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煌びやかなシャンデリアが輝く王宮の夜会会場。その中心で、音楽を止めるほどの怒声が響き渡った。
「ミント・エーデルワイス! 貴様との婚約を、今この瞬間をもって破棄する!」
第一王子カイルが、傍らに寄り添う男爵令嬢フロラを抱き寄せながら指を突きつける。周囲の貴族たちは息を呑み、静まり返った。
しかし、糾弾された当の本人はといえば。
「……うん、やっぱり今日のまつ毛の角度は完璧。左右で一ミリの狂いもないわ。私ってば、なんて勤勉で美の女神に愛されているのかしら」
ミントはカイルの方を向きもしない。手元の小さな手鏡を覗き込み、自身の瞳の輝きにうっとりと見惚れていた。
「おい! 聞いているのかミント! 私は貴様との婚約を破棄すると言っているんだぞ!」
「あら、殿下。お声が大きいですよ。せっかくの素晴らしい音楽が台無しではありませんか」
ミントはようやく鏡から顔を上げ、カイルに微笑んだ。その微笑みがあまりに神々しく、非の打ち所がないほど美しかったため、カイルは一瞬言葉を詰まらせる。
「……ふん、その余裕も今のうちだ。貴様がフロラに行った数々の嫌がらせ、すべて把握している。この清らかなフロラを階段から突き落とそうとし、教科書を破り、あろうことか毒まで盛ろうとしたそうだな!」
「あら、そんな手間のかかることを?」
ミントは不思議そうに小首を傾げた。その仕草一つとっても、計算され尽くしたような完璧な可憐さである。
「殿下、よく考えてみてください。私には、鏡を見て自分を愛でるという非常に重要な日課がございます。朝に三時間、昼に二時間、夜は三時間。それ以外の時間は肌の保湿と髪のキューティクル維持に充てておりますの」
「それがどうしたというのだ!」
「つまり、そのフロラ様……でしたかしら? その方に関わるような無駄な時間は、私の一分一秒の中に存在しないということですわ。他人に構う暇があるなら、私は自分の指先を眺めていたいですもの」
「な、なんだと……っ!」
カイルの顔が怒りで赤くなる。隣で「怖いですわ、殿下ぁ」と震えてみせるフロラだったが、ミントは彼女の存在など視界の端にも入れていない。
「だいたい、そちらのフロラ様。お肌のキメが少し荒れていらっしゃいませんか? そんなに殿下に密着しては、殿下の皮脂が移ってニキビの原因になりますわよ。私なら耐えられませんわ。自分の肌に他人の脂がつくなんて、恐怖で夜も眠れません」
「ミント様! わ、私を侮辱するのですか!? 殿下、見てください、この方は反省など微塵もしていません!」
フロラが泣き真似をしながら訴える。カイルは彼女を強く抱きしめ、ミントを睨みつけた。
「貴様のような冷酷で傲慢な女、二度と顔も見たくない! 今すぐこの場から立ち去れ! 明日には公爵家を通じて正式な処分を下してやる!」
「二度と顔を見たくない、ですか……。それは殿下にとって、あまりに酷な罰ではありませんか?」
ミントは心底、カイルのことを気の毒に思うような表情を浮かべた。
「殿下はこれから一生、この世界で一番美しい私の顔を拝む権利を失うのですよ? 朝起きて私の肖像画を眺める喜びも、夜会で私のドレス姿に目を細める愉悦も、すべて消えてしまうのです。……ああ、なんてお可哀想な殿下。ご自分の決断とはいえ、その喪失感に耐えられるかしら」
「自惚れるのも大概にしろ! 誰が貴様など! 衛兵! この女を今すぐ外へ連れ出せ!」
カイルの叫びに応じ、数人の衛兵が駆け寄ってくる。その中の一人、近衛騎士のジルコンが困惑した表情でミントの前に立った。
「ミント様、申し訳ありませんが……」
「あら、ジルコン。貴方は相変わらず姿勢が良いわね。私の美しさを引き立てる背景として、貴方は合格点よ」
「……はあ、光栄です。ですが、お引き取りを」
「ええ、分かっているわ。こんなに騒がしい場所では、私の美肌にストレスが溜まってしまうもの。帰って特製のローズオイルでマッサージをしなくては」
ミントは優雅に背筋を伸ばし、一度も後ろを振り返ることなく歩き出した。その足取りは、断罪された令嬢のそれではなく、まるで凱旋する女王のようであった。
「ああ、ジルコン。一つだけお願いがあるの」
会場の出口で、ミントはぴたりと足を止めた。
「何でしょうか」
「馬車の中に鏡はついているかしら? 王宮から屋敷までの十五分間、自分の顔を見られないなんて耐えられないの。もし無いのであれば、貴方の鎧を鏡代わりに磨いておいてちょうだい」
「…………善処します」
ジルコンは深くため息をつきながら、ミントのために扉を開けた。
夜風がミントの金の髪を揺らす。彼女は夜空に浮かぶ月を見上げ、ふふっと小さく笑った。
「月って綺麗ね。でも、月明かりに照らされた私の方が、ずっと綺麗だわ。……さあ、明日はどんな方法で自分を愛してあげようかしら?」
