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第62話
扉の前で、僕はまた固まっていた。
小さな扉は、人に見つからないようにひっそりと奥の奥にたたずんでいる。日陰で暗い校舎内で、鈍色の中に隠れるような深い大木の色の引き戸の前で、木目をなぞりながら視線を落とす。
言いようのない、黒い靄がずっと心の中を覆っている。それは出口を見つけることなく、増殖していく一方なのだ。昼間のことが、頭からこびりついて離れない。離してくれない。午後の授業も一つも入ってこなかった。
手を引く華奢な後ろ姿と大きな背中にはお揃いの紋章が腕にかけられていて、心の知れた雰囲気と隣にいることが当たり前かのようなお似合いの姿がひどく羨ましくてたまらなかった。その分、自分が如何に透に不釣り合いなのかを思い知らされた。
彰は、終始僕の変化に気づいて、心配してくれた。言葉にしなくても、僕の心を察してしまう幼馴染の温かな声に、心がほぐれたのは事実だった。
(正直…)
会いたくない、のが本音だった。
今、透に会っても、何をどう話せばいいのかわからなかった。
笑顔で、嫌われないように過ごせる自信もなかった。
あんなに会いたくてたまらなかった透が、扉一枚隔てた場所にいて、すぐに会えるのに、とてつもなくその一歩が重く、出ない。
今すぐに引き返したくてたまらない。それなのに、会って、僕のことが好きだと確認したい。
相反する気持ちが薄い胸の中でいっぱいになって、どう零せばいいのかわからない。
(彰に、言えばよかったのかな…)
親友、だと彰がはっきりと言ってくれて、嬉しかった。
ちゃんと、前の僕たちに戻れたのだと、安堵した。
だから、距離が近くて妙に身体を硬くさせた自分が、自意識過剰で恥ずかしくもなった。それでも彰は、気づかないふりをして明るく笑顔で接してくれる。その気遣いが、今の僕には心地よかった。
(こんな、わがままな僕で、透に、会いたくない…)
それすらも、わがままだ。
真っ暗闇に落ちていくことしかできない。
(やっぱり、帰ろう…)
少し、冷静になる時間が欲しかった。落ち着いて、自分の気持ちと向き合って、整理して、ちゃんと笑顔で透に会いたかった。
会えた喜びを噛み締めて、大好きで胸がいっぱいで、何をしてもきらめいて見える時の自分でないと、透に会ってはならないと思った。そうでないと、嫌われてしまう。
半歩、後退ったところで、目の前の扉が、からり、と小さい音を立てて開いた。
「依織先輩!」
僕を見つけると、透はぱち、と目を開いて、頬を染めて嬉しそうに声を上げた。ぎく、と肩を固まらせる。
「遅いから迎えに行こうかと思って出てきたところだったんです」
会えて良かった。
心からつぶやくように、柔らかく微笑む透は、僕に小首をかしげながら手を掬いあげた。優しい笑みと温かい声色が、じわ、と身体に染み入っていくと、頬が紅潮して、今までのもやが晴れていく。
手を引かれて、促されていつもの席に腰を下ろす。透は、温かい緑茶をいれてくれて、僕の隣に座る。目が合うと、ふふ、と楽しそうに笑って、僕を見つめる。
透の瞳には僕しか映っていない。風紀委員の時も、誰かに囲まれているときも、こんな表情、見せていない。
(僕だけ、なのかな…)
そう思うと、ふんわりと心が軽くなって、むずがゆくて、心地よい。
目の前に出された緑茶を一口飲み込むと、もっと身体がほどけるようだった。外がうっすらと肌寒くなってから、透は僕のために温かい飲み物を用意してくれる。
そういえば、あの植物園に通い出した頃は、ハーブティをよくごちそうしてくれたなあ、と思い出して、優しい花の香りを思い出す。
(随分、飲んでないなあ…)
