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第十章
1.述懐
しおりを挟む「きっちり、カタつけようや」
刻まれたのは、顔立ちに不似合いな野太い笑み。
一瞬怯んで、月龍はそらした目を悠哉へと向けた。
「蒼龍が言っていた。お前が、十五の年で死んだと」
ピクリと、烈牙の眉が反応する。
月龍がもっとも知りたい事柄であるのは、疑いない。だが、それを烈牙自身に尋ねるのは――語らせるのは、あまりにも酷だ。
「蒼龍じゃねぇ。あれは、悠哉だ」
悠哉が口を開くよりも、わずかに早く言い放ったのは烈牙だった。
「過去のしがらみにとらわれる必要のない、今を生きる人間だ」
「だが、蒼龍だ」
「だな。草薙でもある。けど、本人じゃねぇ。お前もだ。克海じゃないのはもちろん、槐でもねぇ。――まぁ、槐はお前の記憶ってヤツに縛られてたみてぇだけど」
「槐が、月龍のことを覚えていた……?」
思い当たる節は、あった。
前世って信じる?
草薙に、いたずらめいて問うてきた槐の笑顔が、思い出された。
遠い昔から、烈と繋がっているんだったらいいなっていう願望だけど、と笑っていたが、本当は覚えていたのかもしれない。
「納得だよな。じゃなきゃ、おれには惚れてねぇだろ」
「槐は――」
「けどな、おれは蓮じゃない。こいつも、おれじゃない」
反論しかけた月龍を遮り、烈牙は自分の胸を、とんと親指で突く。
「お前、覚えてるか? カエサリウスのこと」
ハッ、と一声笑って上げた名は、古代ローマ時代の人物だった。
「それは……もちろん」
問われた月龍は、戸惑い顔のまま頷く。突然話題を変えられて、驚くのは当然だった。
「克海!」
満足そうに目を細めたあと、完全に傍観者と化していた克海に呼びかける。
「お前、歴史に詳しいんだろ。ユリウス・カエサルって知ってるか」
「知らないわけないだろ。授業にだって出てくる。カイザー、エンペラー……『皇帝』の語源になった人だ」
「じゃあ、セルウィーリア・カエサルは?」
「セルウィーリア……女の、人?」
「――っ!?」
その名を完全に知らない反応だった。
月龍が愕然としたのも無理はない。当時の情勢を知っていれば、あり得ないことだからだ。
「カエサルの後継者の名は?」
「アウグストゥス……は、後の名前だっけ。元はオクタヴィアヌス、だったと思う。カエサルの姪の甥とかいう……」
「オクタヴィアヌス⁉」
上げられた驚愕の声は、悲鳴に近かった。
「違う、彼はもっと遠縁で……閣下の姪の甥、後継者はカエサリウスだ」
本名、セルウィーリア・ユリウス・カエサル。同じ軍内に「カエサル閣下」が二人では紛らわしいと、「カエサルに似た者」の意味合いで、後にカエサリウスと呼ばれるようになった。
その時代、クレオパトラの侍女をしていた月龍の、恋人だった男――烈牙の、前世だ。
「乗っ取られたんだよ、戸籍を。そうだろ?」
目線を向けられ、首肯した。
やっぱりな、と目を細める烈牙は、なぜか嬉々とした様子さえ見せている。
「あの姑息なヤローがやりそうなこった」
胡桃がローマ時代の顛末を知っているとは思えない。おそらくは烈牙が、過去がどう伝えられているか調べたのだろう。
カエサリウスの名は、どこにもなかった。彼の所業がオクタヴィアヌス、または他者の功績として残されているのを見れば、事態の推測は容易だった。
「まぁ、オクタヴィアヌスにとっては当然だろうな。邪魔な男が、自分の暗殺を企てて失敗し、勝手に死んでくれた。利用しない手はないだろ。――笑えるよな。護衛に囲まれた要人を、たった一人で、短刀一本で殺そうとしたんだから」
