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1 名ばかり課長の苦悩
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ああ、読みたい、でも読めない。
クソッ、いつになったらこいつらを読み終えるんだよ。
愛読書の歴史小説達が並ぶ本棚。その美しい並びを眺めながめながら、オレはため息をついた。
コタツの上には、部長から渡されたコーチング関係の本が山積みだ。「初めて部下をもつあなたに伝えたいコト」とか「ちょっと待って。あなたのそれ、令和の指導ではアウトです」なんて、中間管理職用のビジネス本も混ざっている。
先月借りた15冊を読み終えて返したら、今月はなぜか30冊あらたに持ち帰る羽目になった。しかも、読書感想文まで提出しなくてはならない。ほんっと、勘弁してほしい。
オレは今年の1月から、課長に昇進した。と言っても、名ばかり課長だ。
権限もないし、やる事だけは増えて、給与の手取り額は微妙に減った気もする。
働き方はやや社畜、といえるだろう。
だが、今の環境にさほど不満は感じていない。
この1DKのアパートには、大学時代から住んでいる。実家より長い時間を、この部屋で過ごしている。
キッチン広め、トイレ・バス別、一階なので小さな庭と物干しがついている、とまあオレにとっては最高な城だ。
先月で、不惑の40歳を迎えた。
昔から、結婚や家庭というものに興味がなかった。性欲はなくもないが、右手があれば十分。
出世や自己顕示欲もさほどない。
オレはリーマンとして、毎月の給料をもらう平凡な暮らしに満足していた。
仕事から帰り、大好きな歴史小説を読んだり、中国歴史ドラマを観るのが至福の時だ。
趣味は料理。特に、休みの日に自分でつくる菓子を食べながら本を読むのは、格別だ。
材料を混ぜたり捏ねた後、火を加えると、全く別の姿へとかわる。
料理、特にスゥイーツづくりは、オレに神のごとく万能感を感じさせてくれるのだ。
クッキー、パウンドケーキ、アップルパイ、シュークリームから和菓子まで。たいていものもは、自分でつくれるようになった。しかも、旨い。その辺の店で買うものより、断然うまい。オレ、パティシエになれるんじゃね、と自分では思ってたりもする。言わないけど。
それが、課長へ昇進したせいで、歴史小説だけでなく、菓子づくりもお預け状態だ。
断ったのに。オレは、永久係長でけっこうです、とまで言い切ったのに。
部内のバランスというか、組織図の見た目がよくないとか、そんな理由で、オレは課長にならされたのだ。
考えたら、納得いかなくてモヤモヤしてきた。
読書に集中できない。こんな時こそ、自分へのエールが必要だ。
オレは、10分間だけ休憩しようと決めた。
そして、今オレが必要とする言葉はなんだろうかと考えた。
「無為自然」 老師。
違うな。こっちの方がしっくりくる。
「窮するもまた楽しみ、通ずるもまた楽しむ。楽しむ所は窮通に非ざるなり」荘子。
うまくいってない時も楽しみ、順調な時もとにかく楽しむ。人生を楽しむというのに、逆境や順境は関係ない。
その場、その状況を受け入れ、どんな時にも楽しむことが大事なのだという意味の、荘子の有難いお言葉だ。
今の自分にぴったりな金言を探し出せたことに満足した。
オレは成績優秀なかしこ、ではない。どちらかというと、よく言えば口数のすくない落ち着いた奴、ハッキリ言うと影の薄い目立たない人間だ。
たまたま、小学生の時に中国の昔の時代の漫画にはまった。
その流れで、ラノベを読み、歴史小説を読み、そして中国の偉人達の格言にはまっていった。
もし、自分が歴史小説にでてくる登場人物だったら……。主君が孟嘗君だったら。孫子の弟子だったら。縦横家のはしくれだったら。
などと想像してにんまりしながら自作の菓子を食うのが、社会人となって以来一番の楽しみとなった。
オレは小人だ。器の小さい、自分の事だけでいっぱいいっぱいな、大したことない人間だ。
ちゃんとわかってる。
だが、そんなオレでも、漫画や映画や本を読んでいる時だけは、違う人間になれるのだ。
社会の常識やどうでもいいルールに縛られない、自由で、大らかで、強い人間に。
オレは、「物語」に助けられて生きてきた。
その生きる原動力となる時間を、奪われているのは辛い。
「はああ、早くこの課題図書から解放されたいよ。よし、やるか!」
そう声に出して、オレは再び、コーチング本へと意識を戻した。
「成田君、どうだね、コーチング勉強の進捗状況は」
次の日、少し早めの20時に退勤しようとしたオレは部長につかまった。
「あ、山田部長、お疲れ様です。お借りしている本は、順次拝読しております」
「どれ位読んだんだ?」
「今月は、10冊程ですね」
「10冊……。月半ばで10冊は少なくないか?」
「今月は他にも持ち帰りの仕事もあったので……。申し訳ありません。私も精一杯がんばってはおるのですが」
「まあ、とにかくがんばって。今月中に30冊読んで、書簡や何を学んだかをきちんと提出してくれたまえ。私も上に報告を上げないといけないのでね」
「は、……努めてまいります」
言うのは簡単だけど、実行するのは簡単じゃないんだよ!
勝手な事言いやがって……。こっちは、めいいっぱいやってるっての!
温厚なオレにしては、珍しく苛立っていた。
そのせいだろうか?