透と植物園で一緒に過ごす時間がなくなって、久しく、あの風味を楽しんでいない。今なら、言ってもいいかもしれない。
(それと、この前の植物のことも聞きたい)
先日見かけた、葉先が黄色くなった植物園の植物についても話をしたい。
「ねえ、透」
湯呑を置いて振り返ると、透はスマートフォンを見ていた。指をせわしなく動かしている。透がスマートフォンを取り扱っている姿を、はじめて見た。
「あ、ちょっと待ってください…」
透はこちらに顔を向けながらも、目線と指先は必死に画面を追っていた。ふと気づくと、机の上には学級のアンケート用紙の束や風紀委員の報告書が分厚く重なっていた。
ブー、とスマートフォンが着信を知らせる。透は、小さく、わ、とつぶやいた。それから、ちら、と僕を申し訳なさそうに見上げた。
「僕、帰るね」
「え、依織先輩…!」
降ろしたカバンの紐を掴んで、立ち上がる。ちゃんと笑えただろうか。
しかし、透は僕を逃してはくれなくて、すぐに手を捕まれてしまった。
「待ってくださいっ、なんで急に? どうしたんですか?」
背後で狼狽える透がわかる。だからこそ、優しい透に迷惑をかけてしまっているだろう自分が情けなくて、顔がゆがむ。
「ごめんなさいっ、こっちは大丈夫なので、もう少し…、依織先輩?」
僕の異変に気付いたらしい透は、声を潜めるように名前を呼んだ。けれど、振り返るわけにはいかない。
さらに困らせてしまうことがわかっているから。
「依織先輩…、こっち、向いてください…」
手を掴んでいた透の手は、優しく僕の拳を包み込んだ。もう片手は、そ、と大きな手のひらで僕の肩を撫でるように覆う。だから、肩が震えていることに気づかれてしまったのだろう。顔をしかめて我慢したのに、大粒の涙はぼろぼろ、と堰を切ってしまって収拾がつかなくなっていた。
来た事を歓迎されたとわかった後だからこそ、本当は透の足を引っ張ってしまっているのかと思うと、ここにいることはできなかった。
もっと核心的なことを言えば、透が頑張っていることを素直に応援できない自分の醜悪さに嫌気が差した。透を独占できないわがまま自分がたまらなく嫌になる。
(このまま、ここにいても、透に嫌われるだけだ…)
やっぱり、帰った方が良かった。冷静に、心にゆとりをつくってから、透に会いに行きたかった。
強い後悔と、それでも会えた瞬間の喜びと柔らかな思いが溢れて、涙が止まらない。
「帰る…」
ぐし、と手の甲で乱暴に涙を拭って言葉を絞り出すが、震える吐息と混ざって情けないものになってしまった。透は、肩に置いた手に力を加えて、後ろに引き寄せる。足に力が入らなくて、倒れるように、透の胸元に背後から抱き寄せられる。太い腕が僕の身体の前で交差して、僕を熱い身体で閉じ込める。睫毛から落ちた雫が、透の腕に弾けて散っていく。それを感じたのか、透の腕にはさらに力が籠って、抱きしめられた。
「帰る…、離して…」
「だめです…っ」
「嫌、だ…、帰る…っ」
「嫌です」
離してほしくて、身じろぎをすると余計に体温が高くなるほど抱き込まれてしまう。ふわ、と透の日向と甘い香りが漂って、余計に体温が上がる。苦しくて、我慢できず嗚咽をつきながら、いやいや、と言うが、透は、頑なにだめだと離さなかった。
「ど、して…っ、やだぁ…」
「っ、僕だって、嫌です! 依織先輩と、やっと会えたのに…っ」
書き物をしていたからか、いつもきちんと制服を着ている透にしては珍しく、捲り上げられたシャツの袖からはたくましい腕があって、ぎゅう、と強く抱きしめられると、筋がたっている。たくましく、かっこいい身体は最近、さらに磨きがかかったと思う。
だからこそ、泣けてくる。
(この身体に、僕以外が触ってるの…?)
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