フェイト・オブ・ザ・ウィザード~元伝説の天才魔術師は弾丸と拳を信じてる~

シノヤン

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十章:不尽

第76話 余裕

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 再び始まった殴り合いだが、先程とは様子が違っていた。その身をもって威力を把握したクリスは、両拳を顎の付近へ近づけて構えを取る。そしてフットワークと上半身の動きを使ってギャッツによる猛攻の回避に徹していた。ボクシングで使用されるピーカブースタイルである。とにかく顔への攻撃を防ぐ事に集中し、ボディへの攻撃に対してはステップや短距離の瞬間移動で補った。

 その体躯故に打撃が大振りになりがちなギャッツの攻撃の合間を縫って、胴体へ拳を叩きこむがやはり怯むどころか、攻撃の勢いはさらに増した。

「これだけやって顔色一つ変わらないってのはショックだぜ…」

 距離を取って軽くジャンプをしながらクリスは言った。

「当然だ。痛覚を麻痺させてある」

 貴様の攻撃など痛くも痒くもないという自信を示すためか、ギャッツはご丁寧に答えてくれた。見計らったタイミングで間合いに入り、二人は拳や蹴り技を交えて一進一退の攻防を続ける。とはいってもクリスにしてみれば、真正面から防ぐことは出来ずに払い落とすか受け流すので精一杯であった。

「まずは…お返しだ !」

 肉弾戦の最中、ギャッツがパンチを空振りさせて胴体がガラ空きになった直後にクリスは真下からアッパーカットを放った。ガントレットによってマスクが破壊されると、人前では滅多に見せることの無い顔の下半分を曝け出す。

「俺より男前だったらどうしようかと思ったが、ホッとしたよ」

 クリスは息を切らしながら彼の惨たらしい顔を馬鹿にした。ギャッツは少し自嘲するように笑いながらクリスに詰め寄り、拳の連打を浴びせようとする。クリスがそれを躱した後にカウンターを叩き込もうとした直後、その拳がギャッツによって抑えられてしまった。

「しまっ―― !」

 読みを誤ったことを悔やもうとする前に、クリスは床へ薙ぎ倒されてしまう。そのまま追撃をかけるようにギャッツが拳を叩きつけて来た。クリスの顔面にパンチがめり込み、長引いていた戦いにとうとう耐えられなくなった床が音を立てて抜けてしまう。そのまま瓦礫と共に下の階へ落ちて行った二人は、落ちた先が厨房である事に気づいた。

「またここかよ…」

 先程、自分が始末した連中の屍はそのまま放置されていた。それに気を取られていた時、再びクリスの顔に衝撃が走る。立ち込める埃や煙の中で攻撃を仕掛けたギャッツの拳が頬にぶち当たると、そのままクリスは吹き飛ばされた。自分の体がぶつかったせいで石窯が割れ、その残骸の中へクリスは埋もれてしまう。

 ギャッツがさらに近づいてきた瞬間、クリスは隠し持ったレンガを彼の顔面に全力でぶつけた。ギャッツは突然の出来事に面食らってしまい、怯んだうえに目をつぶってしまった。その瞬間を見計らってクリスは一気に畳みかける。ホワイトレイヴンの防衛戦でも使用した瞬間移動による連撃を浴びせ、最後の一撃でようやくギャッツに膝を突かせることに成功した。

「ハァ…ハァ…クソが…」

 瞬間移動はしばらく使え無さそうだと体の疲弊具合で判断したクリスだったが、再び立ち上がろうとしているギャッツを見て悪態をついた。クリスも急いで立ち上がったが、攻撃に入る前に蹴り飛ばされて食器棚を破壊してしまう。

「ここまで食い下がれるとは大したものだが、この程度では…俺の命には届かん」

 ギャッツもそれほど余裕が無いのか、呼吸が荒くしながら言ってきた。食器の破片を体からどけながらクリスは何とか起き上り、構えを取って彼を迎え撃とうとする。その時、気の抜けるような音が盛大に響き渡った。

「…ん ?」

 何事かと思ったギャッツだったが、すぐにその音が鳴っているのはクリスの腹からである事に気づく。一方、本人はというと仕事が始まってから何も口にしてない事を思い出していた。

「腹が減っているのか…」
「…関係無いだろ。ほら、さっさと来い」

 聞くまでも無かったが、ギャッツは念のために尋ねて来た。気まずそうにクリスは茶を濁して挑発をするが、なぜかギャッツは構えていた手を降ろして背を向ける。

「なっ…!?」

 戸惑うクリスを余所にギャッツは荒らされた厨房を物色し始める。やがて落ちていたロースハムの原木を拾い、それを彼に投げつける。

「そんな物しかなくてな」

 そう言って近くの木箱から林檎を取り出してギャッツは齧りつき始める。三口もあれば平らげてしまうほどのデカい口で、片っ端から胃袋へ収めて行った

「遠慮するな。毒など盛ってはいない…休戦といこうじゃあないか」

 ギャッツは林檎を口の中で咀嚼しながら続けて言った。正直盛った所で死ぬ事も無いのだが、ギャッツから安全を保証されたクリスは彼の言葉に甘える。何を企んでいるのかと睨みながら、クリスはひたすらハムに貪りついた。

「こんな事で懐柔できると思ってるか ?」
「腹を空かしている者に飯を与える。珍しい事でも無かろう」

 口に物を入れながらクリスは威圧気味に話しかけると、ギャッツは聞く必要のない事だとあしらう。理由は分からなかったが、その瞬間のギャッツにはどこか得体の知れない父性が感じられた。相手側も一応は警戒しているらしく、こちらを見ながら目に付く食材を次々と口に運んでいる。

 あっという間にハムが無くなり、クリスは喉が渇き始めた。ふと戸棚を見れば何やら物々しい瓶が並んでいる。許可は貰っていないが棚のガラスを勝手に叩き割り、中にある瓶を取り出す。バーボンが入っていた。栓を抜いて琥珀色の酒に口を付けると、喉が焼けつくような感覚に襲われ、甘い香りとアルコールの風味が鼻を突き抜ける。

「…俺にも寄越せ」

 酒の強烈さを誤魔化すために、クリスは大きく息を吐き出す。そんな彼に対してギャッツは自分も欲しいと申し出て来た。再び戸棚から同じ品物を出したクリスは、それを彼に向かって投げつける。クリスとは対照的に、ギャッツは一気にすべてを流し込んだ。瓶を傾ける角度を一度も下げることなく飲み切り、立ち上がりながら瓶を床に叩きつける。クリスも残りを何とか飲み切ってから、空き瓶を近くの死体に向かって放り投げた。

「それじゃあ、まあ…」
「…続行だな」

 そう言いながら互いに近づいた二人は、僅かな間をおいて一斉に殴り掛かった。双方の拳が頬にめり込み、一斉に倒れそうになりながら付近にある道具や台を引っくり返す。その騒がしい物音が小休止の終わりを告げた。
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