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初心者のための魔法の設定講座

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 この小文は、アルゼンチンの作家、ホルヘ・ルイス・ボルヘスのエッセイ集『続審問』
中の「書物崇拝について」、1977年にブエノスアイレスで行った講演を元にした『七つの夜』という本の第六夜「カバラ」を下敷きにしています。興味を持たれた方は原本の方も参照にしていただきたいと思います。
 さて、私は物語に使われる魔法について、特にゲームや映画などの説明に多くの描写をかないメディアに出てくる魔法について、ほぼ共通の土台となるものを前述した本の中に見つけたように思います。まずはその内容を簡単に説明しましょう。
 紀元前八世紀ころ、ギリシャでアルファベットが発明され、当時活躍していた天才詩人ホメロスの詩が、ホメロスの歌っているのを聞き書きして(そう、その頃の詩は歌われるものでした)残されました。この、現存する中では世界最古の詩を皮切りに、様々なテクストが書物として残されるようになっていきます。
 しかし、それまで口伝えに言葉や考えをやりとりしていた人間にとって、書物は会話の代用品でしかなく、本の書き手はこちらが問いただしたくとも返事をしてくれないといって、欠陥品のように扱っていました。哲学者のプラトンは、この欠点を克服しようとして、登場人物同士が読者の代わりに質問を投げかけ合う、対話で作られた書物を書きましたが、多くの思想家が書物を書くことを嫌いました。
 ピタゴラスは議論によって自分の考えに縛られずに思想が発展していくよう願って、クレメンスは「全てを書物に書き記すことは、子供の手に刀を委ねるようなものだ」(『絨毯じゅうたん』)といって、イエスは「聖なる物を犬に与うな。また真珠を豚の前に投ぐな。恐らくは足にて踏みつけ、向きかえりてなんじらをみやぶらん」と語って。
 書物は会話の代用品だったので、人々は言葉を声に出して読んでいました。四世紀末に、決定的な変化が起こります。その事をキリスト教の神学者、聖アウグスティヌスが『告白録』という書物に書き残しています。ボルヘスの本から孫引きしてみましょう。「ものを読むとき、アンブロシウスの眼はページの上を移動し、声も出さず口も動かさないのに、魂は意味を把握した」。聖アウグスティヌスが、ミラノの司教聖アンブロシウスの弟子だった384年の出来事です。つまり、誰もが音読で本を読む中、初めて黙読を発明したのです。
 当時のキリスト教は、聖書をより正しく理解するための研究として過去の書物が読まれ、また信仰を広めるために使う書物を筆写して残したりやしたりして、消費と(再)生産を行う一大組織だったので、その中で書物に対する新しい接し方が生まれたのは必然だったのかもしれません。
 千年に渡って、声の代わりでしかなかった書物は、声を使わない読み方によって声帯のくびきから離れて異なる価値を与えられていきます。ドイツの文化哲学者オスヴァルト・シュペングラーによると、イスラム教徒にとって書物の母であり世界が生まれる前から天上にあったという『コーラン』が、魔術的な書物の始まりとしています。アラビア語で書かれたにもかかわらず、それはアラビア語の生まれる前から存在する神の属性の一つとされています。
 そんな『コーラン』の持つ魔術的な要素がユダヤ教徒に取り入れられ、カバラと呼ばれる学問が始まります。カバラ学者によると、聖書は聖霊によって霊感を吹き込まれた作者によって書かれたものである。三位一体さんみいったいと言われ、神の送られる力である聖霊は、無限の知性を備えた万能の存在であるので、聖書には使われた単語、その文字の一つ一つには偶然の入り込む余地が無い。
