陰日向から愛を馳せるだけで

麻田

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第27話









 頭が痛い。
 身体が重くて、動けない。
 熱い。
 腹の中が熱い。

 夕食をとらなくなってから、一週間が経とうとしていた。
 同様に、彼と最後に会ったのも、あの時だった。
 あれから、毎日、小さく期待に高鳴る胸を何度も押し殺しては、何も起こらない一日を過ごして、真っ暗な部屋で一人、寒いシーツの上に丸くなった。寂しさに涙を流しながら、目を覚ます日もあった。悪夢にうなされる日もあった。
 悪夢、といっても、それは、当然の未来の姿。
 彼と、あの可憐なオメガのお姫様が並んで、子宝に恵まれて、義母も見た事の無い笑顔を浮かべ、執事たちも嬉しそうに世話を焼いている。あの庭での一場面。それから、僕に気づくことなく、彼はあのオメガの腰を抱き寄せて、何かを耳打ちして、二人で笑い合う。ある日は、こちらに気づいて、冷酷に睨みつけて、ひどい言葉を投げかけられるときも多かった。
 何度目覚めても、僕は独りぼっちだった。
 彼の残り香も何もない。本当に独りぼっち。
 何度となく、自分の言葉を後悔したことか。痛む頭でそう考えてしまうと、余計に痛みが鋭くなった気がする。こめかみを柔く揉んで、枕に埋まる。

(いいんだ、これで…これしか、僕には、できないから…)

 彼への最大の恩返しは、これしかない。
 もうすぐ、僕はここを出ていく。昨日、義母の執事が来て、明日の夜、と連絡がきた。
 荷物もまとめた。小さいボストンバックに、少しの荷物を詰めた。申し訳ないけれど、少しの衣類を入れさせてもらった。それから、彼がくれた絵本を詰め込んだ。
 実家を出るときに、父親が持たせてくれたお金も、一切使うことなく温まっていた。それをカバンの底に入れる。

(いつでも、僕は去れる…)

 そう何度も言い聞かせる。約束まで、もう、あと一日。

(あと、一日…)

 後悔なんか、山ほどある。
 変な意地を張らずに、やっぱり、気持ちを伝えれば良かった。

(好きだと、伝えたかった…)

 けれど、それは、彼を困らせてしまうから。
 何も実らない。哀れな独り言となってしまう未来しか見えない。
 むしろ、もっと嫌われてしまっていたかもしれない。
 だったら、今のこれくらいで去れる方が良いのか。

(僕のわがままを、押し付けてはいけない…)

 それは、彼にとって、何のプラスにはならないのだから。僕の勝手な気持ちを押し付けることは、わがままだ。
 重怠い身体を起して、覚束ない脚に力を込めて、机の下に隠してあるカバンを持ち出す。その中の絵本を取り出して、ページをめくる。持っていてくれ、と言った彼に、それは申し訳ないから、とやり取りをし、借りているものだ。あの時の、彼の身体の熱さも簡単に思い出せる。薔薇の豊かな甘い香りも、僕のうなじをびりびり、と刺激する記憶だ。軽い身震いに見舞われてから、瞼をあけると、目の前のページは、白い花をかかげ、跪く王子様のシーンだった。
 頼りなく細い指でそれを撫でる。

(ヴェランシア…、どうなっただろう…)

 明日の夜、ここを発ってしまう。その前に、開花したこの花を見たかった。
 ここ数日は、身体が重くて、泣いてばかりいたから、庭の世話もできていない。外は、もう暗い。けれど、最近の彼は、以前のように夜遅く、日付が変わるころに帰ってくるようになっていた。だから、この時間なら帰ってこない。
 眠りについても、彼の動きがわかる音がすると簡単に目は覚めてしまっていた。その度に、この部屋に来てくれるのではないか、とつまらない期待をしては、一つも近づかない足音に、はっきりとした拒絶を何度も噛み締めてきた。それは、僕が望んだことのはずなのに、その度に胸を痛めては、自らを慰めることに手一杯だった。

(少しでも、後悔を減らしておきたいから…)

 枯れてしまっていたら、それはもう、彼と結ばれることはなかったという運命の導きなのだと思う。
 ヴェランシアは繊細な花で育てるのも難しい、と熟練の庭師が言っていた。だから、きっと、残念だけれど枯れてしまっているだろう。
 だとしても、それを見届けるのが、最後の仕事だ。そう意気込んで、誰にも会わないように忍び足で、音を一切立てないように計らいながら、庭へと出る。外気はすっかり冷えていて、吐く息は白い気がする。けれど、最近、微熱続きの身体にはちょうど良い心地よいものだった。柔らかな芝を、そっと踏みしめながら、夢によく出るガーデンチェアたちを後目に急ぎ足で横切る。花を散らし、姿を変えた庭をかき分けて、小さい門を開く。
 木々に囲まれて、月明かりがスポットライトのように照らす。

