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case4:蛇魅の社

安珍清姫

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ただ若者がその夜火を灯さなかったので娘が溺れた、というだけの話もある。

口伝で伝わったのだろうか。
人を介するうちに色々な話が混ざり、変化していったのだろう。


さて。
紀州道成寺にまつわる伝説、安珍・清姫の話もこれらの話と似てはいないだろうか。

928年夏頃、奥州白河より熊野に参詣に来た僧・安珍。
安珍大変な美形で、紀伊国牟婁郡真砂の庄司清次の娘・清姫は宿を借りた安珍に一目惚れし、夜這いをかけて迫った。
安珍は参拝中の身なので困る、帰りには立ち寄るからと清姫を騙し、参拝後は立ち寄ることなく行ってしまう。
騙されたことを知った清姫は怒って裸足で追跡し、道成寺までの道の途中で追い付く。
しかし安珍は再会を喜ぶどころか別人だと嘘に嘘を重ね、更には熊野権現に助けを求め清姫を金縛りにした隙に逃げ出そうとする。
それに清姫は怒髪天を衝き、蛇身に化け安珍を追いかけた。
日高川を渡り、道成寺に逃げ込んだ安珍を、恐ろしい形相で火を吹きつつ川を渡る蛇。渡し守に「追っ手を渡さないでくれ」と頼むが無意味である。蛇は泳げる。
寺の者に梵鐘を下ろしてもらい、その中に逃げ込むが。清姫はその鐘に巻き付き、安珍は鐘の中で焼き殺されてしまう。

安珍を滅ぼした後、清姫は蛇の姿のまま入水する。
というような話だ。

安珍は清姫に手を出していた、という話や、あわや殺される手前で菩薩に助けられる、という話もある。


‡*‡*‡


『大日本国法華験記』より「紀伊国牟婁郡悪女」、『今昔物語集』より「紀伊ノ国道成寺ノ僧写法華救蛇語」では、少女ではなく若い寡婦かふであり、宿泊するのは老若二人の僧で、一目惚れされるのは若い僧とされる。
若い僧に逃げられた後、怒った寡婦はそのまま寝所で死に、そこから体長五尋の毒蛇が現れ、彼らを追って熊野街道を行く。

道成寺で僧を焼き殺すところは一致しているが、宿泊した僧が二人とも焼かれてしまう。
情けは無い。


話の舞台である真砂の里では、少々違う話になっている。
清姫の母親は実は、男寡おとこやもめだった父が助けた白蛇の精で、初め安珍は幼い清姫に「将来結婚してあげる」と言ったが、清姫の蛇の身体を見て怯えて逃げようとする。
安珍に逃げられた清姫は絶望して富田川に入水し、その怨念が蛇の形になった、という。


蛇女から逃げる話の大元は、『古事記』の肥長比売ヒナガヒメ品牟都和気命ホムツワケノミコトか。
これは肥長比売が蛇女だとばれて、品牟都和気命が海を乗り越えて逃げる話だ。

迦具土神カグツチを産んだため死んだ伊邪那岐イザナミ黄泉国ヨモツクニへ迎えに行った伊邪那岐イザナギといい、女との約束を破ったために男が酷い目に遭う話は少なくない。

これらの話が色々な伝説と結合して、枝分かれしたのだろう。


どいつもこいつも、口先だけで適当なことを言って逃げる無責任な男ばかりである。
酷い目に遭っても自業自得だと思うが。


‡*‡*‡


「という訳で。向かうは紀州道成寺、及び清姫の住んでいた紀州牟婁郡、真砂だ」


紀州牟婁むろ郡は、W県の西牟婁郡・東牟婁郡の全域、新宮市の全域、田辺市の一部。M県の北牟婁郡・南牟婁郡の全域、尾鷲市の全域、熊野市の全域、度会郡大紀町の一部という広大な郡だ。
清姫の父、真砂の庄司藤原左衛門之尉清重は実在する人物として史実にある。


人魚と蛇神。下半身が蛇の蛇神ナーガと考えれば、近いかもしれない。
意外な共通点が見つかったな。

『ならば我も共に往こう』

夜叉丸が名乗りを上げた。
蛇神絡みなら、自分が何か役立つだろう、という。

「でも、長く実体から離れると、まずいのでは……?」
御神体は白い蛇のような石だ。持ち歩くのも神気が安定しないので困るだろう。


『問題ない』
夜叉丸は、ギシ、と音を立てて椅子に座った。

まるで、そこに生身の身体があるように。

『我が眷属である蛇を呼び集め、その肉に宿った故、実体と変わりなく移動可能である』

自力で受肉したのか。
とんでもないことする蛇神様だ。
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