遠くて近きルナプレール ~転生獣人と復讐ロードと~

ヘボラヤーナ・キョリンスキー

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第三章 クラス丸ごと異世界転生!? 追放された野獣が進む、復讐の道は怒りのデスロード!

3-23.マジュヌーン(精霊憑き)(23) -満月に吠えろ

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 月明かりを浴びて、血塗られた右手を高く掲げる。
 深い穴。反り返った岩壁。普通なら自力でその中から出ることは叶わない。
 出来るとしたら、天からの蜘蛛の糸。垂らされる一本のロープ。それを掴み、這い上がるのみ。
 
 ▼ △ ▼
 

 
 
 月明かりを浴びて、漆黒の艶やかな肌がぬらりと光る。
 しなやかで強靭。長身痩躯の身体には、背中から両手足にかけて魔力のこもった入れ墨が入れてある。
 そのしなやかで強靭な手足からの連撃は、素早く強烈に敵を撃ち抜く黒い弾丸。
 
 俺は身体をひねりヒットに合わせて後ろへ飛ぶ。ヒットポイントをズラして打撃の威力を半減させつつ距離を取る為だ。
 そのよけた先に待ちかまえていたのはブルドッグ男。拾ったのか、人間の物とは思えないぶっとい大腿骨みたいなもんを振りかぶり……おっと、空振りして岩柱にヒット。大腿骨は砕けて、その破片が俺の肩に当たる。結構……いや、かなり痛い。
 
 その半分砕けて、尖ったギザギザの先端がむしろ凶悪になった大腿骨を握るブルドッグ男の腕を掴む南方人ラハイシュの女。掴んで組み打ちに持ち込み引き倒す……かに思えたが、ブルドッグ男はそれを強引な力業ではねのけて、下から突き上げるような体当たりで弾き飛ばす。
 俺と同じく後ろに跳んで勢いを殺し、転がりながら半回転して構える。
 続く新たな手は───、
 
「おい、待て! 待てよ! お前ら、マジか!? マジでり合うつもりかよ!?」
 
 俺の言葉だ。
 幾つも立ち並ぶ石柱の一つへ飛び乗りつつそう言う俺に、二人はそれぞれ無視を決め込み対決姿勢を崩さない。
 毒の噴き出す穴の底。登って出るには難しいオーバハングの高い絶壁。そして落とされた解毒薬は一人分。
 確かにこの状況、デッド・オア・アライブ、生か死か? 生き残るのは一人だけ……と、そう思えるかもしれない……いや、そうとしか思えないけどよ。
 
 だが本当にそうか?
 
「おかしーぜ? 考えてみろよ! 最初にここまで走って来た後、ヒジュルの奴は何て言ってた?
 協力することこそが重要だ、と、そう言ってただろ? それが出来ない奴は“砂漠の咆哮”にはいらねえ、ってよ?
 短絡的になんな! 協力すりゃあ何かしら手はある筈だぜ!?」
 
 俺が思うに、それこそ試験だ。つまり最初に提示した勝利条件は嘘、デタラメで、それに惑わされずに協力してここを抜け出すこと。
 そっちこそが本命のテスト……ってヤツだ。
 
「───かもしれん」
 俺のその言葉にブルドッグ男がそう頷く。コイツは犬獣人リカートの気質と言われる仲間思いな面が強い。長い間共に訓練してきた俺たちを、本心では殺したくなんか無いはずだ。
「だが、そうではないかもしれん」
 再び、割れて尖った獣の大腿骨を構え直す。
「待て! 待て待て待て待て! そんな事して“砂漠の咆哮”に入ってどーすんだ!? 仲間を殺しゃあ悔いが残るぞ!」
 慌ててそう言い返す俺に、静かに低く、ブルドッグ男が返してくる。
 
「悔いなど───もうし尽くした。
 わが部族がリカトリジオスの軍に襲われ、多くの者が殺されたあの日からな」
 
 リカトリジオス───はるか西で興った、犬獣人リカートの軍勢。そして足羽の話によれば、静修さん達が傘下に降ったという軍の名だ。
 
 三竦みで対峙しつつ、ブルドッグ男は言葉を続ける。
 
「我が部族“猛き岩山”は、古くから勇猛さで知られていた。砂漠の岩地を住処とし、狩りを生業とし、多くの魔獣共を退治する戦士の部族だ。
 その中で俺は、勇士ブリンドの子として生まれ、その父に恥じぬよう修練を重ねていた」
 
