黄昏時に染まる、立夏の中で

麻田

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第75話








「依織、ずっとここにいる?」

 ベッドに横になった彰の手を握りながら、笑みをつくる。

「うん、大丈夫。彰のそばにいるよ」

 前髪を睫毛にかからないように払いのける。頭を撫でると、彰は目を細める。

「俺、依織と一緒に寝たい」

 こっちきて、とベッドを手のひらがぽんぽんと叩く。ぎくり、と肩を揺らしそうになるのを息を飲み込んで、笑みに替え、彰の鼻のむぎゅりとつまむ。

「彰の甘えんぼ」

 むう、と唸る彰から手を離して笑う。その表情は昔からよく見る甘ったれたむくれっ面だった。懐かしさに身体が緩んだ。

「だって、俺…依織がいなかったら、死んじゃいそう…」

 その言葉に、一気に現実が引き戻され、肩にずっしりと重力がかかる。けれど、今の彰には悟られてはいけない。
 彰には、飛び降りた記憶はない。香耶と番になった日から記憶がない。
 香耶と番になったことは、説明されていた。本人はひどく狼狽えていて、香耶はその日から彰に会いに来ることはなかった。毎日、足しげく通っていたのに、ぱたり、となくなってしまった。

「そんなこと言わないで…さ、もう寝よう? 明日は、クリスマスツリーを出そうよ」
「クリスマスツリー!」

 ぱ、と表情を明るくさせて笑う彰は、クリスマスに夢中になった。無事に話をそらせたことに胸を撫でおろしながら、彰の話をうなずく。
 やがて、食後に飲んだ薬が効いてきて、彰の瞼は降りていった。穏やかな寝息が聞こえてくると、ようやく僕の表情も緩めることができた。
 つないで手をするり、と解いて、彰の布団を肩までかけなおす。
 顔は精悍な美しいアルファのものなのに、寝顔は子どものようだった。
 一息つけると、無理をさせた表情筋がどっしりと重くなる。頭もどんよりと重くて、動けなくなる。そこに、控え目なノックが聞こえた。
 視線をあげると、ドアが静かに開いていて、廊下からの光を背景に史博が微笑んでいた。
 彰が起きないように細心の注意を払って立ち上がる。足音も消して、史博に近づくと笑みを深めた。

「どうなさったんですか?」
「彰は寝たかい?」

 僕の質問はやんわりと夜の空気に消えていき、史博の質問だけが残る。

「今、ようやく寝たところです」

 小声で僕たちは秘密の話をするみたいに会話をする。史博が、そ、と僕の手を掬う。いきなりの接触に肩が跳ねるが史博は気にしない。

「じゃあ、ようやく僕の依織の時間だ」
「え、あ…」

 楽しそうに笑うと史博は僕の手を引いて、部屋から出る。振り返ると、闇の中で暖色のベットライトがほんのりとベッドの上に人影を照らしていた。彰は薬を飲むと、朝までぐっすりなのに、どこか心配で落ち着かない。



 史博の部屋に連れてこられた僕は、小さなガラスのコーヒーテーブルを挟んで座る。史博の手元には、丸い氷の入ったグラスにウイスキーが注がれている。僕の手元には、香り立つ紅茶がある。
 彰が寝静まった後、毎晩のようにこうして史博の部屋へ招かれる。そして、仕事終わりの史博とぽつぽつと話をするのだ。けれど、その間も僕は彰のことが気になって仕方ない。

「私の愛する人の心に弟がいるのは、複雑だね」

 僕を見かねて史博が小さく溜め息をついた。は、と顔をあげて、眉を寄せる。

「ご、ごめんさない…。今日もちょっとあったので…」

 お手洗いすらも許されない。自分の時間など、僕には一切ない。けれど、それでも仕方がないのだ。

(僕の、せいだから…)

