泥棒娘と黒い霧

守 秀斗

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第6話:黒眼帯の老人

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 真夜中に、貧民街の路地裏でもとりわけ人の気配ない場所で二人の男が地面に座っている。

 周囲は屋根が崩れた家が立ち並んでいて、さすがに人が住めるような場所ではない。寒いのでそこらに転がっている木片などで小さなたき火を焚く。

 右目に黒眼帯を着けた老人は久々に上等な酒を飲んで、だいぶ機嫌がよさそうにしている。

「ところで、なんであっしにやらせるんですかい。こういうことは、もっと若い連中にやらせたほうがいいんじゃないですか」

 老人は酒のボトルを口から離すと、黒いコート姿のがっしりした体格の男に聞いた。
 たき火の炎は小さいので、ほとんどこの男の表情は見えない。

 その男がしゃがれ声で老人に注意した。

「そんな大声を出さないで、もっと小さい声で喋ってほしいんだが」
「ああ、これはすまんこって」

「実は組織の若い者は、すでに全員、警察に目をつけられているんだよ。当然、目標には近づけないってことだな」
「はあ、けど、あっしはもっと目立つんじゃないですか」
「あんたのことは警官たちも知ってるんだろ。見物に来たと思われるだけじゃないかな」

 その男は老人に向かって、時折、咳をしながらひそひそと政治的なことを言い始める。

「あんたも政府の政策に対していろいろと不満はあるんだろう。金持ちばかり優遇して貧乏人の生活はほったらかしだ。労働者たちは毎日死ぬほどこき使われているのにろくな賃金をもらえず、それにたいして金持ちどもは贅沢に暮らしている。こんな状況は改革しなくてはいかん、そう思うだろう。先ほども政府の手先の警官どもからひどい目にあっていたじゃないか。政府の連中は全ての政策を金持ち優先にして、貧乏人はゴミ扱いだ。貧しい人々がどんなに苦しんでいてもほったらかしだ。こんな現状に怒りを感じないかね」

 何だか反体制政治活動家を名乗るこの男がやたらまくしたてるが、だからと言って、こんな年寄りを利用しようなんて、こいつも政府の連中と同じようにろくなもんじゃないなと老人は思った。

 しかし、なんせ警官たちに袋叩きにあって貧民街の路地裏でうずくまっていた自分を介抱してくれたうえ、こんな上等の酒を恵んでくれたんだ。安い蒸留酒とはえらい違いだ。とにかく黙って、この男の講釈に感心したふりでもしているか。

「まあ、今回の行動は労働者の怒りや虐げられてきた者たちの怒りを代弁するってわけだ」
「けど、それならいっそのことあんたがやればいいんじゃないすか。石を馬車に投げつけるなんて誰にもできるんじゃないですかい」
「私は労働運動の組織の幹部なんで捕まるわけにはいかないんだ。我々の組織が潰れてしまう。あんたは政治活動なんてやってないだろ。組織の外の人間なわけだ。そういう一般市民も怒りを上げているってことを、政府の連中に分からせるのさ」

 組織の外の人間ならどうなってもいいってことかい。こいつら反体制活動をやっている連中もずるいという点では政府と変わらないじゃないか。まあ、政治なんてどうでもいいか。うまい酒を飲ませてくれたし。おまけに、けっこうな金もくれるようだ。

 石くらい馬車に投げても死刑とかにはならないだろう。政府に対する不満を書いた紙でくるんで投げるだけだしな。それに、この政治活動家の男には悪いが、実際のところ投げるつもりは毛頭ない。相手は恐れ多きも王室の方なんだからな。ちょろっと馬車の前に転がしてやるくらいにしてやろう。それで充分だろ。いっそのこと御本人には笑顔で手でも振ってやるか。別に王室の制度には反対してないしな。

 まあ、仮に刑務所にぶち込まれたとしても、食事に事欠くことはないし、檻の中とは言え、屋根付きの家に住めるんだ。路上で冬の寒さに震えることもないんだから、むしろ結構なことだ。

 ただ、あんまり刑務所ってのも長居はしたくないけどな。規則やら面倒だし看守とかうるさいし、そういうのが嫌だから路上生活してるんだ。何年も刑務所暮らしってのはごめんだな。しかし、この冬が終わるまでくらいは刑務所で過ごすのも悪くはないだろう。

 老人はそんなことを考えながら酒を味わう。

 
 しばらくして黒いコートの男が立ち上がった。
 そして、路上に座ったまま、酒のボトルを美味しそうにラッパ飲みしている老人に言った。

「とにかく、詳しくは明日に説明する。その時、金もやるよ。昼に大通りに面した教会と図書館の間の路地裏で待っていてくれ。そこは人が滅多に通らない場所だ」
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