神霊さんの不協和音な三兄妹、それと周りの人たち

砂樹

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第一章

12 憂いる夜と杏色の三つ編み

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 幸せだと、思った。

 何があっても兄がそばにいてくれる。

 兄が拾った女の子は少女の目から恐ろしい邪霊を排除してくれる。

 その上、毎日おいしい物を食べられて、安心できる寝床がある。

 笑い合えて、ぬくもりがある。

 魔物討伐は大変だけど、嫌じゃない。

 借家が壊されたことも、借金を背負わされたことも、実のところ、どうでもいい。

 けれど。

 ふと、我に返って、幸せしか見えなくなっていた自分が恐ろしくなる――。





 シシャルに名乗った名前であり冒険者名でもある『カユシィー』は、本名ではなく、本名の略称や愛称でもない。
 芸名の類でもない。身も蓋もなく言ってしまえば、偽名だ。

(お父様、今頃何をしているのでしょうか)

 こっそりと登った屋根の上で、少女はたった一人、星空を眺める。

 別に、星を見るのが好きなわけじゃない。
 他人の目がないなら昼の空でもかまわない。

 実家がある場所からも空は見える。
 同じ空の下にいる。
 それを感じたいだけだ。

(あの女がやってきてから、一度でも、お父様も幸せを感じられる瞬間はあったのでしょうか。あの女を愛していると語るお父様の顔を、あの恐ろしく無機質な作り笑いを、死んだように無機質でよどんだ瞳を、棒読みにさえなっていない平坦すぎる声を、わたしは、忘れることができません)

 少女は、五歳の時、当時執事だったドレに連れられて実家から逃げ出した。

 命の危険を感じたから、そうする他に道はなかった。





 少女はこの国で有数の名門神聖貴族の長子として産まれた。

 政略結婚だったからか、母は無理矢理別れさせられた恋人に心を寄せたままだったからか、父の理想の女性像と母の乖離が激しかったからか、両親の仲はいまいちだったが、二人とも娘を心から愛してくれていた。

 母と恋人との息子だという少年ドレが執事として屋敷で働いていて、少女は彼に無邪気になついていた。
 彼のそばにいれば邪霊がいつもより遠くに行ってくれるから、便利な存在扱いもしていた。

 彼は彼で、少女の専属執事という立場を利用して母に甘えて、いや、母が娘の専属執事という立場を利用して彼を常に側に置いて溺愛していたのか。
 彼は徹頭徹尾真面目な仕事人だった。
 少女が神殿入りする可能性を考慮した上での教育にも熱心だった。

 父は母と執事の様子に複雑なものを感じていたようだが、母が執事にかまいっぱなしの時は娘をかわいがりつつ貴族の後継候補としての教育をしてくれた。

 少女の実家は領地持ちだったから、父や側近に連れられていろんなところを見て回り、大人とも子供とも交流していた。
 後継者になるか神殿に入って聖女候補生活するかは、妹や弟がいつ産まれるかどんな才能を持つかにかかっているらしいが、当時一人っ子だったのもあって後継者候補として動くことが多かった気がする。

 領民たちは生き生きと仕事をしていた。
 大怪我や難しい病気をした時は、借金扱いにはなるが領のお金で治療してもらえて、決めた年数かけて借りた額をそのまま返すだけでいい作りになっていた。
 少女が産まれてからは飢饉になるほどの不作はなかったが、そういう場合のための整備もしてあることを、父が自慢げに話していたから知っている。

 領地は暗黒の森に近いが豊かで、森の魔物が万一にも外に出て被害を出さないように警戒する以外はそれほどの苦労がない幸せな土地に見えていた。

 貴族としての将来も有望で、未来への期待を抱いていた。

 まあ、多少のいびつさはあったにせよ、幸せな家庭だったと思う。

 神殿で何か異変が起こり、元聖女候補の母が神殿に呼び戻されるまでは。



(お母様はお父様のことを一応は心配してくれていますけど、何かしてくれる気配はないのですよね。立場が立場で、動きようがないのは分かるのですが)

 両親のどちらも好きだからこそ、もどかしく思う。

 神殿に戻った母の立場は複雑だ。
 強い力を持ってはいるが、権力は持っていない。
 神殿に戻された時点で離婚が成立したために、かつての嫁ぎ先への発言力もない。

 父のために何かしてほしいと思うと同時、無理をしなくていいとも思うのだ。

(やはり、あの女を倒してお父様を助けるためには、お母様頼りではなく私自身が力を蓄えるしかないのでしょうが)

 あの女。
 それは、父の再婚相手。

 どうして離婚後即再婚の流れになったのかは、当時五歳だった少女にも、当時執事だった兄にも分からない。

 神殿か上位貴族からのなんらかの圧力だろうと兄は推測していたが、証拠はない。

 分かっているのは、父が進んで再婚相手を探したわけじゃないことと、恋愛結婚ではないことと、家の発展のための政略結婚のようでいてそうではなかったことだけだ。

 相手側だけ利益を享受しているのかも分からない。

 あの女と父は、結婚当日まで面識がなかったらしい。

 父はあの女の名前を知っていたし、顔も知っているつもりだったが、顔を合わせた瞬間に別人と気付いたという。別人のことを彼女と認識していたのだそうだ。

 今思えば、洗脳される前の父の発言の中にも、いくつもの違和感があった。

 かつて会った人物が偽者なのか、嫁いできた女が偽者なのか、ただの記憶違いなのか。

 真実がどうであれ、今実家を乗っ取って牛耳っている女を排除しなければどうにもならないことだけは、間違いない。

(あと何年かかるのか。それまでお父様が無事でいてくれるのか、帰る家が傾いていないのか、わたしの居場所が残っているのか……)

