地上を創った僕らが、今そこにいる

モデル.S

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プロローグ

明日僕らは神になる。

夜の風が、冷たい。
 頬をかすめたとき、ようやく自分が汗ばんでいたことに気づいた。
 額に貼りついた前髪が重たく感じる。ついさっきまで、モニターの光に焼かれながらコードを睨み続けていたせいだろう。

 

 久我太賀は、両手をポケットに突っ込んだまま、小さな神社の鳥居をくぐった。
 住宅街の隅、コンビニと古書店の間を抜けた先にある、古びた社。
 誰に紹介されたわけでもない。地元民ですらその存在を知らないほどの、小さな祠のような場所。
 けれど太賀にとっては、ここが"定位置"だった。

 

 風に揺れる木々の音。
 足元の小砂利が、歩くたびにシャリ、シャリと音を立てる。
 今この瞬間、この空間に存在しているのは、自分だけ――そんな錯覚すら覚える。
 太賀は立ち止まり、社の前に立った。

 

 数年前からの習慣だった。
 転職してから特に、ここへ来る回数は増えていた。
 「願うなんてダサい」と思っていた頃もある。
 だけど、現実はシンプルじゃない。
 神頼みすらしてみたくなるくらい、今のプロジェクトは――重い。

 

 ゆっくりと深呼吸をして、鈴を鳴らす。
 カラン、カラン。
 音が夜に溶けていく。街の喧騒も届かない、静かな空間。

 

 賽銭を投げ入れ、手を合わせる。

 

「……どうか、無事に終わりますように」

 

 たったそれだけ。
 祈りに言葉を重ねるのは苦手だった。
 気の利いた願いごとなんて思いつかない。
 ただ、今日この日を超えるために。明日をちゃんと迎えるために。
 ここに来て、そうやって息を整えることが、久我太賀のやり方だった。

 

 目を閉じたまま、ふと肩の力が抜けていく。
 深く吐き出した息が、白く夜に消えていった。
 今夜は、いつもより静かだ。空気の密度が変わった気がする。

 

 ――カラン。

 

 ……もう一度、鈴が鳴った。
 いや、鳴らした記憶はない。風も吹いていない。
 なのに、確かに音がした。耳鳴りのように、頭の奥で反響する。

 

 太賀は目を開けた。
 暗い社。誰もいない。
 境内にも、鳥居の先にも、人影はない。

 

「……気のせいか」

 

 呟いて、苦笑する。
 神様が本当にいるなら、こんな無茶な仕事を引き受けさせたりしないだろ。
 それでも、祈ってしまうのは――
 自分が、弱ってるからかもしれない。

 

 ポケットの中で、スマートフォンが震えた。
 通知アイコンには「チームスレッド更新」の文字。
 社を背にしながら歩き出し、画面を確認する。

 

《[PFW-dev]:システム最終チェック完了。ログエラー0。正常終了。》
《CEO、明朝9時に来社決定。各自スーツで対応を》
《伊織:神様っているんだな!》
《白瀬:非科学的。寝ろ》
《蜂須賀:明日、俺のベルグリムのテスト来るか……?》
《久我:神様にでも祈っとけ。》

 

 ふ、と笑った。
 ほんの数分前に、自分がそれをやっていたことを思い出しながら。

 

 夜の道を戻る。
 遠くで猫が鳴いている。コンビニの白い光が、日常の世界へ引き戻してくる。
 明日、すべてが終わる。
 プロジェクトは完了し、報酬も、評価も、約束されるだろう。

 

 それでも、心のどこかがざわついていた。
 終わるはずのプロジェクトが――何か、始まりそうな気がして。

 

 空を見上げた。月は一つ。
 けれど、彼の脳裏には、別の空が浮かんでいた。
 三つの月が、静かに浮かぶ、魔力に満ちた異世界。

 

 明日、僕らは“神になる”。



翌朝。
 久我太賀は珍しくスーツを着ていた。
 ワイシャツのボタンが喉元にまとわりついてうっとおしい。
 ネクタイは適当に結んで、鏡も見ずにオフィスへ向かう。


 アップルポップ社。世界最大のパソコンメーカー。
 その本社ビルの地下10階――一般社員が絶対に立ち入れない隔離エリアに、プロジェクト『PFW』の中枢があった。

 
「おはよう。あら、意外とちゃんとしてるじゃない」

 
 白瀬詩織が無表情で声をかけてきた。
 彼女はいつも通り、白衣を羽織っている。スーツの上に。まるで正装だとでも言わんばかりに。
 長い銀髪を三つ編みにし、黒縁メガネ越しに太賀を見つめる視線は、静かだが鋭い。


