君と地獄におちたい

埴輪

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馴れ初め

2.侯爵家の御曹司

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 エアハルト・ミュラーは代々軍人を輩出してきた名門ミュラー家の一人息子である。
 現当主はこの国に三人いる将軍の内でもっとも逞しく数多の戦場を駆け抜けてきた歴戦の戦士であり、息子エアハルトはその後継として幼い頃から厳しい英才教育を受けてきた。
 国の国境付近で虎視眈々と侵略を狙う蛮族共を切り捨て、数多の屍を築いてきた将軍の強靭な肉体と狡猾とも称されるほどの天才的な軍略センスを受け継いだエアハルトだが、残念なことに父親からある弱点も受け継いでいた。

 厳しい戒律と絶対的な上下関係に支配された軍隊では決して本人たちの前では言えない暗黙の事実。

 ミュラー家の当主とその御曹司は女が苦手である。

 事実であるが、少し語弊がある。
 別にミュラー家の男子が実は男色家だというような事実はない。
 軍隊的な思考としてむしろ将軍などはそういった同性愛には大変厳しく、差別的な考えを持っている。
 息子の方は特にどうとも思っていないが、誘われれば地獄の悪鬼の如く不機嫌に懲罰するぐらいには冗談が通じない。
 基本的にミュラー家の男子は頭が固く、生真面目である。
 そんなミュラー家の評判は悪くない。
 むしろ宮廷で煌びやかな衣装に身を飾る色白で痩身な、或いは肥えすぎた貴族男子達に飽きている令嬢達にすれば逞しい胸板や強靭な両腕や筋肉質の首筋、それらを包む厳つい軍服は新鮮であり、禁欲的な色気すら感じていた。

 だがしかし。

 いくら貴族のお嬢様方に誘われてもミュラー家の男子達は靡かない。
 いや、実際に誘われれば見た目と違って根からの貴族でもある彼らはレディーファースト精神で機嫌を損ねない程度に相手はする。
 だが、そこで大抵は終わる。
 何せ、話題がない。
 例えばデートに行ったとしよう。
 堅物のミュラー家は婚前交渉などは絶対にしないし、そんなふしだら女は貴族ではないとすら思っている。
 一応相手の顔を立てて流行りの観劇や馬での遠出などには行くが、絶対に二人きりにはならない。
 必ず双方の使用人を連れて行き、夜になる前には必ず家に帰す。
 要するにつまらないのだ。
 貴族の令嬢達は退屈で面白味のない社交界から飛び出して野性味溢れる逞しい軍人に無理やり連れ出されて強引な愛を囁かれて情熱的に愛されることを期待しているのだ。
 それこそ浪漫小説のような展開を期待したのに愛想笑い一つしないぶっきら棒な強面の軍人と沈黙のお茶会、観劇、遠出。
 笑顔も引きつり、理想は儚く崩れていくものだ。
 そしてあまり社交界に出ないミュラー家の男子達の噂話のほとんどはこの期待を裏切られたお嬢様達の愚痴やほんの少しの逆恨みで構成されている。

「先月、ミュラー侯爵家のエアハルト様と遠出に行ったそうですわね。どうでした?」
「正直、退屈でしたわ」

 だいたいそんな感じである。
 詳しくどう退屈だったのかは言わない。
 言ってしまえば自分にそこまでの魅力がなかったと思われるかもしれないのだ。
 実際礼儀作法、淑女の扱い方などはさすが侯爵家と称してもいいほど完璧であり、対応もむしろ貴族男子として当たり前のことをしているのだ。
 悪かったところはない。
 ただ良いところもない。

 話を戻そう。

 ミュラー家の当主には幼馴染の妻がいた。
 夫婦仲も非常によく、妻に先立たれて数年経った今でも再婚をしないほど互いに愛し合っていた夫婦である。
 愛する妻の残した一人息子をミュラー将軍は溺愛していた。
 もちろん娘に対する可愛がり方ではなく、軍隊の上官が将来有望な下士官に期待という名の愛の鞭を振るうような溺愛の仕方である。
 実際に息子のエアハルトは非常に逞しく、頭もキレて優秀な軍人であり、幼少の頃から虐待一歩手前の父親兼上官の厳しすぎる扱きによく耐えていた。
 あの躾という名の軍隊式強化訓練に幼少から慣れたエアハルトは正に軍人の中の軍人と絶賛された。
 類は友を呼ぶように、根からの軍人であるミュラー将軍の家には軍籍関係者が非常によく訪れ、また使用人から何から何まで退役した歴戦の軍人や傭兵という兵つわものばかりであり、洗脳に等しい軍隊至上主義をエアハルトは叩き込まれた。
 天国にいるミュラー夫人もきっと泣いていることだろう。
 いくらなんでもやりすぎだと。
 性質の悪いことに将軍の行為は全て息子可愛さ故なのだ。