オレは信号の黄色の点滅に気づかなかった。
気づいた時にはラノベでお決まりの状況だ。
スローモーションのように、車のボンネットが目の前に近づいてきた。
眩しいヘッドライトと、急ブレーキの音、そして経験したことのない衝撃。
世界が真っ暗になり、オレは意識を失った。
クソッ、いつになったらこいつらを読み終えるんだよ。
愛読書の歴史小説達が並ぶ本棚。その美しい並びを眺めながめながら、オレはため息をついた。
コタツの上には、部長から渡されたコーチング関係の本が山積みだ。「初めて部下をもつあなたに伝えたいコト」とか「ちょっと待って。あなたのそれ、令和の指導ではアウトです」なんて、中間管理職用のビジネス本も混ざっている。
先月借りた15冊を読み終えて返したら、今月はなぜか30冊あらたに持ち帰る羽目になった。しかも、読書感想文まで提出しなくてはならない。ほんっと、勘弁してほしい。
オレは今年の1月から、課長に昇進した。と言っても、名ばかり課長だ。
権限もないし、やる事だけは増えて、給与の手取り額は微妙に減った気もする。
働き方はやや社畜、といえるだろう。
だが、今の環境にさほど不満は感じていない。
この1DKのアパートには、大学時代から住んでいる。実家より長い時間を、この部屋で過ごしている。
キッチン広め、トイレ・バス別、一階なので小さな庭と物干しがついている、とまあオレにとっては最高な城だ。
先月で、不惑の40歳を迎えた。
昔から、結婚や家庭というものに興味がなかった。性欲はなくもないが、右手があれば十分。
出世や自己顕示欲もさほどない。
オレはリーマンとして、毎月の給料をもらう平凡な暮らしに満足していた。
仕事から帰り、大好きな歴史小説を読んだり、中国歴史ドラマを観るのが至福の時だ。
趣味は料理。特に、休みの日に自分でつくる菓子を食べながら本を読むのは、格別だ。
材料を混ぜたり捏ねた後、火を加えると、全く別の姿へとかわる。
料理、特にスゥイーツづくりは、オレに神のごとく万能感を感じさせてくれるのだ。
クッキー、パウンドケーキ、アップルパイ、シュークリームから和菓子まで。たいていものもは、自分でつくれるようになった。しかも、旨い。その辺の店で買うものより、断然うまい。オレ、パティシエになれるんじゃね、と自分では思ってたりもする。言わないけど。
それが、課長へ昇進したせいで、歴史小説だけでなく、菓子づくりもお預け状態だ。
断ったのに。オレは、永久係長でけっこうです、とまで言い切ったのに。
部内のバランスというか、組織図の見た目がよくないとか、そんな理由で、オレは課長にならされたのだ。
考えたら、納得いかなくてモヤモヤしてきた。
読書に集中できない。こんな時こそ、自分へのエールが必要だ。
オレは、10分間だけ休憩しようと決めた。
そして、今オレが必要とする言葉はなんだろうかと考えた。
「無為自然」 老師。
違うな。こっちの方がしっくりくる。
「窮するもまた楽しみ、通ずるもまた楽しむ。楽しむ所は窮通に非ざるなり」荘子。
うまくいってない時も楽しみ、順調な時もとにかく楽しむ。人生を楽しむというのに、逆境や順境は関係ない。
その場、その状況を受け入れ、どんな時にも楽しむことが大事なのだという意味の、荘子の有難いお言葉だ。
今の自分にぴったりな金言を探し出せたことに満足した。
オレは成績優秀なかしこ、ではない。どちらかというと、よく言えば口数のすくない落ち着いた奴、ハッキリ言うと影の薄い目立たない人間だ。
たまたま、小学生の時に中国の昔の時代の漫画にはまった。
その流れで、ラノベを読み、歴史小説を読み、そして中国の偉人達の格言にはまっていった。
もし、自分が歴史小説にでてくる登場人物だったら……。主君が孟嘗君だったら。孫子の弟子だったら。縦横家のはしくれだったら。
などと想像してにんまりしながら自作の菓子を食うのが、社会人となって以来一番の楽しみとなった。
オレは小人だ。器の小さい、自分の事だけでいっぱいいっぱいな、大したことない人間だ。
ちゃんとわかってる。
だが、そんなオレでも、漫画や映画や本を読んでいる時だけは、違う人間になれるのだ。
社会の常識やどうでもいいルールに縛られない、自由で、大らかで、強い人間に。
オレは、「物語」に助けられて生きてきた。
その生きる原動力となる時間を、奪われているのは辛い。
「はああ、早くこの課題図書から解放されたいよ。よし、やるか!」
そう声に出して、オレは再び、コーチング本へと意識を戻した。
「成田君、どうだね、コーチング勉強の進捗状況は」
次の日、少し早めの20時に退勤しようとしたオレは部長につかまった。
「あ、山田部長、お疲れ様です。お借りしている本は、順次拝読しております」
「どれ位読んだんだ?」
「今月は、10冊程ですね」
「10冊……。月半ばで10冊は少なくないか?」
「今月は他にも持ち帰りの仕事もあったので……。申し訳ありません。私も精一杯がんばってはおるのですが」
「まあ、とにかくがんばって。今月中に30冊読んで、書簡や何を学んだかをきちんと提出してくれたまえ。私も上に報告を上げないといけないのでね」
「は、……努めてまいります」
言うのは簡単だけど、実行するのは簡単じゃないんだよ!
勝手な事言いやがって……。こっちは、めいいっぱいやってるっての!
温厚なオレにしては、珍しく苛立っていた。
そのせいだろうか?
オレは信号の黄色の点滅に気づかなかった。
気づいた時にはラノベでお決まりの状況だ。
スローモーションのように、車のボンネットが目の前に近づいてきた。
眩しいヘッドライトと、急ブレーキの音、そして経験したことのない衝撃。
世界が真っ暗になり、オレは意識を失った。
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