「わ…」

 思わず、感嘆の声が溢れた。月光を集め、自らが発光しているかのように輝く肉厚の白い花びらをいくつも重ねているのは、絵本で見た、記憶の中にあった、あの花そのものだった。
 しゃがみこんで、ゆっくりと指を近づけるが、触れたら簡単に落ちてしまいそうで怖くて、手を止める。
 薔薇のように花びらを重ねている。それでいて、百合のように凛と花開き、甘い香りを漂わせている。ダリアのように丸く花を開かせている。近くでよく見ると、中央には、小さい黄色い花弁がある。

「きれい…」

 こぼれた言葉は素直な気持ちだった。
 とく、と心臓が動いて、温かなものが身体に芽生えて、血に乗って全身に流れていく。

(彼からの、最後の贈り物…)

 それが、この花だった。大切な、意味のある花。
 彼にとっては、絵本を見て、気まぐれに贈ったものかもしれない。けれど、二人で分かち合ったあの時間は、特別な時間だった。
 握ってくれた手は、かさついたアルファの男の手だった。僕の小さい弱々しいものではなくて。
 抱き寄せてくれた身体は分厚くて、何だって守ってくれそうな頼れるもので、熱く、鼓動も力強かった。彼に抱きしめられると、自分の鼓動もどんどん大きくなっていって、生きていることを噛み締められる。
 澄んだ空色の瞳は、僕を映して見つめ合うと、深い海色に変わっていく。その宝石は、いくら見ても、ずっと美しかった。

「君は咲けて、良かった…」

 ヴェランシアの花に、微笑みかける。久しぶりに、笑えた気がする。それを感じると、足先から体温が湧いてくる気がする。
 隣には、まん丸な蕾をつけている。この花は、まだ開くのだ。次の花がすぐに待っている。

(少し、可哀そうだけれど…)

 次の花もきれいに開くように、満開の花の細い茎に触れる。慎重にそれを手折る。茎の途中でへたれてしまわぬように、重い花に手のひらを添えると、ふわり、と柔らかな花びらがくすぐる。甘やかな蜜の香りが僕に届いて、疲れた体がほぐれていく。

「あと一日…、僕の傍にていてくれる…?」

 親指で花びらの先を撫でる。尋ねても静かな花は何も答えない。月明かりが手元を照らすと、凛と何かが聞こえるような気がする。つ、と頬を雫が滑って、花弁に落ちる。

(最後の思い出だから)

 大切な、彼からの贈り物。
 彼と出会った時に、初めてもらった贈り物も、この花だった。小さな手に握りしめた、彼の手を今でも覚えている。あの瞳は、あの時と変わらない。風になびく銀髪の繊細な輝きも、変わらない。

(あの時も、今も、これからも、僕は…)

 一生の内で、こんなにも心奪われる人は、彼一人なのだろう。

 自室に帰ると、急いで小瓶に水を入れて、花を挿す。月光指す机の上に置くと、星屑が花びらから滑り落ちていくように輝く。ひと撫でして、ベッドに潜り込む。ここからでも、美しい花が見える。
 その時、ようやく自分の息が乱れていることに気づく。汗もかいていて、腹の奥が痛むように疼く。

(ああ…)

 そろそろだ、とはわかっていた。けれど、ここを出ていくのも、あと少しだから、と薬を飲んで誤魔化していた。
 ここ最近、体調が悪かったのも、このせいだ。全部わかっていたけれど、あと少しだから、と何度も自分の身体に言い聞かせていた。

(ダメだ…、やっぱりコントロールできない…)

 白い花を見つめていると、身体の熱がどんどん湧き上がってくるのを感じる。
 がん、とドラム缶が鳴り響くように痛みが頭の奥で広がっていく。薬で無理矢理押さえようとしたから、余計に重い気がする。

「ローレン…」

 勝手に唇が動いて、つぶやいた音を耳が認識すると、どくん、と大きく心臓が跳ねて、ど、と汗が噴き出す。そして、下腹部に血液が集まって、ざわついて落ち着かなくなってしまう。訪れてしまった発情期に心が砕けてしまいそうになるが、ぼやけた視界に光るヴェランシアの花が僕を励ましている気がした。



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