サイコミステリー

色部耀

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54.父の回想1

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 俺と聖良が出会ったのはこの病院だった。中学を卒業する少し前。昔から体が弱かった俺は定期的に通院していた。その日は昼間から空は荒れ、雷の音が近く騒がしかったのを覚えている。

「怖いですか?」

 そう声をかけてきたのは聖良からだった。一人で待合室にいたところを、同じく一人だった女の子にからかわれるようにして話しかけられた。初めて交わした言葉だった。

「怖くないよ。雷くらいどうってことない」

「雷のことだなんて言ってませんよ? 私は診察結果が怖いから同じように怖がってる人と話がしたいと思っただけです」

 同い年の同じように体が弱い女の子。俺はそれまで年が近くて通院が必要なほどに体が弱い人と会ったことがなかった。だからだろう。仲良くなるのに時間は必要なかった。すぐにお互いのことをなんでも話す仲になった。
 そして二人揃って特殊能力支援校に入り、未確定能力者同士で常に一緒に行動するようになった。聖奈と真壁君のように。
 共通点も多かった俺たちは支援校時代に恋人同士になり、大学を卒業するまで関係は続いた。しかし大学卒業後、一度だけ別れを告げられたんだ。忘れもしないこの病院の待合室でのことだった。診察を終えた聖良は長い沈黙の後、意を決したように言った。

「別れましょう。あなたには私よりも似合う女性が必ずいます。私のことは忘れて欲しい」

 俺はその言葉を聞いて診察結果が悪かったのだと察した。でも、だからこそ俺はそこで聖良に伝えた。それから五年以上からかわれるとは思わなかったけれど。

「俺と結婚して欲しい」

 突然のプロポーズに驚いた聖良の顔は忘れられない。死が二人を分かつまでずっと共に生きたいと真剣だった俺を聖良は笑った。

「私よりも長生きしてくださいね」

 笑ってそんなことを言いながら俺の手を取ってくれた。

 実際に結婚してから、聖良は医者の見立てとは違って元気になっていった。そして聖良は娘を、聖奈を身篭ることができるまでになった。妊娠も出産も人並みに大変ではあったが大事には至らなかった。聖奈もすくすく育ち、俺はこのままいつまでも幸せな日々が続くのではないかと錯覚を覚えるほど毎日が楽しかった。
 そんな日々に終わりを告げたのは聖奈が三歳になった頃だった。

 聖良が風邪をこじらせて入院することになった。免疫力が低く、合併症などにもなりやすかった聖良は肺炎を患って人工呼吸器に繋がれるほどの重体になった。何年も病気もなく元気に過ごしていただけに、聖良のその姿は信じられなかった。本当に突然幸せが崩れてしまった。
 仕事も休暇申請をして聖良の隣で祈る毎日だった。しかし俺にはどうすることもできず、聖良はそのまま息を引き取った。
 俺は頭が真っ白になり、パニックを起こした。医者の隣で子供のように泣きじゃくった。しかし頭が爆発するかのような感情の奔流の中、唐突に理解した。まるで雷にうたれたかのような衝撃だった。脳に直接記憶を叩き込まれたかのような感覚だった。自分に何ができるのか、全てを理解した。
 俺の特殊能力が覚醒した瞬間だった。
 俺の特殊能力。それは『死んだ人間を一人だけ健康な状態で生き返らせる能力』だった。
 迷いは一切なかった。俺はすぐさまその特殊能力を使った。聖良を、妻を健康な状態で生き返らせた。しかし……

「えっと……あなたは誰ですか?」

 生き返った聖良を抱きしめた俺にかけられた初めての言葉は悲しい現実を突きつけてくる言葉だった。聖良は全てを忘れてしまっていた。

 それから聖良は記憶がないことに苦労しながらも俺の妻として生活を続けてくれた。聖良のことを知っているのは俺と聖良、この病院、それと政府の特殊能力管理部だけ。地域の人や親族にも俺の特殊能力によって聖良が生き返ったとは知らせなかった。
 それでも聖良は日に日に日常生活に溶け込んでいった。妻として俺に対する愛情があったわけではないだろうけれど、まるで死ぬより前と変わらないように接してくれるようにもなっていた。本心は分からない。けれど、努力してくれていたことは間違いない。そんな彼女を俺は愛していたし、大切に思っていた。記憶を失っても聖良は聖良だった。彼女が生き返ってからの十二年間で、俺は彼女に二度目の恋をした。
 産んだ記憶も失くしてしまった聖奈のことも、母として俺と共に育ててくれた。聖奈が俺よりも聖良の方にばかり懐いてしまっていたのは少しばかり寂しくもあったけれど、仲の良い二人を見ているだけでも俺は十分すぎるほどに幸せだった。
 記憶を失わせてしまったことに罪悪感はあったが、聖良はそんな俺にも優しかった。
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