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第2章
105 なんで?《後編》
しおりを挟む俺が首をかきながら視線を戻していたら、隣の秋風がボソッと呟いた。
膝の上で組んだ自分の手を見つめて、悲しそうだ。
どうしたんだろう。明日、嫌なことでもあるのだろうか。
「なに、お前明日仕事か?」
「? あ……、うん。一日スケジュールは入ってるけど……」
「うわーっ。土曜なのに、大変だな~。でも珍し。秋風でも仕事行きたくない日とかあるんだな」
めんどいとかしんどいとか辛いだとか、秋風の口からそう言った言葉はあんまり聞いたことがない。いつもニコニコ飄々としていて、どれだけ休みがなくても全く気にしないふうな特殊な人間だから。
でも、さすがに今日は普通の男子みたいに遊んじゃったし、珍しく明日が辛くなったのかも。久々のオフが終わるのが嫌すぎて、このまま時間止まって欲しいなーと思ったんだろう。
芸能人といえど社畜と似た感情になるのだなと思うと、ちょっと親近感だ。
「……?」
「分かるわ~。俺も、ブラックにいた頃はマジしんどかったもん。毎日毎日終電まで残業して、帰ったら気絶するみたいに寝てさー。なのに残業代は全く出ないから、俺何してんだろってなって。……最終的には、通勤の電車の中で急によくわかんない涙出てきたりして、世界の終わりっていうかさ。あん時は色々やばかったな~……」
語りながら、俺はハッとして、また会話泥棒をしてしまったことに気がついた。
人が話しているところをすぐ自分の話題にすり替えるのは、マジで良くない。今は俺じゃなくて、秋風の仕事の愚痴を聞くターンだったはずだ。
(桃星にも何度も注意してもらってるのに、どうして直らないんだ。俺のバカ……)
我ながら、ちょっとは大人しく聞き役をやって欲しい。
多分、話すの大好きなくせに友達いないから、たまに自分の話を聞いてくれる人がいるとすぐ調子に乗っちゃうんだと思う。
「あ、ごめ──」
「そうだよね……すごく大変だったよね。本当に、すごく……」
だけど秋風は、俺の自分語りに気分を害した様子もなく、辛そうな声で寄り添ってくれた。
そして、とても真剣な表情で、聞いてきた。
「今はどう? 辛いことはない……?」
「え? ……今は……。……」
俺は瞬きし、少し考えた。
(そりゃ……たくさんの匿名の人に自分をボロクソに言われるのは、もちろん辛い……)
……けど……。
だけど、その分以上の有り余るリターンをもらってることも、確かだ。
俺みたいな、特技も魅力もないただの一般人が人気グループであるごちゃまぜに置いてもらっていること自体、そもそもが可笑しい。異常事態だ。俺をクビにして他の有名な人を入れた方がもっともっと人気が出るだろうに、なぜだかそれもない……。
だから、今の環境には、感謝してもしきれない。
メンタルは置いておいて、身体的にはかなり楽になったわけだし。
「ええっと……今は、すごく助かってるぞ」
「本当?」
「おう。だって、朝普通に起きてな、双子を見送って、のんびりごちゃハウス向かって……。それから、夕方まで編集して、ちゃんと夕飯までには家に帰れる! 前みたいに、深夜まで残業することはないし、休日出勤もないし、休みだって自分で選べるし。かなり規則正しい生活ができてるよな。……顔出し配信とかは、もちろん最初は抵抗感あったけど。今はもうさすがに慣れてきたし……」
会社員をしていた頃は、始業時間の一時間前には会社に到着するようにしていた。新人が始業前にオフィスの掃除と雑務を毎朝しなきゃいけないルールがあったのと、少しでも夜の残業を減らすためだ。
それに加え勤務先も遠かったから、俺が家を出るのは大体早朝だった。
毎日睡眠時間は極小で。自律神経もガタガタで……。あの頃の俺は完全に、『ワークライフバランス? なにそれ?』状態だった。
