私を愛さないなんて、世界最大の損失ではなくて?

鏡おもち

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「……ミント様。これ以上、私に何をさせようというのですか」


ジルコンは額の汗を拭うことも忘れ、目の前の「それ」を呆然と見上げた。


屋敷の庭の一角に設置されたのは、巨大な円形の舞台……のようなものだった。村人たちから集めた板材を組み合わせ、ジルコンが不眠不休で作り上げたものである。


「あら、見て分からない? これは私の『サンライト・ステージ』よ。太陽の光が最も美しく私の髪を透かす角度を計算して、高さを調整したの。完璧だわ、ジルコン。貴方の筋肉は、私の美意識を形にするために存在していたのね」


「……私は王宮から派遣された近衛騎士であって、大工でも舞台装置係でもありません」


「同じことよ。騎士は主(あるじ)を守るもの。そして今の私にとって最大の敵は、私の輝きを邪魔する『不適切なライティング』だわ。貴方は見事にその敵を討ち取ったのよ」


ミントは白いドレスの裾をひらめかせ、舞台の上に登った。そして、ゆっくりと旋回しながら、降り注ぐ陽光を全身で浴びる。


「見て、ジルコン。光が私の肌に吸い込まれて、内側から発光しているみたいでしょう? ああ、神様。私をこんなに完璧に創りたもうた罪深さを、今この瞬間に許してあげるわ」


「……勝手な赦免ですね。それよりミント様、少しは村の運営についても考えてください。村長が『お嬢様の肖像画を配ったら、村の若者たちが仕事を放り出して見惚れている』と泣きついてきましたよ」


「まあ、それは困ったわね。私の美しさが労働意欲を削いでしまうなんて。……そうだわ! 肖像画の裏に『これを一時間眺めたら、三時間は畑を耕しなさい。さもなくば次の肖像画は出さないわよ』と一筆書いておきなさい。私の言葉は、彼らにとって神託も同然だわ」


「……飴と鞭の使い方が極端すぎませんか」


ジルコンが溜息をついたその時。屋敷の生い茂った茂みの奥で、カサリと不自然な音がした。


ジルコンの瞳が、騎士としての鋭さを取り戻す。彼はさりげなく腰の剣の柄に手をかけた。


「ミント様、下がってください。……そこにいるのは誰だ。出てこい」


静寂が流れる。やがて、茂みの中からひょろりとした男が姿を現した。旅人のような格好をしているが、その目は油断なく周囲を観察している。


「お、おっと、失礼。私はしがない旅の絵師でして……。この地に絶世の美女が追放されたと聞き、一目そのお姿を拝見したいと……」


男は卑屈な笑みを浮かべて頭を下げた。だが、その指先にはペンだこではなく、武器を扱い慣れた者のタコがあった。


(王都からの密偵か。カイル殿下、あるいはフロラ様が送り込んだな……)


ジルコンは即座に察した。彼らの目的は、ミントが辺境で惨めに、ボロボロになって泣き暮らしている姿を確認し、王都で嘲笑の種にすることだろう。


しかし。


「あら、絵師さん? 私の美しさを描き留めたいというの? 貴方、なかなか見る目があるわね。でも残念。私の美しさを二次元に収めるなんて、一流の宮廷画家でも不可能なのよ」


ミントは舞台の上で、優雅に扇子を広げて密偵を見下ろした。


「見てごらんなさい、このフェイスライン。キャンバスに描いた途端、その不完全さに貴方は絶望して筆を折ることになるわ。貴方の精神衛生のために、お断りしておくのが優しさというものね」


密偵の男……コードネーム「シャドウ」は、絶句した。


(……なんだ、この女は。追放されて、ボロ屋敷に住まわされ、婚約者も奪われたというのに……なぜ、これほどまでに尊大なんだ? 狂ったのか? それとも、この生活に満足しているのか……?)


シャドウが事前に受けていた報告では、「高慢ちきな悪役令嬢が、田舎の泥にまみれて絶望するはずだ」という予測だった。


だが、目の前の光景はどうだ。


彼女はボロ屋敷の庭に自分専用のステージを作り、太陽を照明代わりに使い、護衛の騎士を小間使いのように扱って、自らの美しさに陶酔している。


「……あ、あの、ミント様とお呼びしてよろしいでしょうか。王都では、皆様が貴女のことを心配しておられます。……特にカイル殿下などは、貴女が後悔の念に押しつぶされていないかと……」


シャドウが探りを入れる。ミントはフフッ、と高く澄んだ声で笑った。


「殿下が? まあ、あの方は相変わらず自分勝手なのね。後悔? そんな無駄な感情、私の美しい脳細胞に一秒たりとも留めておく余裕はないわ。それより見て。私のネイル、昨日届いたばかりの辺境の植物エキスで磨いたの。この自然なツヤ、王都の派手なだけのマニキュアよりずっと私を輝かせてくれるわ」


「ネイル……? 後悔よりも、爪のツヤですか……?」


「当然でしょう? 殿下が今頃、どこの誰と愛を語り合っていようと、私の美しさが損なわれるわけではないもの。むしろ、殿下の隣に私がいないことで、殿下の審美眼の無さが際立って、私の価値が相対的に上がってしまうわ。ああ、罪な私!」


シャドウは震える手で懐のメモ帳に書き込んだ。


『……対象、ミント・エーデルワイス。精神状態……異常。絶望の兆候、皆無。むしろ王都にいた頃よりも自己肯定感が肥大化しており、手に負えない……』


「さあ、絵師さん。私の姿を十分に目に焼き付けたなら、帰りなさい。そして王都の人々に伝えなさい。『ミント様は、今日も世界で一番自分を愛して、最高に幸せそうでした』とね」


ミントは最高の微笑みを投げかけた。それは密偵を戦慄させるほど、純粋で、揺るぎない「自分への愛」に満ちていた。


「……わ、分かりました。お達者で……」


シャドウは逃げるように森の中へと消えていった。


それを見送った後、ジルコンは深く、今日何度目か分からない溜息をついた。


「……ミント様。今の男、間違いなく殿下の回し者ですよ。もう少し、しおらしく見せるとか、そういう発想はなかったのですか?」


「しおらしく? ジルコン、貴方こそ何を言っているの。私がしおらしくしてしまったら、鏡の中の私が悲しんで泣いてしまうわ。私を泣かせるなんて、世界で一番やってはいけない禁忌(タブー)なのよ」


ミントは舞台から飛び降りると、ジルコンの腕に軽く指を置いた。


「それよりジルコン。次の課題よ。このステージの周りに、私を讃えるための合唱団が欲しいわ。村の子供たちを集めてちょうだい。歌詞は『ミント様は美しい』の連呼でいいわ。覚えやすいでしょう?」


「…………。私は、騎士を辞めるべきかもしれません」


「何を言っているの。貴方は、世界で一番美しい私の、世界で一番幸運な『踏み台』なんですもの。自信を持ちなさいな」


ジルコンの苦悩は、これからも深まるばかりであった。だが、彼の心の中に、ほんの少しだけ「この無敵のナルシストが、どこまで世界を自分の色に変えてしまうのか」という不謹慎な期待が芽生え始めていた。
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