黄昏時に染まる、立夏の中で

麻田

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第35話







 僕の吐息が溶ける沈黙を破ったのは、透だった。
 か細い声が響く。

「僕は、依織先輩のバースとか身分とか、関係なく平等な強さがまぶしくて…、背筋の伸びたかっこいい姿が好きで、だけど、笑ったら花が咲いたように愛らしくて…心が震えるほど、好きでたまらなくて…」

 一つひとつの言葉を丁寧に、しっとりと囁く透の心が身体に沁み込んでくるようだった。
 まっすぐで誠実で、優しくて温かい透。
 そんなことを思ってくれていたのか、と初めて知る。

(そんなに、好きでいてくれたの…?)

 いつも優しい透のまっすぐな心は、友愛としてのものだと感じていた。恋愛のようなドロドロとした欲の世界を知らない純朴な汚れのない青年の中にも、僕と同じようなものが存在していたのだろうか。

「すみません…こんなこと言って。でも、僕…、僕…っ」

 背中に体温を感じる。触れようとしているのか。けれど、その熱は、気づけば遠のいてしまう。

「僕…、依織先輩のこと、応援しています…遠くからでも、ずっと…」

 しあわせに、なってください。

 ふ、と柔らかく微笑んだのが伝わってくる。
 透が一歩下がる。それから、ゆっくりと踵を返す。ドアノブをかちゃり、と回す音がする。









(いやだ…っ)

 僕は、なんて意地が悪いんだろう。
 どうしてこんなに、わがままなんだろう。

 この選択は絶対に間違っているのに。誰もしあわせになれないのに。

 それなのに、僕は…
 愛する人から離れたくないと、頭が心が、身体を支配した。

 広い背中に抱き着いてしまった。シャツを握りしめると、甘やかな透の香りがする。もっと欲しくて、顔を擦り付ける。ぴく、と大きな筋肉が反応する。

(ごめん…、ごめんなさい…)

 どこにも行かないで…。遠くで、なんて言わないで。
 透以外となんて、しあわせになれない。
 すぐ傍にいて、僕だけを見つめて。僕だけに笑いかけて。
 透のまっすぐな優しさと、真剣になってくれる誠実さと、いつでも僕を救ってくれる温かさがないと、息もできない。生きてるって実感できない。
 僕は、透の傍でないと、生きていけないんだ。
 透が笑いかけてくれないと、生きている心地がしない。
 誰よりも強く、優しいのに、謙虚すぎて小さくなってしまう透が愛おしい。この人を守りたいと強く思う。
 僕を、オメガとか、姫とか、そういうこと抜きで、人として見てくれる透の隣だから、僕は僕でいられる。
 透が、僕は僕でいいと、認めてくれたんだ。包み込んでくれたんだ。

 透がいないと、僕は、生きていけないんだ。

「少しだけ…」

 触れている背中が何度か大きく膨らんで、意を決したように口を開いた。

「依織先輩が泣き止むまで…傍にいさせてくれませんか…?」

 ゆっくりと目の前の身体が翻る。
 かさついた親指が、頬を撫でる。温かな手のひらで頬を包まれて、瞼を上げる。

「依織先輩の涙を見ていると、苦しくて、ほっとけない…」

 僕を見つめる瞳は、翡翠色に澄んでいるのに奥に熱情が見え隠れする。眉を寄せ、息がつまる透のつぶやきは、重く僕の身体に響く。いつも優しく垂れた眦は、赤く染まり、透も泣いているようだった。

(僕も、…透が苦しい顔をしていると、息ができないくらい苦しい…)

「笑ってください。僕、依織先輩の笑顔が好きです」

 自分だって苦しい顔をしているのに、無理に目を細めて口角をあげた。その健気な姿に、心臓がぎゅうときつく絞られる。

(僕も、透の笑顔が好き…)

「ね?」

 ぼろ、と溢れる涙が、透の指先を通って落ちていく。透は、今度は優しく顔を緩めて微笑んだ。

(優しくて、甘い…)

 透の笑顔が好き。
 透そのものを表すような、香りが好き。

(好き…、大好き…)

 気づけば、勝手に震える指先が透の目元に触れる。透は、一瞬眉をひくり、と動かしたが、さらに甘い笑みを深めて、頬を染めた。両手で透の頬を包むと、子犬のように擦り寄る。ふふ、と優しく笑う。

