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KAZU:五日目②
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『朝の用事はもう終わったかな? 私は時間が経つごとにどんどん緊張しちゃってるよ』
昼休みも終わりに近付いた頃、HARUからメッセージが届いた。やはり、俺と会うことを楽しみにしてくれているらしい。俺がHARUと会うことで心春がいなくなるのだと思われるが、今の時点で約束を白紙に戻すのは早計に感じる。
『また別の問題が起きてね。会う約束は果たせると思うけど、メッセージは夕方まで余裕は無いかも。HARUと会った後に連絡させてもらうよ』
実際にHARUと会って話すことが最も安全で正確な情報収集となるはず。どんなことを聞いたとしてもその時点で歴史が変わってしまうことは無い。直接本人に何があったかを聞き、メッセージで過去を修正する。それが今日俺のするべき行動だ。
六時間目が終わり、俺は帰宅前に図書室に寄ることにした。別に委員会の当番という訳では無いが、念のため調べておきたいことがあったからだ。
「朝からずっと暗かったけどホントに大丈夫か?」
智也が部活に行く前に俺の下へ来て心配の声をかける。朝一に取り乱して以降、一切そのことに触れることなく一日を過ごしていた。しかし、触れないとはいえ考えていないわけでは無い。ずっとどうするべきかと答えの出ない自問自答を繰り返し続けていた。だからか、智也の目からは暗く見えたのかもしれない。
「大丈夫だよ。一晩寝たら全部忘れられると思うし」
「そっか。じゃあ、話せるようになったら言ってくれ! 俺ら友達なんだし!」
「うん。覚えてたらちゃんと話すよ」
俺が差し出した手を智也が小気味の良い音を立てて叩く。
「覚えてたらってなんだよ。まあいいや。約束だぞ」
智也はそのまま急ぐように走って部活へと向かい、俺は図書室へ向かう。
図書室に入ると話したことのない男の先輩が貸し出しカウンターで勉強をしているのが目に入った。もはや当てにはならない俺の記憶だけれど、確か三年生だったように思う。三年生にとってはほとんど利用者もいない放課後の図書室なんて恰好の勉強部屋だろう。二歩三歩と図書室の中に足を踏み入れるとカウンターの奥が見える。そこには見慣れた姿の松岡先輩。自分ではなく先輩とペアを組んでいたとしても相変わらず本以外は視界に入らないかのように集中していた。変わらない松岡先輩の姿を見て安心する気持ちと共に一つ疑問が浮かぶ。
松岡先輩は俺とペアだったはずなのになぜ今日当番をしているのか――
「こんにちは」
名前も覚えていない三年生の先輩に挨拶をすると、オウム返しのように同じ挨拶が返って来る。松岡先輩は相変わらず本に視線を落としたままだ。
「あの、ちょっと準備室で調べたいものがあるんですけど良いですか?」
「ん? ああ。良いよ」
三年生の先輩はそれだけ言うと勉強に戻った。カウンターの内側から繋がる図書準備室。そこには図書準備室とは名ばかりの貸し出されない本や書類が保管されている。俺が調べたいと思っていたのはその中にある生徒名簿だった。念のため心春の存在の有無だけは確実に調べておこうと思ったのだ。クラスで聞いた時に誰も知らないと言っていたけれど、やはり書面上で記録として存在しているかどうか確かめたかった。結果は分かりきっていたけれど……。
準備室に入って扉を閉める。図書室ですら静かだったというのに準備室となると更に音が無くなり、まるで隔離された世界にでも入ったかのような感覚にもなる。記憶と現実の相違がある今の俺は、一人違う世界から来たようなもの。だからか、この誰もいなくて何も聞こえない空間がとても落ち着いた。最新の生徒名簿は棚の中でも目につきやすい場所にあり直ぐに見つかる。とはいえ手に取った瞬間に少し埃がたつくらいには見る人はいなかったようだ。せいぜい一ヶ月分の埃だとは思うけれど。
