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45話 美しき銀と青
サイレンが鳴り響いている。
群れのディアヴァルがまた出没したのは、赤いディアヴァルを討伐してから10日後だった。
モノクルスを乗せた車は、シティ・オブ・ロンドンの東、イーストエンドに到着した。
既に現地では軍の特殊部隊が展開し、ディアヴァルを封じ込めている。
街はかなりの範囲で避難指示が出ていた。検問所が設けられ、赤いランプが回っている。
「エウカリスがもっと作れればよかったのだけれどね」
車から降りたマシューズが、残念そうに言ってライフルを肩に担いだ。普段は統括に回るマシューズは、武器を携帯する姿があまり似合わない。
ギルバートはその姿を見て、200年前のマシューズ家の兄弟を思い出す。モノクルスとして現場に出ていたジョセフすら、穏やかな言動から戦闘向きではなかった。その兄のスペンサーは地下に籠る研究員で、現代当主のケヴィン・マシューズは先祖返りでスペンサーにそっくりだ。だからこそ試験管よりライフルの図がちぐはぐに見えたが、それでも今の状況下では必要な戦闘要員だった。
「あるだけましよ」
ルルがそんなマシューズを慰めるように言う。
「ギリギリまで使うな、カラーズがいるかもしれんし、グレイも出てくるかもしれんぞ」
ロッドの言葉に、モノクルスたちは顔を引き締め頷いた。
ディアヴァルの力を無力化し、強制的に人間の姿に戻す毒薬【エウカリス】。
ディアヴァルの根源であるグレイにエウカリスが有効かどうかはわからないが、カラーズには確実に効く。200年前より改良され、そして的確な撃ち込み方をすれば信頼できる。
現場はテムズ川沿いの観光名所、ロンドン塔の周辺だ。11世紀に建立された城塞は、近代ビルが立ち並ぶ中心部を通過してくると時代を錯覚してしまう眺望だった。
「俺とウィリアムとで、できるだけ数は減らす。エウカリスの無駄撃ちはするな」
ギルバートがウィリアムを隣に大鎌の準備を整えて言う。
「黒いやつなら俺たちでも十分だよ。なぁ、ウコン」
リックが答え、ウコンが頷いた。
モノクルスたちはそれぞれの装備を手に、固まって街を進んだ。効率は悪いがあまり分散するのも危険なためだ。
確認されているのは黒いディアヴァルが7体。
ギルバートとウィリアムは二人で先行し、ディアヴァルを狩っていった。
《こちらは終わったよ》
マシューズから通信が入ったのは、ギルバートとウィリアムが5体目の魔物のトドメを刺した時だった。
無線に向かって「こちらも終わった」とウィリアムは告げた。
銃声も止み、ロンドン塔周辺の街は静寂に包まれている。
「終わったのか?」
「いや、グレイは必ず現れるはずだ」
ディアヴァルの群れも、グレイが関係しているとウィリアムは思っている。
きっと、あの男は来る。
《紫のヤツがいた!!》
ルルの緊迫した声が無線に響いた。
ウィリアムとギルバートは、やはり、と目配せをし合った。またもやカラーズだ。
《ロンドン塔の敷地内にいる!》
ルルたち他のモノクルスは街から城塞の中へと入っていた。城壁越しに悲鳴と怒号が聞こえて、むわりと壁の高さを越える紫色の靄が見えた。
毒気だ。
走り出したのは二人同時だった。
カラーズがこれほど立て続けに現れることは今までなかった。間違いなくグレイはウィリアムとギルバートを挑発しているのだ。
敷地内に駆け込み、銃声が鳴り止まない中を二人は異様な魔物めがけて走った。
二人の接近に、軍の一斉射撃が止む。
小山のように低い体勢でいる紫の塊に向かって、ウィリアムが先に飛び込んだ。
「・・・!」
だが、ウィリアムは寸前で腰の抜刀を止めた。
カラーズであるはずの魔物の様子がおかしい。地面にうずくまり、頭を擦り付けて苦しそうに唸っている。
