私を愛さないなんて、世界最大の損失ではなくて?

鏡おもち

文字の大きさ
1 / 28

1

しおりを挟む
煌びやかなシャンデリアが輝く王宮の夜会会場。その中心で、音楽を止めるほどの怒声が響き渡った。


「ミント・エーデルワイス! 貴様との婚約を、今この瞬間をもって破棄する!」


第一王子カイルが、傍らに寄り添う男爵令嬢フロラを抱き寄せながら指を突きつける。周囲の貴族たちは息を呑み、静まり返った。


しかし、糾弾された当の本人はといえば。


「……うん、やっぱり今日のまつ毛の角度は完璧。左右で一ミリの狂いもないわ。私ってば、なんて勤勉で美の女神に愛されているのかしら」


ミントはカイルの方を向きもしない。手元の小さな手鏡を覗き込み、自身の瞳の輝きにうっとりと見惚れていた。


「おい! 聞いているのかミント! 私は貴様との婚約を破棄すると言っているんだぞ!」


「あら、殿下。お声が大きいですよ。せっかくの素晴らしい音楽が台無しではありませんか」


ミントはようやく鏡から顔を上げ、カイルに微笑んだ。その微笑みがあまりに神々しく、非の打ち所がないほど美しかったため、カイルは一瞬言葉を詰まらせる。


「……ふん、その余裕も今のうちだ。貴様がフロラに行った数々の嫌がらせ、すべて把握している。この清らかなフロラを階段から突き落とそうとし、教科書を破り、あろうことか毒まで盛ろうとしたそうだな!」


「あら、そんな手間のかかることを?」


ミントは不思議そうに小首を傾げた。その仕草一つとっても、計算され尽くしたような完璧な可憐さである。


「殿下、よく考えてみてください。私には、鏡を見て自分を愛でるという非常に重要な日課がございます。朝に三時間、昼に二時間、夜は三時間。それ以外の時間は肌の保湿と髪のキューティクル維持に充てておりますの」


「それがどうしたというのだ!」


「つまり、そのフロラ様……でしたかしら? その方に関わるような無駄な時間は、私の一分一秒の中に存在しないということですわ。他人に構う暇があるなら、私は自分の指先を眺めていたいですもの」


「な、なんだと……っ!」


カイルの顔が怒りで赤くなる。隣で「怖いですわ、殿下ぁ」と震えてみせるフロラだったが、ミントは彼女の存在など視界の端にも入れていない。


「だいたい、そちらのフロラ様。お肌のキメが少し荒れていらっしゃいませんか? そんなに殿下に密着しては、殿下の皮脂が移ってニキビの原因になりますわよ。私なら耐えられませんわ。自分の肌に他人の脂がつくなんて、恐怖で夜も眠れません」


「ミント様! わ、私を侮辱するのですか!? 殿下、見てください、この方は反省など微塵もしていません!」


フロラが泣き真似をしながら訴える。カイルは彼女を強く抱きしめ、ミントを睨みつけた。


「貴様のような冷酷で傲慢な女、二度と顔も見たくない! 今すぐこの場から立ち去れ! 明日には公爵家を通じて正式な処分を下してやる!」


「二度と顔を見たくない、ですか……。それは殿下にとって、あまりに酷な罰ではありませんか?」


ミントは心底、カイルのことを気の毒に思うような表情を浮かべた。


「殿下はこれから一生、この世界で一番美しい私の顔を拝む権利を失うのですよ? 朝起きて私の肖像画を眺める喜びも、夜会で私のドレス姿に目を細める愉悦も、すべて消えてしまうのです。……ああ、なんてお可哀想な殿下。ご自分の決断とはいえ、その喪失感に耐えられるかしら」


「自惚れるのも大概にしろ! 誰が貴様など! 衛兵! この女を今すぐ外へ連れ出せ!」


カイルの叫びに応じ、数人の衛兵が駆け寄ってくる。その中の一人、近衛騎士のジルコンが困惑した表情でミントの前に立った。


「ミント様、申し訳ありませんが……」


「あら、ジルコン。貴方は相変わらず姿勢が良いわね。私の美しさを引き立てる背景として、貴方は合格点よ」


「……はあ、光栄です。ですが、お引き取りを」


「ええ、分かっているわ。こんなに騒がしい場所では、私の美肌にストレスが溜まってしまうもの。帰って特製のローズオイルでマッサージをしなくては」


ミントは優雅に背筋を伸ばし、一度も後ろを振り返ることなく歩き出した。その足取りは、断罪された令嬢のそれではなく、まるで凱旋する女王のようであった。


「ああ、ジルコン。一つだけお願いがあるの」


会場の出口で、ミントはぴたりと足を止めた。


「何でしょうか」


「馬車の中に鏡はついているかしら? 王宮から屋敷までの十五分間、自分の顔を見られないなんて耐えられないの。もし無いのであれば、貴方の鎧を鏡代わりに磨いておいてちょうだい」