婚約破棄、追放、断罪。
そんな世俗的な言葉は、自分を愛しすぎる彼女の耳には、心地よい子守唄にすらならないのであった。
「ミント・エーデルワイス! 貴様との婚約を、今この瞬間をもって破棄する!」
第一王子カイルが、傍らに寄り添う男爵令嬢フロラを抱き寄せながら指を突きつける。周囲の貴族たちは息を呑み、静まり返った。
しかし、糾弾された当の本人はといえば。
「……うん、やっぱり今日のまつ毛の角度は完璧。左右で一ミリの狂いもないわ。私ってば、なんて勤勉で美の女神に愛されているのかしら」
ミントはカイルの方を向きもしない。手元の小さな手鏡を覗き込み、自身の瞳の輝きにうっとりと見惚れていた。
「おい! 聞いているのかミント! 私は貴様との婚約を破棄すると言っているんだぞ!」
「あら、殿下。お声が大きいですよ。せっかくの素晴らしい音楽が台無しではありませんか」
ミントはようやく鏡から顔を上げ、カイルに微笑んだ。その微笑みがあまりに神々しく、非の打ち所がないほど美しかったため、カイルは一瞬言葉を詰まらせる。
「……ふん、その余裕も今のうちだ。貴様がフロラに行った数々の嫌がらせ、すべて把握している。この清らかなフロラを階段から突き落とそうとし、教科書を破り、あろうことか毒まで盛ろうとしたそうだな!」
「あら、そんな手間のかかることを?」
ミントは不思議そうに小首を傾げた。その仕草一つとっても、計算され尽くしたような完璧な可憐さである。
「殿下、よく考えてみてください。私には、鏡を見て自分を愛でるという非常に重要な日課がございます。朝に三時間、昼に二時間、夜は三時間。それ以外の時間は肌の保湿と髪のキューティクル維持に充てておりますの」
「それがどうしたというのだ!」
「つまり、そのフロラ様……でしたかしら? その方に関わるような無駄な時間は、私の一分一秒の中に存在しないということですわ。他人に構う暇があるなら、私は自分の指先を眺めていたいですもの」
「な、なんだと……っ!」
カイルの顔が怒りで赤くなる。隣で「怖いですわ、殿下ぁ」と震えてみせるフロラだったが、ミントは彼女の存在など視界の端にも入れていない。
「だいたい、そちらのフロラ様。お肌のキメが少し荒れていらっしゃいませんか? そんなに殿下に密着しては、殿下の皮脂が移ってニキビの原因になりますわよ。私なら耐えられませんわ。自分の肌に他人の脂がつくなんて、恐怖で夜も眠れません」
「ミント様! わ、私を侮辱するのですか!? 殿下、見てください、この方は反省など微塵もしていません!」
フロラが泣き真似をしながら訴える。カイルは彼女を強く抱きしめ、ミントを睨みつけた。
「貴様のような冷酷で傲慢な女、二度と顔も見たくない! 今すぐこの場から立ち去れ! 明日には公爵家を通じて正式な処分を下してやる!」
「二度と顔を見たくない、ですか……。それは殿下にとって、あまりに酷な罰ではありませんか?」
ミントは心底、カイルのことを気の毒に思うような表情を浮かべた。
「殿下はこれから一生、この世界で一番美しい私の顔を拝む権利を失うのですよ? 朝起きて私の肖像画を眺める喜びも、夜会で私のドレス姿に目を細める愉悦も、すべて消えてしまうのです。……ああ、なんてお可哀想な殿下。ご自分の決断とはいえ、その喪失感に耐えられるかしら」
「自惚れるのも大概にしろ! 誰が貴様など! 衛兵! この女を今すぐ外へ連れ出せ!」
カイルの叫びに応じ、数人の衛兵が駆け寄ってくる。その中の一人、近衛騎士のジルコンが困惑した表情でミントの前に立った。
「ミント様、申し訳ありませんが……」
「あら、ジルコン。貴方は相変わらず姿勢が良いわね。私の美しさを引き立てる背景として、貴方は合格点よ」
「……はあ、光栄です。ですが、お引き取りを」
「ええ、分かっているわ。こんなに騒がしい場所では、私の美肌にストレスが溜まってしまうもの。帰って特製のローズオイルでマッサージをしなくては」
ミントは優雅に背筋を伸ばし、一度も後ろを振り返ることなく歩き出した。その足取りは、断罪された令嬢のそれではなく、まるで凱旋する女王のようであった。
「ああ、ジルコン。一つだけお願いがあるの」
会場の出口で、ミントはぴたりと足を止めた。
「何でしょうか」
「馬車の中に鏡はついているかしら? 王宮から屋敷までの十五分間、自分の顔を見られないなんて耐えられないの。もし無いのであれば、貴方の鎧を鏡代わりに磨いておいてちょうだい」
「…………善処します」
ジルコンは深くため息をつきながら、ミントのために扉を開けた。
夜風がミントの金の髪を揺らす。彼女は夜空に浮かぶ月を見上げ、ふふっと小さく笑った。
「月って綺麗ね。でも、月明かりに照らされた私の方が、ずっと綺麗だわ。……さあ、明日はどんな方法で自分を愛してあげようかしら?」
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