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42話 灰色の器
目が覚めると、自分の目の前に鍛えられた男の胸があった。
昨晩の激しい情交のせいで、まだ自分の体内に隣の男がいるような錯覚をしてしまう。
ギルバートが戻ってからすでに数ヶ月が経っていたが、彼は自分の部屋はいらないと言い張りウィリアムの部屋にずっといる。
ウィリアムに否はない。
あれほど渇望していた相手と一緒にいられるのだから。
「う、ん、、、」
ギルバートが小さく呻いて、ウィリアムを強く引き寄せる。
片時も離さないぞと言わんばかりに胸に閉じ込められた。
ウィリアムはすんすんとギルバートの胸に鼻をすりつけた。
彼の匂いに、ひどく安心する。どうやってギルバートのいない寂しさに今まで耐えていたのだろう。
ギルバートからは眠っているせいで、微かに銀の気配が漂っている。ウィリアムにはもちろん害はないし、むしろそれに包まれれば心地よさすらある。
男らしく精悍な顔をウィリアムは見上げた。
整った顔だ。きりりと引き締まった太い眉。それとバランスの良い、垂れ気味のアイライン。緑の瞳は今は閉じられているが開くととても綺麗だ。緑をベースに、茶色が差し色で混じる。それがヘイゼル色のひとつだというのをウィリアムは彼を待つ間に知った。
こうやって改めて見ると、ギルバートはやはりグレイと似ている。
ギルバートがまだ人の時は似ているのは顔だけだと思っていたが、魔物になってから抱かれてみると気配というか、匂いというか、そういうものまで似ているのだ。
それに、彼の強さ。長く生きるウィリアムよりも魔物になってから間もないギルバートの方が、毒気の量も力も何もかも自分より勝っているように思えた。
追いつけない脚力、一瞬でディアヴァルを狩るスピードと力。魔物化した姿も、ウィリアムのそれよりずっと野生的で威圧感がある。
彼が魔物になってから得た力は、最初からかなり強いようだ。
魔物の強さが何に由来するのかウィリアムはよくわかっていない。ギルバートが強いのはもともとモノクルスとして鍛え抜かれていたからかもしれない。だが、ウィリアムはなんとなく予感していた。
ギルバートの出自はアイルランドだと言うが、もしかすると彼の祖先はグレイと遺伝子的にかなり近いのではないか。
グレイが人であった頃の事はなにひとつ知らないが、ギルバートのように黒髪など、アイルランド人の特徴が容姿に見て取れた。
であれば、ギルバートの底知れない力も説明がつく。鍛えられた上に、遺伝子レベルのもの。
ウィリアムは自分の憶測に、唇を噛む。
だからといって、ギルバートはギルバートだ。
グレイとはまったく違う。もうウィリアムはギルバートを失う事など考えられなかった。
自分はグレイよりも、この目の前の男のために存在していると断言できる。
ギルバートの瞼が微かに震え、ゆっくりと眼が開いた。
ヘイゼルの瞳と神父の瞳が、自分を見つける。
「ウィリアム」
安心感を表す声で彼に呼ばれ、全身に喜びが広がった。
被さるように降りてくる唇を受け止める。
そしてキスの途中で、ギルバートの唇が微笑んだ。
「なに?」
ウィリアムが問うと、ギルバートは目を細め
「いや、幸せだなと」
と漏らす。
ウィリアムもその言葉で多幸感に包まれる。手を伸ばし、彼の黒い髪をぐしゃぐしゃにかき回した。
「なにするんだよ」
ボサボサの頭で困ったように言うくせにその顔が優しくて、胸が痛くなった。
この男は、自分のために全てを捧げてくれた。そう、改めて実感した。
《あー、おほん》
その時、部屋の天井近くに据えられたスピーカーからマシューズの咳払いが響いた。
スピーカーでの連絡になったのは、二人ともマシューズからの電話を何度も無視したからだ。部屋から出てこず電話も出ない二人に、業を煮やしたマシューズが「これは命令」と言ってスピーカーを部屋に設置した。
《二人とも。悪いけど、ブリーフィングルームに来てくれ》
ギルバートはベッド脇にあるスイッチに手を伸ばして、「通話」状態にした。
「どうかしたか?」
《グレイと思われる個体の目撃情報があったんだ。映像も手に入った。二人に確認して欲しい》