ページをめくって一年生の欄を見る。クラス別の出席番号順に名前だけが載っている小冊子。先生の名簿もあり、さながら三学年分すべてが載っている写真の無い卒業アルバムのようだ。一組から十組まで順番に全て目を通す。しかし、やはり心春の名前は無かった。武智という名字の人間もいなければ名字違いで心春という名前の人物もいなかった。予想どおりだけれど全くショックが無いというわけにはいかなかった。他校、もしくは存在しないことが確定してしまったのだから。
震える溜息がもれる。恋が叶うなんて夢見ていた昨日が嘘のようだ。何もかも失ってしまったかのような気分になる。
「ねえ君。何かあったのかしら?」
俺は心臓が飛び出るかと思うような驚きと共に声のする方を振り返った。そこには音もなく準備室に入って来た松岡先輩が興味津々といった風に俺のことを見ている。俺はいつの間に入って来たのかという疑問ではなく否定の声を出した。
「何でもないです」
しかし、松岡先輩は無遠慮に詰め寄って来て答えを求めてくる。
「私は気になったことを気になったままにできないの。物語に至っては特に」
あの日と同じように言う松岡先輩に俺は直感する。
「松岡先輩って俺と話したことありましたっけ?」
「いいえ。今日が初めてね」
やっぱり……。おそらく今俺は松岡先輩じゃない誰かとペアを組むことで松岡先輩との接点が無くなってしまっているのだろう。そのペアは……多分田中さんなのだろうな。
「やっぱりそうですよね」
俺がそれだけ言ったところで松岡先輩は目を輝かせた。俺に触れるほど近付いてきてまくし立てるように質問を重ねる。
「もしかして私達前に話をしたことがある? それはこの学校に入ってから? いや、その様子からすると私が覚えていないのが当然といった感じね。ということはもっと前? 中学、もしくはそれより前? ねえ。私達いつ話をしたの?」
顔色を読むことはできると言っていたのを思い出す。俺の答え方や視線の動きから察したのだろう。そこから松岡先輩の読んできた小説の引き出しからいくつものパターンと照らし合わせているようだ。しかし、そのどれも現実的ではあるけれど現実ではない。けれどそれを話したところで信じられるのだろうか。それよりも話すことに意味があるのだろうか。
「昨日……ですかね」
そう言ったところで松岡先輩は思い出すこともできないのだろう。俺の発言は只の当てつけのようなもの。意味など無いし、ましてや理解されることも無い。
「すみません。冗談です。気にしないでください」
「私には覚えが無いけれど、興味深いわね。何か……そうね。昨日私と話をしないと分からないはずのこととかないのかしら?」
昨日……。それを聞いて俺は一つの台詞を思い出した。
「お前の読んだ物語は誰かの助けになるはず……とかなんとか」
「お前が読んだ物語はいつか誰かを助けるために大切に頭の引き出しの中にしまっておきなさい。必ずそれを必要とする人が現れるから」
「そう。それです。おじいさんの言葉だとか」
松岡先輩はニヤリと口元を歪ませると、嬉しそうに声を上げた。
「なら、そのいつかというのは今で必要とする人というのは君のことね。私にできることなら助けになるわ。君のことを信じる」
自分の直感もこれから聞くであろう俺の話も全く疑う気がないといった真っ直ぐな目。生憎、俺も調べ物が終わって時間には余裕ができている。心には余裕なんてこれっぽっちも有りはしないけれど。だからか、なんとなく話して聞かせてみても良いかと思えてしまった。虚言妄言だと言われようとも、話せば楽になったり頭の整理がつくこともあるだろう。
「フィクションの……小説の話だとでも思って聞いてください」
松岡先輩は黙って俺の言葉の続きを待つ。一度深呼吸のように溜息を吐くと、俺はゆっくりと説明を始めた。寝付く前の子供に物語を話して聞かせるように。
「実は俺、ウェブ小説を書いているんです。そこでファンになってくれた人としばらくメッセージでやり取りをしていました。お互いに何でも言い合えるような仲になるほど仲良くメッセージを交わしていました」
松岡先輩は静かに頷いて相槌を打ちつつ聞いてくれている。
「でも、お互いに言っていることが噛み合わない時が多かったんです。そして昨日、やっとその理由が分かったんです。その……理由というのが……」
信じて貰えないと分かっていることを言うのが恥ずかしいような後ろめたいような、何とも言えない気持ちになって口ごもってしまう。しかし、松岡先輩は表情一つ変えずに続きを待ってくれていた。