 ───だがまだ幼い頃に、彼らの部族をリカトリジオスの軍が急襲する。
 
「最初は同盟の申し出だった。共に大きな軍を作り、犬獣人リカートの力を結集して人間どもを我らの砂漠から追い出してやろう、と。
 人間どもは確かにときおり我らを襲い、奴隷狩りなどをしてきていた。帝国もクトリアも同じ。東方シャヴィー人との戦の頃には、村一つ、また部族ごと攫われて、戦奴として連れ去られたこともあったと言う。そうならぬ為には、我ら犬獣人リカートも部族ごとバラバラではダメだ、とな…… 」
 その辺の話はうっすらとしか知らねえ。白猫やらアティックやらから少しずつ聞いた話をつなぎ合わせると、だいたいそんな歴史が浮かんではくる。
 
「だが我らは断った。我らの武威は戦のためにあるのではなく、砂漠の魔獣を打ち倒すためのもの。奴隷狩りが来れば撃退するが、我らから攻め入るような真似には協力出来ぬ、とな。
 そうして断り続けていたら、奴らは不意をついて軍を送り込み、我が部族を戦奴とした。女子供は慰み物か下働きの奴隷。そして子供の中から素質のありそうな者を見いだして戦奴とするために鍛えた」
 
 ブルドッグ男の告白は続く。
「まだ子供だった俺は、戦奴候補として選抜された。そして毎日血反吐を吐く程の訓練をし、鍛えられた。
 半年後に行われた最終試験は───今と同じよ。
 同じ部族の幼なじみと殺し合えと。生き残った者のみを戦奴として生かしてやると───」
 
 告白が少しの間ここで止まる───。
 
「……そうだ、俺は幼なじみの友を殺した。生きるために、生き残るために殺した。
 その時のことは未だ悪夢となり俺を苛む。悔いが残る、どころではない。あいつの死に顔が脳裏から離れたことなど無い───」
 再び、手にした砕けて尖った大腿骨を振り上げて走り出す。
「だから! 俺は“砂漠の咆哮”に入るしかない!」
「何でだッ!?」
「“砂漠の咆哮”は今、唯一リカトリジオスに対抗出来うる勢力だ! 数ではとうてい及ばぬが、全容定かならぬ強者の集まり!
 帝国式で規律だったリカトリジオスの軍は大規模な戦には向くが、砂漠に隠れ潜み奴らの弱点を討ち、皇帝、将軍らを暗殺するには、“砂漠の咆哮”を利用するしかない!
 俺は数年前に配属されていた部隊がある人間たちの放浪の部族を捕縛したものの、隙をつかれて反撃された混乱に乗じ他数人の戦奴たちと逃げ出した!
 そして、流浪し考えた果てにその結論に至った! 俺は何を犠牲にしてでも……この試験を突破する……!」
 復讐を求める怒りの炎が、ブルドッグ男の背から放たれたかのように燃え盛っている。
 
 だがその勢い任せにぶん、と振り回される大腿骨の一撃を、僅かな動きで受け流して背後を取る南方人ラハイシュの女。
 ブルドッグ男は取られた背後へ後ろ蹴りを放ち、受け止められるとすかさず裏拳のように半回転で追撃を狙う。
 それを今度は両手で受け止め、絡みつくようにして肩を極める。打撃中心だった格闘スタイルからすると、正直ややぎこちない関節技だが、意外性もあり上手くハマる。
 
 
「───私も」
 関節を極めつつ、南方人ラハイシュの女はぴたりと動きを止めてそう言葉を切り出す。
「お前と同じだ」
「───何?」
 俺も、ブルドッグ男もほぼ同時にそう口に出す。
「私の村はリカトリジオスの奴隷狩り部隊に襲われ、皆攫われた。たまたま水くみに出ていた私と数人の女だけはその難を逃れたが───ほんの僅かだ」
 
 襲われ、攫われ、そして今はその生き残りとして流れに流されここに居る。
「私は復讐のため、攫われた村の仲間を奪い返すため、呪術師を探し出し、本来なら村の男子が10年掛けて入れる“シジュメルの加護の入れ墨”を無理やり一年で入れさせた。そしてお前と同じく、奴らを討つのには“砂漠の咆哮”に入るしか道はないと考えた」
 獣人ばかりの“砂漠の咆哮”に、何故南方人ラハイシュなのに入りたがっていたのか。その謎の理由が───どちらもリカトリジオスの軍への復讐……?
 
