逆転!? 大奥喪女びっち

みく

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【異能覚醒編】

315 秘めた渇き、揺れる絆


「次回の御渡りもそうですが、どうか、次回の発作のときも、私のところへ来てくださいね?」


 その言葉に、家光は一昨日の夜の自分を思い出し、わずかに眉を下げる。
 発情発作に襲われた自分は、もはや人としての理性を失い、獣のように彼を貪った。

 あれは、ただの肉欲。
 愛なんて微塵もない行為。
 自分が将軍だから許されているのであって――いや、許されているわけではない、罪に問われていないだけ。

 振はあんなものを受け入れてくれるというのか……。


「振ちゃん……いいの? 私、豹変しちゃうし、辛くない?」

「……辛いなんて……あんな幸福な時間、ありません……。家光さまと私だけの、特別な時間なのですよ……?」


 振はそう言い切ると、愛おしくてたまらないといった風に、家光の頬を両手で優しく包み込む。
 指先から伝わる彼の体温はどこまでも誠実で、震えるほどに生々しく熱い。
 彼にとってあの狂乱の夜は、辱めではなく、ようやく掴み取った「絆」そのものだった。


「振……。ん、わかった。振を頼っちゃうね?」

「ええ……。……っ、ふふ、嬉しい」


 家光の言葉に、振は花の蕾がほころぶような、純真な笑みを浮かべた。
 そのまま、どちらからともなく顔が近づき、触れるだけの短い口付けを交わす。


「あ。そうだ、家光さま。お喉が渇いておいででしょう」


 そう言って振は名残惜しそうに腕を解くと、枕元に用意されていた白磁の碗を手に取った。中には、まだほんのりと温かみの残る白湯が満たされている。


「あ、ありがとう……。ごめん、自分でお座りするから……」


 起き上がろうとした家光だったが、腰から砕けるような感覚に「うぐっ」と動きを止めた。


「いけません、そのまま。……はい、あーん、してください」


(あ、あーん!? ア、アラフォーが、二十歳の美青年に白湯をあーんで飲ませてもらう状況……っ! いいんでつか!?)


 はっと、前世を思い出し、家光は顔から火が出るほど恥ずかしかったが、振の差し出した碗を拒むこともできず、差し出された縁にそっと唇を寄せた。
 ごくり、と喉を鳴らして温かい液体が通り抜けるたび、昨夜あれほど声を枯らした喉が、じわじわと癒やされていく。


「……ふぅ。生き返ったぁ……」


 やはり、横になったまま飲むのは難しい。ふと、唇の端から白湯が一滴ひとしずく


「それはよかった。……あぁ、少し溢れてしまいましたね」


 振はそう言うと、家光の口角から一滴こぼれた雫を、懐紙で拭うのではなく、あえて自分の親指でそっとなぞり取った。
 そしてその指を、家光の目の前で、事も無げに自分の唇で舐め取ったのだ。


「っ……振ちゃん!?」

「家光さまのすべてが、愛おしくて堪らないのです。……この痕も」


 振の細い指先が、家光の鎖骨に刻まれた紅い痕に触れる。昨夜、彼が「お揃い」にと執拗に吸い上げた証だ。


「……わたくしがつけたものだと思うと……独り占めできたようで、誇らしいのです。もう、誰にも……たとえ局様であっても、お渡ししたくないと……不敬なことを考えてしまうほどに」


 そう語る振の瞳には、朝の光の中でも消えない、静かで重い独占欲が宿っている。
 家光はその熱っぽさに当てられ、再び敷布を頭から被りたくなった。


(やばい。振ちゃん、完全に“覚醒”しちゃってるよ……。昨夜の福のスパルタ実演指導、効果ありすぎでしょ! どう指導したわけ!? これ、次の御渡りの時、私どうなっちゃうの……!?)


