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第一章 蓼科で生活環境をつくる魔女
第13話 魔女、茅野市街地に降り立つ
しおりを挟む蓼科高原は茅野市の北東に位置する。
そしてその茅野市は、長野県の南信と呼ばれる地域の東端だ。
「高原とは景色が全く違いますね」
「天気も違うようだ」
「下に行けば行くほど暑くなるよ。全国的には標高が高い市町村なんだけどね、それでも暑い」
「天気は一日でころころ変わるんだよー」
高原では土砂降りだったが、少し降りると晴れ間が見えていた。
3人と一匹は車に揺られながら、少しずつ町の方へと下りていく。車窓から見える景色の中に、人工物が増え出す。
「凄い、凄いです! 何ですかあの建物!?」
「ラクス王国どころか大国オリヴィエントも霞むぞ……信じられニャい」
見下ろした市街地の様子に、エスティとロゼは興奮しきっていた。
日向はその姿を楽しんで見ていた。まさか異世界人が初めてテレビを見て「何だこの箱」と驚くような事態が自分の身に起きるとは。
「ふふ、面白いねお父さん」
「そうだね、新鮮な気分だ」
「あ、野良猫カップル」
「何!?」
土手の下で、野良猫2匹がイチャイチャしていた。
「ぐおおぉ! 憎い!!」
猫らしからぬ表情で、ロゼは嫉妬を全面に出して怒りをあらわにした。
「こらロゼ、欲望むき出しですよ」
「そうは言うが、我はかなり我慢をし……あー、マタタビにゃー!」
エスティはそんなロゼを弄ぶ。
そうこうしているうちに、車が停車した。
「着いたよ、ここだ」
◆ ◆ ◆
店内には陽気な音楽が流れている。
そして目の前にはテレビやエアコンが沢山ある。ネットやテレビでこういったお店は見ていたが、実際に来ると現実感が無い。まるで夢の中にいるようだ。
「すごい、洗濯機もこんなに沢山……見て下さい日向、あっちには冷蔵庫までありますよ! 何ですかここは!!」
「ふふ、驚きすぎ」
オッドアイとなったエスティの左目が爛々と輝く。エスティには、家電の全てが魔法のように思えていた。視界に映る何もかもが興奮材料だ。
「お父さん達は1時間ぐらいかかるから、ゆっくり見て行こう。何が見たい?」
「あれが気になります!」
「あ、走ると危ないよ! 左目、大丈夫なの!?」
日向の洋服を着たエスティが、まるで子供のようにはしゃいで走っていった。
帽子を被っているから多少目立たないが、それでもエスティの非現実的な美しさは隠しきれない。エスティとすれ違う人の多くが、エスティに目を奪われていた。
「ん゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
「エスティちゃん!!?」
「き゛も゛ち゛い゛い゛!」
そんなエスティはマッサージチェアに座り、強さ最大でブルブルと震えながら笑っている。でも、買う気が無いのに座るのは良くない。
「……ふぅ。最高に楽しい」
「使いこなしてるのが凄いね。ところで、エスティちゃんは自宅に何が欲しいの?」
「えぇと、そうですね……」
欲しいものは沢山あった。
指折り数える。
「照明、掃除機、洗濯機、エアコン、調理場一式、テレビ、パソコン、ネット、電話、日向の電動自転車、空気を綺麗にするやつ……あとお風呂やベッドなどの家具でしょうか。さっきの椅子も欲しくなりました」
指が足りなくなった。
「うわー……まさに一通りか。というか調理場一式やお風呂って、めちゃくちゃお金かかりそう」
「それ以前に、水回りも無いんですよね」
「じゃあ、今日はカタログだけ持って帰ろうか。ネットでも注文できるし」
この紙が無料で貰えると言うだけも、エスティは内心で驚いていた。物を大事にする国だというが、紙は浪費されている気がしなくもない。
木々が多く存在する世界だからだろう。ネクロマリアでは森すら珍しいという事を、エスティはふと思い出した。