ウィリアムが間近にいても、紫色のディアヴァルは攻撃をしてこなかった。
「ウィル、これは?」
隣にきたギルバートが不審げに言う。
「皆、攻撃するな、待ってくれ」
ウィリアムの伸ばした腕と制止の言葉に、モノクルスたちもその場で待機した。
『い、、や、だ』
攻撃をしてこない魔物から、ぐるぐると唸る声に混じって人の声のようなものが聞こえた。
「コイツ・・・理性がある、のか?」
ギルバートが驚きに目を見開いて魔物を凝視した。
「お前、言葉を話せるか?」
ウィリアムが魔物に問う。
『ど、し、て・・・ち・・・が』
魔物は顔を上げた。瞳は赤く、口からは牙が覗いている。ディアヴァルだ。間違いない。だが、魔物は赤い涙をひたひたと瞳から流している。赤い血液のような涙だった。その瞳には苦しみと悲しみが見える。
うううう・・・ううううう・・・
ぶわりと紫色の毒気が、まるで取り込んでしまうかのよに魔物の体を覆う。
「おい!しっかりしろ!」
「ギル」
「ああ、コイツは今までのカラーズと違う。もしかしたら理性を取り戻すかもしれないぞ。暴走を止めないと」
ウィリアムもギルバートと同じ考えだった。この魔物は、理性を残して冥界の扉を通ったのだろう。
だが、魔物は紫の靄の中、苦しそうに唸りながら体を起こすと闘牛のように足を踏み鳴らし、大きな咆哮を上げた。
瞳から理性は消えた。手を振り上げ、ウィリアムに向かって爪を振り上げた。
「ウィル!」
ギルバートが鎌で魔物の手を斬った。紫色のディアヴァルは悲鳴を上げる。
「撃て!」
マシューズの声に、モノクルスたちは狙いを定めて銃弾を放った。エウカリスが被弾し紫色の魔物が更に苦しみ出した。ぐずぐずと溶けるように体が崩れ始める。それは魔物なのか人なのかもわからない、まるで不完全な形の"もの"に成り下がっていった。
「くそ!もう・・・」
ウィリアムは歯を食いしばり、素早く魔物の後ろに回った。
紫の塊にウィリアムの短刀が刺さる。
「ギル!はやく!」
「おおおおお!」
ギルバートは魔物の首に鎌を突き立て、力いっぱい引いた。
「ああああああ・・・」
魔物は人の声で悲鳴を上げた。赤い涙を流した紫色の首が空に飛ぶ。
心臓を潰された体は、紫色の毒を吹き出して崩れ落ちた。
魔物は苦しみながら死んだ。人の理性の欠片を残して。
「あぁ・・・残念。もう少しだったのに」
魔物だった骸の後ろから、突然声が聞こえた。
誰もその人物がそこに降り立つのを見ていなかった。
「グレイ。やっぱり来たな」
ウィリアムが苦々しく言うと、グレイはにっこりと笑う。
「一体、どれ程の人間をディアヴァルにしたんだ!お前は!」
ギルバートの怒りの声にグレイは肩を竦めて「さあなぁ」とのんびりと答える。
「覚えているわけがないだろう。だが駄目だ。失敗ばかりだな。成功したのはウィリアム、お前だけだ」
ウィリアムはまた、ギリリと奥歯を噛み締めた。
「思えば最初の作品しか成功していないとはな、皮肉なものだ」
「お前は何が目的なんだ?グレイ」
「目的?目的などない」
ウィリアムの問いに、闇に溶けそうな黒スーツの男は首を横に振ると、紫色がくすぶる骸をひょいと避けて進み出てくる。
「無力で哀れな人間が望むから叶えてやるのだ。永遠に生きたい。強くなりたい。愛されたい。いつも望むのはお前たちだ」
「化け物になるなんて、俺は知らなかった!」
ウィリアムの叫びをグレイは笑って受け止める。
「永遠の代償としては安いものだ。ウィリアム、お前はだから美しいままだろう。少し寄り道をしたが、今ならお前を愛せそうだ」
「ふざけるな・・・」
グレイはただ笑う。
グレイの言葉には意味など何もない。彼はただ、人を弄び欺き、退屈な時をやり過ごしている。
この男には目的も、希望もない。
