【完結】「婚約破棄ですか?分かりました」おしまい?

えるろって

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それから数日後、公爵家の執務室。ギルバート・リンドン公爵嫡男と弟クライヴが机を挟んで向かい合っていた。書類の束を整理しながら、ギルバートは難しい顔をしている。

「ディーンが消えたと思えば、今度はエリックが女たちに狙われているとは……。社交界の動きは本当に分からないものだ」

「はい。エリックの評判が高まっているらしいですね。俺も聞きました。騎士団内部での評価も高いと」

クライヴは落ち着いた口調で応じる。ギルバートは息をつき、「もしエリックが結婚して他家へ移ったら、シャーベット家も困るだろうな。アリス嬢が大変お世話になってるわけだから」と呟く。

「アリス……そうですね。寝るのが嫌いな彼女を夜中まで守ってる存在といえばエリックですし」

「君は、そろそろアリス嬢とどうするか決めないのか? 夜会までやって楽しんでいるようだが、社交界では『クライヴが再婚約を狙ってる』という噂が再燃しているぞ」

ギルバートの問いかけに、クライヴは真剣な表情でうつむく。そして少しの沈黙の後、口を開く。

「兄上、俺は……アリスと正式に婚約を戻したい気持ちが強まってるんです。でも彼女がまだ迷っているなら、無理強いしたくない」

「そりゃ分かっている。ディーンを退けたとはいえ、エリックという幼馴染もいるし、君たちの関係は複雑だろう」

クライヴは苦笑し、「ええ……」と呟く。夜会でのアリスの表情を思い出すと、自分に好意を持ってくれているように感じるが、一方でエリックへの特別な情もあると察している。

「……ただ、最近はエリックに政略結婚話が集中してるそうだ。もし彼がシャーベット家から離れるようなことがあれば、アリスはどう動くんでしょうね」

「そこが問題だ。エリックが去れば、アリスは不安定になるかもしれない。一方で、お前がその穴を埋めるように寄り添う形で結婚が進むかもしれない」

「兄上……そんな打算的に考えたくはありません。でも、事実として起こりうる未来ですね」

ギルバートは「まあ、社交界はそういうものだ」と肩をすくめ、クライヴを真っ直ぐ見つめる。

「君がアリス嬢を心から想っているなら、彼女がどんな選択をしても支えてあげるしかないんじゃないか? 寝るのが嫌いだからといって夜会を開くような子なんだ、何が起こるか分からない。……どんな荒唐無稽な道を選ぶかもしれないぞ」

クライヴは苦笑しつつも、どこか納得しているような表情を浮かべる。

「たしかに……彼女にとって夜や眠りの問題は大きい。俺がそれを全部受け止める準備があるのかと問われれば、自信がないと正直に言わざるを得ません。でも、それでも一緒にいたいと思う」

「なら、後悔しないように行動するんだな。政略的にも悪い話ではないし、お前の気持ちも本物なら、公爵家として反対する理由はない」

ギルバートの言葉にクライヴは深く頭を下げる。公爵家の次男が、自分の意思で“夜”を共有する恋を選びとる――それがアリスの幸せにつながるなら、悩むのは正しいことだろう。

「……ありがとうございます、兄上。俺、アリスへの気持ちをはっきり伝える機会を作ります。夜会やクッキー作りだけでは分からない部分も、しっかり確認したい」

「そうか。ディーンを排除した今こそ、お前にとって正念場だろう。エリックがどう動くかも注目だが、君とアリスの関係は今がまさに分岐点かもしれん」

クライヴは拳を握りしめ、「はい」と短く答える。公爵家や兄ギルバートに支えられながら、アリスとの再婚約を本格的に進める決意が固まりつつあった――もちろん、アリスが受け入れてくれるかは別問題だが。

---

一方、シャーベット家ではアリスが書斎でうなだれていた。フローレンスの言葉に勇気づけられても、具体的な行動には踏み切れない。エリックに突然縁談が殺到し、自分を守ってくれていた存在が離れていくかもしれない。そんな不安が昼夜を問わず、頭を支配している。

「ふぁ……寝るの嫌いなわたしだけど、この問題から逃げるために寝ちゃいたいくらい。……何やってるんだろう」

珍しく弱音が口をつく。アリスは書斎の窓から外を眺め、エリックがどんな思いで自分に接しているのかを考えては胸を痛める。クライヴへの想いとエリックの存在。寝るのが嫌いという設定がすべてを覆うこの物語は、どんどん複雑さを増しているように感じる。

(もしクライヴさまが本当に再婚約を申し出てきたら、わたしは受けるべきなのかな。エリックの気持ちをどう扱うの……?)

