裏手で占いの商い

色部耀

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裏手で占いの商い

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 携帯の画面に映っていたのは自分の顔だった。

 何を言っているのか分からない? そうかい、なら一つ話をしようじゃないか。

   ***

「私がこんな路地裏で占いをしている理由? いったいそんな事聞いて何になるんだい? 記者さんよ」


 深夜零時過ぎ――私の前にふらりと若い女性が現れた。年の頃は二十過ぎだろうか? 別段綺麗という訳でもなく不細工という訳でもない。街中を歩けば誰もが振り向かず誰もが話題にも出さない。なーんの特徴もない娘子だ。だからだろうか、向かい合って座っていることがとてもとても落ち着いた。

 そんな普通の子がこんな夜中に路地裏で素性も知れないやつれた老年の男に声をかけるなんて誰もが予想できないことだろう。しかし彼女には私に話しかける理由があったそうだ。雑誌記者――そう名乗って私が占いをしている理由を尋ねたのだ。


「ここで占いを始めて四半世紀になるが、そんな突拍子もない事を聞かれたのは初めてだよ」


「そうですか。それは光栄です」


 世辞を言ったわけではない。なのに彼女は光栄だと言う。――変わった娘さんだった。光栄と言いつつも表情一つ変えやしない。愛想笑いができないのか、その必要を感じていないのか。いくつかの可能性があるが、私も占い師だ。他人の顔だけは人一倍見てきた。見る目一本で飯を食っているようなもの。この顔はなんのことはない。

 人を観察する人間のそれだった。


「はあ、百円……置いてきな」


 占い一回百円――。私はその時も普段と何も変わらない占いと同じ料金を促した。小さな張りぼて机に書かれた一回百円の文字に手を翳すと女性は迷いなく百円を私に手渡した。


「そうだね。話す前に一つ占ってあげよう。対面に座った人を占わなかったなんて言ったら占い師の名折れだ」


「では、少しだけお願いします」


 そんなことを言ってはみたけれど、本来私の占いは何について占うかを聞いてから行うものだ。その人の悩みにアタリを付け、そうしてカマをかけながら最も可能性の高い未来を示唆する。だからこそ悩みを解決したくて来たわけではない女性を占うことは相当に危険な仕事だった。

 当てようも未来の見ようもない。

 しかし、私もプロだ。簡単に引き下がるわけにはいかない。


「お嬢さんは誰か特別会いたい人がいるね?」


 バーナム効果――。それは素人さんの間でももはや常識とも言われる心理効果。誰にでも当てはまるような事柄をあたかも自分だけの事柄だと思い込ませる技法。私たち占い師はそれだけで占ったように見せかける訳ではないが、こうして導入に使うことで話を引き出し、お客さんの人となりを知るすべにする。

 会いたい人――そう言われて浮かべた表情やちょっとした仕草で、それが家族なのか思い人なのか長らく会えない友人なのか――その程度は容易に判別がつく。どこをどう見ているのか――と聞かれると企業秘密としか言えないがね。


「そうですね。会いたい人など誰でもいるでしょう」


「君は今月中にその人に会える。とまあ占いはこの辺にしておいて私が占いを始めた理由――だったかな?」


 匙を投げた。私は早々に匙を投げた。仕方がないだろう? 彼女からは何も見えなかったのだから。表情も仕草も声色も、何一つ変わらない。変わらないということは、それはそれで彼女の性格を推し量る一つの要因となり得る――例えば、自身のことすら客観的に見ているタイプ、全てを知っていると思い込んでいるタイプ、何でも受け入れてしまうタイプ――とまあ挙げればきりがないが、彼女の場合はどれでもないように感じた。

 そう、感じたのだ。

 なんともなく同業者の雰囲気を感じたのだ。


「話が早いと私も助かります。近くにホテルを取っているのですが、深夜二時以降は入れてもらえないようですので」


「では早く話してしまった方がいいね。レコーダーはいいのかい?」


「はい。全て記憶して帰りますので」


「そうかい。以前いらしたお客さんでそう言った仕事をしている方がボイスレコーダーを使うとおっしゃっていたけど、人によるものなんだね」


「そうですね、普通は使います。私が特殊なのですよ。ではお願いします。二十二年前からここでこうして占いを始めたと聞いてきたのですか――」


「下調べからしてきたようだね。そうだよ二十二年前だ」


 思えばこの時に気付くことができたのではないかと思う。彼女がどうして私の下に現れたのかということを――。


「たまには自分の事を話すのも悪くないと感じるのは年をとったせいかもしれないね。少し俗な話になるけど構わないね?」


「もちろんです。その覚悟もしてきました」


「私の話が雑誌に載るかもしれないと思うと少し気恥ずかしい気持ちにもなるが、そこは目を瞑ろう。――当時二十七歳の私は……人生最初で最後の恋愛に敗れたんだよ。占い師になったのは所謂現実逃避だった」