「その人が二十年以上前の過去からメッセージを送ってくれていたからだったんです」
鼻で笑われても可笑しくない話だというのに、松岡先輩は只々目を輝かせているだけだった。先輩のそんな顔は初めて見た。心春とのすれ違いの話を聞いていた時も興味深そうに聞いてくれていたが、こんなに楽しそうに聞いてはいなかった。
「つまりこういうことか? 君が過去の人物とメッセージを送り合ったことで現在が変わってしまって、何度も言葉を交わしたはずの私達の関係が無かったことになったと? 凄い! それは凄い!」
興奮冷めやらぬ松岡先輩は虚空を見ながら、今まで読んだことがあるのであろう小説のタイトルやタイムスリップの設定をぶつぶつとつぶやいていた。あの話のパターンではこうだとか、この話のパターンではこうだったとか。
「まるで小説の中の登場人物にでも選ばれたような気分だ。私はこんなシチュエーションをずっと夢見ていたのよ。もっと詳しく聞かせて。私にできることもきっとあるはず」
すんなりと受け入れてくれた先輩に若干の気味悪さを感じてしまうくらいだ。しかし、小説が、物語が好きな人間というのは得てしてこういうものなのかもしれない。俺だって昨日は同じように興奮していたのだから。中二病とでも言ったらいいのだろうか。
「信じるんですか?」
「お前が読んだ物語はいつか誰かを助けるために大切に頭の引き出しの中にしまっておきなさい。必ずそれを必要とする人が現れるから――。この話をしたのは生涯で私の友人たった一人よ。それより続きを聞かせて」
先輩の好奇心にもはや笑いしか生まれなくなり、俺は続いて今していることやしようとしていることを話し始めた。
「この図書室に来たのも、確かめたいことがあったからなんです。実は、昨日の今日で松岡先輩との関係以上に変わってしまって、その……大変というか辛いことがあって」
「表情から何となく辛いことがあったのではないかとは思っていたよ。その確かめたいことというのが生徒名簿に関係してるのかしら?」
「はい。その……同じクラスにいたはずの幼馴染が……」
「なるほど」
全てを言うでもなく松岡先輩は察してくれたようだった。
「ちなみにその名前は?」
「武智心春です」
「……聞いた覚えはないな。その様子だと、名簿にも名前は無かったのかしら?」
「はい……」
「そうか……ちなみにそのメッセージの相手というのは?」
「山内春香っていう二十一年前にこの学校の二年生だった女の人です」
「名簿にはあったの?」
矢継ぎ早に放たれた松岡先輩の発言で俺はハッとなった。一気に血流が良くなったような気がした。全く調べようともしていなかっただけに言われた途端に今手に持っている生徒名簿を長机の上に放り出して二十一年前の生徒名簿を探し始めた。順番に並んでいるものだから見つけるのにそう時間はかからない。二〇〇五年度の生徒名簿――。それを手にパイプ椅子に座って長机の上で開く。クラスは……覚えていない。メッセージの履歴を辿る方が時間もかかりそうなので二年一組から探していく。俺の隣には松岡先輩が椅子を近づけて座り、一緒になって探そうとしてくれている。その思考速度は読み蓄えられた物語からくるものなのだろうか。そう思うと間接的にではあっても俺も物語に――小説に助けられているのかもしれない。
「山内だから出席番号も後ろの方よね」
そして二年一組の欄を開いた瞬間、先輩がさっと指をさした。
「いた! 出席番号三十七番!」
一瞬で見つけられた山内春香の文字。俺は次々とピースがはまっていくような感覚に総毛立つ。しかし、先輩のアドバイスはそこで終わらなかった。
「次は卒業アルバムを探そう。他に急いでやらないといけないことってあるかしら?」
「いえ、五時にその山内春香さんと会うって約束をしてるんですけど、それまでは時間あります」
時計を見ると三時半になったところだった。あと一時間以上は余裕がある。
「会う約束なんて、あからさまに過去が変わるフラグじゃない。まあいいわ。時間もあるし卒業アルバムを探しましょう。二〇〇六年度卒業よね」
二〇〇五年度に二年生なのだから松岡先輩が言ったどおり卒業アルバムに載っているのは二〇〇六年度で間違いない。
「卒業アルバムはこっちよ」
