未来からのメール

色部耀

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未来からのメール

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 今日は、高校三年生にとって特に重要とされる模擬試験の日。連日二日に渡って行われるそれの、今日は二日目――。

 二〇一六年七月一五日日曜日。

 受験を控えた高校三年生にとって、夏休みというのは最後の追い込みをかける最後の自由時間と言われている。この自由に使える約一ヶ月の間にどれだけ自分の学力を伸ばすことができるかが大学合格に直結するとさえ言われる程に。

 この模擬試験、開催自体は普段通う高校の自室で行われる。慣れた教室慣れた席。だからと言って時間ギリギリに来る必要もない。俺は普段の通学より余裕を持って教室の席に着く。試験開始時間より一時間も早い午前九時。誰も教室にはいない。

 試験前に簡単に問題集を見直しておこう――そんなことを考えての早出だ。

 カバンから薄い一冊の問題集を手に取る……その刹那、カバンの中で携帯の着信を告げるバイブの音が鳴る。

 ――電源を切っていたつもりなんだけどな……。

 もう一度電源を確認しておこう。いや、まだ試験前だし一応内容だけ確認しておくか。とはいえ、メールアドレスを知っているのは家族だけ。クラスメイトはLINEを使っているのでメールなんてしてくるはずがない。ともなれば、着信は携帯会社か家族、はたまた迷惑メールの三択しか存在しないというわけだ。

 受信メール一覧を開く――。当然新着メールは日付が最も新しいので一番上に来るのだが、それにしてもおかしい。改めて今日の日付を確認しよう。

 二〇一六年七月一五日日曜日。

 間違いない。学校のカレンダーも携帯で見ることができるニュースも、どこでどう確認しても今日は二〇一六年七月一五日で間違いない。なのに――。


「二〇二六年七月一五日ってなんだよ」


 しかも、送信者は自分――。携帯会社のサーバー故障か、誰かの悪質な悪戯か――。即座に削除しても問題はないと思われた。が、興味はあった。単なるバグなのかこんなに凝ったことをする奴が居るのか――開いた瞬間にウィルスに感染という危険性も頭にないわけではないが、好奇心が勝った。

 最悪の場合ウィルスだったとしても、携帯ごと処分して直ぐに契約を解除すれば問題ない。

 この知的好奇心をくすぐる事象に不干渉なことの方が俺にとっては問題だ。

 誰もいない教室――俺はそこで開いた千文字近い長文のメールにしばらく釘付けにされた――。

   ***

 今日は二〇一六年七月二〇日金曜日。今日は先日の模擬試験の結果発表の日で、この学校では残酷にも全校生徒の総合点と学内順位と全国順位が張り出される。

 その張り出しが行われる昼休み――俺は掲示板を見に行くことなく、教室で弁当を食べた後に一人で勉強をしていた。――模試の順位を今知る事に価値はない。後で試験結果は返ってくるのだから。


「学門が全国二位だってよ。やばいなあいつ」


「休み時間もずっと勉強してるだけあるよな。おい、全教科で一問しか間違わない秘訣とか聞いてこいよ」


「やだよ。話しかけるなオーラ出してんじゃん。無理だよ」


 他人からの羨望の言葉は正直なところ悪くない。全国一位だって難しいわけじゃない。今回は運が悪く一つ間違えたみたいだけれど――。

 しかし、問題はそこではない。いや、全国二位だったことと一問間違いだったことが問題なことには変わりないけれど、そう言う学力を測るとかそういった観点で問題があるわけではないということだ。

 模試当日の朝に届いたメール――。

 問題はそこにある。千文字も書かれた長文のメール、それがあの日からずっと俺を悩ませている。今日までは半信半疑だったが、信じるには十分――とまではいかないにしても、信じてみる価値はある程度存在するかもしれない。

 そのメールには、メールを過去へと飛ばす簡単な理論が書かれていたが、知ったところで技術的なものが完成するまで不可能だと思われた。実際には、現在進行形でメールのタイムトラベルに利用できる施設の建造が進んでいるようだけれど……。

 その理論というのも、本当に簡単で分かりやすいものだった。まず、宇宙の法則。これは単純に宇宙は自然には加算のみしか存在しない世界らしい。数学的な話だ。四則演算で言うところの加算のみ――というのだ。残りの減算、乗算、除算は自然には存在せず、この加算処理のみの為、時間は常に正軸の方に進むのだと。

