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第3章

第18話 数多の思惑

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 相変わらず、大急ぎでこしらえたような安っぽい雰囲気の会議室では、ダニエルを始めとした面々が深刻な顔で頭を抱え込んでいた。報告書と新聞の一面記事には自身たちが差し向けた生物兵器…新聞では怪物と称されていたそれが倒されたことや、主犯の二人による抵抗が原因で戦闘が勃発し、2人は結果的に死亡してしまった事が書かれていた。

 会議室正面の扉が開くとノーマンが入ってきたが、これまでのどんな時よりも冷めきった表情をしている。

「「ベヒモス」と…ナイトクラスの「ミュルメクス」を2つも借りておきながらあっさり鎮圧されたそうだな」

 ダニエルにそう話しかけるノーマンは、開いた口が塞がらないとでも言うかのように落胆していた風だった。

 ダニエルが言い返すより先に傷を持つノイル族の男がノーマンに前に立つ。

「よく言うぜ。本当は失敗作を押し付けただけなんじゃねえのか?ああ?」
「やめろサッチ…確かに俺の責任だ」

 挑発するように噛みついた傷を持つノイル族はダニエルに牽制されると不満げに席に戻った。

「マハトシリーズやミュルメクスの持つ性能とポテンシャルは、エドワード・ライクへの襲撃を始めとしたあらゆる戦いで証明済みだろう。何にせよ…私は少し君たちに期待しすぎていたようだ」

 ノーマンからの失望の声にダニエルは彼が自分達と手を切るつもりなのではと内心焦っていた。しかし、続くノーマンの言葉は彼の予想とはかなりズレていた。

「私達の資金源となっているグリポット社…彼らにも協力を要請したよ。幸い傭兵稼業も請け負っている連中だ。私が生み出した兵器達を優先的に使わせてやると言ったら、喜んで申し出てくれた。協力するもよし、どちらが先に獲物を取るか競うもよしだ…好きにすればいい」

 そう言い残しながらノーマンは部屋を出ていく。ダニエルも兵器取引や傭兵派遣組織としてのグリポット社の評判はたびたび耳にしていた。もし噂通りであるとするなら、こちらに協力する可能性も低い。ダニエルが頭の中で思考を巡らせながら次の一手を模索していた時、ベンとシェイが戻ってきた。そしてダニエルに新しい報告があると伝えた。

「どうやらヘブラスの息子を連れている連中は内陸へ向かっているみたいだ。おおよそ、こちらの動きがさほど活発じゃない場所へと向かうつもりだろうな」

 そういったベン達からの報告を聞いたダニエルは小さい注射器を一本だけ自分に刺すと、溜息をついた。

「…分かった。とりあえずは奴らを追跡する必要がある。至急向かえる事が出来る奴らを集めて追いかけるんだ。武器や手段は選ばない…なんならミュルメクスやマハトシリーズも使え」

 ダニエルからの指示に老人はすぐさま外部と連絡を取り命令を下していた。サッチは手段は選ばないという言葉に胸が高鳴るのを感じていた。

 サッチはダニエルに近づくと、こっそりと話しかける。

「ダニエル、どうせ他の連中はまだ準備に時間が掛かる筈だ。一足先に行っても構わないか?」

 サッチの顔は先ほどまでノーマンに噛みついていた時の様な辛気臭かった雰囲気とは別人のように生き生きとしている。

「トゥーノステも一件も恐らくこいつらが関わっているはずだ。敵は強い…決して油断するな」

 ダニエルがそう言うと、サッチは「任せとけ」と豪語して意気揚々と部屋を出て行った。


 ――――雲一つない青天と山脈に囲まれている景色の中、ジーナ達は店に備え付けられているテラスでミルクセーキを飲みながら寛いでいた。遠くではシモンとルーサーが牛の乳搾りに挑戦しているようで、二人で騒ぎながら牛の周りにたむろしている。

 彼女たちがいる場所はディチランド地方と呼ばれる地域にある牧場であった。古くから畜産が盛んであるこの地域は大小様々な市町村で構成されているこの土地は、牛以外にも多くの家畜や動植物の管理が行われており、バビロンにおいて名の知れている農業地であった。地域の規模自体はジーナ達がいたオルスト地方よりも大きいが、大半はのどかな田舎であるため避暑地や隠居する際の候補にも選ばれることが多い場所である。

