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第1章
2 劣等感
しおりを挟む「ご、ごめん……」
珀斗の冷めた視線に勝手に体が震えてしまい、俺は謝りながら目を逸らした。
「ごめんで済む問題ならいいっすね」
俺の反応を、珀斗がつまらなそうに鼻で嗤う。
「っ……こっこら! バカ! お前っ、なおちゃんにひどいことをいうな!!」
そんな中、夕陽さんが慌てて俺たちの間に入り、珀斗の耳を引っ張った。
「ちょっ、伸びる伸びる。ユウさんやめて~」
「デリカシーないのはなおちゃんじゃなくてお前だバカ珀斗っ!」
「いやいや。俺は身内にはてきとーだけど、外部と関わる時はちゃんとしてるんで」
「自分で言うかっ」
「言っちゃいますよ。美徳発表スタイル。どっかの誰かさんと一緒にしないでくれます?」
「はぁ、話にならん……。なおちゃん、ごめんね。こいつの言うことは気にしないで、本当!」
珀斗を叱りつけていた夕陽さんは、今度は心配そうに俺の肩を掴んだ。
「もしかしてなおちゃんさ、俺のいないとこでこっそり珀斗に虐められたりしてない……? 何かあったら絶対お兄さんに教えてな。珀斗のことは俺がちゃんと躾けておくから……!!」
「おーい。俺は犬じゃないんですけど~」
「てめーは黙ってろ」
珀斗に対して当たりの強すぎる夕陽さんに苦笑いをこぼしながら、俺は首を横に振った。
「だ、大丈夫です。ありがとうございます、夕陽さん」
珀斗とは配信部屋でたまたま二人きりになることはあるけど、そういう時は大抵フルシカトを食らっているので虐められてはいない。
もう仲良くなることは一年目ですでに諦めた。珀斗の垂れ目の中には、俺が嫌いと思い切り書かれているし、俺も俺で珀斗のことが苦手だから、これはお互い様なのだ。
「夕陽くん?」
ふと、ドアの前で桃星と話し込んでた秋風がイヤホンをはずしながらこちらを見た。騒いでいた俺たちに気付いたのだろう。
「どうしたの。何かありました?」
「あっ! えーと……」
夕陽さんは俺と珀斗の顔を交互に見やり、何と説明すべきか考えているのか、困った顔をした。
「えーなにかって言うと~」
すかさず珀斗がソファからぴょんと飛び降りて、秋風に近づいた。
「俺がアオくんに絡んで、ユウさんに怒られてたって感じかな?」
「……。波青、大丈夫?」
秋風は珀斗の言葉に黙って眉を顰め、俺をうかがった。
瞬間、みんなの視線が俺に集まってくる。
俺は妙に恥ずかしくなり、首をかいた。
二十四歳にもなって年下の大学生に正論で詰られ、それを心配されるだなんて……。俺はなんなんだ。ガキか?
「だっ大丈夫って何がっ!? 俺がハクと遊んでやってただけだけど!? ハクみたいな生意気、俺くらいじゃないとあやしてやれないっていうか! ねっ! 優しすぎる俺!!」
「……」
大声で言った俺の言葉に、場がシーンとする。
……完全にスベった。いたたまれない。
「お前、波青になに言ったの」
秋風は俺の言葉は華麗にスルーして、何事もなかったように珀斗に聞いた。
「別に何でも良くね?」
「なに。言えないの」
「あは。アキくんさ、過保護すぎキッショ~」
「……」
皮肉げに嗤っている珀斗と、冷たく微笑んでいる秋風が見つめ合う。ただならぬ空気に、オロオロした夕陽さんが駆け寄った。
「ごめんしゅーちゃん、また珀斗がなおちゃんに……」
「ユウ兄! いちいち大袈裟! 別に流しときゃ良いでしょ? ハクなんて皮肉しか言えない病なんだから本気で相手するだけバカじゃん」
桃星が夕陽さんの言葉を遮り、やれやれと腰に手を当てた。
「ユウ兄もしゅーかもねぇ、アオに甘すぎんのっ! アオだって良い大人なんだからほっとけばいいのに。あと、ハクもハクで! ガキみたいにちょっかい出すのやめな。それ意味ないから」
桃星もイライラしているし、何だかすごい空気になっている。完全に俺のせいだ。
「あっ、あ、あの、みんな!!」
俺は何とか場を沈めようと、言葉を探した。
「えっと、えっと……──俺の為に争わないで……ッッ!!!」
「…………」
(……どこかの少女漫画のヒロイン気どりか?)
いつも、言ってから気づく。自分の言葉選びの間違いに。
またスベったのだろう、空気が底冷えしている。もはや日常になりすぎて自分が一日に何回スベっているのか把握すらできない……。
「……なおちゃん……」
「……」
「……ふふ」
夕陽さんが顔を押さえ、項垂れた。
桃星は呆れましたというふうに顔を思い切り無言で顔を歪ませ、秋風は笑っている。
「は? さっっむ……」
次いで、珀斗がボソッと呟く。
(マジレスが一番こたえるんだよ!!)
