鉄女である私を怒り狂わせた、あの男のスリーステップ

清水花

文字の大きさ
18 / 24
スリーステップ

一歳児健診

しおりを挟む
「じゃあアリシアちゃん、両手を広げてごらん。こうやってーーーー」

「ナアッター!」

「うん、そうだ。じゃあ今度はそのまま後ろを向いてごらん」

「アー!」

 ベッドの柵に掴まって立ち上がったアリシアをお医者様は器用に操り健診を手際良く進めていく。

 両手を広げたり、後ろを向いた時に発するアリシアの一言がとても可愛い。

 私としてはアリシアが「出来たー!」「どうだー!」と言っているように聞こえてしまうのである。

 そうやって微笑ましく健診を見守っていると、お医者様の表情がいつの間にか曇っていることに気付いた。

 私の胸に言い知れぬ不安が影を落とす。

「アリシアちゃん、アリシアちゃん」

 お医者様はアリシアに顔を近付け名前を呼ぶ。

「アーアー! ッター!」

 お医者様の問いかけに答えるようにアリシアはそう口にする。

 お医者様が傍らに立つ助手の女性に何かを伝えると、助手の方はこくりと頷きアリシアのベッドの周りを歩きちょうどアリシアの背中側に立った。

「アリシアちゃん、アリシアちゃん」

 アリシアの後方に立つ助手の女性が声をかける。

 アリシアは声のする方を振り向こうとはせず、まっすぐにお医者様のことを見つめている。

「アリシアちゃん! アリシアちゃん!」

 助手の方が先ほどよりも大きな声で両手を打ちながらアリシアに呼びかける。部屋の中はかなりの騒音が広がる。

「……ナタタイ」

 アリシアはお医者様の後ろの空間に手を伸ばし、必死に何かを掴もうとしているようだ。

「ふぅむ……」

 お医者様はバッグの中から金属製の特殊な器具を取り出し、それを小さな金槌で打つとアリシアの耳元に近付けた。

 辺りにはとても綺麗な高音が響き渡る。

 アリシアは特に気にすることもなく未だ必死に空間に手を伸ばしている。

 私は胸が震えるほどの明確な恐怖を感じていた。

 いつしか私の胸に芽生えた小さな不安が少しづつ少しづつ大きくなり、私の胸をここまで激しく震わせる明確な恐怖となって襲いかかったのだ。

 祈るように組んだ両手までもが激しく震える。どう抗ってもこの震えが止まらない。

 呼吸が乱れ、視界がぼやけ、膝までもがガクガクと震える。まともに立っていることすら出来ない。私は近くの壁に身体ごと寄りかかりアリシアを見つめる。

 私の視線に気付いたのか、アリシアはこちらをみるといつもの元気な様子でにっこりと微笑んだ。

 そんな様子を見ているといくぶん心が落ち着くようだった。

 私は笑みを浮かべアリシアに答える。いつもの笑みを浮かべられているか全く自信が持てない。

「ーーーー奥様」

 ふいにお医者様が私に声をかける。その表情には少し前までの穏やかさは見受けられない。

 真剣な表情のお医者様が固く横に結んだ口をわずかに開くと、私の心臓がぎゅっと締め付けられるように捻じれ上がった。

 お医者様は何を、何を口にするのだろう。

 私に何を伝えるつもりなのだろう。

 何の問題もない健康体だと言って欲しい。

 それ以外の言葉はこの世から消え去って欲しい。

 それ以外の言葉は聞きたくない。

 聞きたくない、聞きたくない、聞きたくない。

 だが、現実は残酷だった。

「アリシアちゃんですが……どうも両耳に難聴の傾向がみられます」

「…………」

 分かって、

 分かっていた。

 何となく、分かってはいた。

 ただ、絶対に、認めたくはなかった。

 私の両目から涙がとめどなく溢れ出した。

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

25年の後悔の結末

専業プウタ
恋愛
結婚直前の婚約破棄。親の介護に友人と恋人の裏切り。過労で倒れていた私が見た夢は25年前に諦めた好きだった人の記憶。もう一度出会えたら私はきっと迷わない。

押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました

cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。 そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。 双子の妹、澪に縁談を押し付ける。 両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。 「はじめまして」 そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。 なんてカッコイイ人なの……。 戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。 「澪、キミを探していたんだ」 「キミ以外はいらない」

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

冷徹公爵の誤解された花嫁

柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。 冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。 一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。

記憶を無くした、悪役令嬢マリーの奇跡の愛

三色団子
恋愛
豪奢な天蓋付きベッドの中だった。薬品の匂いと、微かに薔薇の香りが混ざり合う、慣れない空間。 ​「……ここは?」 ​か細く漏れた声は、まるで他人のもののようだった。喉が渇いてたまらない。 ​顔を上げようとすると、ずきりとした痛みが後頭部を襲い、思わず呻く。その拍子に、自分の指先に視線が落ちた。驚くほどきめ細やかで、手入れの行き届いた指。まるで象牙細工のように完璧だが、酷く見覚えがない。 ​私は一体、誰なのだろう?

そのご寵愛、理由が分かりません

秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。 幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに—— 「君との婚約はなかったことに」 卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り! え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー! 領地に帰ってスローライフしよう! そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて—— 「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」 ……は??? お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!? 刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり—— 気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。 でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……? 夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー! 理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。 ※毎朝6時、夕方18時更新! ※他のサイトにも掲載しています。

処理中です...