「だったら尚更だろッ!? 少なくともテメーら二人の目的も敵も同じだ。ここで殺し合って何になるよ!?」
 この二人……いや、復讐とは違うが、リカトリジオス軍とは因縁のある俺……この三人をつぶし合わせる必要はねえ。もしあるとすれば、リカトリジオス軍に利する為ぐらいだ。
 南方人ラハイシュの女は、後ろ手にねじり上げたブルドッグ男の腕を離さず、だがそれ以上締め上げることも攻撃することもなく俺を見る。
 
「手はあるのか? 三人共にここを出る為の?」
 南方人ラハイシュの女はそう聞く。背後を取られたままのブルドッグ男も俺を見ている。その二つの視線、四つの目ン玉に凝視されつつ、俺は答える。
「───ねェ」
 
「───は?」
「いや、ねェよ。あるわけねえだろ。俺がおまえ達よりどえれぇ頭良いように見えるか? 頭の出来なんざそう大差ねえよ」
「……それで、あんな大見得きっておったのか!?」
「そーだよ、悪ィかよ!
 おいブル公! 俺はテメーの事なんざ仲間とも何とも思ってねー。いっつもガタガタうるせえし、酒飲むとすぐ泣いてうっとーしいし、むしろテメーと別れられんなら有り難ェと思ってら。
 そんで南方人ラハイシュのねーちゃん。おめーは何考えてっか分かんねーし、根暗で薄気味悪ィヤツだなと思ってんよ」
「おい、ブル公ってな俺か?」
「けどなァ───」
 一気にまくし立てつつ、そこで深く息をする。
 
「テメーらと殺し合うなんて事ァしたくねえし、そんなのは絶対ェ間違ってる。そんだけは……分かるぜ」
 二人の視線、四つの目ン玉がこちらを凝視して、それから南方人ラハイシュの女はゆっくりとブルドッグ男の腕から手を離す。
 離されたブルドッグ男もそのまま身動きせず、砕けた大腿骨を投げ捨ててからただ軽く捻られた右腕を撫でさする。
 
「───俺もな」
 今度は右腕を軽く回しながら、ブルドッグ男はそう続ける。
「お前のことは好かん。戦い方が汚いし、姑息で卑劣だ。武人の風上にも置けん。お前と共に“砂漠の咆哮”に入れたとしても、お前とは絶対に組みたくはないと思うておるわ」
 やや鼻息荒くそう吐き捨てる。
「だが、お前の姑息さは戦いの上だけだ。普段の振る舞いでそう思ったことは一度もない。そして今もな」
 これはまあ───ほめ言葉と受け取っておくか。
「それと、俺のことはカリブルと呼べ」
 カリブル……。名など要らぬと言われて、訓練中もお互い名を名乗ることもなく過ごして来たが、今初めてその名を聞く。
「分かったぜ、ブル公」
「だから変な略し方をするな!」
 
「───ルチア」
 今度はそう、南方人ラハイシュの女が唐突に口にする。
「ルチアだ」
 ルチア、そしてカリブル。ときたら俺も名乗らなきゃならねーよな。
「俺は───」
「マジマだろ、知ってる。お前のイロがよくそう呼んでるからな」
 ブル公がそうつまらなさそうに言うが───ん?
「ちょっと待て、“イロ”ってな何だ?」
「お前がアシバと呼んどる空人イナニースだろ。いい仲じゃないか」
「ちげーわ! だいたいあいつは男だ!」
「女じゃないのか?」
「まあ、武人たる者、情夫くらいついておって当然だろう」
「男だし、お前らの文化の事ァ知らねーし、そーいうんじゃねーし、ダチでもねえ! ただの腐れ縁だ!」
 言ってから気付いたが、「前世からの腐れ縁」って……言葉にするとかなり重いな。
 
