黄昏時に染まる、立夏の中で

麻田

文字の大きさ
84 / 122

第70話








 セーターを握りしめている指先がずきり、と痛んでみると、彰の歯列がかさぶたとなって残っていた。それは、複数回噛まれたことがわかる痕だった。それだけ、彰は僕というオメガを求めていたということだった。

(親友って、言ってたのに…)

 元気がない僕に気づいて、笑顔で励ましてくれた彰は、心の中では違うことを考えていたらしい。
 襲われた時のことを思い出すと、恐怖に身体が震えた。それを慰めてくれる人は、誰もいない。だから、自分で自分を抱きしめて温めるしかなかった。

(いつから…)

 彰は、いつから、親友ではないと思っていたのだろう。

(ずっと、なのかな…)

 僕が、一方的に仲直りしたと思っていたことは、本当は彰につらい現実を強要するだけだったのかもしれない。だから、あんなことになってしまったのかもしれない。
 拳をつくると、噛まれた傷が皮膚をひきつり、ずきずきと痛みを生む。けれど、それ以上に、僕は彰を傷つけていたのだと思うと涙を流す自分を許せなかった。

(友達の彰を、諦めなかった僕がいけないんだ…)

 彰が、僕を好いていることはわかっていた。しかし、親友であったときの優しい彰との時間は楽しくて、僕のかけがえのない時間だった。だから、それを失うことは、恐ろしくて、寂しいことだった。僕は、親友である彰を失いたくなかった。
 その結果が、彰に無理を強いることだったのだ。

(僕が、透に、ただの親友って言われたら…)

 考えただけで、胸が痛んで、涙が滲んだ。傍にいることが、一番苦しい選択だということも裕に想像できた。
 本当に彰のことを思うのであれば、もう、近くにいることは、できない。
 頭の中に、出会った時からの幼い彰から、順に今の凛々しい彰になるまでの過程が浮かんでいく。苦しい時に、いつでも傍にいてくれたのは、彰だった。

(本当に、それでいいのだろうか…)

 彰と一生、傍にいないと決めるとしたら、それでいいのか疑問が浮かぶ。

(僕を、あんなに強く求めてくれるアルファ…)

 もう、一生出会わないのかもしれない。
 愛しい、広い背中が思い浮かぶ。けれど、彼は、僕を今、一人にさせている。それが透なりの優しさなのだと思う。
 けれど、彰は、本能のままに僕を求めてくれた。一番長い時間を共に歩いてきた。いつも、傍にいてくれた。

(透は、発情期の僕に二回も出会っている…)

 それなのに、どちらも冷静で、僕は結局、この部屋で一人苦しんだだけだった。

 彰だったら…

 脳裏に一瞬でも、かすめた考えに、鼻の奥がつん、と痛んで、急いで枕に顔を埋めた。

(違う違う、僕が好きなのは、透だけ…)

 他のアルファではいけない。
 優しくて、穏やかで、僕に愛情を尽くしてくれる透だけ。

 発情期の僕を大切にしてくれた。紳士な透らしい。その優しさもわかる。僕を尊重してくれていることもわかる。

 だけど。

 内腿が吐き捨てた精液でねばついて、気持ちが悪い。それでいて、擦りすぎてそれ自身も痛い。へその下あたりが、ずっと鈍痛が続いていて、目の奥も鼓動の度に痛む。

 アルファであるはずの彼に、相手をしてもらえない一人ぼっちの発情したオメガである自分を振り返ると、オメガとしての魅力が足りないのか。それとも、透のアルファ性が…。

「違う…」

 混沌とする頭と発情期の最中、前後はよくない考えに飲み込まれる。

「違う、違う…」

 熱い眦に気づかないように、枕に必死に顔をこすりつける。

(愛するアルファに、求めてもらえないことが、こんなにも…)

 心を深く傷つけることだと、知りたくなかった。
 だから、本能のままに求めてくれたアルファが頭に深く残るのは、発情期で頭がおかしいからだ。

「僕が、好きなのは…」

 優しい笑顔は、風に吹かれて散る花びらのように、はらはらと消えていき、見えなくなってしまった。










 さらに三日かかって、僕はシェルターから寮の自室へと帰った。部屋についてから、忘れていたスマートフォンの充電を行う。その間に身の回りの整理を行っていると、充電をし始めて動き出したそれが、ちかちか、と光り出した。
 ベッドに腰掛けて、内容を確認する。
 着信が複数件と、メッセージが入っていた。どちらも、透からだった。
 毎日、体調を気遣うメッセージと植物園の写真と、何気ない日常の連絡が入っていた。

「透…」

 マメに連絡をくれる一つひとつの言葉に優しさが満ちていて、ふ、と頬がやわらいで、肩の力が抜けた。

(何も心配することないや…、やっぱり、発情期中はネガティブになるだけなんだ…)

 透の思いが身体に沁み込んで、とくとく、と心音を大きくさせる。じわ、と滲むように好きという感情が溢れていく。
 無事、部屋についたことを連絡しようと、メッセージ入力画面を開いた瞬間に、ぱっと画面が切り替わり、バイブレーションが鳴り始める。着信を知らせるそれらに驚くが、その主にさらに目を疑う。
 ごく、と唾を飲み込んでから、受話器を取るマークをタップする。

「も、もしもし…」
『依織? 元気かい?』

 低い声は電波を通すと、なお低く聞こえる。

「はい、今、部屋に帰ってきたところです…」
『そうかい。発情期だったんだろう? 今回は長かったね』

(どうして、それを…?)

