今日も、社会科準備室で

下井理佐

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第八話 ローズレッドを手に取って

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 卒業式当日、卒業生も在校生も、晴々とした表情の中に寂しさを滲ませながら式は執り行われた。
 しかし、夏芽も含め大学の合否待ちの人間は卒業の寂しさに浸る余裕はなかった。

(志望校まで落ちてたら、どうしよう)

 そんな不安を携えながら、夏芽は卒業証書の授与を他人事のように眺めていた。
 ふと、高山の姿を見る。
 いつものスーツ姿とは違う礼装を来て、背筋を伸ばしている。
 やはり教え子の卒業は感慨深いのだろう。
 目にはうっすらと涙の膜が張っている。

(本当に、どんな時でも様になる人だな)

 夏芽はそんなことを思いながら、式の進行を静かに見守った。

 

 卒業式の帰り際、夏芽は他のクラスの担任をしている高山とすれ違った。
 高山は夏芽の耳元で、誰にも聞こえないように囁いた。

「いつもの場所で待ってる」

 その言葉に夏芽は胸を高鳴らせる。
 これが最後の高山との会話になるかもしれない。
 夏芽は母親に先に帰るよう伝えると、社会科準備室に向かった。
 式が終わり、別れを惜しむ人たちが校舎前からいなくなる頃。
 日は傾き、すっかり夕方の様相に変わっていた。
 夏芽は社会科準備室で話した高山との会話を思い出す。
 全て、ただの雑談だ。
 けれど、その雑談が最後の高校生活に色を添えてくれた。
 高山とこの準備室で出会わなければ、授業も文化祭も、卒業式だって何も感じずに終わっていただろう。
 不意に、準備室の扉が開く。
 そこには礼装のままの高山が息を切らして立っていた。

「ごめん、待たせた」

「色々思い出してたので、全然大丈夫です」

「そう、か?なら良いんだけど」
 
 高山は胸ポケットから細長く小箱を取り出し、夏芽に手渡す。

「これ、卒業祝い」
 
「え、あ、ありがとうございます」

「開けてみて」

 箱を開けるとそこには一本の絵筆が入っていた。
 艶やかな柄に、毛並みの揃った穂首に、手にしているものが高級品であることに夏芽はすぐに気付いた。

「これ、高いやつじゃ」

「受け取ってくれ、美大の提案をもっと早くするべきだった……だからそれは詫びの品、鈴山の未来に比べたら安いものだけど……」

 その言葉に夏芽はムスッとした顔をする。
 
「……先生は、誤解してます」

「え?」

「俺が美大に落ちたのは、俺自身の実力不足です。それに、先生がいなければ美大を受ける勇気なんて出なかった……先生には、感謝してます。」

「そんな、僕は何も」

「絵を人に見せる勇気をくれたのは、先生です」

「鈴山……」

「美大には落ちたけど、これからはコンクールに応募して、自分の絵を評価される環境に身を置こうと思います」

 高山は夏芽の成長に瞼が熱くなる。
 内気だった夏芽が今は競争の世界で生きていく覚悟を決めている。
 それがとても頼もしくて、逞しくて、眩しく感じた。
 
「そうか、鈴山ならきっと良い賞を取れるよ」

 高山は世辞ではない、心の底から湧く言葉を夏芽に送った。
 夏芽はその言葉に笑顔を浮かべた後、神妙そうな顔をする。

「……先生は、その」

「ん?」

「教師、やめちゃうんですか?……前に辞めようかなって言ってたから……」

 高山は驚いたように目を見開くと、優しく笑みを浮かべる。

「いや、続けるよ」

 今度は夏芽がその言葉に瞼を熱くする番だった。
 
「鈴山は僕のおかげでって言うけど、僕も鈴山のおかげで教師を続ける覚悟ができた。だから、感謝してる」

「俺なんて、何も」

「鈴山はさ、集中してる時すっごく目が輝いてるの知ってる?」

「え、は、初めて知りました」

「絵もそうだけど、授業中もずっとその目で前を向いてくれてたよね。おかげで自信が少しついたんだ、ありがとう」

「俺が、先生の役に立てるなんて……うれしいです」

 二人の間に心地良い沈黙が流れる。
 先に沈黙を破ったのは高山だった。
 
「コンクールに出るって言ってたよね。それって一般でも見れるの?」

「あ、はい。受賞したものは展示されたりします」

「そうか、じゃあさ、受賞したら教えてよ」

 高山はそう言いながらスマホを取り出す。

「本当は連絡先の交換はしたらダメなんだけど、鈴山の絵が好きなんだ」


「俺も、先生が……」

「僕が?」

 不意に出そうなった言葉を夏芽は飲み込む。

「いや!なんでもないです。連絡先お願いします!」

「ありがとう、他の子には内緒にしてね」

「もちろんです……先生に内緒って言われるの、2回目ですね」

「ふふ、そうだね」

 その後、二人は別れを惜しむように日が暮れるまで話し込んだ。




――――――――――



 大学の合格発表の日、夏芽は制服に袖を通して登校する。
 カバンの中には合格と書かれた通知書が入っている。
 家の玄関を閉め、通学路をゆったりと歩きながらこれまでの高校生活を振り返る。
 1年生と2年生は、ほとんど絵を描いていた記憶しかない。だけど、この一年間はとても充実していた。
 記憶にあるのは全て高山との記憶だ。
 夏芽の目から不意に涙が流れ落ちる。

「俺、先生好きだ……」

 今日が終われば、自分と先生の関係が終わってしまうような気がした。


 合格の報告が終わり、夏芽は職員室を静かに出る。
 校舎前を抜けて、校門をくぐって外に出る。
 一度、校舎を振り返って社会科準備室のある方を見る。
 そこにはもちろん、誰もいない。
 夏芽の頭には、風と光を浴びて佇んでいる高山の姿がはっきりと浮かぶ。

「先生、好きでした」

 そう言って歩き出そうとした瞬間、

「鈴山」
 
 と、声が聞こえ夏芽は足を止める。
 振り返ると、そこには高山が立っていた。
 
「もう、行くのか」

「先生……」

「また、会えるよな」

「いいんですか」

「むしろ、僕が許可をもらう立場なんだけど」

「会いたいです、先生に」

 夏芽は涙を流し、顔を伏せながら思いの丈をぶつける。


「もっと先生と話していたいです、授業だって受けたい……」

「鈴山」

 高山の声で夏芽は顔をあげる。
 
「四月一日の午後5時に、校門の前で待ってる」

「それって……」

「約束だよ、ずっと待ってるから」

 高山は不安を隠すように笑顔を浮かべ、立ち去っていった。
 
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