 ▼ △ ▼
 
 俺たちが一つの目的に向けた結論に至れたのは良いとして、実際どーしたモンかはまだ分からねえ。
 三人寄ればなんとやら、と言うが、この「なんとやら」が難しい。
 まずは前提のすり合わせ。
 ジャンプ、クライミング、どちらの手でも半分も登れない。
 俺たちそれぞれの特性を突き合わせる。それからそれらを生かして使えるものを見定める。
 カリブルは背は高くないが俺たちの中で最も力がある。
 ルチアは入れ墨魔法で風の魔力を身にまとわせられる。
 俺はこの中では最も身軽で、また猫獣人バルーティの特性として不安定な場所に強い。
 
「長さは足りるか?」
「どうだかな。どこまで届くかによる。それより心配なのは……強度だ」
「大腿骨は……このくらいで良いか?」
 ここらにある“遺品”は色々だ。
 骨……は遺品じゃなく遺骨か。幾つかの武器防具類。背負い袋やポーチの類。松明やランタン、水袋に食糧……の残骸。衣服の類に、なにかしらの装飾品等々。
 使えるものもあるが、そのまま使えるかと言うと難しい。そのまま使えないンなら、使えるように補修、補強、改造をするしかない。
 
 三人寄ればなんとやら。たいして頭も良くない俺たち三人が、無い知恵絞って考えた脱出法。
 さて、そいつが巧く行くかどうか───。
 
「行くぞ!」
「おう!」
 俺はルチアの背に乗って、手には大腿骨を縛り付けたロープを持っている。
 ロープの長さはせいぜい3メートル。つまりここからじゃ上の出口まではまるで足りない。
 “遺品”の中に落ちていたそれは半ば腐食しボロボロで、その外の衣服なんかから状態の良いヤツを剥ぎ取り寄り合わせて補強して、それでもなんとか作れたのはその長さ。
 大腿骨の方も加工してあり、両サイドをフック状にして引っかかるようにしてある。
 それを放てるように構えている俺を、背負ったルチアが走り出して加速。
 そして両手を構えたカリブルへと突進───カリブルの合わせた両手の平を発射台のようにして、大きく跳躍。
 
 ルチアは素早く、ジャンプ力もあるが、単独ではとてもじゃないが上に届く訳もない。
 カリブルは腕力はあるが、一人で上まで登るなんて不可能。
 だからまずその二人、カリブルの腕力とルチアの跳躍力を組み合わせて、より高くまで飛び上がる。
 
 で、その背に乗った俺がさらに跳んで、間に合わせの“大腿骨のフック付きロープ”を上に投げ、とにかくどこかに引っ掛かるよう祈る。
 さあ、今度こそ行くか───? との祈りも虚しく、カン、という乾いた音と共に岩肌に弾かれる大腿骨製のフック。何より上に開いた穴にまでわずかに届かない。
 これで四回目の失敗だ。
 
 なんとか壁を蹴りつつ勢いを殺して着地。人間だったらこの高さから落下したら間違いなく骨折、打撲、下手すりゃ死亡のコースだが、猫のようなバランス感覚を持つ猫獣人バルーティの俺ならなんとか着地は出来る。
 つまりこの策で最も難しく、最も危険なこの役割を出来るのは俺しか居ない。
 
「───少し休むか?」
「いや……多分もう少しだ。もう少しで……感覚が掴める」
 ルチアの提案に、俺はそう返すが、
「いや、一旦休んだ方が良い。俺もルチアも、集中力が落ちてる」
 と、カリブルが言う。
 
 よく観れば……いや、匂いも含めて確かめれば、二人ともかなりの疲労感を漂わせている。
 確かに一番難しく危険なのは俺の役割だが、この二人に負担が無い訳じゃない。特にルチアは、風の魔力を纏わせることで素早く力強く跳べているが、その跳躍も着地も魔力の補助があってのもの。
 疲労の蓄積で魔力のコントロールをミスれば、二人そろって壁に激突……なんてことにもなりかねない。
 そしてこの体力の消耗には、地面から噴き出している薄いガス……即効性無いがじわじわと体力を奪い死に至らしめるという毒の効果もあるはずだ。
 