 そして、十年後にようやく反物質が実用化。エネルギーであれば負のスペクトルを持つ反物質に一定速度に加速させてぶつけることで負の軸――つまり過去へと飛ばすことができる――と。エネルギー限定で負の乗算が可能になったからメールのタイムトラベルが可能になった――と。

 しかし、そんなサイエンスフィクションなことは置いておいてもいい。問題はその中身だ。

 タイムトラベル以外の内容を端的に示すと、二点に要約できる。一点目は模試の結果。どこの問題をどう間違って何点になり、全国順位が二位になる――というもの。そんなことを書いた理由は、単純に俺の信頼を勝ち取るためらしい。未来の自分がやると考えると些か滑稽だが、事実成功したといってもいい。

 二点目は、今日二〇一六年七月二十日に俺が何をしないといけないか――というものだ。指示は至って簡単で、帰りに近くのコンビニに立ち寄れ――というものだ。理由は告げられなかったが、その程度なら――と特に気にする必要はなく、従う気になった。

 その程度の時間の無駄は今更問題ない。この二年間、常に全国模試でも一位を撮り続けてきたんだ。十分に貯金はある。十分程度の時間は構わない。たとえそこで事件に巻き込まれることになりそうでも、前もって警戒しておけばいい。どうとでもなる。

 俺はそんな軽い気持ちで帰りにコンビニに立ち寄った。


「あ、お兄ちゃん! なんでこんなとこに? めっずらしー!」


 指示されたコンビニ。そこにいたのは、何を隠そう俺の妹であるところの麻耶だった。学校帰りに立ち読みをしていたようだ。手に持っていた漫画雑誌を棚に戻して俺のもとに駆け寄ってくる。


「まーた勉強ばっかりしてたんだね!! 掲示板見たよ!! お兄ちゃんは勉強のし過ぎ!! そんなに勉強ばっかりしてバカじゃないの?」


 褒められこそすれ、よもや身内に成績がいいことでバカ呼ばわりされるとは思ってもみなかった。いや、今までだって麻耶には勉強のし過ぎだとよく言われてはいるが……。同じ学校で年子の兄妹というのは情報が早くて困る。ちなみに麻耶は成績は学内で平均を出すレベル。進学校なので全国的に見れば十分上位にはなるけれど、見ての通り勉強ばかりしているわけでは無い。


「俺が教科書を読むのは麻耶が漫画を読むのと同じ。俺が英語を覚えてリスニングをしてるのは麻耶が歌詞カードを覚えて歌を聴いてるのと同じ。何度も言ってるだろ。俺が好きでやってるんだからいいだろ」


「はあ……だからバカなのよ。青春は今しかないけど勉強はいつでもできるんだから」


 はあ……いつもの妹とするいつも通りの会話。そのまま麻耶と一緒に家まで帰ることになったが、本当に何もなかった。警戒していたのもバカバカしいほど何もなかった。

 いや――おかしい――のか。

 まず、前提を置いた上で仮定してみよう。前提条件は、未来からのメールが本物、送信者は俺自身、理由があって俺をコンビニに行かせた。

 そこから仮定する。未来の俺が、大掛かりな装置を使ってまで過去の俺に指示を出した――それほどの理由が発生する何かがあのコンビニで起こった。だから俺をコンビニに向かわせた。

 では結果は? 俺がコンビニに行くと麻耶がいて、何も起こらずに帰宅する運びとなった――。

 何かが起こったから俺をコンビニに向かわせたのに何も怒らなかった――この論理から導き出される答えは?

 俺がコンビニに立ち寄ったことで起こるはずだった何かが起こらなかった――ということか。ではそこから生ずる新たな問い。それは、あの場で一体何が起こるはずだったのか……ということだ。

 答えは次のメールで来るのか? それともまたもや秘密のまま指示が来るのか? もしくは、メール自体が来ない可能性も十分にある。それ以前に、タイムパラドクス的なものは発生しないのか? 過去を変えることによって未来で過去に送るはずだったメールが送られなくなり、俺の手元には届かない。行動と結果のみが変わったと仮定すると、今度は俺の記憶が残っていることが矛盾になる。記憶もメールも何もかもが消え去るというタイムパラドクスの強制的な修正が起こるにしても、そんなものが都合よく寝ている間なんてことは有り得ない。論理的ではない。いや、そもそもタイムパラドクス自体が存在しないということも――。