「……白衣やめたら?」

「これは正装。設計者としての」

「いや、今日は来賓対応だぞ」

「神へのご挨拶に礼服は必要でしょ?」

「自分が神じゃなかったのかよ」


 二人の会話に、あからさまな足音とともに乱入してきたのは、伊織仁だった。
 相変わらずのラフなジャケットに、襟がよれたTシャツとジーンズ。手にはコーヒー。
 髪は寝ぐせ、ヒゲは整えていない。


「おいおい、神様に会うのにその格好かよ。
 せめてネクタイくらい締めたらどうだ、諸君?」

「お前が言うな」
 

 久我と白瀬が同時に突っ込むと、伊織は爽快に笑った。
 彼の笑顔は、プロジェクト最中はほとんど見られなかった。
 それだけ、この日が――「終わりの日」だと皆が実感していた。


 そして、最後に現れたのは蜂須賀爆人。
 寡黙で、いつもモンスター設計資料のタブレットを手放さない、筋肉質な青年。
 今日も何も言わずに手を軽く挙げて席につく。
 ツナギの上に黒いジャケットを羽織っているあたり、たぶん彼なりの正装なのだろう。


 時間はまもなく午前9時。
 足音と共に現れたのは、白いスーツを着た男――CEOだ。
 言葉は少ないが、その場にいるだけで全員の空気が引き締まる。


 巨大なドーム型のシミュレーションホールに、天井からスクリーンが現れる。
 そこに映し出されたのは、「惑星PFW」。
 三つの月を持つ、緑と青の球体。太陽と衛星の動き、雲と風、気候と大気。


「……君たちは、本当に神になったんだな」


 その言葉が、ゆっくりと空間に響いた。
 誰も笑わなかった。ただ、静かにその言葉を受け止めた。


 開発開始から3年。
 1000台のスーパーコンピューターが常時稼働し、数億行のコードが世界を刻んできた。
 設計された魔力は、空気中に偏在する演算可能エネルギーとして定義され、
 言語構文と感情値をトリガーに魔法へと変換されるシステムとして運用されている。


 各種族は、地形・環境・遺伝子・文化要素から最適進化ルートを選び、
 宗教、戦争、哲学、交易、階級制度までが動的に変動する。


 プレイヤーは存在しない。
 全てが“自走する世界”。
 我々の設計が、我々を必要としなくなったとき――それが、完成だ。


 視察は1時間で終わった。
 CEOは満足げに頷き、最後に一言だけ残して立ち去った。


「これからは、君たちが“外”の神になる。
 中には、誰もいないのだから」


 外の神。内の世界。
 それを聞いた太賀の脳裏に、ふと昨夜の祠のことがよぎった。
 あのときの鈴の音、声のような囁き。


「……まさか、な」


 プロジェクトは完成した。
 残されたのは、メンテナンスと観測だけ。
 この部屋には、もはや“何も創るもの”は残っていない。


 でも、太賀は――奇妙な違和感を覚えていた。


 まるで、終わりではなく、始まりを迎えたような気がしてならなかった。


 そしてその夜。
 久我太賀は、もう一度あの神社を訪れた。
 いつものように、鈴を鳴らし、手を合わせる。


「これで終わり、ですよね?」

 
 祈りは、言葉にならなかった。
 でも、何かが答えた気がした。
 風もないのに、髪が揺れた。

 
 そして、彼の意識は――深い深い闇へと沈んでいった。



目が覚めた瞬間、まず違和感に気づいたのは空気だった。湿っていて、重く、草の匂いがする。シミュレーションルームの人工的な空気とはまるで違う。

「……んだよ、これ……」

久我太賀はゆっくりと身体を起こした。背中が痛い。硬い地面、そして柔らかい草。視界には空が広がっていた。青く、どこまでも澄んでいる。だが、違った。そこに浮かぶ“月”――それが、三つあった。

「……本当に……」

言葉にならなかった。青い月、赤い月、銀白色の小さな月。それぞれが異なる軌道でゆっくりと回っている。この天体構成。間違いない。自分たちが作った世界、PFW。

「どういうことだ……?」

草の上に立ち上がる。風が吹いた。肌に触れる感触が生々しい。現実の皮膚感覚。仮想世界のインターフェースではありえないレベルのリアリティ。これは――中に入っている。

いや、そんなバカな話があるか?そもそもこんな機能はない。VRすら使っていない完全シミュレート世界だったはずだ。意識ごと転送するような技術、アップルポップ社にもない。だが、それでも。太賀は理解していた。

「転移……ってやつか……?」

そうとしか説明がつかない。誰かがこれを仕組んだ?いや、違う。あの神社で祈ったとき、風もないのに鈴が鳴った。あの感覚――あれが始まりだったのだ。

「……ステータスオープン」

無意識に、口が動いた。

視界に、浮かんだ。

《NAME:久我太賀(Kuga Taiga)》
《RACE:人間族》
《LEVEL:1》
《HP:110/110》
《MP:57/57》
《STR:12 INT:24 AGI:10 DEX:18》
《SKILLS:なし》
《CLASS:未設定》