 三人車座になって座り、一時休憩。座ると改めて、のどの渇きに精神的、肉体的疲労が意識される。
 それぞれに思うこと、考えることもあるが、押し黙り何も口にはしない。元々この三人、仲が良かった訳でも親しかった訳でもないんだからまあ、そりゃ当然。
「飲むか?」
 腰ベルトに着けていたポーチから小瓶を取り出し俺たちに渡すカリブル。受け取り軽く喉を湿らせようとすると、かなりキツめのアルコール臭。
「酒かよ! ていうか寝ているところを連れてこられたのに、何で酒持ってんだよ?」
「当たり前だ。魂酒は常に肌身はなさず持っている。ただの酒じゃない、薬効もあるぞ。我が部族の秘伝だ」
 怪しいな、コイツまさかただのアル中じゃねえだろうな? と思いつつも一応一口。匂いの通りかなりキツいが、確かに薬の漬け込んだ味もあり、血流がぶわっと巡り出すような感覚。しかしこれじゃあむしろ喉が渇くぜ。
 
「なら、これもどうだ」
 今度はルチアが腰の小袋から何かの種のような実のようなものを取り出す。
 ローストナッツ……的なものと解釈出来るのか、まあとにかくその手のもの。
「これも部族の秘伝か?」
「いや、ボバーシオで手に入れた。南方の密林地帯で採れる滋養の高い木の実や種を乾燥させたものだそうだ。
 砕いて芋の粉と混ぜて火を入れた後乾燥させると良い保存食になるらしいが、特に獣人種には薬効が高いらしい」
 一掴みほど受け取ると舐めるようにして口の中へ入れガリゴリと噛み砕く。
 うーん……まあ、腹の足しにはなるな。味もそう悪くは無い。というか、酒とローストナッツって、組み合わせ的に合いすぎだろ。
 
 そのとき、俺はあるものを目にして二人に声をかける。
「……なあ、ちょっとあそこ見てくれ」
 月の位置が移動して、その光の照らす位置も変わっている。
 この穴の底はけっこう広いが、上に向かって岩壁が反り返るようになっているから、その縁は狭く、見た感じ3、4メートルくらい。なので入ってくる光りの照らす範囲も狭く、今まで良く見えていなかった場所にスポットが当たっていた。
「出っ張りが広いな」
 岩壁は全体としては取っ掛かりの少ない壁面だが、全てがのっぺり平らな訳じゃない。部分的には凹凸もある。
 
 で、今俺が指し示した場所は他の所よりその出っ張りが広い。まあせいぜい奥行き30センチで幅1メートル、てな程度ではあるが。
「だが、位置はかなり高い。あそこまで登るのも無理だろう」
「ああ。だからまずルチアがあの位置に向かって跳び、俺がさらにあそこへと跳んで足をかけて反転して跳ぶ。
 そこで飛距離を稼いでロープを投げれば、あの縁にまでは多分届く。巧く引っかかるかは別にしてな」
 
 頭の中で計算する。希望的とは言え、今まで通りでダメなんだから、新たな何かを試す価値はある。
 
 仕切り直して、今のプラン。
 ルチアが俺を背負い、カリブルを踏み台にして大きく跳躍。今までと違う、取っ掛かりのある壁面に向かって高く跳び、その背から俺が跳びだして壁面に足をかけ……蹴りつけて反転!
 よし、良いぞ! 角度も悪くない。飛距離は今まで以上。後はこのロープを穴の縁から外に投げて、大腿骨製のフックがどこかに引っ掛かってくれれば───成功だ! フックはがっちり引っかかる!
 が、全てがうまくはいかねえ。
 そのままロープを握って登れりゃアガリだってーのに、……ああ、だめだ滑る! ロープを握った手が滑り、さらには勢いのついた反動で俺は反対側の岩壁へと激突し、そのまま落下……!
 