「ところで日向、あれは何と読むのでしょうか?」
「あれはね――」
そうして日向に案内してもらいつつ、カタログを集めた。
気が付けばあっという間に1時間が経過し、日向の携帯に迎えの電話が鳴った。
エスティは人目を気にしながら、カタログを時空魔法で空間の中へ収納する。この場所は蓼科高原ほどの魔力は感じないが、それでも雑草や街路樹などからは魔力を受け取る事が出来るようだ。
車に乗り込むと、ロゼが恨めしそうに聞いてきた。
「――エス、どうだった?」
家電量販店がペット入店禁止のため、ロゼは成典の用事に付き合っていた。ロゼも入ってみたかったのか、少し拗ねている。
「いやー最高。最高の一言です。家電一つでもネクロマリアの生活が変わりますよ」
「そうか。むぅ、ずるい」
「あ、エスティちゃん。そういう商売をすれば?」
日向のその言葉で、エスティが固まった。
二人は目を合わせる。
「日向は天才ですか……!」
「はは、でもすぐに疑われそうだね。森の中の家に届けた大量の家電が無くなる不思議、みたいな?」
「うーん。魔法の存在を公表せずに目立たせない方法か……じゃあお父さん、倉庫を借りるのはどう? ネットで注文してそこに預けてもらうの」
「それなら大丈夫かもね」
この空間魔法が無い世界では、物を運ぶ時はわざわざ大きな車で輸送しているのだ。
「余裕が出来たら、一つ送って様子を見てみます。そもそもネクロマリアには電気が無いので、家電が使えるかも分かりませんし」
「その前に、お金を貯めてからだな」
「そうですね」
そして、車は家に向かって山を登り始めた。
雨雲は既にどこかへ流れ去っており、蓼科山や車山方面は山頂まで綺麗に眺める事が出来る。
日向は眠そうに船をこいでいた。
エスティは日向に寄りかかられながら、窓の外を眺めた。
――のどかな風景だ。
自分はまだ夢の世界にいるのかもしれない。蓼科に血痕など、どこにも存在しない。ネクロマリアの人々や魔族を連れてきたら、この美しい景色で浄化されたりするのだろうか。
運転席に座る成典が、ふと思い出したように口を開いた。
「ごめん、二人とも。ちょっとだけ自在農園に寄ってもいいかい?」
「おっけー」
「自在農園?」
日向が言うには、農家が収穫した野菜や地元産品を並べて売るバザーのような場所らしい。パンの製造で足りなくなった野菜や、笠島家で消費する野菜などはここで購入しているそうだ。
なだらかな高原を5分程進むと、その場所へと辿り着いた。
車を降りて、軒先の野菜を確認する。
「あ、これ凄く甘いトウモロコシじゃないですか?」
「我の好きなトマトもある」
エスティは建物全体を見渡した。
ここは、この地域に別邸があるような、余生を楽しんでいる高齢者などが多く訪れるそうだ。
美味しい野菜を食べ、温泉に浸かり、家で読書したり友人と出かけたりする。悠々自適という言葉が相応しい、理想的な老後の生活だ。
すれ違う人は会釈して微笑みかけてくる。ここがラクスなら、目が合っただけで自分の筋肉をアピールしてくるはずだ。
「……文化の違いとは、不思議なものですね。まるで貴族です。生活水準は圧倒的にこちらが上ですけど。野菜も甘さが違いますし、魔力もあります」
「そうだな」
「あ、エスティちゃん。そういう商売をすれば?」
日向のその言葉で、エスティが固まった。
二人は目を合わせる。
「またしても天才ですか……!」
「はは、まとめて仕入れるなら知り合いの農家を紹介するよ。こっちを転売する方が家電よりもよっぽど手早いかもね」
「パンが売れるのですから、野菜も売れます。まずはトウモロコシからいきましょう」
転売という方法で金策に目途が立った。
だが、興奮していたエスティは肝心な事を見落としていた。
「ところで、エスティちゃん。向こうのお金ってこっちで使えるの?」
「……あ」
振り出しに戻った。
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