マシューズの真剣な声に、ウィリアムとギルバートは顔を見合わせる。
「わかった、すぐ向かう」
ギルバートは即答し、スイッチを切った。
「あいつが・・・とうとう現れたか」
硬い声で言うと、ギルバートはどこか気遣うような視線をウィリアムに向けた。だがウィリアムは、何も言わなかった。何も言えなかった。
ただベッドから降り、無言のまま支度を始めるとギルバートも黙って続いた。
「間違いない。グレイだ」
映像を見て、ウィリアムははっきりと答えた。
監視カメラ映像の解像度は低いが、顔は十分に識別できる。
「なんか、最近見慣れた顔に似てる」
他のモノクルスメンバーも会議室に集まり、映像を観たルルがそんな事を言った。
ルルの言葉は間違っていなかった。その顔は、ギルバートにそっくりだった。
ただ、ウィリアムの記憶の通り、映像の男の方が見た目の年齢が高い。
ウィリアムやギルバートも、冥界に入った時点での年齢のまま、時を止める。
だとすれば、グレイはギルバートより年を取ってから人を辞めたのだろう。
不死の者の年齢など、今更関係があるとは思わないが。
「やっぱり、まだ生きていたんだな」
「あいつは・・・現状最も古い者だ。あいつを殺せる者はいないと思う」
ギルバートの言葉に、ウィリアムは答えた。
今までグレイの話題は難なく口にできたのに、いざその存在が近いかもしれないとなった時、ウィリアムの心は乱れた。
だが、今はギルバートが側にいる。だからウィリアムは平常心を保てる。
「まだグレイと居た頃に、あいつが他のディアヴァルを圧するのを見たことがある」
ウィリアムはギルバートと人間の仲間たちに説明をした。
グレイは戦わずに、ディアヴァルを簡単に追い払った。彼は一度もウィリアムの前で魔物化した事がない。なる必要がないほどの力を有していたのだろう。
「とんでもないな」
ギルバートが唸った。自身が魔物となったからこそ、グレイの強さをより推し量る事ができるのだろう。
「奴は元々、どんな人間だったんだ?」
「俺は・・・知らない」
ギルバートの問いにウィリアムは答えられない。
ディアヴァルの最古であり、根源である存在。
グレイと共にあった時でさえ、ウィリアムはグレイの過去を聞いた事がなかった。
彼が、いつからこの世にいるのか。
人間であった時の事も、なぜ魔物に身を窶したのかさえ知らない。
彼は自分のことを語らなかったからだ。
グレイはある意味で”達観者”だった。享楽的ですらあったように思う。
彼は生きる目的を持たなかった。
そういう意味ではより”魔物”に近しい。
だが、それは裏を返せばグレイという個体がこの世を漂った悠久の時間の恐ろしさを、容易に想像させた。
希望も絶望も、喜びも悲しみも、彼はなにも感じていないのではないか、と思う事がウィリアムにはしばしばあった。よく笑う男だったが、その笑みはいつでも虚空を感じさせた。
だからこそ、ウィリアムのグレイへの想いさえ彼は受け止めなかったのではないか。
彼がウィリアムの願いを聞き入れたのは、退屈しのぎのようなものだったのかもしれない。
グレイに”捨てられた”と思った時、ウィリアムは生きる希望を失ったが魔物である身では簡単に滅びる事もできなかった。
数十年、ウィリアムは愛に飢えた子供のようにさまよい続けた。最初はグレイを探したが、それはすぐに諦めに変わった。
寂しくて、悲しかった。
ウィリアムは自分を愛してほしかっただけだ。だが魔物である自分には、愛は最も遠くにあるものだった。
ギルバートに出会うまでは。
だからウィリアムはギルバートとこうして共にあるようになってから、時々思うのだ。
グレイという名の、姓も持たず本名であるかすらもわからぬ、ただそう名乗った男への憐れみを。
彼は、虚無だ。
「これは1週間前の、ロンドン市内にある酒場の近くでの映像だ。で、遡って調べたら」
マシューズが手元のボタンを押すと、スクリーンの映像は切り替わり、パスポートの写真が映る。
グレイだ。名前の欄には「グレイソン・E・ウォレス」とあった。
「パスポートはアメリカのものだ。偽造ではあるだろうけど、かなり精巧なものだ。ウォレスが彼の本名なのか?ウィル」
