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第一章 蓼科で生活環境をつくる魔女
第24話 【貯水用弁当箱】・庵の怪しげな追加機能
しおりを挟む【貯水用弁当箱】は高級品だ。
兄弟子が送って来た魔石の中で、最も大きな石を使用した一品物。ただ『水を保存する』だけの空間に、エスティは青いインクで多数の魔法陣を書き込んでいた。
「それ、結構凄い物じゃないの?」
笠島家のキッチンにて、陽子は【貯水用弁当箱】の内容を聞いて驚いていた。
「全然ですよ。凄く適当に作ったので、いつ壊れるか分かりません」
「おいエス、冗談はよしてくれ……」
「『水漏れしないで』『壊れないで』『水しか入れないから大きくして』の魔法陣を青インクでいっぱい重ねただけです。それを時空魔法で魔石に焼き付けたんですよ。明日には爆発してるかもしれませんね、ふふ」
「笑い事じゃないだろう!」
長い付き合いのロゼには分かった。エスティのこの顔は、明日爆発してもいいやと思っている顔だ。
だが、実際に【貯水用弁当箱】を管理するのは難しかった。
空間魔法使いが作る空間の中には、【弁当箱】を入れる事が出来ない。魔法陣が狂ってしまい、中身が壊れてしまうからだ。
同じように【弁当箱】の中に他の魔石、たとえば【貯水用弁当箱】は入れる事が出来ない。つまりこの水爆弾は家のどこかに置いておく必要があった。
「あ、あんまり沢山入れない方がいいんじゃないかしら、エスティちゃん」
「むぅ、お母さんがそう言うなら」
「ふふ。いい子ね」
「えへへ……お母さん」
微笑ましい光景だが、ロゼは気が付いた。
釈然としないが、自分が忠告するよりも陽子や成典が忠告した方がエスティは聞き訳が良い。
ロゼは恥じらいながら、陽子を見た。
勇気を振り絞る。
「よ……お母さん。もっと言ってやってくれ」
「ろ、ロゼ!?」
「あらぁ、ふふ!」
◆ ◆ ◆
エスティが家に着く頃には、空が茜色に輝いていた。この庵から見える空は狭いが、それでも美しいオレンジ色が木々の隙間から覗いている。
エスティは外に取り付けたタンクに、水を補給する。
庵は日当たりが悪く、鬱蒼としていた。
「あの高い木々、さすがに切ったらダメなんでしょうかね?」
いかにも魔女の家の雰囲気を醸し出しているが、洗濯物を干すことを考えると少しは日光が欲しい。
タンクに水を補給し終えたエスティは、各蛇口を捻って水が出るかを確認していく。
「エス、そっちはどうだ?」
「ちゃんとトイレも流れました」
「あとは風呂か」
「そうですね。確認ついでにお風呂に入っちゃいましょうか」
ガラガラと浴室の扉を開くと、エスティが4人ぐらい浸かれそうなほどの大きな浴槽が姿を現す。
「浴槽が大きすぎて頻繁には沸かせませんね、すぐにタンクが空になりそうです」
「贅沢せず、使いすぎないようにな」
エスティはシャワーを浴び始め、ロゼは湯舟に浸かる。
「やはり、風呂は最高だ」
ロゼは気持ちよさそうに溜息を吐いた。ほんの数秒前に贅沢するなと言っていた猫と同じだとはまるで思えない。エスティは何も言わずにシャワーで髪を洗い続けた。
「ところでエス、この蛇口は何なのだ?」
「あぁ、それは温泉用ですよ。もし外の温泉を使っていいとなったら、この配管を使って外の温泉を引いてくるんです」
「なるほど、温泉の内風呂か」
「はい」
外が荒れた天気の時用に作っておいた配管だ。特に蓼科の冬は水が凍る事もあるらしく、高温で湧き続ける温泉は貴重だった。
エスティは湯舟に浸かり、ロゼを抱える。
「庵もかなり充実してきましたね」
「だな。当初の目的は達成したのではないか?」
「確認してみましょうか」
やりたい事を成すため。
済 ①一定額の資金調達
済 ②水回りの改築(資材と魔道具集め)
③兄弟子への返済と、笠島家への謝礼
済 ④家具の設置
済 ⑤電気を通して家電を購入
済 ⑥ネット回線開通
⑦温泉の整備
「③は終わりがないので除外しましょう」
「そうなると、残るは温泉だけか」
「えぇ。まぁこれは連絡待ちの状態ですから、住環境は十分整ったという事でいいでしょう。折角なので、庵の追加機能を見てみますか?」
「ん、追加機能?」
エスティは風呂から上がり、さっと服を着た。そして濡れた髪のまま、リビングの壁にある庵の魔石に触れる。
《魔女エスティの庵》
【庵の主】 エスティ
【家屋】 木造平屋
【術式】 《魔女の庵》《設計魔図》
【追加機能】《改築》《整備》《解体》
《高度な追加機能》
【周辺環境】
「ほらここ、《高度な追加機能》というのがあるんですよ」
「エス、悪いが我には見えぬ」
「あ、そうでした。読み上げますね」
【高度な追加機能】
《防水》《防腐》《防火》《防虫》《魔法陣変更》《植物の生育速度調整》《動物の生育速度調整》《不可視化》《幻影化》《移築》《浮遊》《ゴーストを雇う》《持ち運ぶ》《時空間化》《防壁化》《時間転移》……
「――待てエス、ちょっと待て。庵にそんな機能を付けれるなど、聞いた事が無いぞ。バックスの資料にも載ってなかった」
「でも、現にあるんですよ」
生育速度調整?