 ようするにミュラー家の男子は皆根からの軍人で頭が固く生真面目で、年頃になっても名門貴族の一人息子であるエアハルトは一向に結婚できないでいた。
 顔はむしろ良い方である。
 短く刈られた灰色の髪に冬の凍った湖のような青い瞳に薄い唇。
 眉間に皺が刻まれることが多いが、女性の扱いは慣れている。
 誠実で軍隊内の実力や発言力も強く、政治にも疎くなく世情にも通じている。
 正し女の気持ちにはまったく通じていない。
 面倒だから無視しているという者と根からの鈍感野郎という者で意見が割れる。
 だが一人息子といえば当然次の侯爵家当主となり、出世の速さから見ても父親よりも早く将軍の地位つくだろうと言われているほどだ。
 将来有望で、浮気する心配もない。
 面白くはないが、誠実な男で人柄は悪くないのだ。
 遊び相手や恋人にするには不向きだが夫にするのならぴったりの男ともいえた。
 なので婚約を望む貴族も多い。
 婚約者がいても良い年齢になっても過度に溺愛する父親との訓練に夢中でそれどころではなかったエアハルト。
 当主である父親も親の贔屓目なしで類まれな才能を持つエアハルトを鍛えることに夢中でうっかり息子の結婚相手を忘れていた始末。
 息子の結婚適年齢が少し過ぎたばかりの頃。
 仕えている主君に言われて気づいた。

「そういえば、将軍のところの息子はまだ結婚しないのかね?」
「あ」

 笑えない話だ。

 そして話を戻そう。

 なんやかんやで結婚に前向きでもなければ後ろ向きではない、選ぼうと思えばすぐに選べる身分と地位と実力と顔を持つエアハルトはあっさり婚約した。
 タイミング良く、父親が珍しく気に入って目をかけているという公爵家の麗しの姫君とである。

 異例の速さで出世したエアハルトに親の七光りやコネで出世を買っているという嫉妬交じりの嘲笑を向ける者もいる。
 だがそれらの輩は大概軍の内部事情を知らぬ下級官僚や身分の低い貴族位の者達である。
 一度軍人としてのエアハルトを見てしまえば男ならば崇拝や畏怖、或いは絶対的な強者に服従する以外の選択はないのだから。
 そんなエアハルトはまた出世した。
 領国内に侵入し、数十の辺境の村を略奪していた蛮族を先陣切って叩きのめしたという武功に対しての褒美であった。
 比喩でもなんでもなく叩きのめしたのだ。
 血の気の多いエアハルトは争い事が好きであり、銃や大砲を使っての派手な戦いも好きだが敵の肉や骨を切断し、血潮浴びて苦痛に這い回る蛮族を甚振るのも好きであった。
 もちろん優先順位や仕事は忘れていないので理性を忘れて虐殺するようなことはしない。
 ただときどき死刑確実な盗賊やら山賊やらの罪人をあえて遊ばして捕らえるのが密かな趣味なのだ。
 周りに被害が出ないようにという配慮も忘れない仕事のできる男である。

 また話を戻そう。

 とにかく異例の速さでまた出世したエアハルトは珍しく上機嫌な父親に連れられて軍内部の者で半々を占める所謂勝利の記念祝典の身内の集いのようなパーティーに出席した。
 勲章授与の式典はもう終わっており、身内で気兼ねなく楽しもうというのが名目で、軍服姿が数多くを見受けられた。
 そのため、父親である将軍とにこやかに挨拶する公爵家の次期当主夫妻とそのそばで佇む見慣れない少女の姿はひどく目立っていた。
 いや、少女が目立っていたのは何も物珍しいからではない。
 何気なく目があったエアハルトはその珍しい黒髪と黒目に一瞬意識を吸い込まれるような錯覚を覚えた。
 まだ幼いためにリボンで飾られただけの黒髪はひどく美しく、真珠のようなきらめきを宿す瞳にそれを縁取る睫毛の豪奢さ。
 美人の条件であるすうっと通った鼻筋からほんのり紅をさした唇と顎のラインはため息がでるほど完璧である。
 ドレスというよりもワンピースに近い春らしい装いはまるで花の精のような可憐さを与え、スカート部を持ち上げて淑女の礼をしたときに見えた手首の細さや一瞬見えた足の眩しさといったら。
 小鳥の囀りよりもずっと耳に心地よいような擽ったい声にエアハルトは息をするのを忘れてしまったほどだ。

 ゲーアハルト公爵家の令嬢は類まれの美しさを持つとは聞いていた。
 しかし実物は予想以上であり、どんな美辞麗句でもその姿形や彼女独特の雰囲気、花開く前の純粋な乙女の香りを讃えきれないであろう。

 エアハルトはその美しさを見て恐ろしいとも思った。
 このまま彼女が成長すれば多くの男どもを惑わす魔性の存在になるのは確実。
 傾城、いや傾国といってもいい。
 彼女の望むと望まないとして、誰もかれも彼女の愛を欲し、争い求めようとするに決まっている。
 この無垢で無邪気で楽し気に父と話す少女はその自身の美しさ故にきっと望まない争いを生み、不幸になるのだと。
 その予感にエアハルトは胸がざわついた。
 争いごとも血なまぐさいごとも大好きだ。
 でも、この罪のない少女が苦しみ涙する姿は見たくないとエアハルトは思った。
 それは珍しく父親が気に入り、大層可愛がっている姿を見たからなのか。
 それとも何も考えられず只管グラスに注がれた酒を飲む自分に無防備に近づき、お酒ってそんなに美味しいのですかと尋ねる姿があまりに幼げで何故か強い罪悪感を抱いたからなのか。

 その後、なんの因果か、狂喜乱舞するように公爵家との婚約が決まったと報告する父親の前でエアハルトは途方に暮れることになる。

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