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第64話
乾いた透の頬に僕の雫が、つ、と流れる。その跡をなぞるように、細い指で透の頬を撫でる。
「僕は、そのままの透が…好き」
透が、本心を開いて、教えてくれたように、僕も届けなければならないと思った。
(透になら、知ってほしい…)
「風紀委員とか学級委員長とか…、優しくて賢くて、誠実で紳士な透には、ぴったりな仕事なのはわかってる」
だけど、それでみんなが透に注目して、かっこよさが広まって…
「僕だけが知ってたい…透のかっこいいとこも、かわいいとこも…、人としてどれだけ魅力的かとか、ちょっとおっちょこちょいなとことか…」
「依織先輩…」
やっぱり気恥ずかしくて、ちょっと笑ってしまう。ふふ、と笑うと、ようやく透もこわばりがほどけて、頬を撫でる僕の指を捕らえて、かさついた指を絡める。
「応援してるんだ。頑張る透は、かっこいいから」
だけどね、と、目を伏せて、指先を握り返して、深呼吸する。
「…本当は、すごく…、不安になる…」
きゅ、と唇を引き結んで透は真剣に僕を見つめて、言葉を受け止めてくれている。
「僕は…、透にあげられるようなもの、何も持ってないから…だから、隣にいていいのかなって…」
「それは、僕の方です!]
握っていた手を両手で包んで透は前のめりに声を出した。瞠目してぱちぱちとまばたきをすると、ご、ごめんなさい…と顔を赤らめて萎んでいく大きな後輩が可愛くて、頬にキスをする。
「透は、僕のこと…、一番…?」
頬が燃えるように熱い。顔を見せたくなくて、キスをした角度のまま、透の首元に倒れ込む。目の前に張り出した、立派な喉仏が見えて、上下に動いた。
「世界で一番、好きです」
甘い匂いが濃くなって、透が僕を抱きしめた。手の置いた胸元はふわ、と筋肉が隆起している。着痩せする透が脱いだら、どれだけかっこいいのだろうか。
「じゃあ…、あの風紀委員の子とは、何もない…?」
喉仏を撫でると、ぎゅう、と上がって、ごくり、と音をさせて降りてきた。
「風紀…? 誰のことですか…?」
あっけらかんと言い放つ。眉を寄せてじっとりと睨み上げる。急いで、え、誰、誰? とパニックになりながら思い出そうとしている透に、溜め息をつく。
「風紀に誘ってくれたのも、あの子でしょ?」
「ん、…あ、あー、芳野ですか?」
芳野、とは、名前だろうか。苗字だろうか。たったそれだけのことでも、なんだか後頭部がじく、と気になる。
「え、芳野? 芳野と、僕が? 何があるんですか…?」
え、何? 何…、とぶつぶつ顔をしかめながら、うんうん思案し始めてしまう。そんな純粋な彼に、疑う方が間違っているのかもしれないと思い直す。
「透と、その子、…付き合ってるって噂なんだよ?」
「え?! 僕と芳野が!?」
天と地がひっくり返ってしまったのかというほど大きな声が透から出て、僕の方が目を見開いて驚いてしまう。それから、透は眉をひそめて、何でですか、と尋ねてきた。
「何で、って…、いつも、一緒だし…」
「風紀は二人一組のルールなので…、それに学級委員長で同じクラスなので、よく一緒にいるように見えるのは必然で…」
「す、すごい、仲良しに見える…」
「…今まで、学園に友達がいなかったから、そう見えるだけでは…」
「み、みんなが…、美男同士で、お似合いだ、って…」
「え? 僕が!?」
透は終始、本当に不思議そうだった。
握りしめている指先からも、透がどれだけ驚いているのかが伝わってくる。
「この前だって…、いろんな子たちに、声、かけられてたじゃん…」
自分が幼くて、わがままを言っている自覚はあった。けれど、あまりにも無邪気に何もわかっていない透が憎たらしく見えてきて、唇を突き出してつぶやく。
透は、それにも顔にしわを増やして、額を指先で押さえた。
「えー、っと…?」
「…覚えてないくらい、声かけられてるの…?」
自分で言っておきながら、全然ピンときていない透に、逆に不安を掻き立てられてしまった。
確かに、ここ最近の透は、見かける度に声をかけられている気もする。さらには、遠くにいても噂の中心になっている。
「確かに声かけられることは増えましたが…、僕は依織先輩しか興味がないから…」
よくわかりません、と笑う透の瞳は一切の淀みなく澄んでいて、まっすぐに僕を見つめる。そこの奥には、熱い何かが見えるようで、見入ってしまう。指先を握りしめながら、僕も正面から尋ねる。
「本当に…? だって、僕、はっきりしないし…、きっと、透にはもっとふさわしい、子が、いると思うし…」
陰鬱とした考えが頭を過って、また涙が戻ってくる。
(困らせたくない)
透を困らせたくないのに。迷惑かけたくない。嫌われたくない。
少しでも長く、透の隣にいて、透の優しさをわけてもらって、しあわせでいられたら、それで充分なはずなのに。
それなのに、もっともっとと欲張る自分は、嫌われて当然だと思う。
だけど、透は真摯に僕に本当の気持ちを教えてくれた。
握りしめる指先は温かくて、僕の言葉をじっと待ってくれる。僕の心を受け止めようと、誠実な目元は僕だけを見つめてくれる。
つい、言葉が出過ぎてしまう。わがままを言ってしまう。
あとで一人になって、後悔するのがわかっているのに、どうしても止められない。
自分の中の理想と、かっこ悪い自分がせめぎ合って、入り交じり、透の前へとさらけ出されてしまう。
「でも…、それでも…」
きつく目を閉じる。息を飲み込んで、情けなく震える声で囁く。
「僕は…、透の、一番で、いたい、よ…」
わがままで、ごめんね。
続けてつぶやくと、涙がはらはらと、零れて手の甲にぽたぽた、と落ちる。
史博さんのことも、結局進展はしていない。ここを進路希望表だって、何も書けずに提出してしまった。家族にも、自分の気持ち一つすら言えていない。
ちっぽけな自分が嫌になる。何もできない非力で弱虫な自分が嫌になる。
だけど、透の手だけは、離せない。
申し訳なくて、それでも好きな気持ちは変わらなくて、自分の半身のような存在である透を失うことはできない。
「はい」
両手をまとめて、温かな手のひらに包まれて掬い上げられる。瞼をあげると、透が、眦をゆったりと垂らして頬をほんのりと染め、嬉しそうに微笑んでいた。
「依織先輩は、ずっと、僕の一番です。」
全身がざわめいて、身体の奥底から熱が溢れてくる。たまらなくて、透に抱き着いた。すぐに透も大きな身体で包みこんでくれる。
「本当…?」
「はい…、依織先輩は、出会ってからずっと、僕の一番、大切な人です」
耳元でかすれたバリトンが響いて、背筋を震わす。耳朶に透の柔らかな唇が触れる。
「透、ごめんね…ごめん…、わがまま、ばっかり言って…」
「いえ…、僕こそ、不安にさせてごめんなさい」
違うよ、と首を横にふると、頬がこすれる。涙がまた、透に移っていく。それでも、息をつく度に流れ込んでくる、芳醇な香りが心地よくて、離れることを止められない。
「本末転倒でしたね…」
ぽそ、と小さくつぶやいた言葉に首を傾げるが、何でもないです、と透は朗らかに言って僕を抱き寄せた。今、全身で感じているものがすべてだと感じ、僕も抱き直す。
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