ただただ悪魔だ。知略を巡らせ人を誘惑する。そして、奈落に突き落とす。
グレイにはもう、人の心など欠片もない。
ウィリアムもグレイと同じ魔物だ。自分には人の心があるのだと言い切る事はできない。
けれど、この数百年ウィリアムは人間と生き、その道程には仲間がいた。
歴代のマシューズの当主たちをはじめとして、多くの人がウィリアムを支えてくれた。
ウィリアムは長くモノクルスたちと生きてきた。共に戦い、助け、庇い合い、その死を見届けてきた。彼らはウィリアムをその最後の時まで、仲間として受け入れ続けてくれた。
彼らの献身を美しいと思う。自分の身を犠牲にする潔さ、その高潔な使命感。
人間をやめてしまったからこそ、それがどれだけ尊いものかウィリアムは知っている。
だからグレイの言葉に怒りを覚えた。彼はこの世界に害悪しか齎さない存在だ。
「あんたを・・・生かしておけない」
ウィリアムは、自分が持っていた二つの刃を投げ捨てた。
こんなものでグレイを殺すことは不可能だ。
すると隣で鋭利な音がした。自分の武器を打ち捨てたギルバートをウィリアムが見上げると、彼は力強く頷いてみせた。
「みんなできるだけ離れてくれ。グレイは俺とギルバートで倒す」
ウィリアムは人間の仲間たちに伝えた。
だが、モノクルスたちは立ち去らない。
「援護ぐらいさせろよな」
リックがそう言ってエウカリスの銃を振った。
「あんたたちだけに美味しいとこは渡さないよ」
とルルが同じく銃を手に言った。
ウィリアムはため息を漏らす。危険だとわかっていても、彼らならそう言うだろうと思っていた。
ギルバートがウィリアムの側に寄り添った。
「団結が俺達の最大の武器だろう?ウィル」
「けど・・・」
「大丈夫だウィリアム。危なくなったら逃げるよ、僕は痛いのは嫌いだからね」
マシューズが飄々と言う。その両脇にロッドとウコンも銃を構えて立っていた。
グレイはそんなモノクルスたちを、ニヤニヤと見ている。人の力など、彼は脅威に感じていないのだ。
「人のまま、あいつには勝てない」
「わかってる。ウィル」
ギルバートは潔くウィリアムとともに法衣を脱ぎ捨てた。
ウィリアムは大きく息を吸った。怒りが原動力になる。哀れな怪物の死体を見て、体がかっと熱くなる。
あそこに横たわっていたのは自分かもしれない。だからこそ、これからする事はウィリアムの使命だった。
青い毒気が視界に広がった。
メキメキと手足が、膨張する。
自分の境界線が曖昧になる。
魔物の姿になるとすべてが解放される。その感覚に嫌な気分になる。自分が人ではないと強く認識する。ウィリアムが滅多に魔物に変じないのは、人の理性が朧げになるからだ。
「ぐあ、、、、あああ」
言葉という理念が溶けていく。発するものは唸り声だ。言葉は頭の中にあるが記号のように曖昧な観念になっていく。
人ではなくなる。獣ですらない。
自分はこの世のものではない存在だ。
背中に感じた気配に、魔物のウィリアムは振り返る。
ウィリアムと同じような姿で寄り添う銀色の肢体。
ギルバート。
ギルバートも既に姿を変えていた。だが彼の瞳には、確かな理性があった。彼は銀色の理知的な瞳でウィリアムを見つめている。
その瞳を見つめ返し、ウィリアムは自分を取り戻して安堵する。
自分は彼と繋がっている。彼がいるから大丈夫だ。
ウィリアムはギルバートに顔を寄せる。
ギルバートもウィリアムの鬣に顔を擦り寄せると、大きな咆哮を上げた。
ウィリアムよりも一回り大きなギルバートの姿。鱗のように輝く銀色の体が美しいと、ウィリアムは改めて思った。
自分の手足は青く陰鬱な色だが、ギルバートの輝く銀色の体はまるで戦士の鎧のようだ。
「面白い!こんな面白い事はいつぶりだろうか!受けて立つぞ!」
グレイが獰猛に笑った。
その姿をめがけて、青と銀の二人は容赦なく飛び掛かっていった。