 シモンとルーサーがくたびれた様子で外から戻ってくる頃には三人とも二杯目を頼んでいた。シモンとルーサーも同じテーブルを囲み、追加で何品か注文をする。

「随分と楽しんだみたいだな」
セラムはジョッキを持ちながら笑った。

「ああ、良い気分転換になった。たまには童心に帰るってのも良いもんだ」

 シモンはそう言うと、運ばれてきた飲み物をウェイターから受け取ってルーサーと自分の前に置いた。

 しばらくは全員で談笑していたが、ルーサーとセラムがトイレに行ったため、話題はまた違うものに変わった。

「やっぱりノーマンは私のボスの襲撃現場に立ち会っていたと思う?」
ジーナは二人に疑問をぶつけてみた。

「学者だぜ?現場にはいただろうが、自分で体を張れるほどタフな野郎には見えなかったがな…少なくとも俺の記憶の限りは」

 シモンは能天気にそう言いながらジョッキに入った残りを飲み干し、すぐに追加を頼み始めた。

 一方でジーナは真剣に考えているようですぐに自身の見解を伝え始めた。

「アイツは確かに私の仕事仲間の名前を知っていた。末端の連中の情報なんていちいち集めないだろうし、現場にいて他の連中が名前を言っていたのを聞きもしない限りは無理でしょ?」

 ジーナの話を聞いていたレイチェルは、トゥーノステシティで遭遇した怪物に変身した子供を思い出した。

「ねえ、あの子供よ!あなたとセラムが戦ってた…あいつの力がノーマンによって作られたんなら、ノーマンも何か似た様な力を使えるとか。そういう可能性ってあるんじゃないかしら?」

 レイチェルからの問いに懐疑的な目をシモンは向ける。自分の体を実験台に使うような真似をする理由が全くと言っていいほど考え付かなかったためであった。

「気でも狂うか、切羽詰まっていない限りはやらないだろう…そんな体になったとして何の得になる?」

 疑問を呈したシモンは椅子にもたれながら天井を見上げる。何の得にもならない体になってしまっている張本人を前に、ジーナもレイチェルも会話が続かなくなり黙ってしまった。

 セラムとルーサーはトイレから戻って来ると、真剣に何かを考えているらしい3人を不思議そうに見てから席に座った。ちょうどその時、店番らしき男が彼らのテーブルまで来ると申し訳なさそうに尋ねてきた。

「寛いでいるところ悪いが、ハト婆って人を知っているかい?電話が来てるんだ」

 なぜ自分達がここにいる事が分かったのかなど謎も多かったが、シモンは受付に向かっていくと受話器を取った。

 最初こそ笑顔で話をしていたシモンだったが、やがて顔から笑みが消えて真剣な顔で話を聞き始める彼の姿が四人の目には写っていた。

「あぁ…分かった。あんたも気を付けてな」

 シモンはそう言うと受話器を返して、テーブルに戻って来る。席に着くと、他の面々に対して深刻そうな顔をしながら簡潔に伝言を伝えた。

「まずは良い報せ、ハト婆が新しい依頼を紹介してくれた。そして悪い報せ…敵が増えた」


 ――――とある街のレストランの一室では、ノーマンが向かい合って1人の人物と食事を取っていた。時折照明によって照らされる金歯が目立つその男は意地汚く食事を貪りながらノーマンに語り掛ける。

「…つまりその子供を生け捕りにして、他の連中は皆殺しってわけか」

せせら笑いながらその男は、ステーキを口へ運び続ける。

「その通り、その対価として私が開発したミュルメクスやマハトシリーズを必要なだけ貴方がたにもお渡ししよう。そして今後新しいものを開発でき次第、そちらも優先的に提供する」

 ノーマンがそう言うと、男は満足げに笑った。

「しかし、良いのか?あんたもディバイダ―ズとかいうテロリスト達を飼っているんだ。我々が手柄を横取りすれば彼らから恨まれてもおかしくない」

 男は食事を平らげるとグラスに注がれたワインを一気に飲み干し、適当な場所にそれを置いた。相変わらず下品な男だとノーマンは内心小馬鹿にしていたが、悟られないようにいつもの調子で話を続ける。

「私としては目的が達成されればそれでいい。誰がやるのか、そいつらにどんな事情があったとしても問題じゃない…それに、私をどうかしたところで彼らは損をするだけだ」

 ノーマンからの返答に男は再び笑みを零すと席を立ち、近くにいた部下と共にその場を去ろうとする。ノーマンは去り際に彼を少し呼び止めた。

「ディバイダ―ズの情報が本当なら、恐らく一筋縄ではいかない筈だ…高をくくっていると痛い目を見るかもしれん」
「ご心配なく。「驕らず、徹底的に」が俺のモットーでね。では、御機嫌よう…」

 そう言って男は部屋から出て行った。一人残されたノーマンはワインのグラスを手に持ち眺めながら、微かに口角を上げた。
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