夢の渚

高松忠史

文字の大きさ
16 / 25

16 傘

しおりを挟む
諒太の家を出た瞳は目の前に海が広がる土手にチーリンを誘った。
西の空は既に陽が傾きかけ空と海を赤く染めている。
夏の夕方の心地よい風が海から吹いていた。
二人は夕陽を受け、海を正面に見据え土手に並んで座った。

「チーリンさん…私が礼を言うことではないかもしれないけど、さっきはありがとう…」
瞳は遠く海を見ながら言った。

「えっ?」

「あなたが機転をきかせてくれたおかげで諒太さん島を出ていくのを思い留まってくれたでしょう?」

「いえ…私は何も…
ただ、真田さんが毎日畑に出て汗流しているのを近くで見ていたものですから…」
チーリンは答えた。

「そう…
今から6年ほど前…諒太さんが島に来たとき…
それは酷い状態で見ていられなかった…
絶望のあまり可哀想なくらいやつれ果てていたの…」

「ご家族と同僚の方を津波で一度に亡くされたのですものね…」
チーリンは視線を落とした。

「ええ…お兄ちゃんがこのままじゃ諒太さん死んでしまうかもしれないって石巻にいた諒太さんを無理矢理美波間島に連れてきたの…
最初の頃は諒太さん…息をしていても死んでいるのと同じだった…
まるで魂の無い人形のようにね…

でも…少しずつだけど、この島で畑を耕したり、お年寄りと交流をはじめたり…諒太さん生き甲斐を見つけてやっとあそこまでになったのよ…」
瞳は目を細め当時を振り返った。

「私…怖いの…また諒太さんがあんな風になってしまうことが…」

「またってどういうことですか?」
チーリンは瞳の言葉の意味がわからず質問した。

「ねぇ…チーリンさん…あなたこれから先どうするの? 故郷へ帰るの?」
瞳はチーリンを見つめた。

「それは… 

まだわからないんです…」
チーリンはうつむいた。

「あなたには責任ある行動をとってもらいたいの…」
瞳は真剣な眼差しでチーリンの目を見つめた。

「えっ?」

「これ以上大切な人を失うようなことになったら諒太さんもう耐えられない…
だからチーリンさん、もし美波間島に残るつもりがないのなら諒太さんに深入りしないで…お願い…」

「そんな…
私が真田さんにとって大切な人だなんてことはあり得ないですよ」
チーリンは首を横に振った。

「ううん…何年も諒太さんを見てきた私にはわかるの…
あなたの存在が諒太さんにとって大きいものになりつつあるって…」

「まさか…?」
チーリンは瞳の話をにわかには信じられなかったが、瞳の表情は真剣であった。

「瞳さん…もしかして真田さんのことが…?」

「バ、バカなこと言わないの…
私はただ落ち込む諒太さんを二度と見たくないだけ…
さっき隣で聞いていてわかったでしょ?諒太さんの心の傷がどれだけ深いか…」
瞳は顔を赤くして答えた。

「…はい」

「実は私…オジーが病気で倒れるまで福岡のアパレルメーカーで働いてていたの。 だからモデルとしてあなたの活躍する姿はよく目にしていたわ…
前衛的な服もさり気なく着こなしてしまうあなたの実力は凄いと思った… もちろん女優として世界で活躍するあなたのこともね…

私…人にはそれぞれ居場所というものがあると思うの…そして役目も。
この島の人たちはみな貧しいけど、お互い助け合いながらみんな一生懸命自分の役目を果たしていると思うの。 さっきの諒太さんの言葉のようにね…

チーリンさん…あなたこの島にいて自分の役目はあるの?
人のために役に立つことができるの?」

「……………」

チーリンはうつむいたまま何も言えなかった。

「あなたは多くの人に夢を与えることができるじゃない…
きっとあなたを待ってくれるファンが沢山いるはず。
あなたはこんな日本の小さな島で燻っている人じゃないと思う…」

