上 下
20 / 99

戻っては、来れたけど……

しおりを挟む
 俺は何もない空間に、一人で佇んでいた。

「あれ?

 ここ、前にも来たことがある……」

 あれは……そう、異世界に来る前だ。

 陸橋から突き落とされた俺は、ここにいた。

 どうして忘れていたんだろう。

 確かあの時……。

 そうだ、あの時俺は何もない空間で、一人だった。

 そして俺は死んだんだとそう思った。

 今度生まれかわることがあったら、家族が欲しい。

 愛する妻と、たくさんの子供。

 テレビで見る大家族みたいな、あったかい家族。

 そう思った瞬間、俺はすーっと落下していく感覚に襲われて。

 気が付いたら異世界にいたんだった。

 ……ここで考えたことは、望みがかなうってことかな?

 まあ、妻が夫になったことは想定外だったけど。 

 俺の望みは、今は一つしかない。

 正直言うと、もう元の世界には戻りたくない。

 戻りたくても、さすがにトラックに轢かれたら、生きてないだろう。

 オフクロは、また泣くだろうか。

 俺の人生はずっと彼女に振り回されてきたけど、その涙を見たら、少しは許せるような気がした。

 まあ、全部水に流せるほど、大人じゃないけど。

 でも、そんなことはもういい。

 どうだっていい。

 俺はゲルマのところに行きたい。 

 ゲルマと、子供たちの元へ。

 俺は再び支えを失って落下していく感覚を覚え……そして、頬を撫でる風を感じ目を開くと、俺は草原に立っていた。

 以前の転移と全く同じ場所だと、分かった。

 ……これは、想像してなかった。

 てっきり、ゲルマたちのところに行くとばっかり……。

 というかここ、王都から結構離れてるんだけど……。

 俺は異世界にやってきてから流れ流れて王都にたどり着いたが、仕事を求めて王都までたどり着くまでに、2ヶ月くらいかかっている。

 ってことは、ゲルマに会うのは2か月後って事???

 俺はだだっ広い草原に、呆然と立ち尽くすのだった。


  

 

 呆然としてても仕方ないな……。

 とりあえず、同じ世界にはやってこれた。

 日本に戻った時の絶望を考えたら、ぜんぜんマシ。

 俺は気を取り直して、以前進んだ同じ方角へと歩き出した。

 異世界に来て初めてお世話になった、メールアスさんのお家へと。

「……なんてこと! まあ……ショージ!!

 何年ぶりだろうね!!」

 一時間ほど歩いた先にある兎族の獣人メールアスさんの家に着いたときは、本当にほっとした。

 ちょうど戸口に出ていたメールアスの小母さんに抱きしめられ、俺は思わず涙をこぼしそうになった。

 なにせケータイの経路検索なんて使えない世界だ。

 たしか、こっちのほう……という勘だけで進んでいただけに、たどり着いた時の感動は言葉に出来ない。

 しかし気がかりな点が一つ。

 メールアスさんの小母さんに、何年ぶりだろうって言われた点、それとあきらかにメールアスの小母さんが、少しばかり老けて見えた点だ。

 少なくとも、1年じゃないな、と思う。

「お久しぶりです。

 お世話になったのに、お礼にも来なくてすみませんでした」

 遠いから来るのは無理としても、何かお礼の品を送ることも出来たのに。

 結婚当初はゲルマにお礼をしたいと話していたのに、いろんなことがあまりにあわただしくて、夢中で、失念していたのだ。

 自分の至らなさに、恥じ入るばかりだ。

「あの、小父さんは?」

「2年前にね……」

 小母さんは小さく呟いた。

 亡くなったのか……。

 なんのお礼もしてないのに。

 異世界に来たばっかりで途方に暮れていた俺を1週間自宅に泊めてくれて、王都まで行くのにお金がかかるからと路銀を持たせてくれた優しい人だったのに。 

「そういや、あんたから届いた贈り物、主人は本当に喜んでいたよ?」

 小母さんの言葉に、俺はびっくりして「ほんとですか?」と尋ねた。

「当たり前だよ。

 ここの冬は厳しいからね。

 あんな素敵な薪ストーブを送ってくれて、ショージは凄い奴だっていつも言ってたもんさ」

 贈り物をした記憶はない。

 それに、以前来たときはそんなに寒い頃じゃなかった。

 だけど異世界に来てからの話なら、ゲルマに話したことがあるから。

 そっと贈り物をしてくれたのは、絶対ゲルマだ。

 メールアスさんの話は一度しかしてないっていうのに。

 ちゃんと俺のためにしてくれてた。

 俺は本当にたまらなく、ゲルマに会いたくなった。

 ゲルマを思い出して、祈るように両手を握り締めた時、俺は懐かしい感触に気付いた。

 左手の薬指の、指輪の存在に。

 出産のとき以来見ていなかった、ゲルマにもらった結婚指輪がそこにあった。

「あら、指輪?」

 俺の指輪の存在に気付いたメールアスの小母さんに、手を差し出して見せた。

「その……結婚したんです。

 指輪も……薪ストーブも、彼が……」

 思わず頬が熱くなる。

「そう……それは素敵な旦那さまね?」

「あ、はい……とても」

「……幸せそうで、良かったわ。

 ところで……今日は一体どうしたの??

 ショージ」

「あー……実は訳があって、国に一度戻っていたんです。

 また王都に戻らなければならないので、その前にお寄りしたんですけど……」

 俺はそれ以上なんと説明していいのか分からず、口ごもった。

 どうしたらいいだろう。

 俺は今この国の金なんて無一文だ。

 ここからじゃ町まで少しあって、今から行くと、たどり着く前には夜になる。

 たどり着いたって、金がないとそこから先は身動き取れない。

「……今日は、泊まっていってくれるんでしょう?

 ショージ」

「メールアス、さん……!!

 そんな……いいんですか??」

 俺の事情を察してくれたのか、メールアスの小母さんは俺が何も言わないのに、そう申し出てくれた。

 なんて、なんて優しいんだ!!!

 無事王宮に戻れたら、今度はちゃんと自分でお礼しよう。

 心をこめて、ちゃんと……。

「そんな、得体のしれない奴泊めるなんて、ダメに決まってるだろう」

 急に背後から聞こえてきた声に、俺はビクリと体を震わせた。

「ギオージュ!!

 おかえりなさい」

 俺はゆっくりと、振り向いた。

 ギオージュ、俺も知っている名前。

 メールアス夫妻の、遠くにいる息子さんの名前だ。

 え?
 
 その息子?

 俺は突然現れた兎族の青年を見つめた。

 亡くなってしまったメールアスの小父さんの面影がある。

「あ、あの、俺……」

 ギオージュは、俺の顔をまじまじと値踏みするように見ていた。

 兎族って俺の中ではか弱い部類に入っていたんだけど、ギオージュは耳と尻尾こそ可愛いものの、体つきは全然可愛くなかった。

 なんというか、ボディビルダーがうさ耳、うさ尻尾をつけているのを想像してもらいたい。

 違和感、ぱねぇ。

「ギオージュ、ここは私の家よ。

 ショージは私のお客様。

 失礼な態度はよしてちょうだい」

 メールアスの小母さんの叱責により、俺は今日なんとかこの家に泊まれることになった。

 しかし……とんでもなく、視線が痛い。

 ギオージュは、小父さんの優しい性格は受け継いでいないようだった。

      
しおりを挟む

処理中です...