松岡先輩に案内されるがまま過去の卒業アルバムが並ぶ棚に行き、松岡先輩が手に取った卒業アルバムをその場で開く。
「二年一組だったのなら三年になっても一組ですかね」
成績順でクラスが決まるため、変わっていたとしても二組だろう。
「多分ね。ほら、いたわよ」
三年一組山内春香。卒業アルバムに載っている写真を見た瞬間、俺は心臓が止まったかと思う衝撃に襲われてしまった。
昼休みも終わりに近付いた頃、HARUからメッセージが届いた。やはり、俺と会うことを楽しみにしてくれているらしい。俺がHARUと会うことで心春がいなくなるのだと思われるが、今の時点で約束を白紙に戻すのは早計に感じる。
『また別の問題が起きてね。会う約束は果たせると思うけど、メッセージは夕方まで余裕は無いかも。HARUと会った後に連絡させてもらうよ』
実際にHARUと会って話すことが最も安全で正確な情報収集となるはず。どんなことを聞いたとしてもその時点で歴史が変わってしまうことは無い。直接本人に何があったかを聞き、メッセージで過去を修正する。それが今日俺のするべき行動だ。
六時間目が終わり、俺は帰宅前に図書室に寄ることにした。別に委員会の当番という訳では無いが、念のため調べておきたいことがあったからだ。
「朝からずっと暗かったけどホントに大丈夫か?」
智也が部活に行く前に俺の下へ来て心配の声をかける。朝一に取り乱して以降、一切そのことに触れることなく一日を過ごしていた。しかし、触れないとはいえ考えていないわけでは無い。ずっとどうするべきかと答えの出ない自問自答を繰り返し続けていた。だからか、智也の目からは暗く見えたのかもしれない。
「大丈夫だよ。一晩寝たら全部忘れられると思うし」
「そっか。じゃあ、話せるようになったら言ってくれ! 俺ら友達なんだし!」
「うん。覚えてたらちゃんと話すよ」
俺が差し出した手を智也が小気味の良い音を立てて叩く。
「覚えてたらってなんだよ。まあいいや。約束だぞ」
智也はそのまま急ぐように走って部活へと向かい、俺は図書室へ向かう。
図書室に入ると話したことのない男の先輩が貸し出しカウンターで勉強をしているのが目に入った。もはや当てにはならない俺の記憶だけれど、確か三年生だったように思う。三年生にとってはほとんど利用者もいない放課後の図書室なんて恰好の勉強部屋だろう。二歩三歩と図書室の中に足を踏み入れるとカウンターの奥が見える。そこには見慣れた姿の松岡先輩。自分ではなく先輩とペアを組んでいたとしても相変わらず本以外は視界に入らないかのように集中していた。変わらない松岡先輩の姿を見て安心する気持ちと共に一つ疑問が浮かぶ。
松岡先輩は俺とペアだったはずなのになぜ今日当番をしているのか――
「こんにちは」
名前も覚えていない三年生の先輩に挨拶をすると、オウム返しのように同じ挨拶が返って来る。松岡先輩は相変わらず本に視線を落としたままだ。
「あの、ちょっと準備室で調べたいものがあるんですけど良いですか?」
「ん? ああ。良いよ」
三年生の先輩はそれだけ言うと勉強に戻った。カウンターの内側から繋がる図書準備室。そこには図書準備室とは名ばかりの貸し出されない本や書類が保管されている。俺が調べたいと思っていたのはその中にある生徒名簿だった。念のため心春の存在の有無だけは確実に調べておこうと思ったのだ。クラスで聞いた時に誰も知らないと言っていたけれど、やはり書面上で記録として存在しているかどうか確かめたかった。結果は分かりきっていたけれど……。
準備室に入って扉を閉める。図書室ですら静かだったというのに準備室となると更に音が無くなり、まるで隔離された世界にでも入ったかのような感覚にもなる。記憶と現実の相違がある今の俺は、一人違う世界から来たようなもの。だからか、この誰もいなくて何も聞こえない空間がとても落ち着いた。最新の生徒名簿は棚の中でも目につきやすい場所にあり直ぐに見つかる。とはいえ手に取った瞬間に少し埃がたつくらいには見る人はいなかったようだ。せいぜい一ヶ月分の埃だとは思うけれど。
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震える溜息がもれる。恋が叶うなんて夢見ていた昨日が嘘のようだ。何もかも失ってしまったかのような気分になる。
