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第49話
「噛んで…」
それが、どれだけアルファにとって魅力的な誘い文句なのかはわからなかった。
僕は、オメガという性に支配されて、ただ、目の前のこの世で一等好きなアルファに、蹂躙されたかった。
透のものなのだ、と。他のアルファに手を出させない、と。そういう刻印をつけてほしかった。
そうすれば、他のアルファとか、家とか、何もかも忘れて、ただただ、ありのままの自分でいられると信じていたのだ。
耳元で、ぐつ、と煮えたぎるような音がする。獣の呻きが聞こえて、荒い呼吸が必死に深く落ち着こうとしている。それがじれったくて、早く、落ちてきてほしかった。
僕と同じ、本能のままに、お互いを求め合い、愛し合いたかった。
僕には、透さえいればいい。
涙が、ぼろり、と一粒こぼれた時、太腿に何かが強く押し当てられた。ぐ、と押し込まれると、ちく、と小さく痛んだ。そこから、じわじわと熱が生まれて、そのあとすぐに身体が冷えていく。
「あ…、あ…や…、ゃだ…っ、と、る…」
鼻がつまったように匂いに鈍くなる。
(透のいい匂い…わかんなくなる…)
透が腕の中にいるのに、閉じ込めておきたいのに、身体の力が抜けていく。熱が引いていく。
心の中の大事なものがぽっかりなくなってしまうようで、冷たくなっていくようで、恐ろしくて抱きしめてほしかった。涙がばらばらと止めどなく溢れていく。ついに透にしがみついていた腕がぱたり、とベッドに落ちてしまう。透が身体を起して、熱が離れていく。
「や、だぁ…、とお、る、ぅ…」
嗚咽と共に名前を必死につぶやく。顔を真っ赤にさせて、汗をしたたり落とす透は、僕と目があうと、にっこりと無理をしているのに、優しく微笑んだ。それから、僕の汗で張り付いて前髪を手のひらで左右に撫でつけて、額に唇を当てた。
「大切なことは、ちゃんと、意識があるときに決めましょう…」
依織先輩にとって、一生のことだから…。
荒い息をついて、ね、と小首をかしげて愛らしく笑う。
その優しさが、どれだけ僕を大切に愛してくれているのかが伝わってくる。
けれど、それが、ひどく残酷に思えてしまう。そんな自分が嫌でたまらなかった。
「と、る…透…、そばに、いて…」
「はい」
瞼が重い。頭が回らない。乾いた唇をとじて、つばを飲み込むことで背一杯だ。
指先に汗ばんだ手のひらが触れて、それをひっかくようにサインを送ると、透は指を絡めて、強く握り返してくれた。
「ず、と…、はなれ、ないで…、透…」
「はい…、僕は、依織先輩の、傍にいます…」
いさせてください。
苦し気に囁いた透の言葉を、消えゆく意識の中で頭の中で反芻させた。
(透こそ…、僕から、離れないで…ずっと、ずっと…)
ようやく意識がはっきりとしたのは、それから、二週間近く経ってからだった。
目が覚めた時には、シェルターの中だった。
もう三年目になるとここも見慣れた場所の一つだった。ベッドの上で辺りを見回しても、真っ暗で、独りぼっちで、透の姿はどこにもなかった。
独りぼっちだった。
寂しさを覚えると、身体が疼きだす。たまらなくて、自分で自分を慰めるけれど、一時的な熱は発散できても、そのあとには猛烈な虚無感に襲われて、涙が止まらなかった。
愛するアルファに選ばれなかったのだと、本能が訴えて涙が止まらなかった。
そのストレスからか、発情期の症状が収まっても、発熱が止まらず、さらに一週間近く寝込んでしまったのだ。
熱も引いた今ならわかる。
透が、僕を大切に思ってくれたからこそ、ここに一人で寝ていたのだと。
噛んでしまうことは簡単なことだ。目の前で力で蹂躙させてしまえば、赤子を扱うのと同じくらい簡単なことだ。けれど、透はそうしなかった。
笑顔で、大切なことはちゃんとした時に判断すべきだと僕を諭してくれたのだ。
守ってくれたのだ。
ぎゅうう、と心臓を鷲掴みにされたように苦しい。喉にビー玉がつまっているように呼吸すら難しい。
愛する人に、大切にされることが、苦しくも、恍惚に全身を温かく包むものなのだと、初めて知った。
(透に会いたい…)
会ったら、なんて言おう。
ありがとうって言わないと。
守ってくれて、大切にしてくれて、ありがとうって。
それでも、やっぱり大好きなアルファに傍にいてもらえない発情期は苦しかったことも言いたい。知ってもらいたい。
どれだけ僕が、透を欲しているか。
本能でも、心でも。
だから、次の発情期は一緒にいてほしい。
そんなおねだりは、あまりにもはしたないだろうか。嫌われてしまうだろうか。
(でも、透なら…きっと…)
こうやって他人に期待できる自分は久しく感じ得なかった。
ぐっすりと眠れたのも、いつぶりだろうか。透と別れてから、ずっと、寝ているのか起きているのか、よくわからなかった。頭はずっとぼう、としていて、考えることが億劫で、自分を見ない方が楽だった。
身体がとくとく、と血の通う音がする。まばたきをすると、きらきら、世界が光っているように見える。外に出て息を吸うと、緑のいい匂いがする。
夏はじっとりと暑いだけではないのだ。
日差しのはっきりとした強さは生命の源を強く感じさせ、すっかり鈍ってしまった重い身体を励まし、背中を押してくれているようだ。
シェルターの管理人に尋ねると、僕は大人によってここに運ばれたらしい。透が、先生を呼んで、そこから先生やシェルター長やそこにいつもいる医務員が関わってくれたらしかった。
アルファである自分を避けて、僕の身の安全を第一優先してくれているのがわかる。なぜなら、透だから。
自分のことはいつも後回しで、僕のことばっかり大事にする。
大きな身体で大汗をかいているのに、僕にばかり壊れた扇風機を譲ろうとする、あの広い背中を思い出す。そう思うと、勝手に頬がゆるんで、身体の奥底から熱が生まれる。その力は、僕の足を軽やかにさせて、一刻も早く透のもとへと向かおうとさせる。
時刻は九時を回っていて、気づけば九月で新学期が始まっている。授業中だろうけど、あの植物園で透を待っていたい。ありがとう、を一番に伝えたい。
(それから、大好きって…)
そう考えるだけで、胸がきゅ、と苦しくなったり、ほわ、とやわらいだり、とにかく忙しい。けれど、そのすべてが気持ち良くて、ずっとそうしていたくなる。
いつものスクールバックを片手に身軽に学校へと足早に向かう。
桐峰名物の長い桜並木の、青々とした木陰に目を細めながら鼻歌交じりに一歩一歩、足を進める。あっという間に昇降口前まで来ると、道を反れて、竹藪を向かおうとした。
その時だった。
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