チーリンは返す言葉もなく目を閉じた。

はるか遠くの大海原の水平線に真っ赤な太陽が沈もうとしていた…



その夜、チーリンは眠ることができずに瞳の言葉を噛み締めた…

私の居場所…か… 
この島に私の居場所なんてないのかもしれない…
私に出来ることなんて…

なにも…

女優というだけで周囲からチヤホヤされることに慣れてしまっている自分がいる。
だけど…女優という肩書きをとってしまったら私は何なの?
私の存在価値って?
人のために役に立つことなんて何もできないじゃない…

私には…
何もない…

チーリンは悲しい気持ちになった。そして自分の無力さが情け無く悔しかった。
暗い部屋の布団の中から天井を見上げるチーリンは唇を噛み締め固く目を閉じると頭から掛け布団を被った。

チーリンはこの数週間、美波間島で暮らして様々なことを経験し、様々な人との出会いがあった。
チーリン自身、ここでの生活で心身ともに癒されたことも事実である。
しかし、その恩恵も島の豊かな自然と島の人々の無償の優しさがあったからである。
そして気付かぬうちにその優しさにいつしか甘えてしまっている自分がいる。
自分は島の人たちに何も恩返しができない…
そう思うとチーリンはいたたまれなかった。
一睡もできずに朝を迎えたチーリンは島を出る決意を固めた。

(また…逃げるの?…)
チーリンは自分の心の弱さに辟易し気持ちが不安定になっていた。

一方、諒太は海野が帰ったあとしばらく一人で静かな時間を過ごし心が落ち着いたのか穏やかな気持ちで朝を迎えていた。
もう虚ろな諒太ではない。
顔を洗っている時、ふいにチーリンから声をかけられた。

「真田さん…お話しがあります…」

「どうした?
そんな思い詰めた顔をして?」
チーリンの暗く沈んだ表情に諒太は気付き声をかけた。

「私… 私、島を…

チーリンが躊躇いながら何かを言いかけた時、けたたましく電話のベルが鳴り響いた。

「ちょっと待って…」
諒太は右手をあげチーリンの話を遮ると電話のある廊下へ急いだ。

電話は千鶴からのものであった。
第二子の出産を控えていた漁師 金城浩司の妻 亜矢子が出産予定の一月も前なのに急に産気づき、分校の保健室に運びこまれ陣痛に苦しんでいるという。 亜矢子は予定日の1週間前には石垣島の病院に入院して出産することが決まっていたのだが、今朝想定外に早い陣痛が始まってしまったのだ。
しかもタイミングが悪いことに美波間島の漁師たちは与那国島の漁師と協働で外洋にカジキマグロ漁に出ていて直ぐに戻れる状況ではない。
当然夫の浩司もその中にいる。
さらに経験豊富な産婆の清子オバーも今 島にはいないのだ。
隣の与那国島唯一の診療所の医師紀藤賢介が急遽こちらに向かっているという。

諒太はかいつまんで千鶴からの電話の内容をチーリンに話した。

「すまないが後で君の話は聞くよ」

「…はい…
わかりました…」
チーリンは元気なく答えた。

「君も分校に行くだろ?」
諒太は尋ねた。

「私も行った方がいいんですか?」

「うん?」
諒太にはチーリンが落ちこむ理由がわからなかったが、元気なく答えるチーリンの姿が気掛かりであった。

「私は真田さんみたいに何でも器用に出来るわけじゃありません…
私が行ったところで…」
チーリンは唇を真一文字に結んだ。

「そんなことはない。俺にも出来ないことは山ほどある。全然器用なんかじゃないさ」

「真田さんはどうしてそんなに人のために頑張れるのですか?
どうしてそんなに強いのですか?
私は貴方みたいに強い気持ちを持って人の役に立つことなんて出来ない…」
チーリンは今にも泣きそうな顔で視線を落とした。

