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4章 おまじないがもたらすモノ

26 反射する現実

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「……ああ……」

 痛々しいお姿で私のベッドに横たわるベアトリック様。ずっと閉ざしたままだったそのまぶたは今は僅かに持ち上げられ、そこから非常に朧げな瞳がのぞいています。

「……あ、ライ……」

 まるで寝言のようにぽつりぽつりと零れ落ちるそれらの言葉は、酷くかすれていて聞き取るのがやっとの事でした。

 そんなベアトリック様は未だ定まらない様子の視線を上下に動かし、天井と私を交互に見ています。

 そんなご様子から意識はどうにか戻ったものの、未だ混濁状態である事が伺えました。

 であれば、今は騒がずに冷静に対応するのが正解でしょう。

 私はベアトリック様の耳元へと顔を近付け、囁くように静かに語りかけます。

「はい、ローレライでございます。ようやくお目覚めになりましたね、ベアトリック様。ですが今はまだ無理をなさらずに、ゆっくりと横になっていて下さい」

 そう語りかけ、横目でチラリと視線を送るとベアトリック様はぼんやりとした表情で視線をあちこちに走らせています。

 恐らく私の声は届いてはいるものの、理解は出来ていないといったところでしょうか。

「……レラ……」

 ですが、ときおり私を見ては私の名を呼ぶようにするので、もしかしたら意外と意識はしっかりとしているのかも知れません。

「お待ち下さい、ベアトリック様。すぐにお医者様をお呼び致します。もう少し、もう少しの間だけ辛抱して下さい」

 言いながら、私は自然とベアトリック様の両手を握って語り掛けていました。

 咄嗟の行動とはいえ、そんな自身の大胆な行動に内心とても驚かざるをえない私でした。

 ベアトリック様のしなやかな両手を重ねた状態でそっと下ろし、傍らで眠るナリスさんとナーシャさんに声を掛け、状況を端的にお話ししました。

 お二人は状況を理解するなり飛び起き、ベアトリック様を抱きしめ喜びを露わにします。

 今はまだあまり騒がずに安静にしておいた方がいいのでしょうが、お二人はそんな事は言っていられないといったご様子です。

 当たり前の事ですが、やはり相当心配していらしたんですね。

「私はお医者様とニルヴァーナ公爵御夫妻にただちに連絡致して参ります」

 ナリスさんとナーシャさんにそう伝え、足早に自室を後にしました。

 それから数時間後、ニルヴァーナ公爵御夫妻とお医者様が再びポーンドット家の屋敷に集い、改めてベアトリック様の診察が行われました。

「ーーふむ。目覚ましいほどの回復力だ。奇跡と言っても過言ではありますまい。それで……気分の方は如何ですかな?」

「まだ……少し頭がぼんやりとします。それに、怪我をした時の事があまり……思い出せません」

「頭を強く打ち付けていらっしゃるので、一部記憶が欠けてしまったのでしょう。ですが、全ての記憶を無くしてしまう事例もそう珍しくはないので、今回は不幸中の幸いというやつでしょうな」

「…………」

「良かった。本当に良かった……」

「日頃の行いを神様がきちんと見ていてくれたんだわ……」

 ニルヴァーナ公爵御夫妻は安堵したご様子で喜びの声を口にします。

「これからあと数日の間、リハビリも兼ねて部屋で安静にした方が良いでしょう。問題なく動ける様になれば改めて王都の病院へと足をお運び下さい」

「ありがとうございます、お医者様」

「では、私はこれでーー」

「…………」

 ベアトリック様はお医者様の背中をチラリと見たあと、頭部の傷口が痛むのかそっと指先で頭部を撫でました。

 そして、

「ーーっ⁉︎ ちょっ……ナリス……鏡を、鏡を持ってきて……」

 ベアトリック様は明らかに動揺したご様子で声を震わせながらそう言います。

「嫌っ……そんな……こんな……嫌ぁぁぁぁ!」

 鏡を覗いたベアトリック様は悲痛な叫び声を上げ涙を流し、辛すぎる現実に打ちひしがれています。

 手にしていた鏡はベッドの上に零れ落ち、今はただ静かにベアトリック様の姿を映し出しています。

 顔を覆い隠すほどに貼られたガーゼ、そこからちらりと覗く赤黒く腫れ上がった皮膚、乱雑に切られた髪、直視できないほどにうっ血した眼球。

 豪奢な装飾が施された鏡は、持ち主のそんな惨たらしいお姿を無情にも反射し続けます。





 
 
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