 朗らかで楽しくて、誰にでも好かれる彰が、あんな風に変わってしまった原因は、自分なのだから。
 大好きな親友をおかしくさせてしまった罪を一生かけて償わないといけない。
 ぎゅ、と握るとカップからほんのりと温かいものが伝わってくる。けれど、それに胸をほどいたり嬉しいと感じたりする僕は、もういなかった。

「まったく、嫉妬させられる」

 からん、と氷が鳴る。そう言葉にする史博は、言葉と反対に機嫌良さそうに笑っていた。

「ごめんなさい…」

 きっと、自慢の弟だっただろう。史博と彰の不仲は感じていたが、彰はなんだってできた。運動も勉強も、人間関係もすべてにおいて器用だった。だからこそ歴史ある桐峰の生徒会に属している。本当は生徒会長だって立候補すれば可能性はあっただろう。そんな弟が自慢でないはずない。
 そ、と手を大きなものが包み、思わず身体を硬くする。触れてきた手を辿って視線をあげると、史博は思ったよりも随分近くにいた。ウイスキーと共に、高貴なワインのような香りがする。いくつかボタンの外されたワイシャツの隙間から、骨ばった男の身体が覗く。くらり、とアルコールに酔うように目がくらむ。

「依織が気にする必要なんか、ひとつもないんだよ?」

 カップからはがされた手を、長い指が包み、手のひらを労わるように撫でられる。
 細められた瞳は、彰と同じ琥珀色だった。やっぱり彰が脳内に浮かんできて、目線を外す。淡く唇を噛んで、またも襲われる罪悪感に胸を痛める。

「ただ…、あんなのでも一応弟だからね、私も心配しているんだ…」

 低い声はかすれているようにも聞こえた。やはり、弟を心配しているのだと思うと、改めて、自分が奪ってしまった彰は、多くの人の心にあって、その人たちにも喪失感を与えてしまっているのだと強く感じる。
 する、と長い人差し指が僕の脈をはかるように、皮膚の薄い腕の内側をくすぐる。ぴく、と指先が反射的に跳ねるのをぼんやりと見つめる。

「だから、依織が学園もやめて、ここにずっといてくれたら、安心なのだけれど…」

 史博が放った言葉に目を見開いて、見上げる。
 まっすぐに僕を見下ろす瞳ははっきりとした意思を持っていて、僕に選択権を与えていなかった。

(やめる…、学校を、やめるってこと…?)

「で、でも、彰は…」

 僕がやめたら、彰がまた通い出した時、一緒にいられない。
 その一抹の希望を握りしめて、声をあげる。残りの約三か月。僕の一生に残された、唯一の僕が僕でいられる時間。それを奪われてしまうことは、一番苦しいことだった。

「桐峰は、来年から通信制の学科もつくるそうだ。理事長にはお願いしてあるから、試験運用として、残り三か月分の単位はそれで取得して、高卒認定の試験をクリアすればいい」
「あ…、で、も…」

(違う…、高卒とか、そういうことじゃない…)

 僕があの学校に求めているのは、それではない。
 笹が擦れる音が聞こえる。柔らかな風が僕を撫でる。しっとりとした土の匂いの中に、ひなたの匂いが滲んでいて、胸が高鳴ったあの日。
 頭の中で流れる景色は、希望そのものだった。

「依織の分もお願いしてあるから、安心して」

 ぎゅ、と手首を握りしめられて、開いた唇を閉じる。琥珀の目はルームライトを浴びて、薄くハシバミ色になる。その中の瞳は縦長になり、獲物を狙う蛇のように僕を見つめていた。ぐ、と喉奥がしまって、何も言えずにうつむく。心臓が重く鼓動を奏で、耳の中で鈍い音が響く。

「卒業したら、ここに住む予定だったから、少し速まって、私は嬉しいよ」

 史博は僕の手のひらに指をかけて持ち上げる。

「依織がずっといてくれるなんて、夢のようだ」

 瞳をとろりと溶かして、微笑んで、史博は僕の手の甲にキスを落とした。
 誓いのキスのようなのに、僕の身体には黒い何かが流れ込んでくるようだった。
 もう、ひなたの香りはしなかった。



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