「わからない。グレイはいくつも名前を使い分けていた。そうやって人間界に馴染んでいるんだろう。俺が知る限りでも、600年以上は生きてる」
ウィリアムの返答に「途方もないな」とウコンが言う。普段、口数が少ない彼の言葉は、相当の響きを含んでいた。
「奴はいつ来たの?」
ルルの問いに「入国は3ヶ月前だった」と答えたマシューズは、
「ギルバートが復活する少し前だ。偶然とは思えない気がする」
そう真剣に言ってウィリアムを見た。
ウィリアムは隣のギルバートをちらりと見てから、腕を組んで考える。
グレイは何かに執着するタイプではない。
彼は執着される事には喜びを感じるが、自分が何かに捕らわれる事を拒んでいた。
だからどんな関係も刹那的だった。
何度肌を重ねても、彼の心はウィリアムには理解できなかった。
だから、500年越しに姿を現したのは、自分に会いに来たのではないだろうとウィリアムは確信に近く思う。
「彼は気ままなんだ。偶然かもしれないし、何か目的があるのかも。ロンドン近郊で若い行方不明者の推移はわかるか?」
「グレイが入国してから失踪届が出されたのは8人。だが、喰い荒らされたような遺体は今のところ出ていないね」
マシューズがまた何かを操作すると、行方不明者の写真がスクリーンにずらりと並んだ。
20代が3人、30代が2人。後はどうみても老人の域だ。
グレイは若い男を好むから老人は除外していいだろう。若い方の5人のうち誰かはグレイの食事になっただろう、とウィリアムは思った。
グレイは食欲と性欲を我慢しない。
「グレイは隠すのが上手いんだ。でなきゃ、この現代で騒がれずにいる事はできない」
今は昔ほど、人がいなくなる事に関して無関心ではない。
だからこそ慎重に行動しているだろう。
もちろん、彼はそれが明るみに出た所でどうという事もない。
彼は人ではないから人の世界のルールでは生きていないのだ。
だが、ウィリアムとギルバートは人の世界で「共生」を選んだ。
だからこそ、自分たちに対してのルールも厳格に設けている。
生きている人間を喰わないのはもちろん、魔物の力をむやみに使わない事もまた、そのうちの一つだ。
法衣に身を包み抑制機を付けて神父の武器で戦うのは、その為だ。
「市内の警備を強化するように軍と警察には言ってある」
マシューズが告げるが、ウィリアムは首を横に振った。
「人間はグレイには絶対勝てない。もし、あいつが現れたなら逃げるようにウォードには釘を刺した方がいい。グレイは人間以外の姿にはならないだろうが、どのディアヴァルより数倍危険な”怪物”なんだ。俺とギルしか対抗できないと思う」
「あら、私達でも?」
ルルの矜持の高い言葉にも、ウィリアムは再度、首を横に振った。
「やめておいた方がいい。カラーズ1体でも大変なのに、グレイはその比じゃないんだ。俺たちだって勝てるかどうかなんてわからないよ」
ウィリアムの真剣な言葉に普段は勝気なルルも思わず押し黙った。
他の者たちも一様に口を閉ざしてしまう。
ここにいるメンバーは、自分たちが決してウィリアムにもギルバートにも及ばない事を自覚している。
ウィリアムがそう言うのなら、きっとそれは本当なのだと思っているだろう。
「"あの毒"は、有効だと思うか?」
ギルバートがウィリアムに尋ねた。
【エウカリス】──かつて自分を窮地に追い込んだ毒は、改良を重ねて今もある。
だが、結局200年以上経っても普通のディアヴァルにさえ致死の毒ではないし、数にも限りがある。薬の精製は簡単ではなく、そうそう増やせるものではない。
「正直わからないな、1本打ったぐらいでは無理だと思う。俺はかなりの量を打たれたけど、効果も一時的だっただろう?今の薬も基本的には変わっていない。改良といっても、飛躍的に効果が高くなったわけじゃないんだ」
「弱るだけでもいいんじゃないか?」
ロッドの言葉にウィリアムは首を傾げて考え込む。
「弱る事すらあるのかもわからない。あいつの本気を俺すら知らないんだ。どれほどの力があるのか・・・ただ、果てしなく強いのだけは、わかる」
ウィリアムの言葉に皆が再び黙り込んだ。
