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天涯孤独になりました。
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昨日、母親が死んだ。
脳溢血だった。
パート中に倒れて、眠ったような状態のまま心停止したそうなので、あまり苦しまずに済んだようなのが、せめてもの救いだろうか。
他に、親戚はいないと思う。話を聞いたこともないし、携帯電話の履歴や手帳の住所録とかを見たけど、そういった記述はなかった。
葬式に出たこともなくて、何もかもわからなくて困っていけど。とりあえず遺体をアパートに運ぶため、霊安室から霊柩車で戻った時。出てきた町内会の人が色々手伝ってくれて助かった。
町会の会議所を借りてひっそりと行った仮通夜には、近所の人や、母さんの職場の人達が弔問に来てくれて。
何か色々と声を掛けられた気がするけど、覚えていない。
これからって時だったのにね、って声は聞こえた気がする。
そうだよ。
これからだったのに。
これから、大学を卒業して。
法律事務所に入って、司法修習して。一人前の弁護士になって。
僕の為に今まで頑張って働いてくれた母さんに、楽な暮らしをさせてやりたかった。
それなのに。
何のために頑張って勉強して、奨学金まで借りて、大学に通ったのか。
目的を見失ってしまった。
運び込まれた病院の人から教わって、役所に死亡届は出したものの。
この後、どうするんだっけ?
今日が仮通夜で。
関係者に黒い縁取りのハガキを送るんだっけ?
葬儀会社に連絡して。
それで、葬式をあげて。
火葬して、納骨? ……うちのお墓とか、どこにあるのか知らないけど。
そういうの、誰が教えてくれるんだろう。
学校で教えてくれたらいいのに。
まさか、こんな簡単に死んじゃうとは思わなかったから。
調べたこともなかった。
*****
ガタガタと音がして。
やたら背の高い三つ揃えのスーツの男が、会議所の戸を潜って入って来た。
「non ci credo……」
布団に寝かされて、顔に白い布を掛けた状態の母さんを見て、呆然としている。
今の、外国語だ。
イタリア語っぽかったような。
明かりがついてたから、お店か何かと間違えて入ってきちゃったのかもしれない。
「あの、どちら様ですか? この建物は今、仮通夜に使用しているので……」
声を掛けると、男は、驚いたようにこっちを見て。
何かを言おうと、口を開けようとしたけど。
しばらくして、大きな溜め息を吐いた。
外国人だから言葉が通じないのか、とようやく思い立って。
とりあえず英語で話しかけてみようかと思った時、彼は話し出した。
「……私は以前、夏子さんの世話になった者だ。先ほど家を訪ねたら、通夜だと聞いて。ここに案内された」
流暢な日本語だった。
夏子は、母さんの名前だ。
ああ、母さんの知り合いだったのか。
それは、間が悪かったというか。
もう一日早ければ、生きている母さんに会えたものを。
「そうですか。生前は、母がお世話になったようで。この度は、はるばる足をお運びいただいてありがとうございます」
今日、何度言ったかわからない定型文を口にして、深く頭を下げた。
男は、線香をあげるため、焼香台の前に行った。
驚くほど顔立ちの整った男だと、揺れる蝋燭に照らされた横顔を見て気付いた。
髪は黒い。彫りの深い顔立ちだし、やはり外国人のようだ。
母さんに、外国人の知り合いなんていたんだ。
随分日本語が上手だったけど。
*****
祈り終えた男がこちらに来て、懐に手を入れると。
「……着いたばかりなので、今は手持ちがこれしか無いが、」
懐から、万札を、束で寄越した。
……え、束? つまり、百万!?
