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第一章 燃え盛る憎悪の精神体

二話 胎動

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『────”天を仰げ空高くふんぐるい 今宵星々が集う”むぐるうなふ』 

”目覚めよ我が主よいあいあくるうるふ 封印は既に無く”うがふなぐるふたぐん



”戻り来る主は示すくるうるふふたぐん 新たなる恐怖を”なるらとてふつがー

”闇をもて希望は無いなるしゅたん 愚かなる者から主は取り戻す”なるがしゃんなふたぐん─────』




それは祝詞なのだろう。


意味を解することはできる。しかし、そこに秘められたナニカまでは把握できない。

複雑な抑揚、聞いていて不愉快になる独特な緩急と音階は、なるほど尋常なる儀式に用いられるそれではない。


はじめに話しかけてきた不愉快極まりないその声は、先ほどからこうしてずっと、真言を紡ぎ出している。



「依り代」にこの身を移すなどとほざいていたが、その戯言を信じるのであれば、この視界もより良好になるのだろう。体を得るという事は、俺は生を受けるのだろう。

全くもって気乗りしない。他人の掌の上で踊るのは好かん質なのか、はたまたこの世にまるで興味が湧かんからか。
拒めぬ体でさえ無かったならば、俺はもうこの場には居ない。


実感はない。記憶も無いが、この生は俺にとってだ。

そう、魂がそれをっている。何も見えない闇の中だが、ここに既に既知感は介在しなかった。


俺がここに今こうして在る意味。それをどうにも量り兼ねている。だから今はとりあえず、不本意ながらナニカが次の段階へと進むことを待つしかない。




「────さぁ、ここに儀式は完了する。かの魂を現世へと繋ぎ止める楔、現身たる像をここへ。応えよ我が主よ、星辰はここに集った!」




そう思考している間に終わったらしい。いつの間に奴らの”主”とやらに担ぎ上げられたのだか。全くもって不愉快、不本意極まるが────一点のみ、理解できることがあった。

怒り。今の己を形造るのは燃え滾る憎悪と憤怒だ。それを叩きつける先が、この世界には居るらしい。


【転生者】 なんと忌々しい響きか。それを見ぬままここで燃え尽きるのは、今最も不愉快なことだった。




────応え方など知らんので、為すがままに放心、ありもしない肉体の主導権を手放すような感覚でいると、反応があった。



引っ張られ、紐づけられ、繋ぎ止められるような感覚。

闇しか見えない知覚の中で、赤く仄かに光を放つ無数の「糸」を見た。


肉と、骨と、血より生じた糸が、体に絡みつき、突き立っていく。

痛みはない。ただ、先ほど死体の血を飲ませられたときのそれより遥かに勝る不快感が襲ってくる。
押し込められる、無理やり投げつけられ、部屋に鍵をかけられるような────


酷い酩酊にも似た気持ち悪さと共に……俺はまた、眠りに落ちていく。





◆ ◆ ◆ ◆



”凄惨なる”と表現するにはこれ以上相応しい空間はない。すえた鉄の匂い、死体が醸し出す腐臭、儀式を行うために集められた数々の触媒の放つかび臭い香り。


なにより、ぼんやりと薄暗い広間を埋め尽くす────血。血。血。

赤黒い泉が円形の部屋の中心、複雑な文字列によって構成された円陣の中を占める。


そしてその頭上、この空間において最も象徴的な存在にして、最も狂気的な存在が在る。



心臓の鼓動のように、脈打つ肉色の巨大な「繭」

天井にべたりと張り付いた肉の腫瘍が幕となり、そこから釣り下がる形で固定されている。その周りには同じ肉色のパイプ状の器官が伸び、部屋の隅へと放射状に繋がっている。


赤と。青と。紫。光が肉の管を通して行き来し、中央────肉塊の中心、分厚い肉の壁を通してなお一際輝く大きな焔へと吸い込まれていく。



「素晴らしい。実に素晴らしい出来だ。君の父上、かの魔王は本当にいい仕事をしたよ」

「────光栄です。父、カウエリスもこれ以上の誉は無いと喜んでいる事でしょう」

「ふふ、殊勝なことだ。しかしこれからは他人ごとでは無くなるよ。何せ君は次代の魔王にして、邪神を信奉する第一の使徒となるのだから」

「は、当然弁えております。我が命に代えても、かの御方に一生の心服を捧ぐと決めたこの身。例え第一声に死ねと命じられたとて、至高の栄誉と捉える所存にございます」

「うんうん、流石ぼくのお気に入りの娘。よくできた子だよねぇまったく」



部屋はかの北西の秘所に佇む【魔王城】の地下にあった。

この世界に四柱残る最後の魔王の一角、【北の魔王カウエリス】は、つい先刻、己の全身全霊を捧げた秘術──本来ならば、百人単位の魔術師が一月かけてようやく成就する儀式、異界からの魂の召還を為す大魔法により、命と魂を燃料として燃え尽き、果てた。


魔族と呼ばれる種族は、人間とは乖離した価値観を持つ。その理屈は至ってシンプルであり、究極的な二元論だ。
全ての命は強いか弱いかの差しか無く、強者は弱者を好きにする。弱者は強くならねば貪られる。

人はそれを魔道、邪法と忌み嫌うが、魔族にはそれ以上の思考が無駄にしか思えない。

見目麗しい魔王の娘、エヴァとて例外ではなかった。それを前に、大した忠心だと少年の姿の魔神はほくそ笑む。


いかに彼らの生みの親、魔族の根源たる己の指示であるとはいえ、実の父親を生贄に捧げよと命じて二つ返事で応えるようなものはそうはいない。その点この娘は、外道化外の衆たる魔族をして異常だった。

しかしそうでなければ、魔神の計画など机上の空論に過ぎなかったのだから、この笑みは決して蔑む意図を込めたものでは無かった。

ここまで7年、100年など寿命の上で物の数ではないはずの魔神にとって、永遠にも等しいくらいに緻密かつ神経質に過ごした時間である。
元々用意周到な質であった少年姿の魔神だが、今回の計画、大番狂わせの大災禍の準備は実に骨が折れる仕事であったと自嘲する。我ながらここまでやるか、と思うほどに。


しかし、目の前に現実となって存在する巨大な肉塊は、それの成就が程近く、計画に狂いが生じていないことを意味する。

全てはこれから。しかし現状の仕込みは満点。よくやったと己を褒めてやりたい仕上がりだ。




「さて、主がお目覚めになられるよ。エヴァ、皆を────【七獄】を呼んでおいで。ぼくも残りの教徒をかき集めてくるから」

「承知いたしました。では、僅かばかりお待ちを」




どくん。


魔族、悪魔、魔獣、邪教の信徒たち────それらの屍をもって生み出された「胎」の中で、災禍の化身が脈動する。


もうすぐ、もうすぐだ。もうすぐ終焉スクイが始まる。



彼らが呼び出したのは、旧世界の残滓にへばりついた、絶望と厄災もたらす焔の成れの果て。

旧き支配者。外界のもの。



遍く世界を見通す瞳を持つ魔神は、やがて邪神に至る、この燃え盛る憎悪の精神体の行く末が……世界の終わりを暗示することを確信していた。




「恐怖と、悲嘆と、苦痛と、狂気と、絶望と……それが我らの救いに他ならない。くく、くくくく……楽しみだ、あぁ楽しみだなぁ」
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