時空間化?
どう考えても普通じゃない。
ロゼは以前から不審に思っていた。この庵を作った時の魔法陣の数や複雑さや、エスティの左目の事。どれも文献に記載されていないようなイレギュラーな事象だった。
次のバックスとのやり取りで、何か情報が必要だ。マタタビを使用されては手も足も出ない。ロゼにはエスティを動かせないようにする楔が欲しかった。
「エス、迂闊な事は避けるべきだ。その左目だけでは済まなくなる可能性もある」
「でもこれ、押せば必要な材料が出てきますよ」
「……何?」
「例えばこの《ゴーストを雇う》だとレイスのローブ、《浮遊》だとドラゴンの内臓結石、あとは……」
ネクロマリアで聞いた事のある素材。それに、この世界の素材が必要な場合もある。希少な素材が必要なようだ。
「んー。レイスは実体が無いですし、ドラゴンの結石なんて滅茶苦茶珍しい物じゃないですか?」
「最初から諦めろと言っているようなものだな」
「でも《防腐》や《防虫》は素材さえあれば手を出したい所です、ふむふむ……」
エスティは興味深そうに魔石を触り出した。
その反面、ロゼは落ち着かなかった。
行動的なエスティは、動いてしまう。
「――この家の住環境は整ったのだ、次はゆっくりと温泉を待てばいいだろう。何も無理をしてエスがドラゴンを狩る必要は無い」
「凄い、何で分かったんですか?」
「エスを止めるのは我だからだ、はぁ」
呆れたロゼはキッチンの蛇口を器用に捻り、水をペロペロと飲む。
そして水を飲み終えてから、ロゼはある事に気が付いた。
「そういえば、排水はどうなっている?」
「お、ようやくその質問が来ましたね。見に行ってみますか?」
エスティは魔石から離れ、今度はトイレへと向かう。そして、トイレの床マットの下に隠されたハッチを開いた。
「いつの間にこんなものを」
「ふふ、悪の組織っぽくていいでしょう?」
梯子を降りた先で、エスティは壁にある照明のスイッチを押した。明かりが照らされたそこは、リビングほどの広さのある空間だった。
「これぞ、庵の地下ピットです!」
「ピット?」
「配管などを点検する場所ですよ。本来はこんなに広い必要が無いらしいのですが、この庵はちょっと違います」
仄暗い照明に照らされた部屋は、床壁天井の全てが石でできていた。そして天井からは何本かの配管が下りており、それが部屋の一か所に集まっている。
「このタンクがこの家の排水の合流地点です。さっきのお風呂の水もここに来るんですよ。よくできているでしょう?」
そう言って、エスティは自慢した。
だがロゼは気が付いた。このタンクから先、水の行き場がなくなっている。これでは貯まる一方だ。
「どうやって水を抜くのだ? エスの摘んだ花束はどうなる?」
「ちょっと、品が無いですよロゼ! まぁ言いたい事は分かります……これを使うのです!」
エスティはポケットから【弁当箱】を取り出した。
そして笑顔でロゼを捕獲する。
ロゼは理解した。
汚水を【弁当箱】に吸い上げる。
地雷を踏んだ。最悪の汚水処理方法だ。
エスティはロゼを抱きかかえたまま、タンクへと近付いて行く。
「運命とは残酷ですね」
「おい馬鹿言うな。冗談だろうエス。やめろ風呂上りだぞ、やめるんだおい!」
「あ、ちょ、暴れないで下さい! 死ならば諸共ですよ!!」
【弁当箱】がタンクの水面に近付くにつれて、ロゼも水面に近付いてく。
「お゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛――!!」
「ごうずるじがないのでず!」
何が死ならば諸共だ。
エスティはロゼにこっぴどく怒られた。
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