「ねえ君。何かあったのかしら?」
俺は心臓が飛び出るかと思うような驚きと共に声のする方を振り返った。そこには音もなく準備室に入って来た松岡先輩が興味津々といった風に俺のことを見ている。俺はいつの間に入って来たのかという疑問ではなく否定の声を出した。
「何でもないです」
しかし、松岡先輩は無遠慮に詰め寄って来て答えを求めてくる。
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「松岡先輩って俺と話したことありましたっけ?」
「いいえ。今日が初めてね」
やっぱり……。おそらく今俺は松岡先輩じゃない誰かとペアを組むことで松岡先輩との接点が無くなってしまっているのだろう。そのペアは……多分田中さんなのだろうな。
「やっぱりそうですよね」
俺がそれだけ言ったところで松岡先輩は目を輝かせた。俺に触れるほど近付いてきてまくし立てるように質問を重ねる。
「もしかして私達前に話をしたことがある? それはこの学校に入ってから? いや、その様子からすると私が覚えていないのが当然といった感じね。ということはもっと前? 中学、もしくはそれより前? ねえ。私達いつ話をしたの?」
顔色を読むことはできると言っていたのを思い出す。俺の答え方や視線の動きから察したのだろう。そこから松岡先輩の読んできた小説の引き出しからいくつものパターンと照らし合わせているようだ。しかし、そのどれも現実的ではあるけれど現実ではない。けれどそれを話したところで信じられるのだろうか。それよりも話すことに意味があるのだろうか。
「昨日……ですかね」
そう言ったところで松岡先輩は思い出すこともできないのだろう。俺の発言は只の当てつけのようなもの。意味など無いし、ましてや理解されることも無い。
「すみません。冗談です。気にしないでください」
「私には覚えが無いけれど、興味深いわね。何か……そうね。昨日私と話をしないと分からないはずのこととかないのかしら?」
昨日……。それを聞いて俺は一つの台詞を思い出した。
「お前の読んだ物語は誰かの助けになるはず……とかなんとか」
「お前が読んだ物語はいつか誰かを助けるために大切に頭の引き出しの中にしまっておきなさい。必ずそれを必要とする人が現れるから」
「そう。それです。おじいさんの言葉だとか」
松岡先輩はニヤリと口元を歪ませると、嬉しそうに声を上げた。
「なら、そのいつかというのは今で必要とする人というのは君のことね。私にできることなら助けになるわ。君のことを信じる」
自分の直感もこれから聞くであろう俺の話も全く疑う気がないといった真っ直ぐな目。生憎、俺も調べ物が終わって時間には余裕ができている。心には余裕なんてこれっぽっちも有りはしないけれど。だからか、なんとなく話して聞かせてみても良いかと思えてしまった。虚言妄言だと言われようとも、話せば楽になったり頭の整理がつくこともあるだろう。
「フィクションの……小説の話だとでも思って聞いてください」
松岡先輩は黙って俺の言葉の続きを待つ。一度深呼吸のように溜息を吐くと、俺はゆっくりと説明を始めた。寝付く前の子供に物語を話して聞かせるように。
「実は俺、ウェブ小説を書いているんです。そこでファンになってくれた人としばらくメッセージでやり取りをしていました。お互いに何でも言い合えるような仲になるほど仲良くメッセージを交わしていました」
松岡先輩は静かに頷いて相槌を打ちつつ聞いてくれている。
「でも、お互いに言っていることが噛み合わない時が多かったんです。そして昨日、やっとその理由が分かったんです。その……理由というのが……」
信じて貰えないと分かっていることを言うのが恥ずかしいような後ろめたいような、何とも言えない気持ちになって口ごもってしまう。しかし、松岡先輩は表情一つ変えずに続きを待ってくれていた。
「その人が二十年以上前の過去からメッセージを送ってくれていたからだったんです」
鼻で笑われても可笑しくない話だというのに、松岡先輩は只々目を輝かせているだけだった。先輩のそんな顔は初めて見た。心春とのすれ違いの話を聞いていた時も興味深そうに聞いてくれていたが、こんなに楽しそうに聞いてはいなかった。