群れのディアヴァルがまた出没したのは、赤いディアヴァルを討伐してから10日後だった。
モノクルスを乗せた車は、シティ・オブ・ロンドンの東、イーストエンドに到着した。
既に現地では軍の特殊部隊が展開し、ディアヴァルを封じ込めている。
街はかなりの範囲で避難指示が出ていた。検問所が設けられ、赤いランプが回っている。
「エウカリスがもっと作れればよかったのだけれどね」
車から降りたマシューズが、残念そうに言ってライフルを肩に担いだ。普段は統括に回るマシューズは、武器を携帯する姿があまり似合わない。
ギルバートはその姿を見て、200年前のマシューズ家の兄弟を思い出す。モノクルスとして現場に出ていたジョセフすら、穏やかな言動から戦闘向きではなかった。その兄のスペンサーは地下に籠る研究員で、現代当主のケヴィン・マシューズは先祖返りでスペンサーにそっくりだ。だからこそ試験管よりライフルの図がちぐはぐに見えたが、それでも今の状況下では必要な戦闘要員だった。
「あるだけましよ」
ルルがそんなマシューズを慰めるように言う。
「ギリギリまで使うな、カラーズがいるかもしれんし、グレイも出てくるかもしれんぞ」
ロッドの言葉に、モノクルスたちは顔を引き締め頷いた。
ディアヴァルの力を無力化し、強制的に人間の姿に戻す毒薬【エウカリス】。
ディアヴァルの根源であるグレイにエウカリスが有効かどうかはわからないが、カラーズには確実に効く。200年前より改良され、そして的確な撃ち込み方をすれば信頼できる。
現場はテムズ川沿いの観光名所、ロンドン塔の周辺だ。11世紀に建立された城塞は、近代ビルが立ち並ぶ中心部を通過してくると時代を錯覚してしまう眺望だった。
「俺とウィリアムとで、できるだけ数は減らす。エウカリスの無駄撃ちはするな」
ギルバートがウィリアムを隣に大鎌の準備を整えて言う。
「黒いやつなら俺たちでも十分だよ。なぁ、ウコン」
リックが答え、ウコンが頷いた。
モノクルスたちはそれぞれの装備を手に、固まって街を進んだ。効率は悪いがあまり分散するのも危険なためだ。
確認されているのは黒いディアヴァルが7体。
ギルバートとウィリアムは二人で先行し、ディアヴァルを狩っていった。
《こちらは終わったよ》
マシューズから通信が入ったのは、ギルバートとウィリアムが5体目の魔物のトドメを刺した時だった。
無線に向かって「こちらも終わった」とウィリアムは告げた。
銃声も止み、ロンドン塔周辺の街は静寂に包まれている。
「終わったのか?」
「いや、グレイは必ず現れるはずだ」
ディアヴァルの群れも、グレイが関係しているとウィリアムは思っている。
きっと、あの男は来る。
《紫のヤツがいた!!》
ルルの緊迫した声が無線に響いた。
ウィリアムとギルバートは、やはり、と目配せをし合った。またもやカラーズだ。
《ロンドン塔の敷地内にいる!》
ルルたち他のモノクルスは街から城塞の中へと入っていた。城壁越しに悲鳴と怒号が聞こえて、むわりと壁の高さを越える紫色の靄が見えた。
毒気だ。
走り出したのは二人同時だった。
カラーズがこれほど立て続けに現れることは今までなかった。間違いなくグレイはウィリアムとギルバートを挑発しているのだ。
敷地内に駆け込み、銃声が鳴り止まない中を二人は異様な魔物めがけて走った。
二人の接近に、軍の一斉射撃が止む。
小山のように低い体勢でいる紫の塊に向かって、ウィリアムが先に飛び込んだ。
「・・・!」
だが、ウィリアムは寸前で腰の抜刀を止めた。
カラーズであるはずの魔物の様子がおかしい。地面にうずくまり、頭を擦り付けて苦しそうに唸っている。
ウィリアムが間近にいても、紫色のディアヴァルは攻撃をしてこなかった。
「ウィル、これは?」
