迷宮事件奇譚

もんしろ蝶子

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『懐古主義の村』(3)

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 そう言って男は大きなため息を落とす。静かに暮らしたいと思ってやってきたのに、いい迷惑そうだ。

 その後も五件の不審な事故について詳しく聞いた伊織とエドワードは、話を聞かせてくれた住民たちにお礼を言って役場を後にした。

「どう思いますか? エドワードさん」
「バンシーの事よりも俺が気になるのは、亡くなったのが皆叫んだり暴れたりして自死してる事だな」

 映画のセットのような街並みを見ながら歩いていると、一軒のパン屋が見えてきた。ちょうど昼時に合わせて焼きたてが売られているのか、通りまでいい匂いが漂って来る。

「少し早いですけど、お昼にしますか?」
「ああ、そうだな」

 伊織の言葉にエドワードも頷いたその時、後ろからゾッとするような声が聞こえてきた。

「駄目ですよ。この村の食べ物は毒です」
「え……?」

 振り返るとそこには今までどこに居たのか、クリストファーが怖い顔をして立っている。

「なんだ、急に。それよりもお前、一体今までどこに居たんだ?」
「少し気になったのでバンシーを探しに行ってたんですよ」
「バンシーを?」

 不思議なクリストファーの言葉に伊織は首を傾げた。もしかしてクリストファーもどこかおかしくなってしまったのかと思ったが、すぐに思い直す。この人は元々こんな人だった、と。

「言ったでしょ? バンシーは本来に家につくものだ、と。それなのに何故あちこちでバンシーが出たと噂になったのかな、と思いまして。そうしたら面白い事が分かったんですよ」
「面白い事……ですか?」
「ええ。今回の予知をしていたのはバンシーではありません。カヒライスの方ですよ」
「カヒ……?」
「ライス? なんだ、それは」
「バンシーは基本的に家につきます。でも、カヒライスはそういう事は一切なく、大量死を予告して泣く、まぁバンシーの派生ですね」

 シレっと何でもない事のように言うクリストファーに伊織はギョッとして詰め寄った。

「ま、待ってください! 今サラッととんでもない事言いましたよね⁉ 何ですか、大量死って!」
「イオ、声が大きいです。カヒライスは災害や流行病で近々大量死する事を嘆く妖精です。そしてバンシーとは違って滅多に姿を現さない。ほとんどが声だけの存在です」
「そう言えば……誰もバンシーを見てないって言ってましたよね⁉ エドさん!」
「言ってたが、馬鹿らしい。大方あの山からの風の吹き下ろしや何かの音だろうが。どちらにしても俺が聞きたいのはそこじゃない。この村の食べ物が毒だというのはどういう事だ?」

 エドワードの質問にクリストファーが真顔で頷いて歩き出した。その後を無言で伊織とエドワードもついていく。すると、辿り着いたのはさっき美味しそうな匂いがしていたパン屋の裏だった。

「うわぁ! 壮観ですねぇ! あ、もしかして表のパン屋さんはこの麦を使ってるんでしょうか?」
「そうでしょうね。ここの村は自然農法を取り入れた取り組みをしているそうです。今の時代には珍しい、最低限の薬も肥料も使わないんだそうですよ」

 そう言ってクリストファーはちらりとエドワードを見た。それを聞いたエドワードはハッとして小麦畑に駆け寄るなり、穂の一つ一つをマジマジと見つめている。

 だが不思議な事に見つめるだけで触れはしない。

「エドさん、どうかしたんですか?」

 伊織が何かを真剣に見ているエドワードを覗き込んで問うと、エドワードの顔は珍しく青ざめている。

「イオリ、思い出せ。あの少年の指先は黒く染まっていなかったか?」
「……そう言えば……染まってましたね」

 あの時は手が染まるほど勉強しているのかと気にも留めなかったが、どうやらエドワードは違うらしい。

「すぐに村中の人達の手足を調べろ。カヒライスだか何だか知らんが、誤解してくれた奴のおかげだな。急げ! このままだと村中全滅するぞ!」
「えぇ⁉」

 伊織はそれを聞いて慌てて役場に駆け戻った。事情を説明してすぐさま村人たち全員の手足の先を調べてもらったのだが、驚いた事に村人の半数以上の人達の手足の先が黒く染まっていたのだ!

 中には膝の辺りまで染まっている人も居て、伊織はゴクリと息を飲んだ。

「こ、これはいつからですか? 病院には?」
「三日前だよ。朝起きたら痛くて歩けなくて、病院に行って痛み止めも貰ったけど全く効かないんだ。みるみる間に変色してきちまって、もうお手上げ状態だよ」

 痛みに顔を歪めながら車いすに乗って話す男を心配そうに涙ぐんで見ているのはこの男の妻だろうか。そこへエドワードが走って戻って来た。

「どうだった? イオリ!」
「約半数の人が染まっているようです! エドさん、これは一体……」
「麦角菌だ。ここは森に囲まれていて湿度が高い。その割に気温も高めだ。おまけに最低限の薬品すら作物に使わないという。つまり、麦角菌にとっては最適な環境だという事だ。麦角菌の厄介な所は、火に強いという事。調理しても焼いても菌は死なない。そして今回のような中毒症状が起こる。麦角菌の主な症状は幻覚や異常行動から始まって、手足の壊死、最終的には死だ。もしかしたら流産もこれによって引き起こされたのかもしれない」
「で、でもどうしてそんな……今になって?」
「原因はどこかから風に乗って運ばれてきた菌核にここの穂が感染したんだろう。近辺にこれの親になる子嚢菌類のキノコが生えている可能性がある。あと、村の麦類は全滅してると思え。それから手足が黒くなっている人達はすぐに都会の病院にかかれ。最悪手足を落とす事になるかもしれんが、死ぬよりはマシだ」
「そ、そんな……こんな事、今まで一度も……」

 エドワードの言葉に村長は青ざめてその場に崩れ落ちる。村長の手もまた黒くなっていたのだ。

「す、すぐにハリーさんに連絡します!」
「ああ。まぁ、今はいい治療薬もある。中世ではこれのせいで大量死したが、そんな事はもう滅多に起こらない。不思議なのは、何故今になってこんな事になったのか、だ。おいパン屋、お前、何か最近店の中を変えたか?」
「い、いえ特に何も……あ!」

 パン屋は何かに気付いたように青ざめて、隣にいる家族を見てもしかしてあれが……などと言っている。

「おい、何かあったのか?」
「あ、はい。最近、より自然農法に近づけるように、と製粉を自宅でするようになったんです。機械を使わずに昔ながらの製法でやってみたんですが、それで作ると余計な熱が加わらないからか、パンの味が変わったんです。それで本格的に変えたんですが……」
「間違いなくそれだな。今の製粉機は麦角菌など綺麗に取り除いてしまう」

 エドワードの言葉にパン屋は深く項垂れた。

「でもこのパン屋さんだけではないんじゃないですか? これだけの人が中毒を起こしてるんですから」

 不思議に思った伊織が言うと、分かりやすく村長が青ざめた。それを見て何かにピンとくる。

「もしかして、あなたが?」
「確かに……指示は出しました……より、自然に近づけたかったんです……だから……」

 両手で顔を覆ってさめざめと言う村長をエドワードは腕を組んで見下ろして冷たく言う。
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