 羞恥に悶える家光をよそに、振は満足げに微笑むと、再び彼女の身体を布団越しにぎゅっと抱きしめた。


「こほっ……。……でも、まずはゆっくりお休みください。……ずっと、こうして側にいますから」


 ……その咳が、昨日よりも少しだけ増えていることに、幸せの渦中にいる家光はまだ、気づいていなかった。









 失敗続きで未遂に終わった伽の日々はもう、いつのことだったか。
 「初夜」と呼べるかもわからない夜を、ようやく済ませて、午前中――たっぷりと休養を取った家光は、振に見送られて湯殿で身体を清めたあと、中奥に戻った。


(はぁ……目覚めたときの、振ちゃんの目……私のこと好きで堪らないって顔してたなぁ……)


 昨夜の振も、今朝の振も、中性的……というより、家光にはもう、立派な男性にしか見えない。


(私も、なんだかんだ振のこと……男性として、好きになっちゃったみたいだし……♡ か、カラダが覚えちゃったっていうかぁ~~♡♡ っ、きゃ~~♡♡)


 身体が結ばれると、心も結ばれるというのか――。

 目の前の文机――決裁待ちの山積みの書類を前に、家光の目は虚ろだ。
 真面目に公務に励んでいる風で、頭の中は、この季節満開の撫子色である。

 振のぬくもりに、また触れたくなってしまった。


「――光様、家光様」

「うふふ…………♡」


 隣で聞き慣れた正勝の声が聞こえるが、家光は筆を持ったまま固まっている。
 気持ちの悪い思い出し笑いが漏れた。


「――光様、こちらの件なのですが…………。ちょっと失礼致します」

「ん……。っ!?」


 刹那、正勝の手が家光の額に当てられる。
 不意に触れられた温かく大きな手のひらに、家光の肩がびくりと揺れた。


「……特に熱はなさそうですが……」


 正勝は、至近距離で家光を真っ直ぐに見つめた。
 すると、彼女の衿元の隙間に淡い紅色の痕が滲んでいるのが、嫌でも目に入ってしまう。

 ……昨夜、振が刻んだ無作法な愛の証。

 それを認めた瞬間、正勝の大きな瞳に、ふっと深い夜のような陰りが落ちた。
 家光に触れていた手のひらが、微かに熱を帯び、そして行き場を失ったように強張る。

 幼い頃から、自分が一番近くで守ってきたはずの少女。
 その清廉な肌を汚し、彼女を「女」へと変えたのは、自分ではない別の男……それも、二人目なのだという事実。
 重い鉛を飲み込んだような鈍い痛みが、正勝の胸の奥をじりじりと焼き、疼いた。


 ――いっそ、消してしまえたら。


 その衝動が、胸の奥でかすかに芽吹く。


「っ、ま、正勝……ちょっと、距離近いんだけど……!?」


 家光が逃げるように頭を離すと、正勝は弾かれたように我に返った。
 慌てて手を離し、指先に残る彼女のぬくもりを振り払うように、深く頭を垂れる。
 だが、その熱を本当は手放したくない自分がいることを、正勝は認めなかった。


「……失礼しました。体調が優れませんか? 昨夜、振様と…………」


 正勝はそれ以上、最後まで言わなかった。
 言おうとして、躊躇い、口をつぐんだ。


「っ、へへへっ♡ お勤めしてきたよ~♡ ばっちりこなしてきた!」


 ほんのり頬を赤く染めた家光は、サムズアップして微笑み、片目をぱちんと閉じる。
 ずっと避け続けた閨の儀の成就。悲願を達成したのだから、これはもう、慶事にあたるわけで。
 正勝も、多少思うところはあるかもしれないが、喜んでくれるに違いない。


「っ……お疲れ様でございました……。では、本日はお疲れでしょう? ご公務は早めに切り上げ、御身体を癒されてはいかがでしょうか」


 兄妹のように育った正勝へ告げてみれば、家光の思った通り、彼はほのかに口角を上げて頭を下げた。


「ありがとう。でも、今日休むと明日きついから、これだけやっちゃうよ」

「そうですか……。ではお手伝い致します」

「助かるよ」


 振のことはひとまず横に置き、家光は思考を切り替え、目の前の書類の山に取り掛かる。
 正勝が補佐に付いてくれれば、すぐに終わるだろう。


「ねえ、正勝。これなんだけどさ、ここ……どういうことかな?」

「はい、家光様。そちらの件は、秀忠様より承ったもので……」


 書類の一文に、疑問を見つけ、家光は尋ねる。
 またいつもの日常が始まった。
 自分の話を真剣に聞く家光に、正勝の瞳が、優しく、どこか深く細くなる。

 どんなことがあっても公務をかっちりこなす家光に、側室を想う素振りは見られない。

 ……今、この時間は自分のものだ。

 正勝に許された家光との逢瀬の時間は甘いものとは程遠い。
 だが、それでも正勝はこの時間が愛おしかった。


 ――たとえ、彼女の身体が誰のものになろうとも。


 心だけは、決して渡さない。

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