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第2章 精霊条約書
魔道竜(第2章、53)
しおりを挟む乾ききらない頬の湿り気。
指先からこぼれた砂。
なんとも遣る瀬無い打ち沈む心は重く、邪蛇の残した置き土産がいまや重圧となってティアヌにのしかかる。
そんな重い足をひきずりながら、手頃な岩をさがし腰をおろす。
その瞬間、ドサリッと積み荷をおろしたかのような重い音が右から左へ流れた。
が、それはどこか人事のように耳を通過し、鈍い痛みは痛みと認識できなかった。
次いでそっと手の平に包みこんだ手にあまる運命に目を落とす。
手にした黄金の果実はこの上もなく良い芳香をはなち、口にする人を待ちわびている。
「人の身の限界……か」
小さな嘆息をもらす。
願わくば人でありつづけたかった。この身の果て、終をむかえるその時まで。
母の叶えられなかったただ一つの願い。それはティアヌの願いにもかさなる。
好いた人と白髪のはえるまでともに、という夢はこれで露と消える。
『女の幸せはねティアヌ、好いた人と共に生きること。
いつかティアヌにもそれがわかる日がくるわ。
それまで母さんがそばにいてあげられたらいいのだけど……』
母は生前゛幸せ゛だと言っていた。
限りある命のなかで、誰かを愛し、その人の帰りを待つ喜び。
『―――幸せになりなさい。
幸せはね、誰にでもひとしく与えられているものなのよ。
それを感じられるか否か、それだけのことなのよ。
だから母さん、幸せよ―――』
そう言って夢見る少女のようにはにかみ、鮮やかなまでに破顔してみせた。
それは父を愛する母の、女としての幸せを如実に物語るものだった。
………お母さん。それでも゛幸せ゛なんて私には思えないよ。
お母さんの言う゛限りある命の幸せ゛は私の運命のなかに含まれてはいなかったみたい。
ティアヌは手にした果実に力をこめる。
「こんな物ひとつで私の運命が決まってしまうわけ? 冗談じゃない。それでも幸せだと笑えるほど私は大人じゃないわ」
ティアヌは無理に笑おうとして失敗した。
その表情に翳りをおびる。
瞳には満々と雫をたたえ、それは重みにたえかねティアヌの頬をぬらした。
「あれ?? あれれ……なんで止まらないわけ? ……止まりなさい……止まりなさいってば……」
乱暴に袖口でぬぐう。けれど一度堰をきってしまえばもはや止めるすべはない。
幸せは誰にでもひとしく与えられているものならば、この世から不幸は根絶しているはずだ。
それでも不幸は根絶にはいたらない。
幸せって母の言うとおり、幸せを幸せと感じられる形なき光のようなものなのかもしれない。
心という深淵に一筋の陽光がさしこまれる。
それを温かいと感じるか、それともただの光と感じるか、それだけの違いなのかもしれない。
『幸せになりなさい』
母はささやかなものにこそ幸せは宿るのだと気付かせたかったのか?
それは今となれば尋ねるすべはない。
けれども、確かにこの世にはどんなことにも必然性があり、偶然などないのだ。
これは運命という名の呪詛。それがたまたまティアヌには『大神官』であり、『禁断の魔道士』だった、それだけのことなのかもしれない。
「先に進むためには人の身をすてなくてはならない、か。
運命ってホント残酷よね」
ヨッこらセッ、と妙な掛け声にあわせ立ち上がる。
立ち上がりざま、地鳴りが洞窟の壁といわず地表をふるわせた。
ティアヌはその場に膝をおる。
「ぇ……ちょっ……まさか……地震?? 嘘でしょう!?」
これはもしや、噴火のはじまる兆候か?
ティアヌはつぶさに辺りを見回す。
「ない……。嘘…でしょう?」
どこに消えた?
聖木はいずこかに姿を消していた。
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