「糞ッ……たれ! なるかよ、そんな……無様な真似……!」
 ぎりぎりの所で、俺は反対側の岩壁へと指先を食い込ませ、文字通りのクリフハンガー。壁というより半ば天井。僅かな岩の裂け目にぶら下がる。
「マジマ!?」
 下からの叫びに応じる余裕はまるでない。
 
 両手の指先に全力を込める。込めつつ慎重に重心のバランスをとる。位置的にはほぼ天井の穴の近く。いくら猫獣人バルーティのバランス感覚でも、この高さから落ちればただじゃ済まない。
 やれる手は二つ。一つはこのままロッククライミングよろしく少しずつ登っていく。だが俺の指先の力ではそれは多分無理だ。何より右手の指先の爪が割れ、血が出てきている。その痛みに、流れる血が、これ以上ぶら下がり続けることを許しちゃくれねえ。
 だからこうなりゃ一か八か。
  
 月明かりを浴びて、血塗られた右手を高く掲げる。
 深い穴。反り返った岩壁。普通なら自力でその中から出ることは叶わない。
 出来るとしたら、天からの蜘蛛の糸。垂らされる一本のロープ。それを掴み、這い上がるのみ。
 
 振り子のように行っては戻る間に合わせのロープ。タイミングを計れ。行った……来た……行った……来た……。次……次だ、そう、ここで───。
 
 俺は壁を蹴りつけ空中へ跳んで、戻ってきたロープへとしがみつく。
 
「やりおった!」
 
 カリブルの叫びを後ろに聞き、俺は必死にロープへしがみつき、また上へと登る。出口、天井部に開いた穴までの距離はあと僅か。
 慎重に、だがのんびりしすぎりゃ力も尽きる。割れた爪からの血が間に合わせのロープを赤く染める。痛みも苦痛も無理やり忘れろ。
 あと少し、そうだ、あと60センチ……あと30センチ……あと……!
 
 砂漠の夜の乾いた空気を吸い込み、俺はようやく……なんとか、“悪魔の喉”から這い出る事が出来た。
 そして……月明かりを背にして立つ一人の真っ黒な猫獣人バルーティ……訓練教官のヒジュル……。
 
「……へへ、へ。どうだ? これが……正解だろ?
 俺たちゃ協力して……脱出方法を見つけた……。後は……奴ら用に、ロープを下ろして……引き上げる、だけ……」
 疲労困憊。仰向けに寝ころびつつヤツへと言ってやる。
 だが、鼻を明かしてやったような、得意げな面をしてただろう俺に、黒豹のようなヒジュルは表情も変えずにこう返した

「“砂漠の咆哮”においては、な。それが正解の一つだ。だが───」
 
 ぞくり、と身の毛のよだつような不穏な気配。今までも度々感じていた、ヒジュルの中にある漆黒の闇のようなおぞましさ。それが膨らみのたうつようにして辺りを這いうねる。
 その中心にあるのは一つの武器。いや、武器のように思える黒い塊。
 うねるように曲がりくねった醜い刃は、まるで表面に油が流れているかにぬらり月の光を反射する。
 それは、例えるなら真っ黒な金属の塊を、とてつもない怪力でぐにゃりと曲げて、伸ばし、そしてそれらしい形にこね上げたかのようだ。

 その光り輝く漆黒の闇そのものを右手に持ちつつ、ヒジュルは言葉を続ける。
 
「───やはり、選ばれるのは貴様か」
 
 何に? いつも曖昧で謎かけみてえな事ばかりほざくヒジュルのヤツだが、今はその言葉よりも別のものへ意識が向いている。
 黒い刃から放たれる異様な圧。ヒジュルよりも何よりも、まるでその刃に見つめられてでもいるかのような気持ちがしてくる。
 
「シャーイダールの見立て通りに、“災厄の美妃”は貴様を選んだ……。それが貴様の運命だ、受け入れろ」
 
 目が離せないまま、その黒い刃のゆっくりとした動きを見る。
 身動き出来ないままその刃先が、俺の胸へ、心臓へと滑り込むのを見る。
 
「抗えば死ぬぞ」
 
 最期に聞こえたその声に、俺の意識はブツリと途切れる。
 
 
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