迷宮事件奇譚

もんしろ蝶子

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『見えない窃盗犯』3

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「よし、これでいい」

 エドワードはそう言って壁に立てかけられていた箒の先に伊織のスマホを括りつけたかと思うと、それを徐に穴の中に突っ込んだではないか。

「ちょちょちょ! な、何してるんですか!」
「何って、犯人の正体を暴くんだろうが。まぁ、恐らくあいつだろうがな」
「ですね。最近野良犬のごとくロンドンを闊歩しているあの子達に違いないです。さあ、静かにしましょうか」

 頷き合う二人とは裏腹に、伊織はスマホの心配をしていた。まだ新しいのだ。先月買い換えたばかりなのだ!

 しばらくして、ようやく無事に伊織のスマホは戻って来た。ホッと胸を撫でおろした伊織とは違い、エドワードは少々乱暴に今しがた撮影した動画を操作して首を傾げている。

 そこには何も映っていなかったのだ。いや、厳密にはぼんやりと浮かび上がる何かのシルエットと、光るいくつもの目玉だけが映っている。その中の一匹は大きい。あれが親なのだろう。

「……光源が足りなかったか?」
「いえ、そんな事はないでしょう? あれ以上明るくしたら逃げてしまいますよ」

 ぼんやりと浮かび上がるシルエット。それはどう見てもあれだ。

「キ、キツネ……ですか?」
「ええ。ですが……ちょっとエド、退いてください」

 クリストファーはそう言ってエドワードを押しのけると、汚れる事も構わず穴の中を覗き込んだ。

「あ……これは……凄いですね」
「なんだ? どうなってるんだ?」
「やっぱりキツネですよ。でも、全員真っ黒です」
「……は?」
「汚れ、とかではなくて、ですか?」
「ええ。体毛が黒いんです。なるほど、だから暗がりで誰にも見つからなかったんですねぇ! そりゃ監視カメラにも映りませんよ!」
「全部で何匹いるんだ? 真っ黒のキツネなど、突然変異だぞ⁉ キツネの中にも0.1%しか居ないと言われているのに……全部黒いだと!?」

 驚愕したエドワードがクリストファーを押しのけて中を覗き込んだ。すると、中からキツネの威嚇する声が聞こえてくる。

 どうやらキツネ一家は壁と壁のわずかな隙間に巣を作っていたようだった。

「エドさん、お、怒ってますよ! もうそっとしといてあげましょう」
「くそ……何でクリスだけ……」
「騒がしいんですよ、あなたは。でも困りましたね。ここに修繕が入ったらこの子達の行き場がなくなりますよ」
「……確かに。かといって親離れするまで待ってるのも怖いですよね……」

 チラリと天井を見ると、クリストファーの言う通り、亀裂は天井にまで伸びていてゾッとする伊織である。

「黒いキツネはその珍しさからアイヌの人々に、危機の到来を告げる神様だと言われていたんですよ。だから早目に修繕はした方がいいんじゃないですか?」
「こ、怖い事言わないでくださいよ! 明日すぐにでも管理会社の方に報告します!」
「ええ、そうしてください。では、犯人が分かった所で我々も帰りましょうか」
「そうですね。お二人ともお付き合いありがとうございました」

 こうして三人はその場で別れ、翌日伊織は早速エドワードが撮影した動画を皆に見せた。

「本当ね……よく見ると動いてるわ……」
「こいつらが犯人か……なるほどなぁ」

 動画に感心した仲間たちは、キツネたちを確認するべく上の階に移動して穴を見つけるなり口をあんぐり開けた。

 恐る恐るマークが穴に触れると、途端にそこの部分のコンクリートがボロリと剥がれ落ちてくる。

「お、おい。これは流石にマズイだろ!」
「編集長、すぐに管理会社に連絡した方がいいわ。私、他の階の人達にも知らせてくる!」
「ああ、そうだな! 俺はとりあえず連絡してくるが、お前達、違う階の連中に報せたら一応すぐに荷物持ち出せるようにしとけ。あと、今日はもうこのまま会社は休みにするから帰れ。また詳しい事が決まったら連絡回す」
「はい!」

 町田の指示を受けて伊織たちはすぐさま違う階の偉い人達を呼んで戻って来た。

「こ、これは……」
「何てことだ……」
「だ、誰か管理会社にすぐ連絡を!」

 慌てふためく他所の会社の重役達は青ざめて右往左往している。

「うちの町田が今連絡してます! 皆さんはご自分の会社の社員さん達に知らせてあげてください」
「そ、そうだな! 後で合流する。すまんがそちらの責任者にそう伝えておいてくれ」
「はい!」

 きびきびと返事をした伊織は、何気なく穴の中を覗き込んで息を飲んだ。

 夜中とは違って、外からの光のおかげで今日は中がはっきりと見えるのだが、そこにはまだ授乳中であろうキツネの子供達が7匹ほど蠢いている。

 クリストファーの言う通り、やはり全員真っ黒だ。ただどれほど探しても親キツネが居ない。餌を取りに行っている最中なのか、と伊織がその場を離れようとした時、一匹の子ギツネがこちらに気付いて近寄って来た。

「わぁぁ! 出てきちゃった! 駄目だよ、皆の所に戻りな……ん?」

 ヨタヨタと出て来た子ギツネを見て、伊織は何か違和感を感じる。やたらと骨が浮いて痩せていたのだ。目ヤニも出ていて鳴く声もか細い。

 それを見てミリーが青ざめて伊織を押しのけて隙間を覗き込ん叫んだ。

「あなた達! すぐにこっちに来なさい! 大丈夫よ、何もしないわ!」
「ちょ、ど、どうしたんですか!? ミリーさん!」
「この子達、栄養失調よ! 伊織、その子の背中の皮を引っ張ってみて。ほら、すぐに戻らない。水分も足りてない! このままじゃ皆死んじゃうわ!」
「ええ!?」

 伊織は驚いて穴から出て来た子ギツネを抱き上げてマークに渡すと、マークはそのキツネを倉庫に置いてあった籠の中に自分のシャツを敷いてそっと入れた。

 子ギツネ達は自分達の状況が分かっていたのか、他の六匹もヨロヨロと出て来る。

「私、獣医さんに行ってくるわ! 後は任せたわよ!」
「は、はい!」

 動物が大好きなミリーはそう言って子ギツネが入った籠を持って階段を駆け降りて行ってしまった。残された伊織とマークはとりあえず穴の中を覗き込むと、子ギツネ達の居た所に動物の骨が転がっているのが見える。中にはそこそこ大きな動物の骨もあったので、どうやらキツネ達は本格的にここで暮らしていたようだった。

「あ! 俺の靴と財布!」
「僕のスリッパもあります!」

 手を伸ばしてマークの財布を取り出すと、あちこちに歯形はついていたが中身は全部無事だった。それを見てマークはホッとしたような顔をしている。

「親ギツネ……どうしちゃったんでしょう……?」
「分からん。とりあえず俺達も荷物持って出よう。こんな状態じゃ本当にいつ崩れてもおかしくないぞ」
「そうですね」

 こうして、このビルに勤めていた人達はその日の内に荷物を持ち出し、翌日から早速ビルの改修工事が始まったのだった。
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