この心が満ちるまで、そばにいて

Sai

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思い出は、まだ胸の中

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 おさむは本当にいい奴だ。昨日あんなことがあったのに、俺があんなこと言ったのに、もう俺との関係を修復してくれようとしている。俺は、自分の言った言葉に責任を感じて上手く会話できているかさえわからなかった。

 
「お、修」
「ん?」
「昨日は、その……ごめん。俺、言い過ぎた」
「いいよ。……いいよ、って言うか、伊織のその感情って普通だよ。俺も逆だったらすごく悲しいし。自分のこと覚えてないなんてさ」
「……」
「だから、謝るのは俺の方だよな」
「ううん。謝らないで……俺……」
「ふふ。すごく落ち込んでる、伊織」
 

 見上げた顔が、すごく優しい。木漏れ日がすうっと彼の体全体を通って、美しくさえあった。会話なくじっと修を見ていると、俺によくしていた、耳たぶを触る仕草をして見せた。
 

「それ……俺によくしてた」
「え、ほんと? 無意識だったんだけど」
「俺の耳たぶがちっちゃくてかわいいとか言って」
「……そっかぁ。なんか、嬉しいや」
「……うん」
「なんか、ひとつでも思い出せたらなぁ」
 

 修はそう言って、微笑みながらも俺を哀しい物を見る目で訴えかけてきた。なにかひとつでも、思い出させてくれ、と。

 
「……俺は、それされると耳が真っ赤になってたらしいよ」
「……うん。ほんとだ」
 

 ほんの少し、照れる。

 
 そうか。こうやって記憶を辿っていけばいいのか。あの頃の修がやっと戻ってきた気がして、やっと心がぼんわりと温まった。

 
「どのくらいの柔らかさなんだろうなー」


 ぷに、とすり抜けてしまう俺の頬をつついた。そういえば修は吹き出物ができやすくて、いつも肌トラブルがない俺のことを羨んでたっけ。
 

「もしかして、これもしてた?」
「いや、それは……してない」
「そっか。バカップルってわけじゃなかったのかな」
「俺が、そういうのあんまり……」
 

 修が俺に触れたがるのが嬉しいけど照れくさくて、いつも軽めにやめろよと言っていたから。
 

「そっか。じゃあテレビ見る時は? こうやって見てなかったの?」

 
 修は自分の前にぬいぐるみでも抱き抱えるようにして俺に見せた。
 

「……してない。テレビ見る時は、お前がベッドに座って、俺は床で、ベッドに寄りかかって見てたよ」
「へぇーっ」
 

 そうそう。お前が立った拍子にテーブル上の飲み物をよくこぼしてたから、俺が気に入っていた毛の長いラグは早々に出番を無くしたんだっけ。お前何回目だよ、って怒鳴っても、コインランドリー持って行くよ、とニコニコしていた修。俺が悪いんじゃないのに、すぐ怒る俺が悪い方みたいになってたな、そういえば。
 

 そういえば、そういえば。

 
 付き合ってたんだよと言った途端、俺と修との大事な心のアルバムがパラパラと捲れていった。ひとつひとつを、懐かしいな、と言いながら修と見ていたかったけど、できない。俺はそれに、少しも耐えられる余裕がなかった。
 

「今日は? え、それだけ?」
「……うん。俺これ好きだから」

 
 ジャババ……とお茶漬けの素に湯をかける。そんなに近付くとかかるよ、とおどけて言うと、あーうまそう! と俺に返した。

 
「足りないだろ! そんだけじゃ」
「後でパンでも食おうかな」
「もー。カロリー不足だよ。そんなんじゃ」
 

 俺が作るの面倒でインスタントを食べていた時も、帰る前なのに簡単な食べ物を作ってくれていたっけ。
 

「うるせーなー。この幽霊は。あーうま」
「あーうまそうだなー」
 

 がふがふとお茶漬けをかきこむ俺を、嬉しそうに見ていた。

 
「後で洗おー。ちょっと寝る」
「いいよ。三十分経ったら起こしたげる」
 

 身をくるりと返して、ベッドに腕を枕にして頭を乗せる。空腹が満たされた俺は、すぐにウト……と瞼が重くなって、修がいる現実から離れた。
 

「うん……ありがと……」

 
 修。なにか一つでも、俺とのことを思い出してくれよ。そうしたら俺は、救われるのに。
 

 俺は、最初に修が思い出すことは二人の思い出のうちのどれだろうと予想しながら、途中で眠りこけた。
 
 
 

