みんな口元をおさえている。臭いがひどいせいだ。そして、二人連れのタリバン兵士がやって来た。イスラム教では麻薬は厳禁だ。タリバン政権も表向きは禁止している。橋の下では公然と麻薬を吸っている人たちが見える。しかし、タリバン兵は、その光景を見ても、全く止めようともしない。見て見ぬ振りをして、さっさと橋を渡って行ってしまった。

 この国は世界から見捨てられた。そして、今、自分たちは、その国から見捨てられようとしているのか。暗い気分になりながら立ち上がり、汚れた水で濡れた手をズボンで拭いた。

……………………………………………………

 夜になり、麻薬の闇業者との取り引き場所に向かう。自分は麻薬はやらない。あの橋の下で麻薬におぼれて生きているのか死んでいるのかわからない連中のようにはなりたくない。市の中央から少し離れた工場跡地に行く。この元工場も麻薬中毒者の浮浪者が大勢いる場所だ。機械類は撤去されて、何を生産していたかわからない。今、ここにいるのは死人のような麻薬中毒者だけだ。ここも浮浪者たちが大勢いるので、臭いがひどい。顔に布を巻いて、そのひどい臭いを防ぐ。

 元工場でなぜか一つだけぼんやりと電灯が付いている。そこが待ち合わせ場所だ。すでに闇業者の男がいた。いかにもヤクザっぽい風貌でニヤニヤ笑っている。

「注射器持ってきたんですけど」
「ああ、ご苦労さん」

 ビニール袋に入った汚い注射器を渡して、ほんのわずかなお金を貰った。そして、男に言われた。

「あんたもやってみないか、気分がよくなるぞ」

 麻薬の入った小さいビニール袋を見せられる。

「いえ、けっこうです」

 そう答えた瞬間、突然、眩しいライトで照らされた。大勢のタリバン兵がやって来た。呆然としていると闇業者はさっさと走って逃げ去ってしまった。タリバン兵たちは、そこらで寝ている麻薬中毒者たちを片っ端から捕まえて身体検査をして麻薬や注射器などを持っている奴は、大型トラックの荷台に放り込んでいる。普段は麻薬中毒者については、全く関心を持っていないようだったタリバン兵がなぜ来たのだろうか。自分も逃げようとして、一人のタリバン兵に呼び止められた。

「止まれ、さもないと撃つぞ!」

 観念して、逃げるのをあきらめる。よく見ると、後方に外国人たちがいた。どうやら外国の報道機関の取材メンバーのようだ。外国メディアに対して、タリバン政府が麻薬を取り締まっているようにアピールするのが目的かと思った。

 その呼び止めたタリバン兵が近づいてきた。ズボンのポケットなどを探られる。昼間に拾ったプラスチック製の花を見て、兵士は妙な顔をした。その時、顔に巻いていた布が落ちてしまった。タリバン兵の男が驚いた顔をした。

「お前、女か」

 生きた心地もしない。女は夜に外出は禁止だ。しかも、ズボンを履いて男の格好。髪の毛も短く切っている。職を失って、男の振りをしてゴミさらいで生計を立てていた。自分はこの場で殺されるのだろうか。ビクビクしていると、そのタリバン兵は落ちた布を拾って小声で言った。

「ちゃんと顔に巻いてろ」

 そして、少し離れた場所に立っている上司らしき男に報告している。

「あの男は何も持っていませんでした。単なる浮浪者ですね」

 どうして見逃してくれたのか。そして、あのトラックに詰め込まれた人たちが気になった。戻ってきたそのタリバン兵に聞いた。

「あの人たちは処刑されるんですか」
「まさか、そんなことはしないよ。病院に連れていって、麻薬中毒の治療をするんだよ。まあ、治らない人がほとんどだけどな」

 そして、こちらを見ないで言った。

「お前、市内の花屋で働いていなかったか」
「ええ、働いてました」
「見覚えがあったよ。その花屋は利用したことがある。母が入院して見舞いの時、花を買ったよ。あんたは同情してくれて、お花の代金をすこし安くしてくれたなあ。まあ、もう母は亡くなったけどさ」

 それだけ言って、そのタリバン兵はトラックの方に行ってしまった。タリバン兵と言っても、元はカブール市民で、新規で採用された人なんだろう。タリバン兵たちはトラックがいっぱいになると外国人の報道関係者と一緒に去って行った。

 助かったとホッとすると同時に、あの兵士は花屋で働いていた女のことなんかよく覚えていたなあとも思った。プラスチック製の花を見てみる。この花を見て思い出したのだろうか。どうやら、タリバンも麻薬については、徐々に取り締まるような感じがしてきた。しかし、今の自分には麻薬に使用する注射器を拾って小銭を稼ぐしかない。いつかは、また花屋で勤務出来るようになりたい。タリバン政権にはもっと柔軟な対応を取ってほしいと願いながら、幼い子供が待つボロ小屋に帰ることにした。
  
〔END〕
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