 どういうことかといいますと、人間が文章を書くときには様々な同じ意味を持つ単語の中から相応ふさわしいと思うものを使います。私、俺、自分、何が最も似合う言葉なのだろうか、と考えて選んでいきます。他の言葉を使っても意味は変わりません。階段と書いても、きざはし、としても同じものをします。完成した文章に使われた単語の連なりは、たまたま、偶然に生まれたものといえます。
 ところが、全知全能の存在によって書かれた文章には、そのような偶然は存在し得ない。全ての単語は使われるべくして使われたものであり、他の単語を使ってはならない理由がある。文字の並びには全て聖霊の意図が込められていて、その正しい文字の連なりを正しい抑揚よくようで口にすることで世界は作られた。カバラ学者はそう考えたのです。
 更に、カバラでは神が天地創造の道具としたのは声で発せられる音ではなく、二十二のヘブライ文字と一から十までの数字だとします。先の声に出して使われる言葉がありそれを記す文字が生まれたという歴史に反して、初めに文字があったと考えたのです。聖書の冒頭には「神光あれと言ひたまひければ、光ありき」とありますが、光はまさにこの光あれという命令の文字の力によって生まれたのです。
 その考えが発展していき、聖書にある文字はたとえ一文字なりとも意味を与えられていないものは無い、あるところにある(例えば)aの文字は、その場所にあることに意味があるのだ、となりました。
 過去も未来も全てを把握はあくしている全知全能の存在が世界を創る時の全てを明かした書物。全ての単語が、文字が、なにがしかの意味を与えられている本。カバラ学者たちは、聖書の中に明記されていない秘密を追い求めます。光あれ、という文字によって光が生み出されたように、様々なものを生み出す神のごとき力を使うために研究が始まります。単語の文字数はどうか、音節はどうなっているか、ヘブライ文字の持つ特性に照らし合わせそれぞれの対になる文字を使ったらどうか。こうして研究されていくことも、全知全能の存在ならば全て見通していらっしゃるはずだから、何かしらの答えは用意されているはず。
 こうした研究の結果、ある伝説が生まれました。
 1580年、ハプスブルク家の宮殿があるプラーグという町のゲットー(ユダヤ人が強制的に住まわされた地区)で、ユダヤ教のラビ(律法りっぽう学者。律法とはユダヤ教における聖書、正確にはモーゼ五書の呼び方)レーウェ・ユダ・ベン・ベザレルが、カバラの考えへと導く原典『セフィール・イェツィラー(創造の書)』の助けを借りて、神がアダムを作ったように、赤い一塊ひとかたまりの土から生命体、ゴーレムを作り出しました。
 この伝説では、ゴーレムは十三年間生きましたが、ある安息日に生命の護符を取り外すのを忘れてしまい、ゴーレムはユダヤの禁を犯して町を闊歩かっぽし始めました。レーウェはゴーレムが乱暴を働くことを恐れて元の土くれに戻したということです(渋澤しぶさわ龍彦たつひこ『夢の宇宙誌』参考)。
 別の伝説だと、みだりに唱えてはならないといましめられていたために正しい呼び方が失われてしまった、神を示す四文字「JHVH」……神聖四文字(テトラグラマトン)……の正確な発音によって、粘土で作られた人型に生命が宿り、ゴーレムになりました。その額には真理を意味する「emeth」という単語が記されます。ゴーレムが成長し、やがて額に主人の手が届かなくなると、主人は靴のひもを結ぶよう命じます。ゴーレムが主人の前へ屈んだ時、目の前にあるゴーレムの額に息を吹きかけ、「emeth」の第一の文字アレフを消し去ります。すると、残った「meth」の文字は死を意味します。ゴーレムはちりとなって消えてしまうのです。
 様々なゴーレム伝説から着想を得たチェコ生まれの作家グスタフ・マイリンクが幻想小説「ゴーレム」(1915年刊)を書き、私たちの知っているゴーレムという存在の元となりました。
 こうして聖書は、正しく理解すれば神と同じ力を手に入れることができ、人の手でも生命を創造できると信じられるようになります。十七世紀、哲学者フランシス・ベーコンは著書『学問の進歩』の中で、神は二冊の本を与えてくださったと書きます。一つは聖書、もう一つは被造物すなわちこの世界です。聖書を知ることによって世界のことわりを知り、また世界の仕組みを理解することで聖書によって示された神の意志を見ることができるのです。