 なぜ、学園外にいる史博がそのことを知っているのか不思議だった。僕以外、誰も知るはずのないことなのに。一気に背筋が凍えて、汗が滲む。

『元気そうで良かった。 ところで、急で申し訳ないのだが、今から大田川の屋敷に来れるかい?』
「今から、ですか?」

 いきなりのことに思わず聞き返してしまった。
 何か予定があったのを忘れてしまっていたのか、急いで頭の中を駆け巡る。

『そうなんだ。年末のパーティーで依織の正式な発表を行うのに、有名なデザイナーのアポイントメントが今日の夜しかとれなかったんだ』

 それを逃すといつになるかわからないこと。たまたま史博自身も夜は都合がつきそうだったため、僕にも同席してほしい、という電話だった。
 こめかみが、どくん、と強く波打ち、ずきずきと頭が痛んでくる。

(どうしよう…)

 伝えないと。
 僕は、史博さんと婚約できません、と。

「…史博さんに、一任します…」

 そういうことは直接言わないといけない。嫌なことを先延ばしにしているだけだ。
 けれど、意気地なしの僕は、先延ばしにすることを選んだ。

(もう少し、冷静に考えて…。ちゃんと納得してもらえるように…)

 準備がもっと必要だ。ちゃんと。

 電話口で沈黙が続き、息をつめて待っていると、長い溜め息が聞こえる。

『依織…、私を困らせないでほしい』

 はっきりとした声色は、電話越しなのに圧を強く含んでいた。それだけで、身体は強張り、血の気が引いていく。

「あ…、その…」

 謝罪をした方がいいのだろうか。それとも、いっそ、本当の気持ちを言ってしまおうか。
 戸惑っていると、電話口の奥から何か人の声が聞こえる。

『依織、もう切るよ。もう柴田を迎えに行かせたからそろそろ着くはずだ』
「え? そんな、いきなり…っ」
『先生たちには私の方から連絡してあるから、依織はそのまま降りて、寮の前で待っていなさい』
「ふ、史博さ…っ」

 じゃあ、また今夜。
 言うだけ言って、史博は電話を切ってしまった。依織は、真っ暗になった画面を見下ろして、痛むこめかみを指先で揉んだ。



感想 16

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。

売れ残りオメガの従僕なる日々

灰鷹
BL
王弟騎士α(23才)× 地方貴族庶子Ω(18才) ※ 第12回BL大賞では、たくさんの応援をありがとうございました!  ユリウスが暮らすシャマラーン帝国では、平民のオメガは18才になると、宮廷で開かれる選定の儀に参加することが義務付けられている。王族の妾となるオメガを選ぶためのその儀式に参加し、誰にも選ばれずに売れ残ったユリウスは、国王陛下から「第3王弟に謀反の疑いがあるため、身辺を探るように」という密命を受け、オメガ嫌いと噂される第3王弟ラインハルトの従僕になった。  無口で無愛想な彼の優しい一面を知り、任務とは裏腹にラインハルトに惹かれていくユリウスであったが、働き始めて3カ月が過ぎたところで第3王弟殿下が辺境伯令嬢の婿養子になるという噂を聞き、従僕も解雇される。

ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学時代後輩から逃げたのに、大人になって再会するなんて!?

灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。 オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。 ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー 獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。 そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。 だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。 話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。 そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。 みたいな、大学篇と、その後の社会人編。 BL大賞ポイントいれて頂いた方々!ありがとうございました!! ※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました! ※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました! 旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」

氷の支配者と偽りのベータ。過労で倒れたら冷徹上司(銀狼)に拾われ、極上の溺愛生活が始まりました。

水凪しおん
BL
※この作品には、性的描写の表現が含まれています。18歳未満の方の閲覧はご遠慮ください。 オメガであることを隠し、メガバンクで身を粉にして働く、水瀬湊。 過労と理不尽な扱いで、心身ともに限界を迎えた夜、彼を救ったのは、冷徹で知られる超エリートα、橘蓮だった。 「君はもう、頑張らなくていい」 ――それは、運命の番との出会い。 圧倒的な庇護と、独占欲に戸惑いながらも、湊の凍てついた心は、次第に溶かされていく。 理不尽な会社への華麗なる逆転劇と、極上に甘いオメガバース・オフィスラブ!

運命の番は僕に振り向かない

ゆうに
BL
大好きだったアルファの恋人が旅先で運命の番と出会ってしまい、泣く泣く別れた経験があるオメガの千遥。 それ以来、ずっと自分の前にも運命の番があらわれることを切に願っていた。 オメガひとりの生活は苦しく、千遥は仕方なく身体を売って稼ぐことを決心する。 ネットで知り合った相手と待ち合わせ、雑踏の中を歩いている時、千遥は自分の運命の番を見つけた。 ところが視線が確かに合ったのに運命の番は千遥を避けるように去っていく。彼の隣には美しいオメガがいた。 ベータのような平凡な見た目のオメガが主人公です。 ふんわり現代、ふんわりオメガバース、設定がふんわりしてます。 完結しました!ありがとうございました。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

バツイチ上司が、地味な僕を特別扱いしてくる

衣草 薫
BL
理性的でクールなバツイチ上司・桐原恒一は、過去の失敗から、もう誰も必要としないと決めて生きてきた。 男が好きだという事実を隠し、「期待しなければ傷つかない」と思い込んできた部下・葉山直。 すれ違いと誤解の果てに、直が職場を去ろうとしたとき、恒一は初めて“追いかける”ことを選ぶ。 選ばれないと信じてきた直と、逃げないと決めた恒一。 二人の距離が近づくことで、直は「ここにいていい」と思える場所を見つけていく。 元ノンケ上司×自己肯定感低め部下の社会人BL。※ハッピーエンド保証。

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。