「君は誤解している。俺は強くなんかないよ…弱い男さ…
未だに過去を断ち切ることすらできないんだからな…」
諒太は寂しそうに答えた。

「だったらなぜそんなに他人を思い遣れるの⁈
私にはわからない!
私には何もないんだもの…
私に出来ることなんて‼︎…」
チーリンは瞳に涙を溜めて大きな声を出した。

チーリンの突然の感情の昂りに少し驚いた諒太であったが優しい口調で言葉を発した。

「何もない人間なんていやしない…
現に昨日、君は行先を見失っていた俺にきっかけを与えてくれたじゃないか…
人は皆支え合って生きている。
どこかに君の力を必要としている人がいるんじゃないのか?」

「そんな人いるわけありません…
私にはそんな力もありません…
私には何も出来ない…」
チーリンは哀しそうな表情で諒太から顔を背けた。

「何も出来なくたっていいじゃないか…」
諒太はポツリと小さな声で呟いた。

(えっ?… 
何も出来なくてもいい?)
チーリンは驚いたように諒太を見据えた。

「世の中完璧な人間なんているはずがないんだ… 
結果なんてどうだっていい、
どんなに泥臭くても…
どんなにかっこ悪くてもいい…

自分に何が出来るかとか考える以前に俺はただ困っている人の傘になりたいと思っているだけなんだよ…
それに…人を助けたいと思う気持ちに理由なんかないんじゃないかな…
俺が出来ることなんてたかが知れてる…
でも後悔はしたくないんだ。
何もしないで後悔するよりやってみて後悔する方がずっといい…」
諒太はまるで自分自身に言い聞かせるように答えた。

「だけど…」
チーリンは視線を落とした。

「そんなに難しく考えなくてもいいんじゃないか? 
目の前に困っている人がいるのなら
助けたいと思う気持ちがあればそれだけで…
結果…その人の役に立ったかどうかは後の話しだ。
その気持ちを持つことが結果をだすことよりよっぽど大切なことだと俺は思う…

じゃあ俺は行ってくるよ」
諒太は優しげに口元を緩めるとチーリンの横を通り過ぎ玄関から出ていった。

(結果をだすことより目の前の困っている人を助けたいと思う気持ちが大切…?

あっ…
私…自分が周囲から認められたいということばかり考えていた…
自分の居場所なんて人から与えられるものなんかじゃない… 
自分からつくるものなんじゃないの…?
私…大事なことを忘れていたのかもしれない…
わたし…もう逃げない)

「待ってください真田さん!
私も行きます!」  
息を切らして走り諒太に追いすがったチーリンは声を上げた。

「そうか…君の判断に任せるよ」
諒太は振り返って一言だけ言うと再び歩き出した。

チーリンは思った。

(どうしてだろう…?
真田さんに話したら凄く気持ちが楽になった…
真田さん…私の愚痴みたいな話を苛立つこともなくちゃんと正面から向き合って聞いてくれた…)

昂ぶった感情を普段人に向かって出すことが出来ないチーリンであったが、思いの丈を吐き出す事が出来ていつの間にか気持ちのつかえがとれた感じがしていた。

真田さんだから言えたのかな?
…私にとって真田って…

チーリンは目の前を歩く諒太の大きな背中を見つめた…






しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
【3月中ーー完結!!】 私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 二十年の裏切りの果て、その事実だけを抱え、離縁状を置いて家を出た。 そこで待っていたのは、凍てつく絶望――。 けれど同時に、それは残酷な運命の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と縋られても、 死の淵を彷徨った私には、裏切ったあなたを許す力など残っていない。 「でも、子供たちの心だけは、 必ず取り戻す」 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔い、歪な愛でもいいと手を伸ばした彼女が辿り着いた先。 それは、「歪で、完全な幸福」か、それとも――。 これは、"石"に翻弄された者たちの、狂おしい物語。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...