殿下、ゴミの分別はお済みですか? 私は今日から、推しと生きていきますわ!

鏡おもち

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夕暮れ時の騎士団本部。茜色の光が、私が今日三回も磨き上げた廊下を、まるでレッドカーペットのように赤く染め上げていました。


私は、バケツを傍らに置き、いつもの「騎士用グローブ」をはめた手で、最後の仕上げの乾拭きを終えたところでした。


「ふぅ……。今日もいい輝きですわ。この光沢、カイン様の瞳の輝きに肉薄しておりますわね」


「……相変わらず、変なものと比較するのだな、君は」


聞き慣れた、けれど少しだけ緊張を含んだ低い声。


振り返ると、そこには夕日を背負って、影を長く伸ばしたカイン様が立っていました。


いつもは凛々しい彼の表情が、どこか少しだけ、迷いと覚悟の入り混じったような、複雑な色を湛えています。


「カイン様! お疲れ様です! 今ちょうど、団長が通られる予定のルートを、摩擦抵抗ゼロの状態にしておきましたわよ!」


「……歩きにくいから、少しは抵抗を残してくれと言ったはずだが。まあいい、それよりも、ミナモル嬢。少し、話をしてもいいか?」


カイン様が、私の正面にゆっくりと歩み寄りました。


その距離、わずか三十センチ。夕日の逆光で、彼の顔がよく見えませんが、伝わってくる熱量は、いつもの「胃痛の団長」のものではありません。


「話……。ああっ、もしや、更衣室のワックスが少しだけムラになっていたというご指摘でしょうか!? 申し訳ございません、今すぐ剥離洗浄を――」


「掃除の話ではない!」


カイン様が、私の肩をガシッと掴みました。


「……君は、本当に変わっている。王太子の婚約者という地位を、ゴミのように捨て(実際は捨てられたが、君にとってはゴミだったな)、わざわざ騎士団の床を這いずり回る道を選んだ」


「はい。人生で最高の選択でしたわ」


「最初は、ただの嫌がらせか、あるいは奇行の類だと思っていた。……だが、君が毎日、誰よりも早くここに来て、誰よりも遅くまで、私たちの足元を……この場所を大切に磨き上げる姿を見て、私の考えは変わった」


カイン様の手が、少しだけ震えています。


(あ、あ、ああ……。カイン様が、私を真剣な目で見つめていらっしゃいます……! 尊すぎて、私の網膜が限界を迎えそうですわ!)


「……ミナモル嬢。君の狂気的な情熱は、いつしか私の、そして騎士団全員の『当たり前』になってしまった。……君がいない朝の廊下など、想像もしたくない。……いや、私が、君のいない日々を、もう耐えられそうにないんだ」


カイン様が、私の前に片膝をつきました。


騎士が、主君以外に捧げることのない、神聖な誓いのポーズ。


「……カイン、様……?」


「ミナモル・フォン・アステリア。……掃除の専門職員としてではなく、私の妻として、生涯私の隣にいてくれないか。……君が磨く床ではなく、君自身を、私が守り抜くと誓おう」


カイン様が、懐から小さな箱を取り出し、蓋を開けました。


そこにあったのは、ダイヤモンドではありませんでした。……銀色に輝く、特注の「磨き抜かれた白銀のリング」。


「……君の好きな、光沢率の高い金属を選んだ。……私と、結婚してほしい」


静寂が、廊下を支配しました。


遠くで訓練中の騎士たちの声が聞こえますが、私の耳にはカイン様の鼓動だけが、大太鼓のように響いています。


(…………プロポーズ。カイン様から、私への、真面目な、求婚……!)


私の脳内では、全宇宙の雑巾が空高く舞い上がり、バケツから祝福の聖水が噴水のように吹き出しています。


あまりの感動と尊さに、私は呼吸を忘れ、目から熱いワックス……いいえ、涙が溢れ出しました。


「カイン様……。その、一つだけ、確認させていただいてもよろしいでしょうか?」


「……なんだ。何でも言ってくれ。私の年収か? それとも、将来の居住地か?」


カイン様が、不安そうに私を見上げます。


私は、グローブを外した手で、彼の温かい手をぎゅっと握りしめました。


「カイン様。私と、もし、結婚したならば……。私は、これからも、毎日、カイン様の執務室と、更衣室と、そしてカイン様が歩くすべての床を、私の気が済むまで磨き続けてもよろしいのでしょうか!? いえ、むしろ妻としての権利を行使して、今よりさらにディープな掃除を行っても、お怒りになりませんわね!?」


「………………は?」


カイン様の感動の表情が、一瞬で「いつもの困惑」へと書き換えられました。


「ミナモル嬢……。今のプロポーズの流れで、最初に確認するのが『掃除の継続許可』なのか?」


「当たり前ですわ! 私にとっての結婚生活とは、公的に認められた『推しの生活環境の永久メンテナンス権』ですもの! 朝起きたらカイン様の寝室の床を磨き、日中は騎士団の廊下を磨き、夜はカイン様の鎧を磨く……。ああっ、なんて素晴らしいフルコース! 毎日床を磨かせていただけるなら、私は喜んであなたの妻になりますわ!」


「……。君という女性は、本当に……」


カイン様は一瞬、呆然と私を見つめていましたが、やがて、堪えきれないといった様子で吹き出しました。


「くっ……ふふっ、ははははは! ……そうだな。君から掃除を取り上げたら、それはもう君ではない。……わかった。許可しよう。毎日でも、毎分でも、好きなだけ磨くがいい。……ただし、たまには私のことも、床と同じくらい……いや、床の半分でいいから、構ってくれ」


「半分も!? 贅沢な悩みですわねカイン様! もちろん、一分一秒、カイン様の筋肉の動きを見守りながら磨き倒しますわよ!」


「……よし、契約成立だな」


カイン様は、白銀のリングを私の薬指へと滑り込ませました。


夕日に照らされた指輪が、私が磨き上げた床と共鳴して、眩いばかりの光を放ちました。


「カイン様! 大好きですわ! カイン様も、カイン様が踏むこの石畳も!」


「……私もだ。……床に負けないように、精進するとしよう」


私たちは、夕暮れの廊下で、固く、固く抱き合いました。


婚約破棄から始まった私の物語は、ついに「最愛の掃除対象(旦那様)」を手に入れるという、最高のハッピーエンドへと向かって加速し始めたのでした。
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