「え、そんな大金、受け取れません! いくら母の知り合いでも、身内でもない、見ず知らずの方から。こんな、いただけません!」
慌てて返そうとしたら。
男は不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。
「……貯金はいくらある? 彼女の葬式をあげ、墓に入れてやれるだけの余裕が、あるとでもいうのか?」
間近に迫って来たので、男の目が濃い青だということがわかった。
貯金がいくらあるのかも知らない。
脳梗塞なら、頭痛とか、何か予兆があったはず。
それなのに、何にも気付かなかった。気付けなかった。
もっと家事とか手伝って、負担を減らせばよかった。
僕もバイトで忙しかった、だなんて。言い訳にもならない。
言い返せないのが悔しくて、涙腺が崩壊しそうになった。
次の瞬間。
後頭部を掴まれて。
目の前の男の胸板に顔がぶつかった。
「……悪かった。己の無力に苛ついて、強く言い過ぎた。……南郷、」
「はっ」
近くで、別の男の声がした。
えっ、誰かいたの?
「……、……。手続きを任せる」
何か言ってるけど。
しっかりと頭を抱えられてるから、くぐもったようで、あまりよく聞こえなかった。
「承知しました」
もう一人の声が遠ざかっていった。
男の胸に顔を埋めたまま、がっちりホールドされてる状態なので、何も見えない。
すごい力だよ、この人。
動けないんだけど。
離れようとしたら、もう一方の腕も回されてしまった。
でも。
腕の中は、何だかあたたかくて。
何故か、懐かしいような感じで。
ここなら、安心できるような気がして。
意識が遠ざかっていった。
*****
歌が聞こえる。
外国語の歌だ。
誰が歌ってるんだろう?
外国……といえば、幼馴染みが外国人だったな。
金髪で、アイスブルーっていうのかな。綺麗な青い目をしていた。
女の子みたいに可愛かったっけ。
可愛くて、優しくて。
大好きだった、幼馴染み。
アパートの隣に、お母さんと二人で住んでた。
でも、僕が6歳、その子が5歳の時に、父方の家族に攫われるみたいにいなくなっちゃったんだ。
今頃、どんな大人になってるだろう?
元気だといいなあ。
*****
ようちゃん。
……行かないで。
きっと、迎えに行くから。
それまで待ってて。
そう言って。
別れ際に、約束だよって。
指切りをしたんだ。
その後。
他にも何か、約束をしたような……。
何て約束だったっけ?
待っていて。
再会したら……。
脳溢血だった。
パート中に倒れて、眠ったような状態のまま心停止したそうなので、あまり苦しまずに済んだようなのが、せめてもの救いだろうか。
他に、親戚はいないと思う。話を聞いたこともないし、携帯電話の履歴や手帳の住所録とかを見たけど、そういった記述はなかった。
葬式に出たこともなくて、何もかもわからなくて困っていけど。とりあえず遺体をアパートに運ぶため、霊安室から霊柩車で戻った時。出てきた町内会の人が色々手伝ってくれて助かった。
町会の会議所を借りてひっそりと行った仮通夜には、近所の人や、母さんの職場の人達が弔問に来てくれて。
何か色々と声を掛けられた気がするけど、覚えていない。
これからって時だったのにね、って声は聞こえた気がする。
そうだよ。
これからだったのに。
これから、大学を卒業して。
法律事務所に入って、司法修習して。一人前の弁護士になって。
僕の為に今まで頑張って働いてくれた母さんに、楽な暮らしをさせてやりたかった。
それなのに。
何のために頑張って勉強して、奨学金まで借りて、大学に通ったのか。
目的を見失ってしまった。
運び込まれた病院の人から教わって、役所に死亡届は出したものの。
この後、どうするんだっけ?
今日が仮通夜で。
関係者に黒い縁取りのハガキを送るんだっけ?