今までとはケタ違いの強敵の出現に、鍛え抜かれた戦士とて不安に思わない者は、この場に一人もいなかった。
昨晩の激しい情交のせいで、まだ自分の体内に隣の男がいるような錯覚をしてしまう。
ギルバートが戻ってからすでに数ヶ月が経っていたが、彼は自分の部屋はいらないと言い張りウィリアムの部屋にずっといる。
ウィリアムに否はない。
あれほど渇望していた相手と一緒にいられるのだから。
「う、ん、、、」
ギルバートが小さく呻いて、ウィリアムを強く引き寄せる。
片時も離さないぞと言わんばかりに胸に閉じ込められた。
ウィリアムはすんすんとギルバートの胸に鼻をすりつけた。
彼の匂いに、ひどく安心する。どうやってギルバートのいない寂しさに今まで耐えていたのだろう。
ギルバートからは眠っているせいで、微かに銀の気配が漂っている。ウィリアムにはもちろん害はないし、むしろそれに包まれれば心地よさすらある。
男らしく精悍な顔をウィリアムは見上げた。
整った顔だ。きりりと引き締まった太い眉。それとバランスの良い、垂れ気味のアイライン。緑の瞳は今は閉じられているが開くととても綺麗だ。緑をベースに、茶色が差し色で混じる。それがヘイゼル色のひとつだというのをウィリアムは彼を待つ間に知った。
こうやって改めて見ると、ギルバートはやはりグレイと似ている。
ギルバートがまだ人の時は似ているのは顔だけだと思っていたが、魔物になってから抱かれてみると気配というか、匂いというか、そういうものまで似ているのだ。
それに、彼の強さ。長く生きるウィリアムよりも魔物になってから間もないギルバートの方が、毒気の量も力も何もかも自分より勝っているように思えた。
追いつけない脚力、一瞬でディアヴァルを狩るスピードと力。魔物化した姿も、ウィリアムのそれよりずっと野生的で威圧感がある。
彼が魔物になってから得た力は、最初からかなり強いようだ。
魔物の強さが何に由来するのかウィリアムはよくわかっていない。ギルバートが強いのはもともとモノクルスとして鍛え抜かれていたからかもしれない。だが、ウィリアムはなんとなく予感していた。
ギルバートの出自はアイルランドだと言うが、もしかすると彼の祖先はグレイと遺伝子的にかなり近いのではないか。
グレイが人であった頃の事はなにひとつ知らないが、ギルバートのように黒髪など、アイルランド人の特徴が容姿に見て取れた。
であれば、ギルバートの底知れない力も説明がつく。鍛えられた上に、遺伝子レベルのもの。
ウィリアムは自分の憶測に、唇を噛む。
だからといって、ギルバートはギルバートだ。
グレイとはまったく違う。もうウィリアムはギルバートを失う事など考えられなかった。
自分はグレイよりも、この目の前の男のために存在していると断言できる。
ギルバートの瞼が微かに震え、ゆっくりと眼が開いた。
ヘイゼルの瞳と神父の瞳が、自分を見つける。
「ウィリアム」
安心感を表す声で彼に呼ばれ、全身に喜びが広がった。
被さるように降りてくる唇を受け止める。
そしてキスの途中で、ギルバートの唇が微笑んだ。
「なに?」
ウィリアムが問うと、ギルバートは目を細め
「いや、幸せだなと」
と漏らす。
ウィリアムもその言葉で多幸感に包まれる。手を伸ばし、彼の黒い髪をぐしゃぐしゃにかき回した。
「なにするんだよ」
ボサボサの頭で困ったように言うくせにその顔が優しくて、胸が痛くなった。
この男は、自分のために全てを捧げてくれた。そう、改めて実感した。
《あー、おほん》
その時、部屋の天井近くに据えられたスピーカーからマシューズの咳払いが響いた。
スピーカーでの連絡になったのは、二人ともマシューズからの電話を何度も無視したからだ。部屋から出てこず電話も出ない二人に、業を煮やしたマシューズが「これは命令」と言ってスピーカーを部屋に設置した。
《二人とも。悪いけど、ブリーフィングルームに来てくれ》
ギルバートはベッド脇にあるスイッチに手を伸ばして、「通話」状態にした。
「どうかしたか?」
《グレイと思われる個体の目撃情報があったんだ。映像も手に入った。二人に確認して欲しい》
マシューズの真剣な声に、ウィリアムとギルバートは顔を見合わせる。