 話を美化するわけでもなく誇張するわけでもなくありのまま話す。私が自分の事を語るのもこの時が最後だろう。


「幼馴染――と言うには付き合いが些か短いかもしれないが、小学生の時から二十年近くの付き合いだった。出会った頃から私は彼女に惚れていてね。何度も何度も告白をしては振られ告白をしては振られ――それでも彼女は他に恋人を作る訳でもなく私と変わらない友人関係を続けてくれていた。私も、気持ちは幾度となく伝えてはいたけれど他に何をするという訳でもなく、告白をしては振られるという事がある種の様式美のように学校でも有名になっていた」


 身の上話というのは不思議なもので、過去を思い返しながら話すと止まらなくなる。話している時間は止まっているかのように忘れられるというのに。


「当時は携帯電話でメールのやり取りをするのが一般的でね。学校ではいつも一緒にいたし、家に帰ると眠りに就くまでずっとメールをしていたもんだ。……実は今でも思い出なんて言って未練がましく当時の携帯を持ってはいるが、充電をしてないのでメールの履歴が見れない。というより、ある日をきっかけに携帯を解約してしまって、それっきり見てもいないんだけどね」


「その携帯はここに?」


「ああ、小物入れの中に入れてある」


 この娘さんも内心笑っているのかもしれない――。そう思いつつも私は話を続けた。


「高校までは一緒だった。お互いに通う大学は違ったんだが、良く二人で飲みに出かけたよ。その度に交際を申し込んでは断られていてね。理由までは聞かなかった。でもそれで良かったんだ。恋人同士ではなくても笑い合える関係が良かったんだ。いつまでも続くんだろうと錯覚するようなそんな毎日が」


「しかしそんな毎日が続くことはないのですよね」


「君は占い師に向いているかもしれないよ」


「それはどうもありがとうございます」


「冗談じゃなく占いの勉強をしてみてはどうかな? 占い師にならなくても人生の役には立つよ。私が保証する。ああ、なんだかこの話をしているともう一つ思い出したよ」


「何をですか?」


 その時彼女は、情報を聞き出して記憶するだけのように見えていた彼女は、初めて話に興味を持ったかのような仕草を取ったんだ。一般的には目が光った――なんて表現をしたらいいのかな?


「高校時代にその彼女と一緒に占いの勉強をしていたんだ。何故か二人して占いにハマってね。手相や人相、占星術や生年月日なんか、色んなものを二人で占い合ったよ。思えばそれが今の私を形作っているのだろうね」


「では、占い師になるきっかけというのは高校時代に幼馴染の女性と独学で学んだ占いだったのですか。なるほど」


「そうだね。ただ、始めたきっかけというより占いを身に付けたきっかけの方だね。始めたきっかけはそう……やっぱり失恋だな。格好悪い現実逃避さ」


「それでも生活できているのですから立派ですよ」


「褒めないでくれ。これでも自分自身のことはよーく分かっている」


 ダメ人間を絵にかいたような人だという事は分かっている。


「ではきっかけの詳細について話そうか。あれは私が大学を卒業して働き始め、五年ほど経ったある日。当時は会う頻度は減っていた物の、一か月に一度は顔を合わせていた。その日も彼女から電話がかかって来て、また飲みの誘いかと思ったものだ。私は十年近く同じ携帯電話を使っていたけど、彼女は仕事を始めた頃にスマートフォンに変えていたのも思い出すよ。だから大学を卒業してからはメールよりも電話の呼び出しだった。いつも通り、私は電話に出た」


 思い出す。あの日も今日と同じように肌寒い春の深夜だった。


「彼女は開口一番こう言った。私、結婚することになったの……って。しかも驚くことに彼女は話したことも無い二十歳も年上の男性と結婚するのだと言う。村と宗教の関係らしかった。近所の寺の住職さんだそうだ。反射的に口ではおめでとうと言ったけど頭の中は真っ白だった。その後は自分がなんて言ったのか覚えていない。ただ彼女が最後に、本当は普通の恋をして普通に好きな人と結ばれたかった――そう言っていたのだけが耳に残ってる」