 もしも父とあの女の間に子供が産まれていたら、あの女を排除できても問題は解決しない。
 むしろさらなる問題に発展しかねない。

 物心つく前の子供であれば、傷つかないように配慮しつつ母親の実家に引き取らせたりどこかの養子に出したりしようもあるが、年を食えば食うほどに扱いが難しくなる。

 父が洗脳されていることに気付くかどうかと、それに対してどう感じてどう考えてどう行動するかと、立場に執着するかどうかは別問題。

(洗脳魔術を解くだけであれば、術をかけた者以上の実力者の解呪で対処できるでしょうが、警備の関係上、お父様のもとに術者を連れてたどり着くのも困難でしょうし……。あの女を物理的に排除すれば解決するような簡単な問題でもないのですよね)

 実家から逃げなければならなくなった日からずっと、あの女が憎い憎いと繰り返してきたが、奴は表面で一番大きく見えている敵に過ぎないと今は知っている。

 洗脳に限らず精神操作系の魔術はほとんどが禁忌指定なのだ。
 どんな権力持ち貴族だろうとそう簡単には手を出せない。
 単独犯であるはずがない。

 父を救い実家を取り戻すには、そこら辺の背後関係も知らなければならないのだ。

(無理矢理自白させる魔術も、精神操作の一種だから禁忌なのですよね……。なんかふわふわ様なら知っていそうな気がしますけど、教えてと言って教えられてもそれはそれで後々困りそうですし……)

 黒幕が首尾よく分かったとしても、何ができるかは相手の権力次第。

 なんでもかんでも物理でごり押しできるほど、貴族社会は単純ではない。

 とはいえ、大抵のものは金で解決できるのもまた事実。

 金じゃどうにもならないのは死者の命と感情くらいなものである。
 でもって、貴族は死者の命や感情より金と利権とお家存続を優先するものだ。

(結局お金で解決が一番楽そうなんですよね。やっぱりもっと切れ味ある剣がほしいですねぇ……。装甲トカゲ斬り刻めたら相当稼げるんですよねー……)





 屋根を下りて家の中に入ると、台所兼食卓の隅に立つ兄の姿を見かけた。

「わたしを待っていてくれたわけじゃないですよね」

「別件だ。情報収集をしていた」

 念話で遠方の父親から様々な情報を仕入れられると聞いたことがある。

 実際、この場にいるだけでは知り得ない情報を、彼はたくさん知っている。

「お父様の近況も、分かりませんか?」

「あいにく、俺が把握できるのは俺の両親が知り得た情報だけだ。あの二人、能動的に動く方でもないからな、場所はいいのにいまいち情報が集まらん」

「あー……。いつも二人の世界にいるんでしたね。わたしのお父様は大変な目に遭っているというのにいちゃいちゃとしているのでしたね」

「いや、真面目に情報収集につとめたとしても、あの人たちが頼りになったかは。俺の母親はカユの母親でもあることを思い出してくれ」

「あ……、あぁっと、うぅ、すみません忘れてました」

 兄と少女は似ていないが、兄と母も似ていない。
 兄妹そろって父親似で、父親が違うものだから、当然と言えばそうなのかもしれないが。

「お母様を頼りにするのは、いろんな意味でダメでしたね……」

 少女は実母のおっとり具合を知っているので否定できない。
 策士とは言い難いから、絡め手で情報を得るのも不可能な気がしてならない。

 兄の父の方も、兄による散々な寸評を聞いているせいで期待できない。
 ヒモだとかとろけてるとか母に養ってもらってるとか、そんなんばっかり聞かされたら、ホントはすごいと言われても信じられる要素が微塵もない。

「父親が心配なのは分かるが、無謀なまねはしないようにな」

「言われなくとも、今はこつこつお金を貯めて着実に足場を固めるしかないと、分かってはいるのですよ。分かってはいるのですけどね……」

 ぽそり、と、小さな音を立てて兄の胸板に顔を押しつける。

「ドレ。頭、なでてください。そしたらお休みします」

「ああ。良い子だからもうお休みしような。ちゃんと温かくして寝るんだぞ」

「はーい。おやすみなさい」

 寝室に入る。

 部屋の端ではシシャルが闇精霊の男の子を抱えて眠っていて、そのそばでは元使い魔が転がって眠っている。
 最初の頃のシシャルは近くで何か動くたびにびくりと目を覚ましていたが、今は熟睡できるようになっている。

 おかげで、こっそり寝室の出入りをしやすくなってしまった。

 少し遅れて兄が部屋に戻ってきて、カユシィーを真ん中に三人で雑魚寝になる。

(あの頃とは違うけど、今は今で悪くないのです。それが、申し訳なくって……)

 心の内に気付いているのか、兄がそっと一度だけ頭をなでてくれた。

 幸福と罪悪感にさいなまれながら、目を閉じる。

 明日も魔物討伐だ。ぐっすり眠って早起きしなければならないのだから――。
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