隣にきたギルバートが不審げに言う。
「皆、攻撃するな、待ってくれ」
ウィリアムの伸ばした腕と制止の言葉に、モノクルスたちもその場で待機した。
『い、、や、だ』
攻撃をしてこない魔物から、ぐるぐると唸る声に混じって人の声のようなものが聞こえた。
「コイツ・・・理性がある、のか?」
ギルバートが驚きに目を見開いて魔物を凝視した。
「お前、言葉を話せるか?」
ウィリアムが魔物に問う。
『ど、し、て・・・ち・・・が』
魔物は顔を上げた。瞳は赤く、口からは牙が覗いている。ディアヴァルだ。間違いない。だが、魔物は赤い涙をひたひたと瞳から流している。赤い血液のような涙だった。その瞳には苦しみと悲しみが見える。
うううう・・・ううううう・・・
ぶわりと紫色の毒気が、まるで取り込んでしまうかのよに魔物の体を覆う。
「おい!しっかりしろ!」
「ギル」
「ああ、コイツは今までのカラーズと違う。もしかしたら理性を取り戻すかもしれないぞ。暴走を止めないと」
ウィリアムもギルバートと同じ考えだった。この魔物は、理性を残して冥界の扉を通ったのだろう。
だが、魔物は紫の靄の中、苦しそうに唸りながら体を起こすと闘牛のように足を踏み鳴らし、大きな咆哮を上げた。
瞳から理性は消えた。手を振り上げ、ウィリアムに向かって爪を振り上げた。
「ウィル!」
ギルバートが鎌で魔物の手を斬った。紫色のディアヴァルは悲鳴を上げる。
「撃て!」
マシューズの声に、モノクルスたちは狙いを定めて銃弾を放った。エウカリスが被弾し紫色の魔物が更に苦しみ出した。ぐずぐずと溶けるように体が崩れ始める。それは魔物なのか人なのかもわからない、まるで不完全な形の"もの"に成り下がっていった。
「くそ!もう・・・」
ウィリアムは歯を食いしばり、素早く魔物の後ろに回った。
紫の塊にウィリアムの短刀が刺さる。
「ギル!はやく!」
「おおおおお!」
ギルバートは魔物の首に鎌を突き立て、力いっぱい引いた。
「ああああああ・・・」
魔物は人の声で悲鳴を上げた。赤い涙を流した紫色の首が空に飛ぶ。
心臓を潰された体は、紫色の毒を吹き出して崩れ落ちた。
魔物は苦しみながら死んだ。人の理性の欠片を残して。
「あぁ・・・残念。もう少しだったのに」
魔物だった骸の後ろから、突然声が聞こえた。
誰もその人物がそこに降り立つのを見ていなかった。
「グレイ。やっぱり来たな」
ウィリアムが苦々しく言うと、グレイはにっこりと笑う。
「一体、どれ程の人間をディアヴァルにしたんだ!お前は!」
ギルバートの怒りの声にグレイは肩を竦めて「さあなぁ」とのんびりと答える。
「覚えているわけがないだろう。だが駄目だ。失敗ばかりだな。成功したのはウィリアム、お前だけだ」
ウィリアムはまた、ギリリと奥歯を噛み締めた。
「思えば最初の作品しか成功していないとはな、皮肉なものだ」
「お前は何が目的なんだ?グレイ」
「目的?目的などない」
ウィリアムの問いに、闇に溶けそうな黒スーツの男は首を横に振ると、紫色がくすぶる骸をひょいと避けて進み出てくる。
「無力で哀れな人間が望むから叶えてやるのだ。永遠に生きたい。強くなりたい。愛されたい。いつも望むのはお前たちだ」
「化け物になるなんて、俺は知らなかった!」
ウィリアムの叫びをグレイは笑って受け止める。
「永遠の代償としては安いものだ。ウィリアム、お前はだから美しいままだろう。少し寄り道をしたが、今ならお前を愛せそうだ」
「ふざけるな・・・」
グレイはただ笑う。
グレイの言葉には意味など何もない。彼はただ、人を弄び欺き、退屈な時をやり過ごしている。
この男には目的も、希望もない。
ただただ悪魔だ。知略を巡らせ人を誘惑する。そして、奈落に突き落とす。
グレイにはもう、人の心など欠片もない。