俺は途端に恥ずかしくなり、熱くなる顔を俯けた。
やっぱり珀斗、苦手だ……。
「ほら……。だから言ったでしょ。アオには何言っても意味ないの。こういうやつなんだよこの子は。KYって注意されても治んないから。ハクもそろそろ気づきな?」
「おチビはもう諦めちゃったんだ?」
「ていうか、どうだっていいんだよね。僕優しくないから」
「同じグループじゃなきゃ俺だってどうでもいいんだけどね~。真面目な話今日みたいのがずっと続くとさぁ、俺らの活動に悪影──」
「その話は後で」
桃星と話していた珀斗は、秋風の声に止められて口を閉ざした。
「とりあえずご飯行こ?」
珍しく有無を言わせない口調で言う秋風に、珀斗は肩をすくめた。
「……。はいはい。聞かせたくないよね。過保護だもんね」
「過保護ってなにが?」
「分かってるくせに」
秋風に聞かれて、珀斗がハッと鼻で嗤う。
「お前ぇっ! さっきから調子乗りすぎなんだよ!!」
茶化していた白い頭が、ガクッと揺れた。堪忍袋の尾が切れた夕陽さんが珀斗の頭を思い切りはたいたようだ。
「ッ! 暴力反対! 暴君ユウさん……!」
「違う! これは愛のある制裁っっ!!」
ギャーギャー騒ぎ出す二人の横で、桃星が心配そうに秋風を見上げた。
「しゅーか~。怒ってる……?」
「ん? 全然怒ってないよ」
裾を引っ張る桃星に微笑みを向けてから、秋風はポツンと一人立ち尽くしている俺のことを振り返った。
「波青。何してるの。早く行こ?」
「えっ。でも俺……」
「ご飯行けなくても、駅までは同じでしょ。ね? 一緒に出ようよ」
「あ。ああ、うん。そうだな……」
俺は急いで荷物を掴み、玄関に向かった。その間、秋風はドアを開けてみんなと一緒に俺を待ってくれている。
小学生の時から、いつもそうだ。
人気者の秋風がいつも俺を気遣って、名前を呼んで、輪の中に引き入れてくれた。
高校を卒業して入った会社が超絶ブラック企業で、人生のどん底に落ちていた俺を、すかさずこの配信者グループに誘ってくれたのも秋風だった。
秋風のおかげで、俺は社畜を辞められて、特技もないのに今こうして人気グループのメンバーの一員になっていて……。
おかげで金銭面もだいぶ余裕を持てるようになった。高校の時のように四六時中バイトをしなくて良いし、ブラック企業の時のように体を壊すこともなくなって。今の生活は心底ありがたいと思う。
そして、なんでただの一般人の俺がここまでして貰えているのかというと、それはただ単純に秋風が親切な人間だからだ。
──同情。気遣い。情け。そういう感じのものでしかない。
秋風は優しすぎて、幼馴染もどきの俺を見捨てられないのだろう。
── 『…………そ……卒業しても、俺と仲良くしてくれませんか……』
「…………」
(いくら優しくても、『嘘つき』だけどな)
俺は心の中で小さく毒付き、嫌な記憶を振り払うように玄関で強引に靴を履いた。
すると、秋風がぽつりと指摘してきた。
「……ひも」
「へ?」
「紐ゆるんでるよ、波青。それじゃあ危ない……」
言いながら屈もうとして。
そして、動きを止めた。
「……、……ちゃんとして」
それだけ言うと、秋風は結局何もしないまま、俺に背を向けてしまった。
「……」
子供の頃は、よく屈んで結び直してくれたのだっけ……。
今だってきっと癖でそうしかけたけど、やめたんだ。
(どうしてだろうな)
どうして俺たち、こんな距離感になっちゃったんだろう。
中学を卒業して高校が分かれてから、秋風は急に俺によそよそしくなって。もう、昔のような親友ではなくなってしまった。
「……ありがと。気をつける」
俺は虚しい気持ちになりながら、お礼を言った。
(どうしてか……)
俺の小さい頭でも、理由はいくつか想像できる。
一番有力なのは──
(新しい『親友』ができたから……)
秋風の隣に並ぶ桃星の後ろ姿を、俺はじっと見つめた。
「しゅーか~!」
桃星は、整った容姿で、女の子と見間違うほど可愛い。それでいて元気で明るくて、歌も上手い。曲だって作れる。同い年なのにアパレルブランドを立ち上げるほどの行動力があるし、オシャレだし、人気があるし。
それに加え、秋風と同じ高校、同じ大学に通えるくらい、頭も良いとくるのだから。桃星は完璧だ。
対して俺はというと……、なんにもない。特技も長所も。
どちらを親友にしたいかと聞かれれば、誰しもが一瞬で桃星を選ぶことだろう。
「……」
俺はこぼれそうになる嫌な気持ちぐっと堪え、桃星から視線を剥がした。
(出てくるな。出てくるなよ、もう……)
劣等感。
それは、ちょっとでも気を緩めたら、すぐに俺の頭の中を侵食してくる、地獄のような感情。毎日ひょっこり飛び出してきては、余計惨めな気持ちにさせてくる。
そんなのに、振り回されてはダメだ。
だから俺は静かに腰を屈めて、靴紐をできるだけかたく結び直した。
ほどけないように、ゆるまないように、ぎゅっと強く。
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