バカだよなと笑う烈牙に、同意はできない。カエサリウスはきっと、成功するなどとは思っていなかった。
「――あれはもう、自殺に近かった」
「近かった、じゃねぇ。あいつは死にたかったんだ。――恋人に先立たれちまったからな」
飄々と言ってのけられた言葉に、月龍の顔色が変わる。そんな場合でもないのに、霊体でも顔面が蒼白するのかと感心してしまった。
「あいつだけじゃねぇ。『おれ』はいつも、残される」
恨み節ではない。むしろ烈牙らしからぬほど、穏やかな声音だった。
「いつの時代も、だ。性別、性格、立場――いずれバラバラだったにもかかわらず、結末はいつも似たり寄ったりだ」
「――待て」
口元を押さえたまま呟く月龍の声は、震えていた。
「似たり寄ったりだと? あり得ない。蓮は生き延びたはずだ。生きて、蒼龍と幸せになっただろう」
そのはずだと願望を乗せた眼差しは、すがる弱さで悠哉に向けられる。
ああそうか。
月龍の心持ちを知った気がした。
月龍の方が先に息絶えたのだろう。だから蓮は、蒼龍と共に生きたと思いこんだ。彼女に幸せをと思いながら、妬ましさも消えなかった。
和解をしたはずの蒼龍への、憎悪にも似た感情は嫉妬だったのだ。
けれど――。
「蓮は、助からなかった」
戦乱の中、蓮のいる屋敷に火がついた。助け出すために、燃え盛る炎の中に入って行った月龍は、戻って来なかった。
焼け落ちた屋敷の中で見つけたのは、重なり合い、どちらがどちらかわからぬほど一緒になった、二人分の骨だった。
「だから、そのようなわけがない! 確かにおれは無理だった。梁に脚を押し潰され、骨が砕けて――だが蓮は無傷だった。おれが入ってきた道はまだ無事で、ただ真っ直ぐに行けば逃げられたはずだ!」
まさか。
ハッと、烈牙を振り返る。いつもはコロコロとよく表情が変わる横顔が、今は完全なる無になっていた。
「逃げなかったんだよ、蓮は。共に滅びることを、選んだんだ」
月龍を見上げるというより、天を仰ぐ仕草に見えた。落ち着いた声音が紡ぐ淡々とした言葉が、むしろ物悲しさを醸し出している。
「――お前は?」
対照的に月龍の声は、今にも泣き出しそうだった。
「蓮でさえそうだったのなら、お前は――槐をその手で斬ったお前はどうなった」
最初の質問に戻っただけだというのに、息苦しいくらいに胸が痛かった。
脈絡もなくカエサリウスの話など持ち出したのは、自身のことを語りたくなかったからだ。「いつの時代も不遇の最後」だったと知って、諦めてほしかったのかもしれない。
「本当、だったのか」
受けた衝撃の大きさを物語るように、克海から顔色が失われていた。
「烈が言ってた、自分の奥さんを殺して、焼いて、食ったって……」
「――っ⁉」
息を飲み、月龍と悠哉、二人が同時に烈牙を仰ぎ見る。
月龍はそのようなことをしたのか、と愕然とし、悠哉はそんな言い方をしたのかと――烈牙が抱えた闇を見た気分だった。
ちらりと向けられた烈牙の横目が、いたずらな色合いを含んでいるからこそ、痛い。
「端的に言えば、間違いじゃない。けど、違う」
決して、猟奇的な話ではない。克海と、内で聞いているかもしれない胡桃、なにより月龍に誤解させてはならなかった。
「烈が槐を手にかけたのは、不運な事故のようなものだった。館に敵の潜入があって、警戒中だった。互いに、押し殺した気配に気づいて――仕掛けたのは、同時だったはずだ」
現場を、草薙は見ていない。状況から察したのと、ぽつぽつと呟かれた烈牙の言葉を繋ぎ合わせた上での、推測だった。
「仮に槐だと気づいて刃を引いてれば、死んだのは烈の方だった」
相手がわからぬ中、互いに敵だと思って打ち合えば、どちらが勝つかは必然だった。烈牙と槐の技量は、比べものにならない。