「わかった、すぐ向かう」
ギルバートは即答し、スイッチを切った。
「あいつが・・・とうとう現れたか」
硬い声で言うと、ギルバートはどこか気遣うような視線をウィリアムに向けた。だがウィリアムは、何も言わなかった。何も言えなかった。
ただベッドから降り、無言のまま支度を始めるとギルバートも黙って続いた。
「間違いない。グレイだ」
映像を見て、ウィリアムははっきりと答えた。
監視カメラ映像の解像度は低いが、顔は十分に識別できる。
「なんか、最近見慣れた顔に似てる」
他のモノクルスメンバーも会議室に集まり、映像を観たルルがそんな事を言った。
ルルの言葉は間違っていなかった。その顔は、ギルバートにそっくりだった。
ただ、ウィリアムの記憶の通り、映像の男の方が見た目の年齢が高い。
ウィリアムやギルバートも、冥界に入った時点での年齢のまま、時を止める。
だとすれば、グレイはギルバートより年を取ってから人を辞めたのだろう。
不死の者の年齢など、今更関係があるとは思わないが。
「やっぱり、まだ生きていたんだな」
「あいつは・・・現状最も古い者だ。あいつを殺せる者はいないと思う」
ギルバートの言葉に、ウィリアムは答えた。
今までグレイの話題は難なく口にできたのに、いざその存在が近いかもしれないとなった時、ウィリアムの心は乱れた。
だが、今はギルバートが側にいる。だからウィリアムは平常心を保てる。
「まだグレイと居た頃に、あいつが他のディアヴァルを圧するのを見たことがある」
ウィリアムはギルバートと人間の仲間たちに説明をした。
グレイは戦わずに、ディアヴァルを簡単に追い払った。彼は一度もウィリアムの前で魔物化した事がない。なる必要がないほどの力を有していたのだろう。
「とんでもないな」
ギルバートが唸った。自身が魔物となったからこそ、グレイの強さをより推し量る事ができるのだろう。
「奴は元々、どんな人間だったんだ?」
「俺は・・・知らない」
ギルバートの問いにウィリアムは答えられない。
ディアヴァルの最古であり、根源である存在。
グレイと共にあった時でさえ、ウィリアムはグレイの過去を聞いた事がなかった。
彼が、いつからこの世にいるのか。
人間であった時の事も、なぜ魔物に身を窶したのかさえ知らない。
彼は自分のことを語らなかったからだ。
グレイはある意味で”達観者”だった。享楽的ですらあったように思う。
彼は生きる目的を持たなかった。
そういう意味ではより”魔物”に近しい。
だが、それは裏を返せばグレイという個体がこの世を漂った悠久の時間の恐ろしさを、容易に想像させた。
希望も絶望も、喜びも悲しみも、彼はなにも感じていないのではないか、と思う事がウィリアムにはしばしばあった。よく笑う男だったが、その笑みはいつでも虚空を感じさせた。
だからこそ、ウィリアムのグレイへの想いさえ彼は受け止めなかったのではないか。
彼がウィリアムの願いを聞き入れたのは、退屈しのぎのようなものだったのかもしれない。
グレイに”捨てられた”と思った時、ウィリアムは生きる希望を失ったが魔物である身では簡単に滅びる事もできなかった。
数十年、ウィリアムは愛に飢えた子供のようにさまよい続けた。最初はグレイを探したが、それはすぐに諦めに変わった。
寂しくて、悲しかった。
ウィリアムは自分を愛してほしかっただけだ。だが魔物である自分には、愛は最も遠くにあるものだった。
ギルバートに出会うまでは。
だからウィリアムはギルバートとこうして共にあるようになってから、時々思うのだ。
グレイという名の、姓も持たず本名であるかすらもわからぬ、ただそう名乗った男への憐れみを。
彼は、虚無だ。
「これは1週間前の、ロンドン市内にある酒場の近くでの映像だ。で、遡って調べたら」
マシューズが手元のボタンを押すと、スクリーンの映像は切り替わり、パスポートの写真が映る。
グレイだ。名前の欄には「グレイソン・E・ウォレス」とあった。
「パスポートはアメリカのものだ。偽造ではあるだろうけど、かなり精巧なものだ。ウォレスが彼の本名なのか?ウィル」