葬儀会社に連絡して。
それで、葬式をあげて。
火葬して、納骨? ……うちのお墓とか、どこにあるのか知らないけど。
そういうの、誰が教えてくれるんだろう。
学校で教えてくれたらいいのに。
まさか、こんな簡単に死んじゃうとは思わなかったから。
調べたこともなかった。
*****
ガタガタと音がして。
やたら背の高い三つ揃えのスーツの男が、会議所の戸を潜って入って来た。
「non ci credo……」
布団に寝かされて、顔に白い布を掛けた状態の母さんを見て、呆然としている。
今の、外国語だ。
イタリア語っぽかったような。
明かりがついてたから、お店か何かと間違えて入ってきちゃったのかもしれない。
「あの、どちら様ですか? この建物は今、仮通夜に使用しているので……」
声を掛けると、男は、驚いたようにこっちを見て。
何かを言おうと、口を開けようとしたけど。
しばらくして、大きな溜め息を吐いた。
外国人だから言葉が通じないのか、とようやく思い立って。
とりあえず英語で話しかけてみようかと思った時、彼は話し出した。
「……私は以前、夏子さんの世話になった者だ。先ほど家を訪ねたら、通夜だと聞いて。ここに案内された」
流暢な日本語だった。
夏子は、母さんの名前だ。
ああ、母さんの知り合いだったのか。
それは、間が悪かったというか。
もう一日早ければ、生きている母さんに会えたものを。
「そうですか。生前は、母がお世話になったようで。この度は、はるばる足をお運びいただいてありがとうございます」
今日、何度言ったかわからない定型文を口にして、深く頭を下げた。
男は、線香をあげるため、焼香台の前に行った。
驚くほど顔立ちの整った男だと、揺れる蝋燭に照らされた横顔を見て気付いた。
髪は黒い。彫りの深い顔立ちだし、やはり外国人のようだ。
母さんに、外国人の知り合いなんていたんだ。
随分日本語が上手だったけど。
*****
祈り終えた男がこちらに来て、懐に手を入れると。
「……着いたばかりなので、今は手持ちがこれしか無いが、」
懐から、万札を、束で寄越した。
……え、束? つまり、百万!?
「え、そんな大金、受け取れません! いくら母の知り合いでも、身内でもない、見ず知らずの方から。こんな、いただけません!」
慌てて返そうとしたら。
男は不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。
「……貯金はいくらある? 彼女の葬式をあげ、墓に入れてやれるだけの余裕が、あるとでもいうのか?」
間近に迫って来たので、男の目が濃い青だということがわかった。
貯金がいくらあるのかも知らない。
脳梗塞なら、頭痛とか、何か予兆があったはず。
それなのに、何にも気付かなかった。気付けなかった。
もっと家事とか手伝って、負担を減らせばよかった。
僕もバイトで忙しかった、だなんて。言い訳にもならない。
言い返せないのが悔しくて、涙腺が崩壊しそうになった。
次の瞬間。
後頭部を掴まれて。
目の前の男の胸板に顔がぶつかった。
「……悪かった。己の無力に苛ついて、強く言い過ぎた。……南郷、」
「はっ」
近くで、別の男の声がした。
えっ、誰かいたの?
「……、……。手続きを任せる」
何か言ってるけど。
しっかりと頭を抱えられてるから、くぐもったようで、あまりよく聞こえなかった。
「承知しました」
もう一人の声が遠ざかっていった。
男の胸に顔を埋めたまま、がっちりホールドされてる状態なので、何も見えない。
すごい力だよ、この人。
動けないんだけど。
離れようとしたら、もう一方の腕も回されてしまった。
でも。
腕の中は、何だかあたたかくて。
何故か、懐かしいような感じで。
ここなら、安心できるような気がして。
意識が遠ざかっていった。
*****
歌が聞こえる。
外国語の歌だ。
誰が歌ってるんだろう?
外国……といえば、幼馴染みが外国人だったな。
金髪で、アイスブルーっていうのかな。綺麗な青い目をしていた。
女の子みたいに可愛かったっけ。
可愛くて、優しくて。
大好きだった、幼馴染み。
アパートの隣に、お母さんと二人で住んでた。
でも、僕が6歳、その子が5歳の時に、父方の家族に攫われるみたいにいなくなっちゃったんだ。
今頃、どんな大人になってるだろう?
元気だといいなあ。
*****
ようちゃん。
……行かないで。
きっと、迎えに行くから。
それまで待ってて。
そう言って。
別れ際に、約束だよって。
指切りをしたんだ。
その後。
他にも何か、約束をしたような……。
何て約束だったっけ?
待っていて。
再会したら……。
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