(もし家族がいなかったら、一旦退職してしばらくは貯金を崩す生活をするって選択肢も全然アリだったんだけどな……)
だけど、俺が我が家の大黒柱な時点で、その道はなかった。
辞めようとか休もうとか思うたび、家族のことが頭にチラついて、投げ出せないと思い直して。止まろうとする足を無理やり動かすような感覚。
学生時代にしていたアルバイトがいかに楽だったかを毎日痛感しては、学生に戻りたい……目が起きたら時間が巻き戻っててくれないだろうか……とどうにもならないことを願った。叶いもしない現実逃避をするくらい、追い詰められていたのかもしれない。
でも、二十歳の時に秋風にグループに誘ってもらえて、そんな生活が一変した。
まさしくあれは、俺の人生の転機だった。
「本当、ごちゃまぜに入ってからは俺、急に人間らしい生活を取り戻せたんだ! なによりも、双子や父さんと過ごせる時間が増えたのが、一番嬉しくって……!」
「……うん。本当に良かった」
秋風は俺の話を自分のことのように嬉しそうに微笑んで聞いてくれている。
「…………」
(……よく考えたら、全部全部、こいつのおかげなんだよな……)
なのに再会したばかりの頃の俺は、拗ねていた。
何年も音信不通だったくせに、お前は俺を避けたくせに、今更なんなんだと。
ずっと俺の誘いを断ったお前が、どういうつもりで同じグループなんかに誘って来たんだと。
秋風のことがちっとも解らなかったし、不貞腐れた感情や、疑いの気持ちがたくさんあって、ちゃんとお礼すら言えてなかったかもしれない。今思えば、俺はとんでもなく不義理なやつだ。
「……あのさ……」
「? どうしたの?」
俺が真顔で姿勢を正して秋風に向き直ると、不思議そうな顔をされた。
いきなりどうしたのかと思ったのかも。
(うーん。一日中ふざけきってて、急にガチトーンになるのは恥ずかしいな……)
いやでもやっぱり、改めて感謝を伝えておこう。いや、伝えなければ。
このタイミングしかない。
「もしかしたら俺、今までちゃんと言えてなかったかも……。だから、今言いたい。こんなに遅くなっちゃって申し訳ないんだけど……」
「? うん……?」
「……あの……。秋風。俺のこと、グループに誘ってくれてありがとう。お前のおかげで、俺の今がある」
「……!」
秋風は、大きく目を見開いた。
「……」
それから、瞳を揺らして下を向いた。
「……波青は……、……高校生の時に、配信をやっていたと思うけど…………」
「……? あぁ。そうだな。やってた」
「でも、顔出しなしでのんびり、安らげる趣味としてやっていたんだよね……? 波青は目立つことが好きじゃないから」
「うん。まあ。お前の言う通りだな。視聴者もほとんどいなかったし。あんなの、遊び遊び。独り言みたいなもんよ」
俺の言葉を受けて、秋風はぎゅっと眉を寄せた。
「そうだよね……。なのに……今のように、何十万人に見られている中で配信をしたり、イベントで実際に大勢の人の前に立って喋ったり、コラボで色んな人と関わったり、売り物にする用の写真を撮ったり……そういうことをいきなり波青にやらせてしまうのは、どうなのかなって」
膝の上で握られている秋風の手が、少しだけ震えているのが見えた。
「何度も申し訳なく思ったし、不安だった。もしかしたら、俺のエゴで、波青のことを特殊な世界に巻き込んでしまったんじゃないのかなって。波青は……普通に生きていたら、顔も知らないような人達に心無い言葉を浴びせられるようなことなんて、一生なかったと思う」
「……」
「……それなのに、俺を恨むどころか、ありがとうと言ってくれるなんて、思わなくて……。だから……こちらこそありがとう。波青に許してもらえて、心が軽くなった気がするよ」
「……おまえ……。そ、そんなこと考えてたのか……?」