ウィリアムもグレイと同じ魔物だ。自分には人の心があるのだと言い切る事はできない。
けれど、この数百年ウィリアムは人間と生き、その道程には仲間がいた。
歴代のマシューズの当主たちをはじめとして、多くの人がウィリアムを支えてくれた。
ウィリアムは長くモノクルスたちと生きてきた。共に戦い、助け、庇い合い、その死を見届けてきた。彼らはウィリアムをその最後の時まで、仲間として受け入れ続けてくれた。
彼らの献身を美しいと思う。自分の身を犠牲にする潔さ、その高潔な使命感。
人間をやめてしまったからこそ、それがどれだけ尊いものかウィリアムは知っている。
だからグレイの言葉に怒りを覚えた。彼はこの世界に害悪しか齎さない存在だ。
「あんたを・・・生かしておけない」
ウィリアムは、自分が持っていた二つの刃を投げ捨てた。
こんなものでグレイを殺すことは不可能だ。
すると隣で鋭利な音がした。自分の武器を打ち捨てたギルバートをウィリアムが見上げると、彼は力強く頷いてみせた。
「みんなできるだけ離れてくれ。グレイは俺とギルバートで倒す」
ウィリアムは人間の仲間たちに伝えた。
だが、モノクルスたちは立ち去らない。
「援護ぐらいさせろよな」
リックがそう言ってエウカリスの銃を振った。
「あんたたちだけに美味しいとこは渡さないよ」
とルルが同じく銃を手に言った。
ウィリアムはため息を漏らす。危険だとわかっていても、彼らならそう言うだろうと思っていた。
ギルバートがウィリアムの側に寄り添った。
「団結が俺達の最大の武器だろう?ウィル」
「けど・・・」
「大丈夫だウィリアム。危なくなったら逃げるよ、僕は痛いのは嫌いだからね」
マシューズが飄々と言う。その両脇にロッドとウコンも銃を構えて立っていた。
グレイはそんなモノクルスたちを、ニヤニヤと見ている。人の力など、彼は脅威に感じていないのだ。
「人のまま、あいつには勝てない」
「わかってる。ウィル」
ギルバートは潔くウィリアムとともに法衣を脱ぎ捨てた。
ウィリアムは大きく息を吸った。怒りが原動力になる。哀れな怪物の死体を見て、体がかっと熱くなる。
あそこに横たわっていたのは自分かもしれない。だからこそ、これからする事はウィリアムの使命だった。
青い毒気が視界に広がった。
メキメキと手足が、膨張する。
自分の境界線が曖昧になる。
魔物の姿になるとすべてが解放される。その感覚に嫌な気分になる。自分が人ではないと強く認識する。ウィリアムが滅多に魔物に変じないのは、人の理性が朧げになるからだ。
「ぐあ、、、、あああ」
言葉という理念が溶けていく。発するものは唸り声だ。言葉は頭の中にあるが記号のように曖昧な観念になっていく。
人ではなくなる。獣ですらない。
自分はこの世のものではない存在だ。
背中に感じた気配に、魔物のウィリアムは振り返る。
ウィリアムと同じような姿で寄り添う銀色の肢体。
ギルバート。
ギルバートも既に姿を変えていた。だが彼の瞳には、確かな理性があった。彼は銀色の理知的な瞳でウィリアムを見つめている。
その瞳を見つめ返し、ウィリアムは自分を取り戻して安堵する。
自分は彼と繋がっている。彼がいるから大丈夫だ。
ウィリアムはギルバートに顔を寄せる。
ギルバートもウィリアムの鬣に顔を擦り寄せると、大きな咆哮を上げた。
ウィリアムよりも一回り大きなギルバートの姿。鱗のように輝く銀色の体が美しいと、ウィリアムは改めて思った。
自分の手足は青く陰鬱な色だが、ギルバートの輝く銀色の体はまるで戦士の鎧のようだ。
「面白い!こんな面白い事はいつぶりだろうか!受けて立つぞ!」
グレイが獰猛に笑った。
その姿をめがけて、青と銀の二人は容赦なく飛び掛かっていった。
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