 思考の海にどっぷりと沈んでいたとき、携帯のバイブ音で現実に引き上げられる。メールだ――。

 日付は二〇二六年七月一五日。前回と同じだ。


『タイムパラドクスは発生しない。過去において、宇宙空間への不自然な加算が行われただけに過ぎないから。増えるはずだった自然増加分が無くなるのか、純粋に増加量が増えてしまうことになるのかは調査段階だ。未来でメールを送ったという事実自体が無くなるだけ。実際、このメールを送っている俺は、前回のメールの内容を知っているが、送ってはいない。さて本題、次の指示だ。次は――』


 思考を読まれた――と言うよりは、実際に自分が考えたことを思い出してメールを送信しているだけなのだろうな。次の指示――またもや理由は書かれていないが、簡単な寄り道指令だった。……理由は自分で考えろ――という挑戦状なのだろう。――乗ってやるよ。

 その後、何度も何度も指示のメールが届いた。夏休み中、事あるごとに特定の場所に特定の時間に――と。そしてその指示の先には必ずある出来事が発生する。――実は二回目のメールに従った時から気がついていたけれど、そのまま何度も従い続けた。通算十二回――。決して少なくはない回数、俺は指示通りに動いて予想通りに麻耶に出会った。


「お兄ちゃん、最近良く会うよね? 運命? ストーカー? どっち?」


「なんでその二択なんだよ。良い意味と悪い意味で極端だな」


「にはは! 私的には運命にしたいところだよ、お兄ちゃん。お兄ちゃんが運命の人だと、背徳的ではあるけど胸高鳴るよね? 多分良い音で鳴るよ? 私のおっぱい」


「うら若き乙女が公衆の面前でおっぱいなんて言うんじゃない。周りから変な目で見られたらどうする」


「いや、むしろお兄ちゃんの口から女子高生に向かっておっぱいって言ったほうが危険度が高い。っていうか周りに注目されたのはお兄ちゃんのせいだからね? だからバカなんだよー」


 そんなにバカバカと言い過ぎると本当にバカになるぞ。教育上よくないことは立証されている。


「それじゃ、今日も家まで一緒に帰ろっ! あ、帰りにアイス買ってよね」


「高くなければね」


「私の好物知ってるでしょ? デブデブちゃんコーラ味!」


「安上がりな妹で、お兄ちゃん幸せだよ」


「でしょでしょー! にはは!」


 本当に、毎度毎度あの指令は何がしたいんだ。これで理由が妹ともっとコミュニケーションを取らせるだけ――なんてことだったら、未来の自分だろうが殴ってやる。そういうタイムマシンを作ってやる。


「どったの? お兄ちゃん。怖い顔して」


「いいや、何でもないよ。ちょっと殴りたいやつができただけだ」


「殴るなら私を殴れ!!」


「なんでだよ!!」


「良かった! 笑顔に戻ってくれた。にはは!」


 ああ、もっとコミュニケーションを取らせるだけ――なんて理由でもいいような感じがしてきた……。最近勉強ばっかりで確かにあんまり話してなかったからな。でも、おかしい。そんなハッピーエンドな日常物語とは思えない。

 未来の俺がそんなことをするはずがない。考えろ――考えるんだ。

 その時、背後で誰かが逃げるように走り去っていく影が見えた気がした。

 その日、また同じようにメールが届く。最近のメールは簡素で、日時と場所が記されているだけだ。今回は翌日である八月二〇日の昼二時、近所の本屋が指定されていた。しかし、俺はその指示に対して少し変わった手法で応じることにした。

 それは――変装。

 とは言っても、視界の端に映った程度では俺とは分からない程度の変装だ。普段かぶらない帽子をかぶり、初めて着る服。さらにダボダボの長ズボンを履いて少し膝を曲げ、身長を低く見せる。その程度の変装。全ては麻耶に気付かれないようにするためだ。

 俺はその姿で当日の二時前に本屋で立ち読みを始める。スポーツ雑誌のコーナーで会社員と思しき男性達に混ざってゴルフ雑誌を読む。速読で全部読んでもゴルフの楽しみは一切理解できなかったが――。

 そして二時――。予想通り麻耶がやってきた。少年漫画の単行本コーナーを見ている。確か、気に入って集めている漫画『カーディガン』の発売日とか言っていたな。

 ウィンドウショッピング気分なのか、『カーディガン』は手に持ったが、フラフラと漫画コーナーを物色していた。――そんなことしてる暇があったら勉強するなり友達と遊ぶなりすればいいものを――。

 と、そんなことを考えていると、麻耶の友達なのか同じ年くらいの女の子が麻耶に話しかけた。俺はついつい心の中で来た! と叫んでしまった。未来の俺が何度も指示を出すほどの出来事――。俺もそろそろ勘付く。いや、確信を得ると言ってもいい。