俺は衝撃を受けながら、秋風の背中をバシッと叩いた。
「本当真面目だな!? 秋風は! あのな、俺、嫌なら自分で辞めるって言えるぞ? 辞めたいって言ってないのは、ちゃんと旨みがあるからだろ。だって、アンチは多いけど、ファンだってたまーーーにはいるし……!」
(床さんたちとかな! あ、ただのファンじゃなくて……腐女子だけど…………はい……)
「……ま、まあとにかく。自分にファンができるって、この仕事してなきゃ滅多に経験できないことだからさ。今日行ったコラボカフェも、ゲーセンだってそうだ。俺の考えたメニューが実際に制作されたり、俺のキャラクターのふーもちアオくんがクレーンゲームになってたり、冷静になって考えたらそれってかなりすごいことだろ!? めっちゃやりがいあるぞ。ごちゃまぜのおかげで、普通じゃ見られない景色、いっぱい見させてもらってるよ。……な? そんな感じで、俺はお前に感謝してるけど、巻き込まれたとは全然思ってない。分かったか?」
「……うん……分かった。ありがとう、波青」
「……」
なんでこれで俺がお礼を言われるのか……。
逆だろうと思うけど、秋風が眉を下げて笑っていて、手の震えもおさまっているみたいだから、良しとする。
(はぁ……。でも、こうして真面目に、秋風と落ち着いた話ができて良かったな。スッキリした……)
今日はとても良い日だ。
静かな空間で二人きりなんて、いつもならそうそうないことだし。配信で集まった時に言うのも気まずいし。
今日、このタイミングでお礼がやっと言えて、俺の心も同時に軽くなった気がする。
(……これ。もっと、いろんな話しても平気だったりするかな……?)
今でしか言えないこと。
今日を逃したらもうこんな機会、ないだろう。どうせだから、気になることは全部言っておきたい。
「……」
(…………そうだ……)
考えている中で、俺は秋風に一番聞きたかったことを思い出した。
ビビリ王決定戦の配信があった日の帰り道も、秋風とは色々な話をしたけれど。
これだけは唯一、聞けていなかったのだ。
秋風が──高校生の時、俺のことを避けた理由。
なぜか、秋風との会話は、選択肢を一度でも間違えたら速攻ゲームオーバーになる気がして。謎に怖かった。
怖かったから、今度聞けそうなタイミングがあった時にでもって、ずっと保留にして逃げていた。
だけど……。
もしかしたら、今なら大丈夫なんじゃないだろうか。
今日は一日、秋風はずっと声を上げて笑っていたし、機嫌もすこぶる良さそうだった。俺がいくらやらかしても優しく受け止めてくれた。
それに、昔に戻ったようにラフに会話をして、俺の自惚れじゃなければ、今日一日ですっごく距離も縮まったような気がする……。
再会してからの数年間で、今日は間違いなく、一番俺たちの雰囲気が良かった日だ。
(だから、今なら……)
今なら、この質問をしたとしても、足元の薄氷は割れない。
きっと、大丈夫なはず……。
俺は妙な自信を持って、口を開いた。
「あのさ……もう一個いいか? 俺、ずっとお前に聞きたかったことがあるんだけど」
「……え……?」
俺は意を決して、秋風を真正面から見つめた。
「お前、なんで俺のことを避けたんだよ?」
「……!!」
「高校生の時。急に……」
「……」
「中学の卒業式までは、普通だった。高校に入ったばかりの時も、連絡はたくさん取ってた。だけど、一年の夏休みくらい? から、そっけなくなっ……、た、ような、気が……する…………じゃん……」
今更怖くなってきて、どんどん語尾が細くなってしまう。
(だめだ。怖気づくな……!)
俺は目に力を入れ、頑張って秋風を見つめ続けた。
そして、力強く問うた。
「なぁ、なんで?」
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