「わからない。グレイはいくつも名前を使い分けていた。そうやって人間界に馴染んでいるんだろう。俺が知る限りでも、600年以上は生きてる」
ウィリアムの返答に「途方もないな」とウコンが言う。普段、口数が少ない彼の言葉は、相当の響きを含んでいた。
「奴はいつ来たの?」
ルルの問いに「入国は3ヶ月前だった」と答えたマシューズは、
「ギルバートが復活する少し前だ。偶然とは思えない気がする」
そう真剣に言ってウィリアムを見た。
ウィリアムは隣のギルバートをちらりと見てから、腕を組んで考える。
グレイは何かに執着するタイプではない。
彼は執着される事には喜びを感じるが、自分が何かに捕らわれる事を拒んでいた。
だからどんな関係も刹那的だった。
何度肌を重ねても、彼の心はウィリアムには理解できなかった。
だから、500年越しに姿を現したのは、自分に会いに来たのではないだろうとウィリアムは確信に近く思う。
「彼は気ままなんだ。偶然かもしれないし、何か目的があるのかも。ロンドン近郊で若い行方不明者の推移はわかるか?」
「グレイが入国してから失踪届が出されたのは8人。だが、喰い荒らされたような遺体は今のところ出ていないね」
マシューズがまた何かを操作すると、行方不明者の写真がスクリーンにずらりと並んだ。
20代が3人、30代が2人。後はどうみても老人の域だ。
グレイは若い男を好むから老人は除外していいだろう。若い方の5人のうち誰かはグレイの食事になっただろう、とウィリアムは思った。
グレイは食欲と性欲を我慢しない。
「グレイは隠すのが上手いんだ。でなきゃ、この現代で騒がれずにいる事はできない」
今は昔ほど、人がいなくなる事に関して無関心ではない。
だからこそ慎重に行動しているだろう。
もちろん、彼はそれが明るみに出た所でどうという事もない。
彼は人ではないから人の世界のルールでは生きていないのだ。
だが、ウィリアムとギルバートは人の世界で「共生」を選んだ。
だからこそ、自分たちに対してのルールも厳格に設けている。
生きている人間を喰わないのはもちろん、魔物の力をむやみに使わない事もまた、そのうちの一つだ。
法衣に身を包み抑制機を付けて神父の武器で戦うのは、その為だ。
「市内の警備を強化するように軍と警察には言ってある」
マシューズが告げるが、ウィリアムは首を横に振った。
「人間はグレイには絶対勝てない。もし、あいつが現れたなら逃げるようにウォードには釘を刺した方がいい。グレイは人間以外の姿にはならないだろうが、どのディアヴァルより数倍危険な”怪物”なんだ。俺とギルしか対抗できないと思う」
「あら、私達でも?」
ルルの矜持の高い言葉にも、ウィリアムは再度、首を横に振った。
「やめておいた方がいい。カラーズ1体でも大変なのに、グレイはその比じゃないんだ。俺たちだって勝てるかどうかなんてわからないよ」
ウィリアムの真剣な言葉に普段は勝気なルルも思わず押し黙った。
他の者たちも一様に口を閉ざしてしまう。
ここにいるメンバーは、自分たちが決してウィリアムにもギルバートにも及ばない事を自覚している。
ウィリアムがそう言うのなら、きっとそれは本当なのだと思っているだろう。
「"あの毒"は、有効だと思うか?」
ギルバートがウィリアムに尋ねた。
【エウカリス】──かつて自分を窮地に追い込んだ毒は、改良を重ねて今もある。
だが、結局200年以上経っても普通のディアヴァルにさえ致死の毒ではないし、数にも限りがある。薬の精製は簡単ではなく、そうそう増やせるものではない。
「正直わからないな、1本打ったぐらいでは無理だと思う。俺はかなりの量を打たれたけど、効果も一時的だっただろう?今の薬も基本的には変わっていない。改良といっても、飛躍的に効果が高くなったわけじゃないんだ」
「弱るだけでもいいんじゃないか?」
ロッドの言葉にウィリアムは首を傾げて考え込む。
「弱る事すらあるのかもわからない。あいつの本気を俺すら知らないんだ。どれほどの力があるのか・・・ただ、果てしなく強いのだけは、わかる」
ウィリアムの言葉に皆が再び黙り込んだ。
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