 
「またちょっと薄くなってるよな」
「……うん。透明になったらいなくなるのかな」
「透明のまま透明人間になってたりして」
「……それでもいいよ」


 ああ、別れの日が刻々と近付いている。修の体がこんなに切ない。どうしたらいいんだろう。引き留めていたい。またお前がいなくなってしまったら今度こそどうやって生きていけばいいのかわからないよ。
 

 俺の中の修が、また悲しい存在に変わってしまうなんて。

 
「……どうした?」


 部屋をウロウロとする修に、声をかけた。
 

「んー……俺たちの思い出って、なんかないの」
「……なにかって」
「写真とか……なんか」
「……」

 
 あるには、ある。とっておきのやつが。俺が何度嫌だと言っても耳を持たず、あのフリフリの飾りがついたフレームに入れられた写真。それを、修が無理矢理場所を作ってこの部屋に持ってきていた。
 
 
 

 
「とりあえず、どこにするかー、場所から決めよう!」
「俺東京がいいな」
「ええー! どっか他の観光地にしようよ」
「うーん……どこ?」
「沖縄か北海道!」
「極端だな」
「伊織が決めていいよ。どっちかね」
「えー……じゃあ、北海道かな」
「よし! 決まりね。どのくらいすんのかな……」
 

 修はそう言って携帯で旅行サイトのプランを調べだした。うわぁ、結構するなぁ。と画面を見て驚く。俺にも見せてもらうと、確かにすぐには決断できない数字が並んでいた。
 

「……どうする?」
「……行こう。あと半年はあるし。食費切り詰めて、バイト増やす」
「うーん……」
「……無理しない程度に、バイト増やす」
「……うん、そうしよう。じゃあ伊織はコンビニ弁当やめなきゃだね」
「あー……そうだな」
「ここに先生がいるから任せてよ」
「……うん。教えて」

 
 そうやって、二人で決めた旅行。一緒にどこ回るか、どのバスに乗るか、防寒は念入りにしようとか、じゃあダウン買わなきゃとか、お金やっぱり足りなくないか、とか……。もしかしたら修より俺の方が楽しみにしていたかもしれない。そして、それはたぶん修にも伝わっていたように思う。

 
 今思い返せば、幸せの絶頂だったのかもしれない、この部屋で楽しみだねと言い合った時間。確かにこの部屋であったことなのに、こんなにも違う気持ちで過ごさねばならない辛さ。一番最初に思い出すなら、できればこのことを、と願ってやまなかった。
 
 
 

 
 俺達が付き合ってから、初めて泊まりがけで行った北海道。

 
「あー楽しみ! 俺刺身好きなんだよねー」
「へぇー。スーパーのはあんま美味くないもんな」
「そーなんだよー」
 

 行くからには本場の海鮮が食べたいからと言ってお互いのバイト代をはたいて行ったまでは良かった。
 

「うわぁ……通行止めになってるっぽい」
「マジか……」
 

 その時期の北海道は雪がすごくてほぼホテルから出られなかった。大雪には素人の俺達ができることなど何もない。

 
「こんなはずじゃあ……」
「だなぁー……もうすぐ昼飯だし、一階まで見に行こう」
「うん……」

 
 しょぼくれる修をぐいぐい引っ張るように誘った。幸いホテルのビュッフェも夕食も美味しくて、メインの雪まつりには行けなかったけど、元取るぞ、なんて言い合ってたらふく食べた、あの旅行。
 

「すごいなぁ、こんなに降るんだ」
「部屋はすげぇ暑くしてんのなー。半袖の奴いたし」
「……しんしんって言葉、本当にあるんだ」
 

 夜になった街をホテルの窓から眺める。夜になって、吹雪いていたのが落ち着いたようだ。ゆっくりゆっくり落ちてくる雪が、すでに埋もれている街頭を更に埋めようとしていた。修の隣に立って、なんでそんな顔してんだよ。と聞いた。
 

