白い彼女は夜目が利く

とらお。

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邂逅の怪

006

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「だめ」

 少女が振りかざした包丁は、俺の頬を掠って……床に落ちた。
 目の前に広がっていた不気味な笑みは次第に険しく歪んでいく。

「もう殺しちゃ、だめ」

 がっしりと少女の頭を鷲掴みにしたその人物はまるで力の差を見せつけるように、少女を床に放り投げた。
 そこにいたのは、真っ白い、彼女。

「暁……さん……?」

 俺が名を呼ぶと、彼女はついとこちらを一瞥する。
 しかし何も言わないまま床に張り倒した少女にゆっくりと近づいていった。

「それ以上殺したら、あなたはこの学校の怪異になってしまう。それは困るの」

 少女はと言うと、怯えた様子で這うように彼女から逃げている。
 やがて壁際に追い詰められた少女は真っ青な顔でふるふると首を振った。

「あら、今更命乞いをするの? あなたは三人も殺したのに?」

 びくりと少女の肩が跳ねる。

「人を驚かす程度で満足していればよかったのに。殺してしまったら……私は、あなたを消すしかない。面倒なことになっても嫌だし」

 怯える少女の顔を覗き込んだ彼女は、ふ、と小さく鼻を鳴らした。
 落ちてきた髪を耳にかける仕草がいやに艶っぽい。

「私じゃどうしようもなくなる前に始末をつけさせてもらうね。さようなら、小さな幽霊さん」

 めき、と彼女の背から音がしたと思った次の瞬間、身体が持っていかれそうなほどの風と共に彼女の背に生えた翼が空気を震わせた。
 狭苦しい教室内で居心地悪そうに動いたそれはまるで動物の威嚇のように大きく広がっていく。
 翼はそのまま怯えた様子の少女を覆い隠し……瞬きをした隙に、全て終わっていた。
 あの少女はいつの間にか消え、真っ白い彼女だけがぽつんと立っている。
 翼は、もうない。

「……え、えと、あの」

 急に訪れた沈黙に耐えられず声を出すと、彼女はくるりとこちらに振り向いた。
 そのまま彼女はこちらに近付いてきて、相変わらずロッカーの中で縮こまっていた俺の顔をじいと覗き込む。

「また、会っちゃったね」

 無表情で告げられたその言葉に心臓が跳ねた。
 恐怖かはたまた高揚か、よくわからない感情のまま彼女の瞳を見つめ返す。

「災難な人」

 ふ、と彼女が笑った。
 さらりと真っ白い髪が揺れる。
 彼女のことはいまいち掴めない。
 何を考えているかわからないし。
 ……でも、こうして彼女を目の前にして、気付いたことがある。
 やっぱり俺、この子のことが好きだ。
 聞きたいことが、聞かなきゃいけないことがたくさんあるはずなのに、彼女があまりにも綺麗で、美しくて、言葉が出てこない。
 動かない俺を不審に思ったのか、彼女は少し眉をひそめた。

「……生きてる、よね?」
「あッ、はい、生きてますッ!」

 あう。
 なんでもいいからとりあえず返事しなきゃと思ったら変な感じになった。
 俺の大声に驚いたらしい彼女はぱちくりと瞬きをする。

「あ……えと、ごめん。急に大声出して」

 謝ると彼女は首を振って、こて、と首を傾げた。

「……ねえ、痛い?」
「え?」
「傷口」
「あ、ああ……まあそりゃ、痛い、けど」

 じいと俺の傷口を見つめる彼女。
 かつてないほど近くにいるその姿に見とれていると、直後、全身に激痛が走る。
 痛みにのたうち、ロッカーごと倒れた俺を彼女はぽかんとした顔で見ていた。
 ……この子、今傷口つついたよね?
 なんて恐ろしい子なの?!
 がらがらとブリキのバケツが床を転がる音を聞きながら、涙目で彼女を見上げる。

「な、なにするんすか……」
「ごめん……つい」

 ついで人の傷口をつつくな。
 結構しっかり切られてんだぞ肩。

「もう、私にはわからない感覚だから」

 彼女の言葉の意図がわからずぽかんとしていると彼女はその場にしゃがみこんだ。

「あなた、私に聞きたいことあるんでしょう?」
「えっ」
「数日前会ってから……こっちジロジロ見てたから。なにか話があるのかなって」

 ガン見してたの気付かれてた!
 恥ずかしッ!