「…………善処します」


ジルコンは深くため息をつきながら、ミントのために扉を開けた。


夜風がミントの金の髪を揺らす。彼女は夜空に浮かぶ月を見上げ、ふふっと小さく笑った。


「月って綺麗ね。でも、月明かりに照らされた私の方が、ずっと綺麗だわ。……さあ、明日はどんな方法で自分を愛してあげようかしら?」


婚約破棄、追放、断罪。


そんな世俗的な言葉は、自分を愛しすぎる彼女の耳には、心地よい子守唄にすらならないのであった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

とっていただく責任などありません

まめきち
恋愛
騎士団で働くヘイゼルは魔物の討伐の際に、 団長のセルフイスを庇い、魔法陣を踏んでしまう。 この魔法陣は男性が踏むと女性に転換するもので、女性のヘイゼルにはほとんど影響のない物だった。だか国からは保証金が出たので、騎士を辞め、念願の田舎暮らしをしようとしたが!? ヘイゼルの事をずっと男性だと思っていたセルフイスは自分のせいでヘイゼルが職を失っただと思って来まい。 責任を取らなければとセルフイスから、 追いかけられる羽目に。

【書籍化決定】アシュリーの願いごと

ましろ
恋愛
「まあ、本当に?」 もしかして。そう思うことはありました。 でも、まさか本当だっただなんて。 「…それならもう我慢する必要は無いわね?」 嫁いでから6年。まるで修道女が神に使えるが如くこの家に尽くしてきました。 すべては家の為であり、夫の為であり、義母の為でありました。 愛する息子すら後継者として育てるからと産まれてすぐにとりあげられてしまいました。 「でも、もう変わらなくてはね」 この事を知ったからにはもう何も我慢するつもりはありません。 だって。私には願いがあるのだから。 ✻基本ゆるふわ設定です。 気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。 ✻1/19、タグを2つ追加しました ✻1/27、短編から長編に変更しました ✻2/2、タグを変更しました

乙女ゲームの正しい進め方

みおな
恋愛
 乙女ゲームの世界に転生しました。 目の前には、ヒロインや攻略対象たちがいます。  私はこの乙女ゲームが大好きでした。 心優しいヒロイン。そのヒロインが出会う王子様たち攻略対象。  だから、彼らが今流行りのザマァされるラノベ展開にならないように、キッチリと指導してあげるつもりです。  彼らには幸せになってもらいたいですから。

後妻の条件を出したら……

しゃーりん
恋愛
妻と離婚した伯爵令息アークライトは、友人に聞かれて自分が後妻に望む条件をいくつか挙げた。 格上の貴族から厄介な女性を押しつけられることを危惧し、友人の勧めで伯爵令嬢マデリーンと結婚することになった。 だがこのマデリーン、アークライトの出した条件にそれほどズレてはいないが、貴族令嬢としての教育を受けていないという驚きの事実が発覚したのだ。 しかし、明るく真面目なマデリーンをアークライトはすぐに好きになるというお話です。

彼女が高級娼婦と呼ばれる理由~元悪役令嬢の戦慄の日々~

プラネットプラント
恋愛
婚約者である王子の恋人をいじめたと婚約破棄され、実家から縁を切られたライラは娼館で暮らすことになる。だが、訪れる人々のせいでライラは怯えていた。 ※完結済。

夢を現実にしないための正しいマニュアル

しゃーりん
恋愛
娘が処刑される夢を見た。 現在、娘はまだ6歳。それは本当に9年後に起こる出来事? 処刑される未来を変えるため、過去にも起きた夢の出来事を参考にして、変えてはいけないことと変えるべきことを調べ始める。 婚約者になる王子の周囲を変え、貴族の平民に対する接し方のマニュアルを作り、娘の未来のために頑張るお話。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

もしもゲーム通りになってたら?

クラッベ
恋愛
よくある転生もので悪役令嬢はいい子に、ヒロインが逆ハーレム狙いの悪女だったりしますが もし、転生者がヒロインだけで、悪役令嬢がゲーム通りの悪人だったなら? 全てがゲーム通りに進んだとしたら? 果たしてヒロインは幸せになれるのか ※3/15 思いついたのが出来たので、おまけとして追加しました。 ※9/28 また新しく思いつきましたので掲載します。今後も何か思いつきましたら更新しますが、基本的には「完結」とさせていただいてます。9/29も一話更新する予定です。 ※2/8 「パターンその6・おまけ」を更新しました。 ※4/14「パターンその7・おまけ」を更新しました。

処理中です...