「つまりこういうことか? 君が過去の人物とメッセージを送り合ったことで現在が変わってしまって、何度も言葉を交わしたはずの私達の関係が無かったことになったと? 凄い! それは凄い!」
興奮冷めやらぬ松岡先輩は虚空を見ながら、今まで読んだことがあるのであろう小説のタイトルやタイムスリップの設定をぶつぶつとつぶやいていた。あの話のパターンではこうだとか、この話のパターンではこうだったとか。
「まるで小説の中の登場人物にでも選ばれたような気分だ。私はこんなシチュエーションをずっと夢見ていたのよ。もっと詳しく聞かせて。私にできることもきっとあるはず」
すんなりと受け入れてくれた先輩に若干の気味悪さを感じてしまうくらいだ。しかし、小説が、物語が好きな人間というのは得てしてこういうものなのかもしれない。俺だって昨日は同じように興奮していたのだから。中二病とでも言ったらいいのだろうか。
「信じるんですか?」
「お前が読んだ物語はいつか誰かを助けるために大切に頭の引き出しの中にしまっておきなさい。必ずそれを必要とする人が現れるから――。この話をしたのは生涯で私の友人たった一人よ。それより続きを聞かせて」
先輩の好奇心にもはや笑いしか生まれなくなり、俺は続いて今していることやしようとしていることを話し始めた。
「この図書室に来たのも、確かめたいことがあったからなんです。実は、昨日の今日で松岡先輩との関係以上に変わってしまって、その……大変というか辛いことがあって」
「表情から何となく辛いことがあったのではないかとは思っていたよ。その確かめたいことというのが生徒名簿に関係してるのかしら?」
「はい。その……同じクラスにいたはずの幼馴染が……」
「なるほど」
全てを言うでもなく松岡先輩は察してくれたようだった。
「ちなみにその名前は?」
「武智心春です」
「……聞いた覚えはないな。その様子だと、名簿にも名前は無かったのかしら?」
「はい……」
「そうか……ちなみにそのメッセージの相手というのは?」
「山内春香っていう二十一年前にこの学校の二年生だった女の人です」
「名簿にはあったの?」
矢継ぎ早に放たれた松岡先輩の発言で俺はハッとなった。一気に血流が良くなったような気がした。全く調べようともしていなかっただけに言われた途端に今手に持っている生徒名簿を長机の上に放り出して二十一年前の生徒名簿を探し始めた。順番に並んでいるものだから見つけるのにそう時間はかからない。二〇〇五年度の生徒名簿――。それを手にパイプ椅子に座って長机の上で開く。クラスは……覚えていない。メッセージの履歴を辿る方が時間もかかりそうなので二年一組から探していく。俺の隣には松岡先輩が椅子を近づけて座り、一緒になって探そうとしてくれている。その思考速度は読み蓄えられた物語からくるものなのだろうか。そう思うと間接的にではあっても俺も物語に――小説に助けられているのかもしれない。
「山内だから出席番号も後ろの方よね」
そして二年一組の欄を開いた瞬間、先輩がさっと指をさした。
「いた! 出席番号三十七番!」
一瞬で見つけられた山内春香の文字。俺は次々とピースがはまっていくような感覚に総毛立つ。しかし、先輩のアドバイスはそこで終わらなかった。
「次は卒業アルバムを探そう。他に急いでやらないといけないことってあるかしら?」
「いえ、五時にその山内春香さんと会うって約束をしてるんですけど、それまでは時間あります」
時計を見ると三時半になったところだった。あと一時間以上は余裕がある。
「会う約束なんて、あからさまに過去が変わるフラグじゃない。まあいいわ。時間もあるし卒業アルバムを探しましょう。二〇〇六年度卒業よね」
二〇〇五年度に二年生なのだから松岡先輩が言ったどおり卒業アルバムに載っているのは二〇〇六年度で間違いない。
「卒業アルバムはこっちよ」
松岡先輩に案内されるがまま過去の卒業アルバムが並ぶ棚に行き、松岡先輩が手に取った卒業アルバムをその場で開く。
「二年一組だったのなら三年になっても一組ですかね」
成績順でクラスが決まるため、変わっていたとしても二組だろう。
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