「最初は私のこと言いふらそうとしてるんじゃないかとか、羽のことを引き合いに何か言ってくるんじゃないかと思ったけど……違うみたいだし」

 彼女の長いまつげが揺れる。

「ねえ。言いたいことがあるのなら、はっきり言って?」

 その言葉に勢いそのまま告白してしまいそうになったが……なんとか抑えた。
 いやこの状況で「好きです」なんて言っちゃったらマジで変質者だって。
 よく飲み込んだ、俺。
 とりあえず俺は入りっぱなしだったロッカーから這い出て、彼女を真っ直ぐ見つめる。

「君は、その」

 そこまで声に出して、言い淀む。
 聞きたいことは山ほどあるのになんと聞けば良いのかがわからない。
 言葉に詰まっている俺を察してか知らずか、彼女は少しだけ目を伏せながら、零した。

「怖いなら、無理して関わろうとしなければいいのに。何が目的なの?」

 少しだけ、悲しそうな表情。
 それを見た瞬間、俺は思わず彼女の手首を握っていた。

「違うよ」

 ひんやりと冷たい体温を感じながら驚いて顔を上げた彼女を見つめる。

「怖いんじゃない。ただ……なんて言えば、君が傷つかないかが、わからなくて」

 前に会った時、彼女は平和に暮らしたいだけだと言っていた。
 そんな彼女に対して軽々しく"君は何者なんだ"なんて聞けるわけがない。
 お前は人間じゃないと言うようなものなんだから。

「おかしな人」

 そう零した彼女はずいとこちらに一歩近付いてくる。
 ふわりとシャンプーの香りがした。

「私はあなたを殺すと脅したのに。それでも尚、私のために言葉を選んでいるの?」

 彼女の匂いがわかるほどまで近付けたことに浮足立ちそうになっていると、赤い瞳が細められる。

「詳しく、教えてあげようか」
「……え?」
「私のこと。知りたそうな顔してたから。でもきっとあなたは言葉選びに詰まって……結局、聞かずに飲み込む。そうでしょ?」

 ……もしかして今、ちょっとだけ、笑った?

「し、知りたい。けど……素直に教えてくれるとは思ってなくてビックリした、というか」
「? 私は意地悪じゃないから、訊かれれば答えるし何か提案されたら検討する。だから、もし貴方に直接"私は何者か"を訊かれたら、答えたと思う」
「そ……っか……」

 あれだけ悩んでいたのに、あっさりと教えてもらえそうで逆に心配になる。
 でも、彼女にとって俺は秘密を打ち明けるに足る人間だと判断してもらえたということなら嬉しい限りだ。

ふくろうっているでしょ」
「梟? 動物の?」
「うん。私の中にはね、梟がいる」

 …………えっと……?

「ううん、ちょっと違うかな。私が、梟なの」
「……えっと、じゃあ、さっきの翼って」
「うん。梟の翼」

 彼女は指先で髪をいじりながら、続けた。

「私は半分だけ怪異なの」

 またあの、悲しそうな顔。
 時折生える翼は決して彼女が望んだ姿ではないのだと痛感して、こちらまで苦しくなる。

「梟の別名、知ってる?」
「え? えっと、ごめん、わかんないや」
「梟はね、親を食べて成長すると考えられていて別名"不孝鳥ふこうどり"と呼ばれるの。私の半分は、その不孝鳥で出来てる」

 親不孝だから……不孝鳥、なのか。

「不孝鳥は母胎に取り憑いて母親の生気を吸い取る怪異。子供が生まれてからは今度は生まれた子供を母胎として生気を吸う……そうして人に取り憑く行為を繰り返して存在し続ける。生まれた子供が妊娠できなかったりする時は別の母胎に移ったりすることもあるけど、基本的には母から娘へ受け継がれていくの」

 そこまで言って、彼女はふいと目を逸らした。

「普通の子なら逆にその怪異を生命力として取り込むことが出来るんだけど……私は身体が弱かったから、怪異と身体の取り合いになった末に、混ざってしまった。痛覚もそのとき失った」