 何度も出会う麻耶。その度に何も起こらないという事実。執拗に麻耶に会うように促すメール――。

 これは一つの真実しか導き出さない。そう――。



 麻耶の身が危ない。



 俺がいることで麻耶に手が出せなかった。手も出せないのであれば捕まえようもないが、手を出せば別だ。いや、厳密に言えば手を出しても麻耶に届かない状態を狙うのだが――。相手がひ弱そうな女の子で良かった。これがガタイのいい男だったら応援を呼ばないといけないところだった。

 俺はゆっくりと近づく。一歩近付き手を伸ばせば届く程度の距離に……。会話はもうほとんど終わっているようで、女の子が一方的に麻耶を罵倒しているようだった。麻耶は申し訳なさそうな顔でうつむいている。何があったのかは帰って聞こう。そろそろ危ない雰囲気が出始めた。幸いなことに、麻耶が下を向いているので近づいてもバレない。

 ギリギリまで女の子の後ろに近付いていた俺は、女の子がカバンから勢いよく果物ナイフを取り出すのをはっきりと見る。麻耶も流石に見えたのか、恐怖に歪んだ表情で顔を上げるそして、目が合う――。


「お兄……ちゃん……」


「あんたなんか死んじゃえばいいのよー!!」


 ヒステリックに叫ぶ女の子。そして振り上げられたナイフ。


「お兄ちゃん!! 助けて!!」


「言われなくても」


 振り上げられたナイフは俺の顔の前。腕を掴むには丁度いい。右手で力いっぱい手首を掴むとそのまま思い切り引っ張り上げる。女の子は完全に不意を突かれて俺のなすがまま。簡単に地面に組み伏せ、ナイフを取り上げることに成功した。

 いつの間にか駆けつけてくる警備員。店員が呼んだのだろう。女の子は連れて行かれ、俺と麻耶も後から駆けつけた警察官に事情聴取を受けた。

 その時、麻耶から犯行の動機について聞かされたが、なんのことはない。女の子が好きだった男が麻耶に惚れてしまっていて、邪魔だから殺そうとした――というものだった。本当にくだらない理由だった。それでも殺人未遂だ。懲役は免れられないだろう。


「お兄ちゃんはやっぱり私の運命の人かもしれないね」


 警察署から帰る道で麻耶は言う。


「私のナイト様って感じでかっこよかった!! 助けて!! って言ったら本当に助けてくれるんだもん。家族じゃなかったら惚れてるよー。いやーもうお兄ちゃんをバカにできないや」


 ベタ褒めしてくれる麻耶だったが、実際に助けたのは俺ではなく、未来の俺なわけだが……。いや、よくよく考えたら俺であることに変わりはないのか。


「バカなこと言ってないで帰るぞ。それより、えっと……なんちゃらくん。麻耶のことが好きらしいじゃないか。青春楽しめよ。今しかないんだろ?」


「え? 告られても断るよ? 当たり前じゃん。お兄ちゃんより格好いい人じゃなきゃやだもん」


「お前それ、三十歳独身になって後悔する女フラグだぞ」


「なにそれ。私まだ十六だもん。きっとすごい人現れるよ」


「そうなるといいな」


 未来のメールのおかげで妹の身を守ることができ、今まで以上に仲良くなることとなった。これはそんなハッピーエンドな日常物語。








   ***

 やはり、そういう訳にはいかなかった。

 その日の夜、またしても未来の自分からメールが届いた。


『俺は未来からメールを受け取り、自らの推測だけで妹を守ることができた。しかし、俺は目をつけられてしまった。妹との楽しい夏休みはここまでで終わりだ。目をつけられた――というのも、警察にだ。お前は――いや、俺はこれから特務探偵として働く事になる。もちろん大学に通い、エネルギータイムマシンの研究もしながらだ。これは過酷な日常になる。勉強だけしていればいい高校生活がどれだけ楽なものだったのかを実感することになるだろう。いや、実感した。これから学門極は東大生兼特務探偵として未来からの指令に応え続けなければならない。いや、応え続けた。これから辛いことや苦しいことが有るかもしれないが頑張ってくれ。いや、有ったし頑張った』


 指令と激励というより、辛い道のりを愚痴ったようでもあった。ああ、俺の未来は暗く黒いのか……。

 そんな憂鬱にされるメール……。そんなオチで終わるのかと思ったが、さらにもう一通メールが届いた。


『休みが欲しい』


 俺はそっと、携帯の電源を落とした。
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