「だって……結局どこにも行けなかったじゃん。デカい雪だるま見たかったのに」
「そうだけど」
「……楽しい? 伊織……」
「は? めちゃくちゃ楽しいに決まってんだろ」
 

 正直、俺は舞い上がるほど楽しんでいた。修の、いろんな顔を見られる。俺を楽しませようとしてくれていたのもこの身で感じた。この状況でどう楽しまずにいられるだろうか。


「顔とセリフが合ってないよ……」
 

 修はまた拗ねる子どもみたいにして、口を尖らせた。 
 

 帰る間際になり、写真撮ってなかったね、と空港で言われた。フライトまではまだ時間がある。二人分の荷物を預け、俺達はわざわざ外に出ることにした。
 

「うわー! 寒いー!」
「うっ……誰もいねぇー」
 

 二重になった自動ドアを潜り抜けると、横殴りの雪。防寒対策はバッチリのはずだったが建物内は汗をかくほどに暑く、俺は一枚置いてきたのを後悔した。
 

「あはっ! 伊織鼻真っ赤!」
「おっ、お前もだよ!」
 

 お互い鼻も耳も赤くかじかませて、もこもこした、それこそ雪だるまみたいになっている。きょろきょろと周りを見渡しても写真を撮ってくれそうな人は誰もおらず、修の携帯の内カメラで撮ることにした。
 

「いくよー! ……あれ、押せたかな!?」
「とっ、撮れた!?」
「あっ、だめ。全然」
「ううう……早くっ」

 
 もう一回ね、と言って二人で震えながら修が撮った写真。後で見せてもらおうと、俺達はすぐさま空港内へ走った。

 
「はぁーっ。肺が凍るかと思った!」
「ふぅ、ふぅ……コーヒー買おう」
「うん。俺も」
 

 コンビニで二人分のコーヒーを買って、デカい椅子に二人で座る。さっきの見せて。と俺が言うと、うん。と言ってそれを見せてくれた。

 
 修の隣で撮った一枚の写真。俺の大切なものになるなんて、でも見ると苦しくなるなんて、この時は考えもしなかったのに。
 
 


 
 
「……引っ越す前に実家に送っちゃったから、ここには、ない。俺の実家飛行機の距離だから……」
「そっかー。残念」
「……お前の携帯の方になら、写真いっぱいあったと思うけどな」
「えぇー。そうなんだ」

 
 ほら。と言って、俺の数少ない修と撮った写真を見せた。と言っても大学で一緒に図面を書いたりしていた、なんてことはない写真。
 

「……俺の頭しか見えなくね?」
「うん……俺写真撮るの下手だな」
「もー。二人で撮ってるやつ見たいなぁ」
「……探してみるよ」
「うん!」
 

 今は、見たくない。あの写真は俺にとっての特別。
 

 雪が見たい、美味しい海鮮食べたい。と言って計画した旅行。修が楽しみにしているのが嬉しくて、どこ行く? 伊織はなに食べたい? と二人で一日中話していた北海道旅行。意外にも修は奥手で、手さえ繋ぐのにも俺にまで緊張がうつるほどの照れ屋だったと知った、初日。キスなんてもってのほかで、そういう雰囲気になるとウロウロと視線を泳がせていた、修。
 

「さっきの見せてよ」

 
 あの写真を撮った後二人で同じ画面を見つめて、呼吸のタイミングまで感じられるほどゼロ距離まで近付いた、あの瞬間。あれ、と思い何も言わない修にふと顔を向けると、触れるようにして重ねられた、初めてのキス。中に入ってもなかなか温まらなくて、二人ともブルブルと震えながら、寒いね、と言われ、誕生日おめでとう、伊織。と言われた、あの日。冬生まれで良かった、なんて馬鹿げたことを思った、あの日。

 
 あの旅行の最終日は俺の誕生日だった。だから、あの写真は俺にとって特別だった。
 
 
 
 
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