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6話 安心と、始まり
しおりを挟む精神感応の「伝える力」と「読み取る力」のスイッチは別であるため、片方だけ使うことは可能である。いままで私が一方的に人の心を読んでいたのとは逆に、私が思っていることだけを伝えるのもできたはずなのだ。……両方使いっぱなしにしていたことをとても後悔した。後悔しても遅いのだけれど。
(立場を失くした王族かぁ……)
ユーリは国王の弟。つまりれっきとした貴族、しかも王族である。だが、王族としてはかなり“色が薄い”ため、病弱で表に出られないということにされ、その存在はほとんど“ない”ものとされている。血筋としても前国王夫妻の正式な子で直系王族のはずだが、この世界は魔力の色がすべてだ。
色が薄いと判断された彼は、当然社交の場に出されない。侍女や執事などの従者もいない。両親、兄弟はまるで自分が視界にいないかのように振舞う。彼の居場所は血族の中にも貴族社会にもなかった。
生まれた世界で存在を無視される代わりに、外での自由を得た。いや、認識されないからこそ好き勝手出来る、というべきか。今は王族として与えられている資金で魔力の少ない者を保護する施設のようなものを運営しているようだ。……かなり、ものすごく、本当に、苦労している。
『――というところまで伝わりました』
「……全部じゃないか」
『まあ、その、これは不可抗力と申しますか。私もこの力は普段使わないので色々と慣れてなくて……ごめんなさい。でもこの力で知ったことは絶対に他言しないと誓います』
精神感応の扱いには本当に注意が必要だと学んだ。しかし、この世界で生きるために私はこの力を使い続けるし、人の心を読み続けるだろう。それが心苦しくないと言えば嘘になるが、使わない訳にはいかない。私も生きるために必死だ。
「……君が意図せず私の秘密を知ったことも、それを申し訳ないと思っているのも、本当に誰にも話す気がないのも伝わった。この件はもう、仕方ない。私も迂闊だったし、他言しないでくれればいい」
『……ごめんなさい。ありがとうございます』
ユーリは複雑そうな顔をしたが、深くため息を吐きながらひらひらと手を振って見せた。この話はもうおしまいだ、気にするなという意味だ。
相手の心を読む力であると同時に、自分の感情や思考もダイレクトに伝わるのが精神感応だ。私が悪いことをしたと本気で反省していることも、秘密を守るという言葉の本気の度合いもちゃんと伝わったのだろう。
(これだけの秘密を暴いちゃったのに、許してくれるんだもんね……いい人すぎて申し訳ない)
思考を読まれるという状況は普通に誰でも嫌なものである。ユーリにだってその気持ちはあるものの、私の状況では仕方がなかったと納得してくれていた。……もっと私を責めたり、怒ったり、気持ち悪がってもいいのに。そういう感情はないのだ。人が良すぎてこちらがいたたまれない。
「その力は他には漏らさない方がいい。心を読む魔法もあるにはあるが……外道魔法だからな。君を召喚したものと同じく、禁じられている魔法だ」
『分かりました。……でも、黙って心を読んでいるのは悪い気がしてしまいますね』
「いいや。“知らぬが仏”と言うじゃないか。心を読まれていることを本人が知らず、君が知ったことを誰にも他言しないならそれは読まれていないのと同じだ。君は心苦しいかもしれないがな」
「知らぬが仏」という言葉そのものがこちらにある訳ではないが、そういう意味の慣用句を使ったようだ。たしかに、心を読まれているのだと知らなければ煩わされることはない。
認識できないものは「ない」のである。楽しい海水浴をしている傍で鮫が泳いでいても、知らなければ楽しい時間が続く。そのまま事故が起こらず海水浴を終えたなら、鮫はいなかったも同然だ。
そう考えるとユーリには悪いことをしてしまった。彼は知ってしまったから、私が居る限り思考を読まれているのではと気にすることになり、心が休まらないかもしれない。
『すみません、黙っておけばユーリさんを困らせることもなかったでしょう』
「いや、いい。君は誠実でいようとしただけだ。……君、自分では冷静だと思っていて、人に気を回す余裕が全くないくらいには焦っていることに気づいていないだろう?」
『…………自覚ありませんでした』
私は至って落ち着いているつもりだった。しかし、言葉と共に感情を受け取っているユーリが焦っていると言うのだから、そうなのだろう。
たしかに、状況を考えれば冷静でいられるはずもない。衣食住はなく、金もなく、魔力無しの無能と断じられ、そんな状況で目の前にお人好しのユーリという人間が現れたから、とにかく彼を味方にしなければと必死になっていた気がする。