まして槐は、身重だったのだから。
「わかっている。相手が烈だったと知って、死にゆくのが自分でよかったと……」
問題はその後だ。促す視線が、烈牙の上に落ちる。
だが烈牙は口を開かない。彼には不似合いな、穏やかな笑みを唇に滲ませ、なのに思い切り眉根にしわを寄せて、目を伏せている。
「槐の遺体を荼毘に付したあと――烈はその骨の欠片をひとつ、齧った。――槐を、自分の中に取りこみたかったのだと思う」
これでずっと、一緒だ。
泣きながら笑った烈牙の顔が、瞼の裏に蘇る。
「バカだろ」
口を閉ざしていた烈牙が、くっくっと喉を鳴らす。
「けどあの時は、本気で思ったんだ。これで槐とひとつになれる、もう二度と離れずにすむ、ってな」
殺して、焼いて、食った。
言葉で言えば、その通りだった。
だがその心情は――察するに余りある。
「お前に言うのもどうかと思うけどよ。おれは、槐の腹を裂いたんだ。腹の子だけでも助からねぇかと思ってな」
なぜそのような行動をとったのか、月龍に説明は不要だ。
出生の時、烈牙自身が死んだ母親の腹から、兄の手によって救い出された。それを槐は知っている。
けれど結果は、駄目だった。生きていくにはまだ、赤子は小さすぎた。
槐が死んだ、赤子も助からなかった――おれが、殺した。
駆けつけたとき、降り出した雨に打たれながら烈牙は呆然としていた。草薙の姿を見て、ようやく泣くことができた。それほどまでに、憔悴していたのだ。
「正直、そのあとのことはよく覚えてねぇ。きっと、正気じゃなかったんだろ」
槐の骨を口にして、烈牙はすぐに失神した。目覚めたとき、記憶は塗り替えられていた。
槐が傍にいないのは、無事に赤子を産めるよう、遠くへ逃したからだと。
寂しいけど仕方ねぇよな、あいつにゃ幸せになってもらわねぇと。
無邪気に笑う烈牙に、真実を言えなかった。
子供だけでも助かっていれば、結果は違っていたかもしれない。寂しげに呟いたのは、烈牙の兄だった。
すべてが終わったあと――烈牙が、死んだあと。
「次に気づいたのは、てめぇで喉をかき切ったあとだった」
凄惨な場面だった。
なにかのきっかけで思い出したか、正気を取り戻したか。
部屋の中、布団を己の血で真っ赤に染めて、烈牙はこと切れていた。
くすりと、烈牙は笑う。
「月龍が、正しい。槐はおれを恨みながら死んでいった。憎まれて、当然だった」
極力語りたくなかったはずの物語を口にして、吹っ切れたのか。うすく笑みすらはせた唇が、淡々とした調子で言う。
なのに、宙を見る無感動な瞳から、つーっと一筋の涙が落ちた。
「烈――」
「違う。これはおれじゃねぇ。胡桃だ」
名を呼ばれて初めて気づいたのか。頬を伝った涙にそっと指を当てて、苦く笑う。
「中で聞いてる胡桃が、泣いてんだ。自分のことでもねぇのに」
優しい娘だ。
他人事のように、そっと呟く。
「――なぁ、月龍」
ふーっと、細く長いため息に乗った囁きは、胡桃の声なのに男らしい響きだった。
「これ以上、おれ達のせいでこんな優しい娘、悩ませらんねぇだろ」
おれが言えた義理じゃねぇけど。
つけ加えてくっくっと笑う中に、自嘲の色が濃い。
「一緒にいて、天寿を全うしたためしもない。こんな、普通ならあり得ない形で出会ったのも運命だろ。男同士で話もできた」
こんな格好してるけどなと、スカートを指でつまむ。苦く笑っていた顔から、ふっと表情が消えた。
真剣味を増した、まっすぐな瞳で月龍を見上げる。
「おれ達は別れた方がいい。――未来永劫に、だ」
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