まさに、PFWの仕様通り。太賀は硬直した。ゲームではない。これは“自分が設計した世界”で、“自分がプレイヤーキャラ”になっている。

「……まさか……いや、あれも試したんだったな」

ふと、三日前の会話を思い出す。

――“もし俺たちがこの中に入っちゃったら、どうする?”
――“プロパティコマンドでも作っておく?”
――“それ、デバッグ用で仕込んでおくか。冗談で”

「……プロパティ」

もう一度、口に出す。

すると、ステータス画面の端に小さなウィンドウが出現した。
《開発者モード:管理者プロパティ》
表示されたウィンドウには、無数のデータフィールドが並んでいた。だが――

「ほとんどが、グレーアウト……」

環境制御、魔力濃度、時空パラメータ、文明進度、モンスター出現率――全て変更不可。唯一アクティブな項目は、“自分のステータス”のみだった。

《LEVEL:1》→(編集可)
《SKILL LV:未習得のため変更不可》

試しに“2”と入力してみる。エンターを押すと――

《レベルを2に変更しました》
《ステータス自動調整:完了》

「……冗談で作った機能が、実際に動いてる……」

背筋が冷たくなる。これが使えるということは、“本当にこの世界に来てしまった”ということだ。太賀は地面に座り込んだ。

「これが、祈りの結果なのか……」

誰が望んだ?自分か?神か?それとも――

草むらがざわめいた。視線を上げると、獣のような影が木の陰から現れる。四足。灰色の体毛。牙が長く、目が赤く光る。PFW内初期モンスター――グレイウルフ。

「……おいおい、いきなりかよ」

距離を取る。石を拾う。だが手が震える。現実の“死”が存在するのかは分からない。だが、この痛みは確かに本物だ。

「……動くな……」

一歩、二歩とグレイウルフが近づく。喉から唸り声が漏れる。太賀は呼吸を整え、石を構えた。

「テストだ……これは、テストだ。設計通りかどうか……見極める」

そして――獣が跳んだ。

「……テストだ……これは、テストだ。設計通りかどうか……見極める」

そう自分に言い聞かせながら、太賀は視界に浮かぶ“プロパティ画面”を操作する。
恐怖よりも、システムを確認したいという衝動が勝っていた。
今はただ、あらゆる“想定外”に備えるべきだ。

「レベル……100」

数字を打ち込み、決定を押す。
一瞬で画面が切り替わり、システムログが流れる。

《レベルを100に変更しました》
《ステータス自動調整:完了》
《筋力 +998》《敏捷 +877》《魔力 +1200》……

「ッ……う、ぐ……っ!?」

突然、体中に電流のような衝撃が走った。
心臓が一瞬だけ暴れ、次の瞬間には身体が跳ね上がる。
視界が広がり、音が異様にクリアに聞こえる。風の流れ、草の擦れる音、獣の呼吸音――すべてが重く脳に叩き込まれてくる。

「……ちょ、ま、なにこれ……っ!」

足が勝手に動いた。バランスが取れない。
筋力が跳ね上がったせいで、たった一歩が跳躍になり、視界が一気に数メートル上がる。
着地。足裏が地面を砕くような衝撃。その場で転げ、草の中をゴロゴロと転がった。

「これ、やばっ……スピード、反応、全部速すぎて制御できねえ!」

目の前。グレイウルフが跳躍してくる。鋭い牙。空中で口を開き、太賀の喉元を狙って一直線に――

反射的に、腕が動いた。
意識より早く、身体が勝手に反応する。
拾っていた石が、風を切りながら獣の顔面を打ち抜いた。

「……ッ!?」

獣が空中で弾かれ、悲鳴のような鳴き声を上げて地面に叩きつけられる。数度、痙攣し――動かなくなった。

太賀は、しばらくその場で呼吸だけを繰り返した。
視界が揺れ、手が震える。興奮ではない。
自分の身体が、自分の意思を超えてしまったことへの、本能的な恐怖だった。

「……これが……レベル100……? たった今、俺が“設定した”強さ……なのに……」

勝てた。
だが、“操作”して勝ったわけじゃない。
勝ったのは、設定に沿って勝手に強くなった“器”だった。
自分という存在は、その器の中でただ流されていただけだ。

太賀は、震える手で草を掴んだ。
現実に触れようとするように、地面を強く握る。
感触、匂い、痛み――どれもが、シミュレーションにはない現実の情報量を持っていた。

「これは……もう、戻れないのかもしれないな……」

ふと見上げた空。
三つの月が、静かに回っていた。
どこかで、風鈴のような音が、また聞こえたような気がした。
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