 私の話を聞く自称女性記者は神妙な面持ちで私の目を真っ直ぐに見ていた。


「それからやけを起こした私は、仕事を辞め、携帯を解約し、世捨て人のようにこうして占い師を始めることになったんだよ。これが私の占い師になったきっかけの全て。どうだい? 良い記事になりそうかい?」


「はい。書き方次第では長編小説としてどこかの賞に応募できるくらい良い話を聞かせて頂きました。……ただ、ここで一つ謝罪しないといけないことがあります……」


 私はこの時直感した。彼女は記者なんかではなく他の理由で私にこのような話をさせたのだろうと。


「私の名前は立花美里。あなたが長年恋していたという藤岡美幸の娘です」


「そうか」


 直前ながら予感していた私は案外すんなりと受け入れることができた。私の人生を変えた女性の娘が訪ねてきた――それはもっと動揺してもいい出来事だったのだろうけれど……。


「実は先日私の父が鬼籍に入りまして、ようやく落ち着いた母からあなたのことを伺いました」


 鬼籍に入る――つまり亡くなられたという事。五十手前で未亡人とは可哀想に――そう乾いた感情で思ったのは我ながら不思議ではあった。もう自分とは関係のない人なのだから当たり前だったのかもしれない。


「今占い師をしていると噂に聞いているとか……。そこで調べて辿り着いた訳です」


「そうかい。そう言われると君はお母さんによく似ているよ。お母さんは元気かい?」


「ええ、第二の人生は好きなことをしたいと言っています」


「ああ、藤岡らしいな。それを聞けただけでなんだか嬉しいよ。帰ったらお母さんによろしく伝えておいてくれないか?」


「いえ、そのつもりはありません」


 きっぱりとそう言った彼女。


「母は学生時代に好きだった男性とこれからの人生を歩いて行きたいそうなので。あなたのことは私の口から伝える訳にいきません」


「そうか」


 やっと普通の恋ができるということか、お幸せに――。彼女の言葉を聞いて、私はそう思った。と同時に一つの疑問があった。


「その相手って誰なんだい?」


 小学校から高校まで同じ学校。当時藤岡が好きになったと噂される男は何人かいた。大学で好きになった人の話は聞いていないが、私が知っている人の可能性が高いと思った。


「私の口からは言えません。気になるなら後でご自分の携帯を見てみてください。それで、もし誰か分かったら母に電話を入れてください。電話番号は昔から変わっていませんから。あ、あとこれ追加料金です。市役所前に公衆電話があるので電話するときにでも使ってください」


 また百円を取り出して机に置いた。


「それでは」


 そう言ってすくっと立ち上がると、素早く踵を返して私に背を向けた。


「そうそう。占いの件ですが――」


 一瞬立ち止まると、振り返らずに言った。


「特別会いたかった人にはちゃんと会えましたよ」


 そのまま歩みを進めて夜の闇に消えていった。


   ***


 その翌日、私は公衆電話から彼女に電話をかけていた。


「もしもし? 藤岡? 元気にしてた?」


 昔と変わらない導入句。


「あれ? 中岡? 一か月ぶりかな? どうしたの?」


 昔と変わらない返事。わざとらしくて心地良い。


「二十二年ぶりだよ。ちょっと飲みの誘いをね」


「あれ? そんなに経ってた? 私はまだ二十七歳よ。いいね! 飲みに行きましょ!」


 二十二年間を無かったことにしてやがるのか……。なんとも大胆なことだ。でもそんな彼女が今でも愛おしい。俺もまた二十七歳に戻ったようだ。


「よし! 店は予約しとくよ。その前に聞いて欲しいことがあるんだけど?」


 その前に聞いて欲しいことがある。この言葉に続く台詞は俺たちの間では様式美のようになっている。藤岡の返答までがテンプレートだ。


「好きだ! 俺と付き合ってくれ!」


 ごめんなさい――までがテンプレート。


「ごめんなさい」


 ほらね。


「もうこのやり取りできない! だって応えられるから!」


 あの暗い路地裏で真っ暗な携帯の画面に映っていたのは自分の顔だった。


「私もずっと好きでした! これからずっとよろしくお願いします!」


 人生五十年目、二人の遅咲きの青春が今――花開く――。
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