悩みの渦中、ドアがノックされる。侍女が「お嬢様、エリック様がいらっしゃいました」と報告。アリスは心臓が跳ねるのを感じながら「入って」と返事をする。  
エリックが扉を開けて現れる。いつも以上に真剣な面持ちで、眉間に微かなしわを寄せている。アリスは「どうしたの?」と不安気に尋ねるが、彼の口から出たのは予想外の言葉だった。

「アリス……俺、しばらく王宮勤務が増えることになった。護衛としてお前のそばを離れる期間が増えるかもしれない」

「え……離れる? それって……」

「騎士見習いとしての務めが評価されて、正式に王宮警護の一部を担うように言われている。ディーンの一件もあって、王宮側も人材を求めているんだと。シャーベット家も納得している」

アリスは口をあんぐりと開き、言葉を失う。父グラントが了承しているということは、実質決定なのだろう。寝るのが嫌いな夜をずっと支えてきたエリックが、これからは頻繁に不在になる。  
深刻な沈黙が流れる。エリックは視線を逸らしながら続ける。

「これが俺の将来にも繋がるらしい。騎士団長や上層部が目をかけてくれてる。……だから、もちろんお前を守りたい気持ちはあるが、俺も自分の道を進まないといけない」

「そ、そう……ですね。エリックが夢を叶えるなら、わたし……応援したいです」

本心なのに、アリスの声は震える。「エリックが王宮勤務になれば、夜中にクッキー作りだなんて、もう付き合ってもらえないのかな」と考えると、それだけで切なくなる。  
エリックはアリスの瞳を見つめ、言いづらそうに付け加える。

「護衛として離れるわけじゃない。必要なときは呼んでくれれば駆けつける。……ただ、毎日四六時中一緒にいられるほど暇ではなくなるんだ」

「ふぁ……そう、ですよね。エリックだって、いつまでもわたしの護衛だけじゃ成長できませんもんね」

アリスは頑張って笑みを作るが、涙がこぼれそうなのを必死に堪えている。寝るのが嫌いで夜更かしするたびに「エリックがいるから平気」と思っていた。しかし、その当たり前が崩れかけている。  
エリックは「すまない」と小さく囁く。しかし、これ以上何も言えない。このままアリスに告白するのか、クライヴとの関係をどうするのか――いずれが見えない状況では踏み込んだ発言を許されない。

(でも、アリスがクライヴを選ぶなら……俺は身を引こう。そう決めたじゃないか)

そう自分に言い聞かせながら、エリックは淡々と報告を終える。アリスは「わたしも応援してる」とぎこちなく声を絞り出し、エリックは会釈して退室する。  
書斎にひとり残されたアリスは、今にも泣き出しそうな表情を浮かべてソファに崩れ落ちる。寝るのが嫌いというこだわりを持ちながら、いつも心の支えだったエリックの存在が遠のく。それがこんなにも辛いと初めて気づかされた。

「ふぁ……わたし、どうすればいいんだろう。クライヴさまとの仲を進めて、エリックは王宮へ……。それでいいのかな」

頭がいっぱいになり、涙が頬を伝う。寝るのが嫌いだからこそ築いてきた夜の友情が、未来にどう転ぶのか――アリスは初めてこのとき、心から「眠ってしまいたい」と思った。  
だが、寝るのは嫌いだ。怖い夢を見そうで、今はそれを乗り越えないといけない――そう考えると、意識だけがむき出しのまま痛んでいる。この恋の行方は、ますます混迷の度を深めているようだ。
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