「ごめんね…、ごめん…」

 もう、ダメだった。
 ぼろり、と溢れた涙も、思いも、止められなかった。止まらなかった。

「僕…透を傷つけて…、ごめん…、ごめんなさい…」
「いいえ、違います。僕こそ、依織先輩を…守れなくて、ごめんなさい…」

 透は視線を落として、そう囁いた。
 言葉の真意がわからずに戸惑っていると、透が僕を抱き寄せた。いつもの優しい日向の香りが薄らいで、強く濃い花の蜜のように蕩ける甘い香りが僕を襲う。ぞわ、と鼻から脳へ伝わって、全身に信号が走る。目の前のアルファからの強いフェロモンに僕の理性は浸食されていく。

「好き…、透が好き…透だけ…、大好き…」

 腰と背中をがっしりと抱き寄せられて、全身が密着する。僕は透のシャツにしがみつくしか出来ないほど身体から力が抜けてしまう。ぼんやりと歪んだ視界の中で呂律も怪しい口元でひたすらに、隠せない思いを囁いてしまう。

「ごめんね…嫌いなんて嘘…、大好きだよ」

 嗚咽で言葉が詰まりながらも、香りの良い耳元に擦り寄りながら言葉が零れていく。
 ぎゅう、とまた一段と強く抱きしめられる。それから透が、ふ、と笑った。その吐息が首筋に触れて、息が漏れる。

「よかった…」
「んぅ…っ」

 透も身体の奥底から溢れるようなつぶやきだった。
 それなのに、透の濃密な求めに身体が敏感になってしまい、場違いな声が出てしまう。
 頭が熱でぐらぐらする。顔をあげると、そ、と淀みない瞳と交わる。そこに透がいて、本当なのだと確認したい。指先で頬に触れる。その頬は熱を持っていて、指先が溶けてしまいそうだった。撫でると、ゆるゆるとしあわせそうに透が目を細める。受け入れられている多幸感に、神経が焼き切れてしまいそうだった。
 人差指が柔らかな唇に当たる。見た目よりもぽってりと弾力のある艶やかな桃色に誘われるように、僕は重い睫毛を伏せて、ゆったりと唇に吸い付いた。音もなく触れ合って離れる。じわぁ、と唇から全身に毒が回るようにじんじんと神経が火傷したかのようにうずいて、地に足ついていない感覚になる。
 瞼を持ち上げると、透の高い鼻梁が僕の鼻先をくすぐる。美しい宝石が目の前いっぱいにある。

「僕の好きって…、こういう好き、だよ…?」

 透は…? そうつぶやく前に、透が唇を追って塞いでしまう。ちゅ、と透の柔らかい唇が僕のそれを吸い付いて離れる。愛らしいその音が鼓膜から、足の指先へまで伝わる。

「依織先輩…」

 震える吐息が濡れた唇をかすめる。透の長い睫毛と睫毛がぶつかる。うなじに透の汗ばんだ手のひらが宛がわれて、内腿がひく、と跳ねてしまう。そっと引き寄せられて、透が顔の角度を変えてまた口づけをする。

「好きです…、依織先輩…」
「とお、…んっ、ぅ…」

 驚いて瞼を持ち上げると、まっすぐに僕を射抜く瞳とぶつかる。それだけで目の奥が溶け落ちていくようで、何も考えられなくなる。透がまた瞳を閉じて顔を寄せる。

「先輩、好き…好きです…」
「ん、…ん…っ、…」

 何度も、何度も透が唇を淡く吸い寄せる。

(気持ちいい…)

 好きな人とのキスは、胸が絞られて苦しいのに、甘い痺れが腰に溜まって、浮遊感に満ちてしまう。触れてないと寂しくて、いつしか、僕からも唇を寄せて、シャツをしわくちゃに握りしめながら、何度も透と甘いキスをした。

(透を、離せない…)

 僕は、透のいない未来など、いらなかった。
 透しか、いらない。

(ずっと、こうしていたい…)

 二人で触れ合って、キスをして、好きだと思いを伝えあう。何にも縛られず、ただただ、お互いを愛していたい。
 それは、そんなに難しいことなのだろうか。

「依織先輩…」

 名前を囁かれて、揺れる瞼をそろり、と持ち上げると、滲んだ瞳は劣情を抑え込むことに必死なようだった。

「好きです…、あなただけ…僕には、依織先輩が…」
「透…」

 背伸びをして、愛しく濡れる唇に吸い付いた。

(言葉なんかなくても、わかる…)

 このひと時、僕たちは、ただ僕たち同士だけを求め合っていた。




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