 ぎゅう、と彼女の拳に力が入る。

「普通の人から見たら私は人間とは程遠いかもしれない。……でも、私は人間で在りたい。ただの、女の子で居たい」

 射貫くような、決意の籠もった瞳に、俺は彼女の手首を握る手に力を込めた。
 冷たい彼女に体温を分け与えるように。

「君は……普通の女の子だよ。少なくとも俺はそう思う」

 これは俺の本心だ。
 たとえ翼が生えても、半分怪異だと告白されても……俺はやっぱり、彼女のことが好きなんだから。

「……そう」

 彼女が、少しだけ微笑む。
 その様子にどこか緊張していると遠くからサイレンの音が聞こえた。

「来たみたい。救急車」
「え? 呼んでおいてくれたの?」

 俺の問いに彼女はこくりと頷く。

「まさかそんな状態で帰るつもりだったの?」

 それはまあ、確かに。
 俺はふいとぐずぐずになった肩を見る。
 うわぁ……見なきゃ良かった。

「それから今回の件に関しては私と口裏合わせてね。まさか幽霊に襲われましたなんて正直に言うわけにもいかないし」
「そ、そう! えっと、さっきの少女……きみはずっと怪異って呼んでたけど、あれって……?」
「あれはこっくりさんによって呼び出された名前もない動物霊。こっくりさんってよく聞くと思うけどあれは降霊術なのよ。こっくりさんを呼ぶ儀式じゃなくってとにかく近くにいる霊を呼ぶ儀式なの。運悪く攻撃性の高いものを呼んでしまったから……彼女たちは殺された」

 彼女の言葉に、自身の教室で起こっていたあの惨劇を思い出した。
 血溜まりに沈んでいたあの紙と十円玉にも納得がいく。

「じゃあえっと……初めて会った時に襲ってきた、あの黒い靄は……?」

 実はこれずっと気になってたんだよね。

「黒い靄? ……ああ、"送り狼"か。あなたには黒い靄に見えていたのね」
「え?」
「送り狼は夜道を歩く人の後ろをついて回って、その人が転んだら襲いかかる習性を持つ妖怪。あの時はそれにたまたま襲われていたところにあなたが鉢合わせてしまっただけ」

 そういえばあの時、転んだとか転んでないとか言っていたような気がする。
 あれも怪異だったんだ。
 すごい、ずっと気になってた謎がするする解けていく。
 とりあえず聞きたいことは全部聞いたし、あとは救急隊員にどう言い訳するかだけだな。

「それでえっと……俺は、この事件をなんて説明すれば良いんだ?」

 話を逸してしまったことに少し罪悪感を感じつつ話題を元に戻すと、彼女は自身の口元に人差し指を宛がう。

「あなたと私は学校に忘れ物を取りに来た。そしたら刃物を持った人物が学校に不法侵入していて、襲われた。これが筋書き。犯人の特徴はパニックであまり覚えてないって言うの。いい?」
「わ、わかった」

 サイレンの音がすぐ近くで止まって、ばたばたと人の足音が聞こえた。

「あ、暁さんっ! 最後に、一つだけ聞きたいんだけど」

 すると彼女は、こて、と首を傾げる。
 ああ……そうか。
 首を傾げるクセは、梟だからか。

「暁さん、昼と夜で髪と目の色が違うけど……どうして?」
「? そんなの決まってるじゃない。梟は夜行性だもん。夜中は、人間の私より怪異の私の方が存在感が高まるの」

 窓の外から差し込む青白い月明かりを、彼女は眩しそうに見上げる。

「ねえ、あなた、名前は?」
「え……? あ、」

 そういえば彼女とこうして話す時は何かしらトラブルに巻き込まれていたから、自己紹介もしていなかったことを思い出した。

「神埼仄、です」

 改めて自己紹介なんて恥ずかしいな。
 でもやっと、これで俺と彼女とのほんわかラブストーリーが始まるんだな!
 ここまで長かったなぁ……。

「そう。じゃあ、神崎くん。……もう私に近づかないでね」

 ……………………あるぇ……?
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