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プロローグ

榎本英司の人生

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……痛い。


頭が、割れるように痛い。
というか、実際に割れてる気がする。いやもうマジ確実に割れてるだろコレ。


この痛みには覚えがあった。
いつだったっけ?


そうだ。
確か、あれは。夏コミの帰りだった。

毎年国際展示場で行われる、ありとあらゆる同人誌が集まる煩悩の坩堝るつぼ
年に二度のコミックマーケット。


夏の大祭、最終日。


*****


あの日、俺は。
始発の電車に乗って六時に国際展示場に到着。待機列に並び、太陽光で滅びかけながらも五時間後に会場入り。

カタログで前もってチェックしていたお気に入りのサークルに二時間並んで、成人指定のついた肌色が多めな、薄くてお高い本をゲットした。

普段は、ちゃんと家に帰ってから読むんだが。
どうしてか、その日に限って、家に帰るまで我慢できなくなってしまったのだ。


その辺に座り込んで読むとかは論外。レストランや喫茶店は混んでたので、仕方なくその辺の物陰でお宝本を読もうとして。
展示場駅から背を向け、海の方へ行ったんだ。

ちょうどその日は花火大会もあって、行きも帰りも混雑していたので。帰りが遅くなることが予想されていたのもあったが。


いや、決して抜こうと思ったわけじゃない。野外でオナるとか、さすがに無理だ。
電車で読むのも恥ずかしいから無理だったし。

大好きなサークルの作品だから、一刻も早く、読みたかっただけで。


で、腰を据えてゆっくり読めそうな、なるべく人けのなさそうな所を探し歩いて。
良さげな場所を見つけて立ち止まったその時だった。


頭上から、ドゴッ、って大きな音が聞こえたんだ。

何ごとかと思って顔を上げたら。高速道路から、トレーラーらしき車体が半分以上はみ出ているのが見えた。
追突事故が起こったんだろう。トレーラーはガンガン後続車にぶち当たられてるらしかった。


「Watch out! Above you!」
誰かの声がして。

おそらく、塀が崩れたんだろう、コンクリートブロックが降ってきた。
子供の頭くらいの大きさだったと思う。

それまで薄い本を読みたくて気もそぞろだったせいもあったけど。
当然、避けられるような反射神経なんかない。こちとら体育会系とは縁遠い、害のないスライムである。
走ってくる車の前で硬直してしまう狸のように、その場で硬直してしまった。


目前に迫る、灰色。


頭部に凄まじい衝撃と痛みがあったのは覚えている。

そして、やたら近くに見えた地面と。
どくどく流れていく、やけに鮮やかな血が最後の記憶だ。


*****


おそらく、俺はそこで死んだのだろう。

憐れ、榎本英司えのもとえいじ。享年41歳。
年齢=彼女いない歴、という悲しい人生だった。


おおキモオタよ、童貞のまま死んでしまうとは情けない。
それも、辺りに肌色の多い薄い本をぶちまけて。

またオタクの肩身が狭くなっちゃうよ~。びえん。


コミケは家に帰るまでがコミケです。電車・バス内や、公共施設での読書はやめましょう。
と言っていた古参スタッフの注意は正しかったのだ。

いくらゆりかもめが混雑していて帰りが遅くなろうと、素直にそのまま家に帰っていれば。読むのを我慢していれば、死なずに済んでいたのだろうが。後の祭りである。

でも、その日に限って珍しく寄り道したのも、追突事故が起こって塀が壊れたのも、よく考えたらおかしい。
あの日、俺は死ぬべくして死んだんじゃないだろうか? そういう運命だったのかもしれない。


運命ならしょうがないか!


*****


そして。
その後すぐなんだか、何年か時間が空いていたかはわからないが。


俺は榎本英司とは全く別の人間として、生まれ変わってしまったようだ。
それまで住んでいたのとは違う、異世界ってやつに。


生まれ変わって。
一番最初に覚えてるのは、2歳頃の記憶かな?

そこから今までの記憶は、おぼろげながらあるにはあるが。
たいした思い出ではないから置いとこう。
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