「私は異世界から拉致された被害者を放っておけるような性格じゃない。だからもう、安心していい。君の身柄は私が責任もって保護しよう」
それが彼の本音であることは精神感応で伝わってくる。それを聞いた瞬間、ふっと体が重くなった。いや、変に強張っていた体の力が抜けたことで重くなったと感じた、というべきか。感じていなかった倦怠感を覚えて思わず座り込んでしまった。
「大丈夫か……!?」
『ああ、はい……なんでしょうね、この気持ち。私、感情の起伏が少ない性質なんですが……多分いま、安心と貴方への感謝でいっぱいですよ』
超能力者は感情の起伏が少ない。無感情という訳ではないのだが、感動して泣いたり、怒って怒鳴ったりといった強い感情とは無縁なのだ。心が揺れれば超能力が暴走することもあるから、そういう風に生まれついているのだろう。
だから大きく揺らぐ感情には慣れていないし、今は強めに心が動いたせいでなんだかとても落ち着かない。普通の人間、とくに感情豊かな人間は毎日これを味わいながら生活しているのだろうか。だとすれば尊敬する。……絶対、疲れるだろうから。
自分に影が差したので顔をあげたら、私を心配して覗き込んでいるユーリと目が合った。しかし一秒ともたず、彼は夕日の色の瞳を揺らしてそっと私から目を逸らす。……なにやら照れ臭く思っているようだ。
「……君のその力は危険だな。君の言葉と一緒に感情が流れ込んでくるし、なんというかその、自分に向けられた感謝がくすぐったい」
感情が伝わる感覚は経験しなければ分からない。同調、共感、そういう言葉がふさわしい感覚で、相手の感情をリアルに体験してしまう。その感情が悪質だと不快に思うし、逆に好意は心地よく思うことが多い。
精神感応フル活用でコミュニケーションを取ったのはユーリが初めてなので、他人が自分と同じ感覚を知っているというのは少し不思議な気分だった。
『……でも、満更ではないと』
「くっ……そこまで読むのはやめてくれないか。恥ずかしい」
『この能力、読む情報を選んだりできないんですよ。全部伝わるか、一切伝わらないかのどっちかです。会話してる間は諦めていただくしか……』
「……そうか。それなら、仕方ないな……うん。君の前では悪だくみなどできない、ということか」
そもそも貴方は悪巧みなんてできないでしょう、人が良すぎるから。と伝えたら軽く咳払いされた。誤魔化したつもりだろうか。
しかし、こうして思考を読むことを普通に受け入れてくれるとは思わなかった。ここまでくると彼のお人好しぶり、人の好さには何か理由がある気がしてくる。……この性格になった理由が、きっと何かあるのだ。普通、こうはならないと感情に疎い超能力者でも流石に分かる。
「君にはすでに秘密を知られてしまっているから……思考を読まれて困ることはあまりないと思うが、やめてほしい時は声をかけよう」
『そうしてください。そういう時は絶対読みません。……私がこちらの言葉と文字を覚えられれば、この力を使わなくてもいいんですけどね』
「なら、それがまずやるべきことだな。ホームに戻ったらさっそく教えたいが……そういえば、君の名前をまだ聞いていなかったな」
『ああ、そうですね。私は遥です、明日見 遥。改めてよろしくお願いします、ユーリさん』
立ち上がって手を差し出すと、ユーリは少し不思議そうな顔をしながら手を握り返した。こちらには握手という挨拶がないらしい。でも、私が手を差し出した意味も望んでいることも精神感応の影響で分かったので応えてくれたようだ。
「私はユゥリアス=リィ=ドルア。ドルア王国の、現国王の弟ではあるが王族としての活動はしていない。これは君以外に明かしていないので、ユーリと呼んでくれ。よろしく、ハルカ」
『……何故いまそっちの名前を?』
「君が秘密を暴いてしまったと気にしていたからな。私からこうして話した事実があれば、少しは落ち着かないか?」
そう言って笑って見せたユーリの優しい顔に、並大抵の事では動かない心が少し波立ったような気がした。……だって、人が良すぎて心配になるだろう、これは。騙されて利用されそうだ。現に私だって、この人のお人よし具合を利用しようとして近づいたのだから。
(……この世界で初めて私に手を差し伸べてくれた人だ。せめて、私の力がこの人の役に立って恩返しできるよう、頑張ってみよう)
暮らしの目処が立ったことで、目標もできた。元の世界に戻る方法を探しつつ、色々とやらかしてしまったユーリに対してお詫びと、そして恩返しを。ここからが、異世界生活の始まりだ。
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