 かつては会話の代用品、悪人に知恵を与えることになるかもしれないとかろんじられてきた本という存在が、宇宙に等しい価値を持つ存在にまで高められたのです。レオン・ブロワによれば、私たち人間もそれぞれ、その中の単語もしくは一つの文字です。聖書の文字のように、世界の中で神のみが知る役割、隠された意味を与えられた存在だというのです。
 以上が冒頭に記したエッセイの要約になります。
 ある書物に書かれた文字を正しい抑揚で口にすれば、光を、火を、水を、知恵を、その他あらゆるものを生み出すことができる。これこそ、私たちが持っている魔法のイメージではないでしょうか。
 こうしたイメージは、テレビに接続して遊ぶテレビゲームによって広まったのではないかと思います。ゲームの専門家ではないので正確かはわかりませんが、更にさかのぼるとキリスト教に近しい欧米のTRPG(プレイヤーがゲームマスターという役割の人間の元に集まって、主に会話で進めていくロールプレイングゲーム)で、このカバラの考えを設定として取り入れ、それが日本に輸入され、同じゲーム業界であり当時は黎明れいめい期だったテレビゲームの世界に導入されたと考えれば、日本でこのカバラのイメージが定着した理由が説明できるように思われます。
 会話のやりとりという性質上、短い言葉で表現しないといけないTRPG、画面という小さな空間の中に行動の選択肢として短い言葉で魔法の一覧を表示する必要のあるテレビゲーム。両者の求めるものにぴったり当てはまったのが、カバラの神の力の使い方だったのではないでしょうか。
 人々の頭の中に、イメージとして固まっているものは、多くを説明しなくてもよいので使いやすいです。呪文を唱える、という描写や、魔法の書を開く、という文章を見ると、読者は自分がすでに持っている魔法のイメージで書かれていない背景や設定を補完ほかんし、納得するのです。その背景の部分、魔法の由来や来歴をにおわすことができれば、より魅力のある物語世界を感じてもらえるようになります。それは例えば、魔法の書の名前とか、呪文に使われている言語などだったりしますが、そこへこの小文の内容をぜひ役立ててください。これは誰かの創作ではなく、史実なので、著作権などは無く、盗作にはなりません。歴史を勉強する意義の一つはここにあると思います。
 無限の知性によって書かれた絶対的な書物、文字の力によって生まれた世界、正しい抑揚よくようで唱えると発現する神の力、絶対書物を解く鍵となりこの世の全ての秘密へと至ることのできる暗号法、暗号の存在を示唆しさする経典きょうてん、暗号を解いた者が生み出した怪物、読み方の失われた神の名前、これらのディテールはあらゆる人が参照できる、人類の共有財産です。
 設定を固めたいと考えているならば、カバラのパロディを作ってみるのはどうでしょうか。一部を改変したり、カバラの他にも存在する魔法のような存在の要素を組み合わせていくと、他には存在しないオリジナルな設定へと変わっていきます。カバラの考えのように、その魔法の設定を世界観の中心に据えると、現実世界との違いが強調できるでしょう。

 私たちには全く馴染なじみの無い遠い国の、千年以上も積み重ねられてきた神秘的な思想の教養を、たとえ架空のものとして閉じ込めて現実にはあふれ出てこないとしても、これほど多くの人がある種の常識として知り得ているというのは、考えてみればとても奇妙なことですね。


参考文献
岩波文庫「続審問」
岩波文庫「七つの夜」
岩波文庫「語るボルヘス」J・L・ボルヘス 著
河出文庫「夢の宇宙誌」渋澤龍彦 著
講談社学術文庫「古代ギリシアの歴史」伊藤貞夫 著
中公新書「贖罪のヨーロッパ」佐藤彰一 著
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