上 下
57 / 70
第四章 仏の棺(仮題)

3 敷地測量

しおりを挟む


 次の日、東屋と楢村は早朝から敷地の測量のため建築事務所を後にすることにした。念のためまだ自室で寝ている高梁に声を掛けたが「うん」と寝ぼけた返事が聞こえたっきり布団を頭から被ってまた寝てしまった。いい気なものである。


 まだ日は長い時期なので早朝でも辺りはすっかり明るい。出来れば暑くなる前に測量を終わらせてしまいたい。事前に場所を確認した東屋が運転席に座り、楢村は測量の道具を後部座席に置いてから助手席側へと座った。


「今回計画する『宝寧ほうねい幼稚園』って変わった名前だなぁと思って調べてみたらどうやらお寺の住職が法人の理事長で、その母方が幼稚園の園長先生をやってるそうですね。」
「えぇ。幼稚園の隣の山に『宝寧寺ほうねいじ』ってお寺があるみたいです。」


 東屋はハンドルを切りながら相槌を打った。昨日、高梁から聞いた話によると白樺市の住宅地にある『宝寧寺』は知る人ぞ知る格式高い寺らしい。小高い山の上にあるこの寺に、修行僧も地方からやってきてお経を唱えているそうだ。ここの住職兼理事長も今回のプロポーザルの審査員の一人だ。


 東屋は運転しながらプロポーザル当日の事を頭で考える。学生時代、就活らしい就活をして来なかった東屋は(高梁の元で働くと勝手に決めていた)、プレゼンテーションで十五分も話続けられるのか自信も無いし、そもそも一対集団で何処を見て話せば良いのか、考えれば考える程不安になるのだった。


「ちゃんと出来るか自信ない。」
「大丈夫ですよ。いつも上手にやってるじゃないですか。」


 東屋の独り言の様な呟きに、楢村が手放しに褒めてくるので思わず苦笑する。


「私じゃなくて、私の周りの人がいつもフォローしてくれているんです。今だってほら、一人で測量出来ないから楢村さんについて来てもらってるし。」
「でも、そこがありかちゃんの能力じゃないでしょうか。人を使うのが上手です。」


 楢村が悪戯っぽく笑う。普段温厚な楢村に自分がそのような人間だと思われていたのかと思うと少し凹む。


「杏斗さんまで私を虐めないでください。」


 そうこうしているうちに、車は目的地に到着した。事務所から車で10分くらいの場所だった。東屋は寺専用の駐車場に車を止める。宝寧寺のある山は青々と茂っていて、寺へと続く参道は杉並木が真っ直ぐ奥の方まで続いていて、蝉の鳴く声が山の方から聞こえる。


 二人は測量器具を担ぐと隣の幼稚園へと向かった。事前に測量の許可は取ってあるので挨拶ついでに職員室へ顔を出しておきたい。


「あれ?」


 高い生垣が寺と幼稚園の境界を区切って視界を遮っていたが、それでも背の高い楢村が東屋より先に何かに気がついて不思議そうな声を出す。東屋も敷地の角を曲がり、幼稚園全体が見えた時にはその違和感というか予想していなかったものに気が付いた。


「……なんだろう、あれ。」


 そこには、今現在使われている老朽化した園舎と、その隣に全く雰囲気の違う、園舎の三分の一程度の建物が建っていた。

 仮囲いはしてあるものの既に足場は外されて、その外観が覗いている。何を造ったのだろうか。これから造るはずではないのか。その建物の事が気にはなるが、まずは先に職員室へと向かうことにする。


「おはようございます。」


 東屋は職員玄関から声を掛ける。年季の入った鉄筋コンクリート造の園舎の中は静かで涼しい。下駄箱の上には夏らしい季節の花が綺麗に飾られている。それを眺めながら待っていると手前の職員室から小さな老婆がゆっくりと顔を出した。


「はいはい、おはようございます。」


 その女性は白くなった髪を団子にして纏め、可愛らしいウサギのアップリケがついた薄桃色のエプロンを着ていた。ポケットにはひらがなで『おくやま』と書いたチューリップの名札が付いている。見た所八十~九十歳はあるかもしれない。腰は曲がってしまい東屋の胸辺りまでしか身長が無かった。幼い頃に亡くした祖母を思わせる不思議な気持ちだ。


 膝を抑えながら彼女はゆっくり二人の前まで歩いてきた。東屋は軽く会釈をすると名刺を彼女に渡す。


「初めまして、昨日連絡しました高梁一級建築事務所の東屋と申します。朝早くから申し訳ありません」
「いいえ、年寄りは朝早いから。初めまして、私はこの幼稚園の園長をしてます。奥山です。……あれぇ、これチョット字が小さ過ぎるわぁ。」
「あぁ!すみません!」


 奥山は貰った名刺を顔に近づけたり離したりしながら東屋の名刺を見て笑う。その様子を見て東屋と楢村もつられて笑ってしまう。


 確かに事務所ウチの名刺はデザイン性を重視し過ぎて老眼の方には優しくないだろう。東屋はもう一枚名刺を出すと裏に大きく自分の名前と携帯番号を書いてそれを奥山に渡した。


「奥山さん、あの園庭にある新しい建物は何ですか?」


 東屋は思い切って例の建物について聞いて見た。


 奥山は窓の外の建物を指差し「あれ?あれは新しい遊戯室だよ。」と答えた。


「まだ工事中。夏休み明けから使えるようになるんだと。」
「……遊戯室。」


 東屋と楢村が顔を見合わせる。旧園舎にも遊戯室は有るはずだ。何故遊戯室だけ先に新しくしたのか、遊戯室を造った建築事務所があるなら何故引き継ぎ園舎の設計を発注せず、改めてプロポーザルという形を取ったのか。疑問が残ったが、知る由もない。


 東屋は地味に重いレベルを肩に担ぎ直す。


「それでは、ちょっと測量してきます。また、終わったら職員室に顔を出しますね。」
「はいはい、いってらっしゃい。」


 二人は再び会釈すると、奥山に見送られながら職員玄関を後にした。
しおりを挟む

処理中です...